毒いこーる愛情
僕に呼び掛けるような小鳥の声に耳を澄まし街を歩く。色々と悩ましいことは多いけど、何もないよりはだいぶマシである。
僕はとある喫茶店を目指し、歩みを進める。服装はもちろんジャージ、ではなく、持ち合わせている洋服の中で、一番カッコいいと思える服装だ。
茶色いチノパンに、上は白いシャツ。まあ、オシャレだとは口が裂けても言えないけど、ダサいわけでもない。要するに、当たり障りのない格好。
これが、友達と遊ぶとかなら別に、ジャージでもよかったんだけどな。
いかんせん、これから僕が会うのは裕理である。
裕理の私服姿は何度か目にしているが、やはり、少しぐらいは服装を気にした方がいいと、この僕でさえも思う。
「お、あそこだな」
普段、喫茶店などという、オシャレな人間しか入ることの許されない場に、足を踏み入れる勇気も機会もなかったため、僕はちょっとばかし緊張の面持ちで扉の前に立つ。
触れることすら躊躇わざるを得ないほど、この扉は洒落ている。
お財布の中身を念入りに確認し、僕はゆっくりと扉を開く。
カランカランとベルが甲高い音を奏で、コーヒーの香りがすぐに鼻に広がる。喫茶店のマスターと思しき老人がこちらを一瞥し、「いらっしゃい」とだけ言った。
客入りは少なく、すぐに裕理を見つけることができた。変装はしていない。
「ごめん、待った?」
「ううん、さっき来たところよ」
カップルみたいなテンプレ通りのやり取りを済まし、席に座る。
「今日は変装しなくていいの?」
コーヒーカップを横に避け、裕理はじっと僕を見る。
「このお店にはあまり、人が来ないの。だから平気だと思う」
こちらを睨んだような気がするマスターに、少し肝を冷やしたが、とりあえず会話を続ける。
「そ、そっか。まあそれならそれでいいんだ」
裕理はメニューを僕へと手渡し、言った。
「お勧めはミルクティー。すごく美味しいのよ」
「じゃあ、それにする。裕理もそれ頼んだ?」
「ううん。私は紅茶」
おい。それなら裕理もミルクティー頼めよ。僕は心の中でツッコミを入れる。
「それで、話って何かしら」
マスターに注文をするとすぐに、裕理は本題を切り出した。
「単刀直入に言うけど――」
「嫌よ」
なんでだよ。僕はまたしても心の中でツッコミを入れる。
「だって、単刀直入に話をされたら、すぐに用事が終わっちゃうでしょ?」
可愛らしく頬を膨らませ、あざとい上目遣いをした。
「じゃ、じゃあ……単刀直入じゃなくて、長々と話した方がいい……?」
冗談で言ったのに、裕理は真に受ける。
「そうね、その方がいいかしら」
「いやいや、冗談だよ、冗談」
クスッと含み笑いで、裕理は場を和ませる。
「私も冗談で言ったつもり。だからあまり気にしないで」
「あ、ああ了解。それじゃあ、話すけど、そうだな……まあ、恋子から聞いたよ」
綺麗な両手を顎に乗せ、裕理は「そう」と、言った。
「僕のこと……好き、なんだよな……?」
自分で言っておきながら、いますぐに布団をかぶってしまいたいほど、僕は恥じた。だってさ、「お前って俺のこと好きなんだろ、へへ」みたいなセリフを、平然と言える男の方が珍しいってものだろう。
気持ち悪いというか、「自惚れてんじゃねえ!」と、ツッコミを入れたくなる。
なかなか僕の質問に答えようとしない裕理を見て、僕は言いようのない不安を覚える。違うはずはないけど、心配で心配でさらに心配で、僕はマスターを見た。
いや、目のやり場に困ったからな。別にマスターに気があるとかじゃない。
「ふうん……」
ようやく裕理は口を開く。
「そっか……そうなんだ」
「そうなんだよ」
「それを知ってて、私を今日呼び出したってことは、つまりそういうこと?」
「違うから。勘違い甚だしい……」
ちょっと前まで、こんなきつい言葉をふっかけるのはことはなかった。でも、ある程度の信頼関係というか、仲良くなったから、こんな言葉が飛び出したのだろう。
「残念、私はちょっと……期待してたのに」
「期待? どういう期待だよ」
「私に告白をしてくるかも、っていう期待かしら」
やばい。ここに来る前に、恋子と少し話をしてたけど、やはり恋子の言う通りだ。裕理は恋愛に関しては、何枚も上手だと、そう言っていた。
余談だが、玲於奈については言うまでもなく、恋愛下手だと、そう言っていたっけ。
色っぽく紅茶を嗅ぎながら、裕理は僕からいったん視線を外す。
「お待たせしました」
マスターがミルクティーを机に置く。ケーキをつい頼みたくなるような、甘いけどしっかりとした香ばしさを兼ね備えた感じである。
僕は一口だけ啜り、地味に感動した。
明日からしばらく、このお店に通い詰めようか。というのも、前に言ったと思うけど、僕が昔に、たまたま入った喫茶店で頼んだ紅茶を思わせるような、あの味。
ミルクティーと紅茶では多少異なるけど、とにかく懐かしい味がするので、僕は思わず感慨深い表情をした。
「ここはね」
裕理は上品に微笑む。
「私のおじいちゃんが営んでる喫茶店なの」
「へえ……って、え⁉ おじいちゃん⁉」
「そんなに驚くことかしら」
「そりゃそうだよ……」
改めてマスターを見ると、僕らの話を聞いていたのか、親指を立てグーサインをしている。
へこへこと頭を下げ、僕は会釈をした。
「なるほどねえ……」
「それで、そのミルクティー、美味しいでしょう?」
僕のティーカップを見ながら裕理はそう言った。
当然、僕は不味いんどと言えるわけもなく、高評価をした。
「すげえ美味しい。また飲みたくなるような、そういう中毒性あるし」
「あら、よく気づいたわね。その中には毒が入っているのよ」
「悪い冗談はやめてくれ……」
どうにも口が進まなくなるというか、こんなことを言われてしまったら、一気に味気なくなってしまう。
「ううん、毒は本当に入ってるの」
「分かったよ、分かったから」
意地の悪い笑みを浮かべながら、裕理は言った。
「それを一度飲んだら、もう二度と私以外の女の子を見れなくなる、そういう毒」
僕はごくりと唾をのみ、息も呑み、裕理を見る。瞳がキラキラと輝いていて、見れば見るほど引き込まれてしまうような、そういう目だ。
「ほら、もう私しか見てない」
「そんなことはない!」
慌てて視線を逸らし、僕は一気にミルクティーを呷る。
「もう一杯飲む? もちろんタダだけど」
「いいよ、もう」
深く座りなおし、僕は言った。
「なんだかこのままだと、裕理のペースに呑まれそうだから、話を戻すけどさ」
残念そうに唇を尖らせ、裕理は紅茶を飲む。
「裕理の気持ちはすごく嬉しいけど、いますぐには答えを出すことはできない。だから、玲於奈にも言ったけど、もうしばらく待ってくれないか?」
「かまわないけど、どれぐらい待てばいいのかしら」
どれぐらい。具体的なことを聞かれると、すごく困るな。
「それも分からない」
「それなら、私は待てない」
「え……でも、待ってくれなきゃ色々と困るし……」
「女性を待たせるのが、月人の趣味なの?」
「違えよ! どうしてそうなる⁉」
ティーカップを揺らしながら、裕理は楽しそうに笑った。
「やっぱり……私はあなたを好きになってよかった……」
まじまじと僕への好意を明かされ戸惑う。
「それは……なんていうか、ありがとう」
「ありがとう……か」
いきなり表情を暗くさせたので、僕は「どうした?」と聞く。
「本当の意味での、ありがとうって言葉を言ってくれるのかしら……。いつか私に、ありがとう……って」
「本当も何も、僕は裕理に感謝してるんだけどな。僕のことを好きになってくれてありがとうってさ」
「まだ、早い……かしら。そのセリフを言うには、まだ早いと思うわ」
「じゃあいつなら――」
一切の感情も読み取れない、複雑で曖昧な表情を浮かべ、裕理は僕の言葉を遮る。
「もしかしたら……一生来ないのかもしれないわね」
しかし、すぐに笑顔で呑みこんで。
「話は以上?」
「まあ、そうだな……」
「いつでもこのお店に来てね。おじいちゃんもきっと、喜ぶだろうから」
「そうする」
もう少し話ていたい気分だったが、なんだかこのまま裕理と会話をするのが憚れる気がして、僕は静かに喫茶店を出るのであった。
「それであんたは、自分のことを好きだってことを、言っちゃったわけね」
爪をいじりながら、恋子は呆れたような顔をする。
「だって、仕方ないだろ。そうじゃなきゃなんか、嫌じゃん?」
「バカ、ほんとバカ。いや、それじゃあ馬と鹿に失礼か」
「いや僕に失礼だろ」
「と・に・か・く!」
僕をきつく睨みつける。
「あたしにはもうどうすることもできないから。後は自分でなんとかしなさいよね」
まあ、もとからそのつもりだけど。そもそも、恋子から相談をもちかけられたわけで、それを僕がどうにかしなきゃいけない状況である。
両足をわずかに揺らす恋子を前にし、さっさと自室へと戻ることを決めた。
「分かったよ。邪魔したな」
軽く頭を下げ、年寄りくさいため息を漏らしながら立ち上がる。洋服に恋子の部屋の匂いがつき、こうして自分の部屋に戻ってもなお、女っぽい匂いが漂う。
「さてと……どうしようもねえな。これじゃ」
ベッドを見下ろす形でぼんやりと考える。
答えを出せるまでまって待ってくれ、そう言ったはいいが、まったく結論を出せる気がしない。結論を出そうと思えば思うほど、焦り、悪循環に陥る。
「何も考えない、ってわけにもいかないよな……」
裕理や玲於奈の、あの表情を思い出す。恋する乙女の顔というか、甘くて苦い、それでもって切ないあの表情。
僕は、あんな顔したこと、ない……。
それじゃあ、僕が春香のことを好きだったあの時の感情は、別物だったのか。
夜風を浴びようと部屋から出ると、ちょうど恋子とはち合わせた。
「お前もどっか行くのか?」
真顔で僕をチラ見する。
「別に」
「そ、そうか……」
別段気にすることなく階段を下りると、「ちょっといい」と、話しかけられる。
「なんだよ?」
僕は首だけ後ろに向けた。
「気を付けなよ、あの二人には」
「気をつける? なにをどう気にすればいいんだよ」
「あの二人は、なにをしでかすか分からないから。ちゃんと注意した方がいいって話」
「は、はあ……」
「それじゃ、あたしはもう伝えたから」
それだけ言い残し、恋子はまた部屋に戻った。