116話 アズリア、夜食を振る舞う
帰還したばかりのイーディスに、先に駆け寄って声を掛けたのはサバランだった。
両の脚を火傷しているにもかかわらず、負傷の影響を感じさせない素早さで。
「ちょうど良かった。まさに今、アズリアがあったかい食事を用意してくれたところだったからな」
「食事を? いや、調理に使えるような材料は何も……」
サバランの言葉に、疑いの目を向けるイーディス。
当然だろう、養成所から出発の際に持たされた荷物はアタシもイーディスも同じ。だとすれば、荷に入っているのは干し肉と黒パンのみで塩もない。
普通に想像しても、この二種の食材で出来る調理といえば精々が沸かした湯に入れる程度だ。
だが。
「ほれ、食べなよッ」
「こ、これはっ……?」
続いて、火から下ろした鍋の中を見たイーディスは驚きの声を上げた。
鍋には干し肉とは別に、謎の草葉が浮かんでいたのだから当然と言えば当然だが。
「ああ、そりゃそこらに生えてた野草だよ。食べられるかどうかはランディにも確認済みだけどね」
「……そうなのか?」
唐突に話を振られたランディは、無言のまま頷いてアタシの言葉を肯定する。
何しろアタシは、あくまで「食べられる草」としか認識していなかったが。ランディは草の名前まで知っていたのだから。
「うん? この香りは、鍋からか」
本来なら、ただ干し肉を湯に浸して柔らかく戻しただけならば。代わりに湯には肉の臭みが溶け出し、湯気とともに鼻を突く筈なのだが。
この草──芝茜草という名前の野草を投入した事で。鍋から漂うのは悪臭ではなく、爽やかな果実のような香りだったのだから。
イーディスもすぐに、この香りの元が鍋に入れた野草である事は理解が出来たようだ。
「なあアズリア。この草を臭み消しに使ったのは分かったが……」
「まずは食ってみておくれよ。文句はそれから聞くからさッ」
アタシが鍋にこの野草を入れ、肉を煮たのは決して臭み消しだけが理由ではない。
「それじゃ。いただくよアズリア」
すると、一番最初に鍋に手製の匙を伸ばしたのはランディだった。
手製の匙、というのは。そこら辺に落ちていた木の枝を短剣で、食事に適した形状に削ったもの。枝の切り口を舌に当て、枝に毒が含まれていないかを確認して。
その匙を鍋に入れると、湯でふやけ柔らかくなった干し肉と、火の通った芝茜草とを一緒に掬い取っていく。
「アズリアがそこまで言うんだ。まずは食べてみよう」
「……あ。ちょ、ちょっと待てって!」
イーディスもいつの間に準備していたのか、ランディ同様に枝から削り出した匙を鍋に入れ。柔らかくなった肉と野草を一緒に取る。
二人と違い、アタシの調理をずっと見ていたサバランは。まだ料理を掬う匙を用意してなかったからか。
短剣を取り出し、目につく太めの枝を拾い上げ、大急ぎで匙を削り出していくのを横目にしながら。
「ど、どうだい?」
ランディとイーディス、調理した肉を口にした二人がどう反応するのかを。アタシは息を飲んで待っていた。
考えてみれば、自分が調理した料理を他者に分け与え、食べてもらうという行為はアタシにとって初体験だったのだから。
もし二人に「口に合わない」と言われてしまったら、という良くない想像が頭をぐるぐると巡り。反応を待っている間、徐々に不安に陥るアタシだったが。
「うん、美味いっ」
「驚いた……本当に、美味いっ……」
鍋の肉を口にし、咀嚼し終えた二人から揃って味を称賛する言葉が聞けた事に。アタシは安堵し、胸を撫で下ろした。
「はぁ、ッ……よかったあ。いやあ、吐き出されたりしたらどうしようかと思ったよ」
口にした称賛の声が嘘偽りでないのは。二人が空になった匙をすぐに鍋に入れ、肉と野草を再び掬い上げ口に運んだ事が何よりの証明だった。
「な、なあアズリア? この鍋には、肉とこの草以外、本当に何も入れてないんだったよな?」
「ああ、そうさ。だけど塩味を感じただろ」
「そう! そうなんだ……もしかして、こっそり塩を隠し持っていたとか」
何よりイーディスが驚いたのは、口の中で感じた塩味だった。
養成所から用意された荷物の中には、塩の塊は含まれていなかったし。基本的に塩は地中に層となっているため、歩いている最中に偶然拾えるような代物ではない。
もし、塩が地面に露出している箇所がこのヘクサムの近辺で発見されたとなれば。塩を掘り出す連中が押し寄せる事だろう。
つまり、それくらいに塩を入手するという事は困難なのだ。
「ふふん、それはねえ──」
驚きながら、二杯目の肉を口に運ぶイーディスに。アタシは早速、舌に感じた塩味の正体を明かしていく。
「この野草、芝茜草だっけ……の役割なんだよ」
「この草が、この塩味を?」
そう、それこそが。アタシがこの野草を躊躇なく干し肉の鍋に投入した一番の理由でもあった。
全くの偶然ではあったが、この野草は塩を削り入れた程ではないものの。湯に入れて煮出すと、爽やかな香りが立つと同時に塩味が湯に溶け出し、調味料としての役割を果たすのだ。
湯で柔らかくなった肉に塩味が付き、さらに湯にも塩味が溶け出し。簡素ではあるが、干し肉と同じく固い黒パンを浸して食べるのに適した煮汁となる──という具合だ。
アタシに野草の名を教えてくれたランディは、そもそもこの野草が果たす役割を最初から知っていたからか。
何も疑問を抱く様子もなく、笑顔を浮かべながらも淡々と匙を動かしていたが。
突如、言葉を割り込ませたのはサバランだった。
「おいランディ、食い過ぎだろっ! 俺はまだ一口も食っちゃいないってのに」
「安心しろってのサバラン。まだ干し肉やパンはアンタらの荷物に入ってるだろ」
どうやら未だ匙を削っている段階のサバランは、自分が食事にありつく前に鍋の中身が空になってしまわないかを危惧したのだろう。
しかし、鍋に使った干し肉はアタシの荷物の分だけであり。まだ三人分の肉は丸々残っている状況なのだ。
そんな時だった。
アタシの腹が、大きく鳴った。
「そりゃ、腹も減るよなあ……」
確かにアタシが干し肉を見て、調理を開始したのは水を汲みに行ったイーディスや、負傷や疲弊をした二人の体力回復のためだったが。
調理の最中に、湯で肉が柔らかくなるのを間近で眺め。芝茜草の湧き立つ香りを嗅いでいれば。
さすがに身体も、空腹を告げる音を鳴らすというものだ。
「ふーっ……ふーっ」
地面に置いた鍋に、アタシも調理の際に既に作成していた匙を入れ。肉と野草を掬い取って口へと運んでいく。
その際、息を吹き掛けて冷ますのも忘れずに。
「……美味いなあ」
柔らかくなった肉を噛み締めながら、アタシはぼそりと一言、そう呟いた。
美味い、とは口にしたものの。料理の味だけで問うなら養成所で出される食事のほうが美味だろうが。
たった一口の肉の味が、口や舌だけでなく身体全体、特に手酷い火傷を負った背中に染み込んでいくような感覚。
生命のやり取りを、小鬼との戦闘をつい先程終えたばかりのアタシには。たった一口の肉の味が非常にありがたく、生き延びた実感を覚えられたからだ。




