バイト探しなんてのはついでだ
昨日のライブの疲れ、まあ僕がライブを行ったわけではないけど、とにかく身体が途轍もなく重たく、ベッドから起きるのも一苦労であった。
今日も学校。サボりたいけど、学費を払っているのは僕ではなく親父だ。
僕ら養われる側は、学校へ行くのが役目である。
フラフラとした足取りでリビングに向かい、「おはよう」と言った。
しかし、返答はない。
「あれ……。恋子のやつ、もう行ったのか」
いつもなら、皺ひとつない綺麗な制服に身を包んだ恋子が、ソファーに座り、僕を目一杯睨むんだけど。
恋子のローファーを確認しに行くと、どうやら、まだ家にいるらしい。
「おーい、恋子。起きてるかー?」
一階から呼びかけるも反応はない。下りたばかりの階段を上り直し、恋子の部屋の扉を数回ノック。もう二度と、同じ轍は踏まないのだ。僕もバカじゃないからな。
しばらく待つが、一切合切、生活音が聞こえない。
「開けるぞ」と、恐る恐る扉を開き中を確認。制服は脱ぎっぱなし、私服も脱ぎっぱなし。机の上には勉強道具が広げてあるものの、ノートは真っ白で、途中で力尽きたのが想像できる。
となれば。僕はベッドの方に視線を向けると、案の定、静かに寝息を立てる恋子の姿が。
きっと、昨日あれだけ全力で踊ったり歌ったりしたから、その疲れが一気に押し寄せたのだろう。
起こすのは酷だとは思うが、このままでは恋子は遅刻してしまう。ベッドの側に近寄り、僕は恋子の寝顔を見る。
「幸せそうに寝てやがる……」
試しに頬っぺたをつつく。
「んんッ……! そこ……だめ……」
この反応である。エロい。我が妹ながら、男心をくすぐる、実に色気のある声色だ。それからしばらく、頬を抓ったりつついてみたりを繰り返すが、なかなか恋子は起きなかった。
「あ……」
結局、僕は自分の目的もすっかり忘れ、恋子の反応を楽しむことに没頭。少し触れただけで、これほどまでにイヤらしい声を出すのだから、耳に息を吹きかけたら……。
ごくりと生唾を呑み、僕は恋子の耳元にそっと口を近づける。
鼻息が荒くなるのをどうにか抑え、そっと、恋子の耳に息を――
「え?」
突然、ゴロリと寝返りをうち、恋子の顔が僕の唇に迫りくる。予期せぬ行動に、慌てて顔を離そうとするも、間に合わなかった。
これが僕のファーストキス……。になると思ったけど違った。
恋子は寝返りをうつのと同時に、腕を勢いよく動かしたもんだから、僕はチョップを顔面に喰らい、その場で痛みに顔を歪める。
「ぐ……ぐおおおお……!」
最近、こんなことばっかりな気がする。階段から転げ落ちたり、顔面チョップが直撃したり、あんまりだ。
まあ、だいたい、ほとんどが僕に原因があるわけで、いつしか沢城にも言われた通り、自業自得なのだろうけど。
涙目で恋子を見ると、どうやら目覚めてしまった様子。僕がプルプルと肩を震わせているのを目にし、一言。
「あんた……なにやってるわけ?」
そりゃそうだ。朝起きたら、横でお兄ちゃんが涙目で、しかも身体を小刻みに震わせているのだから。
気持ち悪いというか、意味不明である。
「お……おはよう」
爽やかな笑顔などできるわけもなく、当然、唇を歪に吊り上げる僕の姿がそこにはあった。
恋子は頭に疑問符を浮かべ、とりあえず「おはよう」と、挨拶をする。
「その……、お前が学校に遅刻するといけないから、起こしに来たんだよ」
ようやく合点がいったのか、恋子はパンと両手を叩く。なにやら笑いを堪えられないようで、さきほどから頻りにニヤニヤとしている。
「ねえ、あんた」
恋子は言う。
「今日、祝日なんですけど」
ドッキリが大成功したように、恋子はニシシと歯をむき出し笑った。「やっちまった」とは思えど、ここですんなり自分の非を認める気にはなれない。恥ずかしいし。
僕はあたかも知っていたみたいに、真顔で言った。
「し、知ってたし? ほら、もしかしたら、お前が今日、祝日だってこと知らないかもなって思ってさ」
「嘘つくなっつうの。バレバレ」
「嘘じゃない」
「嘘でしょ」
お互いに譲る気はなく、あほらしいとは思うけど、僕も恋子も妙なところで負けず嫌いなため、話はいっこうに進まないのである。
「だいたい、あたしはあんたに、朝起こしてなんて頼んでないし」
「ふうん。そうやってお前、お兄ちゃんの優しさを無碍にするんだな? 謝るなら今のうちだぞ」
「はあ? それを言うなら、あたしだってあんたに、いつも優しくしてあげてるし。そっちこそあたしに謝りなさいよ」
争いが争いを呼んだ。恋子はすっかり眠気が飛んでしまったのだろう。恋子はベッドに腰掛け、大きな黒目で僕を一生懸命に睨む。
まだ中学生だからあまり化粧をしないのか、真っ白な肌は艶々である。さっきの続きじゃないけど、再びあの柔らかそうな、ていうか柔らかかった頬っぺたを触りたい。僕はそう思った。
気づけば僕は、恋子と口喧嘩をしていることも忘れ、どうしたらあの頬っぺたを撫で繰り回すことができるのかを考える始末。
「なに見てんの? きもい。穢れる」
僕の目線が、あきらかに恋子の目ではなく、頬にいっていることを理解し、恋子はそれとなく顔を背けてしまった。
「なあ。お前の頬っぺた、触らせてよ」
軽い気持ちで言ってみるも、恋子は激しく動揺した。
「は、はあ⁉ あんた自分がなに言ってるか分かってる……?」
「もちろん。別におかしなこと言ってないだろ?」
「あ、あり得ない……」
布団を勢いよくかぶり、恋子は僕から隠れる。
「なんだよ。だめなのか?」
「だめに決まってるでしょ⁉ バカ兄貴!」
くぐもった声が僕の耳に響き渡る。さすがはアイドル。布団の中とはいえ、声のボリュームが大きい。
と、そんなことはもうどうでもいいとして。恋子が機嫌を損ねた以上、このまま話をしても埒が明かないだろう。きっと、どうせ、頬っぺたを触らせてくれないし。
僕は芝居がかった、ため息を一つ。布団にくるまる恋子を一瞥し、部屋を出た。
さて、どうしよう。
今日は祝日らしいんだが、恋子との絡みも終了し、いよいよやることがなくなった。僕に残された選択肢は三つ。
春香と遊ぶ、もしくは一人で街をぶらぶらする、の二択。って二択じゃねえか。もう一つの選択肢はどこへ行った。
つまらない一人漫才を心の中で繰り広げ、僕は悩む。最近の春香は、なにかと忙しいから、今日も遊べない可能性がある。
そうかといって、一人で散歩するのもなんだか虚しい。
「おう、月人。今日も相変わらず暇そうだな」
リビングに入ると、いきなり親父に話しかけられた。親父も相変わらず、すごい寝癖。鳥の巣みたく、複雑に髪の毛が絡みあい、ちょっと触ってみたいとすら思える。
僕は親父に言った。
「なあ、親父。暇を潰せるいい方法ない?」
親父は呆れ顔で言った。
「やっぱりお前、暇してるのか……。じゃあ、バイトでもしたらどうだ?」
あ、そうか。いままで一度たりともそんなことを考えたことがなかったが、なかなかどうして名案である。
「そのアイデアもらい。サンキュー、親父」
「どうしてこんな単純なことも、思いつかなかったんだか……。我が息子ながら、将来が不安だよ、俺は」
とりあえず親父にピースをして、適当な返答をし、部屋に戻る。
「バイトねえ……。どうすっかな」
求人雑誌でも貰いに行こうと、私服に着替え、家を出た。
予想に反して肌寒く、もう一枚上着を羽織るべきだったと後悔するも、コンビニまで求人雑誌を取りに行くだけだから、そのまま歩みを進めていく。
自転車は使わない。だって、足があるじゃん。というのは言い訳で、本当は、パンクした自転車を修理するためのお金をケチり、かれこれ二年近くは使用していないのだ。
「春だなぁ……」
毛布に包み込まれたみたいに、柔らかで温かな風が頬をかすめる。近所の子供たちは、朝っぱらから元気に公園ではしゃぐ。半袖一枚で遊びまわれるのだから、やはり、若いってのは良いことなのかもしれない。
もう僕には、あんな元気もなければ気力もない。
そんな子供たちを追い越し、少し歩くと商店街の入り口が視界に入る。活気があるわけではないけど、古めかしい店構えと、店主の人当たりの良さが相まって、僕はこの商店街が好きだ。
小学生の時、頻繁に通い詰めた駄菓子屋はいまでも健在である。さすがに高校生の僕が、駄菓子屋に行くわけにもいかないから、もう五年近くは行っていないな。
魚屋の生臭い匂い。八百屋の新鮮な野菜の匂い。タバコ屋の近くの喫煙所から、副流煙が漂う。こんなものはありきたり。だけど、ありきたりな雰囲気を味わえる場所は意外と少ない。
僕はのんびりとした雲を眺めながら、足を止める。
もう目の前にコンビニはあるのだが、まだ物足りないというか、寄り道をしたい気分である。
ふらっと古本屋にでも寄るか、最近できたばかりのパン屋にでも行くか、どうでもいいことで頭を悩ませていると、見覚えのある顔が視界に入った。
「あいつは……」
あちらも僕に気がつく。ヘッドホンを装着しており、リズムをとりながらこちらに近寄る。
「よう、恋子の兄貴」
玲緒奈だ。やたらとラフな格好で、上下ジャージに、ランニングシューズを履いている。一切の乱れも見られないショートカットの髪の毛を、玲緒奈は指で軽くいじる。
「玲緒奈って、ここら辺に住んでるんだ?」
「まあな。ここのコンビニから、徒歩一分のところに住んでるぞ」
「ふうん。散歩?」
ようやくヘッドホンを外し、玲緒奈は言った。
「え? なんだって?」
ちょっとイラッときた。
「散歩してんのかって聞いたんだけど……?」
「そんな感じ。お前は?」
「バイトの求人雑誌、もらいにきたんだ」
上手に口笛を吹き、玲緒奈は笑う。
「お前もとうとう、バイトをするようになったんだな。うち、ちょっと感心したぞ」
知り会って、せいぜい三日程度のこんな小娘に感心されるなど、とんだ屈辱だ。
「お前は僕のことを、どういうやつだと思ってるわけさ」
両手をポケットに突っ込み、玲緒奈はしばらく考える。
「そうだなぁ……、一言であらわすとすれば、暇。二言なら、退屈。三言なら――」
「もういい! もうこれ以上は僕のメンタルがもたないから!」
「豆腐メンタルってやつ?」
「違う。センチメンタルだ」
豆腐、つまりは腐った豆である。そんなものと僕の心を同列に扱われるのは、いささか気分が悪い。
それにしても、玲緒奈は僕に対して、かなり悪い印象を持っているようだ。暇、退屈、そんな言葉が僕にはピッタリだと、そう言われてしまったのだから。
ふむ、それならば。僕はバイトそっちのけで、とあることを思いついた。
「玲緒奈、ちょっといいか」
真面目な顔つきの僕を目にし、玲緒奈は訝しげな顔をする。
「うちが嫌だって言ったら、どうするんだ……?」
何故か不審者を見るような目で、玲緒奈は僕を見つめる。この視線に耐えられず、僕はとうとう目を逸らした。
「別に何もしないよ。ただ、ちょっとばかし、玲緒奈との友情を深めようと思って」
「愛情じゃなくて?」
「どうしてそうなる……」
自分の身体を抱きかかえるようにして、玲緒奈は防御体勢に入った。もう、僕の印象は落ちるところまで落ちてしまっているらしい。
「冗談だよ」
玲緒奈は言う。
「うちは別に、恋子の兄貴と友情も愛情も育むつもりはねえんだけどな」
「それ、それが気になる。さっきから僕のことを、恋子の兄貴って呼ぶだろ、お前」
「それがどうかしたか?」
「僕の名前は月人。だから、月人って呼んで」
「呼んでください、お願いします。だろ?」
見た目と中身は一致しない。それが僕にもようやく分かった。こんなにも純粋そうで誠実そうな顔をしているのに、玲緒奈の中身はどす黒い。
僕はため息を零す。
「玲緒奈……僕はショックだよ。お前がこんなやつだったなんて」
玲緒奈は首を何度も傾げ言った。
「ショック? どこら辺が?」
「何もかもだ。もっと可愛いやつだと思ったのに」
「つっきー、そりゃないぜ。女の子の見た目に関して悪口を言うのは、いただけねえな」
「勝手にあだ名をつけるな。つけるならせめて、つっくんにしろ」
「なんだよその、某アイドルプロデューサーみたいなあだ名は」
冷静なツッコミをしたことに、僕は少しだけ驚く。ほんの少しだけ。別に、こういうツッコミを期待してボケたわけじゃないので、あしからず。
「違う。僕はお前の顔について言ってるんじゃない。性格だよ、性格」
盛大に舌打ちをかまし、玲緒奈は不機嫌そうな表情に。
「仕方ねえだろ……これがうちなんだから」
「悪いとは言ってない。ただ、ショックを受けたと言ってるだけだ」
「同じようなもんだろ、どっちも」
僕は玲緒奈を見くびっていたかもしれない。いや、見くびっていた。意外と玲緒奈は、思考回路がしっかりとしている。僕のさりげないボケにもちゃんとツッコミを入れるし。
「気に入った。僕はお前を気に入った」
「はあ? いきなりどうしたんだよ、ライト君」
「やめろ。僕の名前をキラキラネームみたいにするな」
「新世界の神になるってか?」
「僕は黒いノートも持ってないし、例え持ってたとしても人を殺すつもりはない!」
玲緒奈はクスりと笑う。僕も少しだけ吊られて表情を緩める。
「月人、お前けっこう面白いな。うちもお前を気に入ったぜ」
コンビニの前で、奇妙な友情を築く僕と玲緒奈。そして、僕はふと、疑問が生じる。
「あのさ、玲緒奈って何歳?」
そう、いま思えば、玲緒奈の年齢を僕は知らないのだ。まあ、特に知る必要もないけど、ちょっとしたコミュニケーションのつもりで聞いてみる。
「あれ、まだ言ってなかったっけ?」
静かに頷き僕は言った。
「ああ、聞いてない。先に言っておくと、僕は十七で高校二年生だ」
「ふーん。それならうちの方が年下じゃんかよ。うちは十六歳だから」
十六歳か。僕と一つしか変わらないが、言ってしまえば、恋子と同い年ぐらいかと思っていた。いかんせん、喋り方がバカっぽいからな。
ここで話が途切れ、しばし沈黙。
「それじゃ、月人」
玲緒奈は言う。
「うちはもう行くよ。ちょっくら散歩してただけだし」
名残惜しさはあったが、これ以上話すこともないので、僕は「そうだな」と言う。
「また、どっかで会えたら会おうぜ。バイビー」
再びヘッドホンを装着し、玲緒奈は歩き出す。僕はバイト探しという本来の目的を思い出すも、なんだかどうでもよくなってしまい、玲緒奈の後ろ姿が見えなくなったのを確認すると、元来た道を引き返すのであった。




