あんパンは伊達じゃない その②
いつもは大して混まない路線も、今日はデンゾのライブがあるということで、満員どころか定員オーバーな電車であった。
香水やら汗やらがごちゃ混ぜになった、何とも言えない匂いで気分が悪くなるも、やっとの思いで改札を抜けた。しかし、苦難は続く。僕の眼前には大量の有象無象が蠢いていたのだ。春だというのに汗がとまらず、制服のシャツはすっかりびしょびしょである。
春香が「すぐに行きたい!」とか言うもんだから、こうしてやってきたはいいが、やはり私服に着替えてくるべきだった。
まあでも、辺り一帯、どこを見ても女性しかおらず、その群衆に揉みくちゃにされるのも悪くはない。
拡声器を使って案内をする男性を一瞥し、僕は春香に言った。
「僕の手掴んどけ。お前は昔から、すぐ迷子になるからな」
春香に片手を差し出す。なかなか握りかえされないことに不安を覚え、「まさかもう迷子に?」と、横に視線を送るも、そこには普通に春香の姿があった。
「どうした?」
「ううん。なんだか、月人君と手をつなぐのって……久しぶりだなぁ……って」
僕の手を見つめながら、春香は感慨深い顔をする。
「まあ、そうだな。昔は手をつなぐのが当たり前だったけど……」
懐かしい昔の記憶を思い出しながら、僕は春香の手をつかむ。
「あっ……!」
「なんだよ……。いきなり変な声だすなよ……」
女性ファンの熱気にあてられたのか、春香の頬は紅潮している。
それを見かねた僕は言った。
「少し休憩するか。どうもこのチケットは、特別席に座れるみたいだから、そんなに焦る必要もないし」
首を左右に振り、春香は言った。
「大丈夫だよ。あたしはもう……昔みたいに、弱くないから」
昔みたいに、ねえ。そういえば春香は子供の頃、頻繁に風邪をひくような、病弱な子供だったっけ。
今ではすっかり克服し、高校一年生の時なんて、無遅刻無欠席をやってのけたぐらいである。僕は春香の頭をわしゃわしゃとして、髪の毛を乱してやった。
「つ、月人君……酷いよお……」
涙目になり、春香は子犬のような目で訴えかけてくる。
「ま、お前がそういうなら、このまま会場まで直行するか」
口を尖らせ春香はそっぽを向く。僕はそんな春香を見て、笑みを一つこぼす。
それからしばらく歩みを進め、会場内に入れるまでに約一時間ほどかかった。席に座れて一安心、というわけにもいかず、恋子から渡されたチケットを入り口で提示したところ、なにやら関係者以外立ち入り禁止のルートへと案内される。
もちろん、僕らは右も左も分からないから、案内役の人が先導をしてくれているのだが、その案内役の人がいかにもな感じの人なのだ。
サングラスに黒いスーツを身に着け、がっしりとした体型。
「な、なあ春香」
僕は小声で言う。
「このまま、妙なところに連れていかれたりしないよな……?」
僕だけではなく、春香も心配なようで。
「そ、それはないと思うけど……さっきからずっと、歩いてるよね、あたしたち……」
どこまで行っても真っ白な壁。人影はなく、ちらほらとデンゾのポスターが貼ってあるくらいだ。手を握る力が強まり、ますます不安は募る。
しかし、僕らの心配は杞憂に終わった。
「あ、月人。わざわざ来てくれたの?」
聞いたことのある声に安堵し、少し遠くを見てみれば、ちょうど部屋から裕理が出てくるところだった。
「ゆ、裕理! 助かった……」
無邪気にも、裕理は僕の顔を見るなりこちらに駆けよる。
「助かった? 何か怖いことでもあったの?」
ちらりとさっきの案内役の人を確認するも、さっさと元来た道へと引っ込んで行ってしまった。
「いや、何でもない。それで、恋子はいるか?」
「いる、けど……ちょっといま、玲緒奈と喧嘩してるの……」
もうすぐライブが始まるというのに、何をやっているんだか。
「あ、あのー……」
消え入るような声で、しばらく放置していた春香は言った。
「どちら様でしょうかぁ……?」
ハッと口元を手で覆い、裕理は言った。
「すいません……。自己紹介、していませんでしたね」
「あ、いえいえ! 大丈夫です!」
デジャブ。僕が初めて裕理と会った時も、こんな感じだった。まあ、僕や春香は、裕理みたいなタイプの人間と会う機会が少ないからな。
こうなってしまうのは仕方がない。
やたらと頭を下げる春香を目にし、裕理は微笑する。
「そんなにへこへこされてしまったら、私、反応に困ります」
「あ、すいません! ごめんなさいですます!」
「落ち着け。裕理が困ってるだろう」
バカみたいにお辞儀をする春香を静止。僕は春香の代わりに、軽い自己紹介をする。
「こいつは僕の幼馴染の朽木春香」
「よ、よろしくお願いします」と、おばさん臭く背中を丸め、春香は頭を下げた。
「それで、こっちが赤星裕里。僕もまあ、最近知り会ったばかりなんだ」
礼儀正しく背中を曲げる裕理。
「それじゃあ、僕は裕理とタメ語で話をしてるから、春香もそれでいいよね?」
裕里はこくりと頷き、肯定。そして春香も同じように頷く。
「とりあえず、恋子のところに連れていってくれる?」
簡単な挨拶を済ませ、僕は早速本題に入る。
「分かったわ。もうすぐそこだから、ついてきて」
まだ男装を済ませていない裕理の背中を見て、僕は思った。
とてもじゃないが、男には見えない。これをどうやったら、僕がちょっと前にテレビで目にしたようになるのだろう。
しばらく無言で歩くと、どこかの部屋から騒がしい声が聞こえてくる。
「ここよ」
裕里がゆっくりと扉を開くと、長いテーブルに座る二人の少年の姿が。
「だから、俺はあの場面で、観客に手を振るべきだって言ってるだろ」
ああ……この声は恋子だ。男みたいな喋り方をしているが、間違いなく恋子である。
「恋太郎まじバカじゃん。そうやって言って、この前失敗したばっかじゃねえか。学習しろっての」
そして、これが知音玲緒奈か。
男になってもやはり、バカっぽい喋り方は変わらないようだ。
「はあ? レオの方がバカでしょ? お前はチンパンジーと同レベルだよ」
「ってめえ……チンパンジーなめんなよ⁉」
「怒るとこそこかよ!」
思わず僕はツッコミを入れる。そこでようやく、僕らの存在に気がつき、恋子と知音玲緒奈はこちらを見た。
「よう、兄貴。よく来たな」
「お、おう……」
もの凄い違和感である。確かに妹の恋子ではあるが、恋子じゃない別人に話しかけられているような、そんな感覚。
「あ、この前の土下座野郎」
「そのことはもう忘れろ!」
知音玲緒奈の一言で、僕はこの前の失態を思い出してしまった。
そんな僕にはおかまいなしに、恋子は春香のもとへと歩み寄る。
「春香、お前もよく来てくれたな。嬉しいぜ」
「え、ええ? あ、うん。その……ありがとう?」
恋子の男装姿を間近で見たのは初めてなのだろう。春香は完全に動揺している。
フォローに入ろうか迷っていると、知音玲緒奈は僕に言った。
「お前が恋太郎の兄貴、だよな?」
恋太郎……ああ、そうだ。恋子の芸名は東條恋太郎だっけ。
「そうだけど?」
「意外とお前、カッコいいじゃん!」
その、ここは本来、喜ぶべきところである。知音レオではなく、知音玲緒奈の時は、僕の好みではないものの、そこそこの美少女なのだから。
しかし、こうも男っぽい雰囲気を漂わせる知音レオに、お前はカッコいい、とか言われても全然嬉しくない。むしろ気持ちが悪い。
顔の筋肉を痙攣させ、僕は言った。
「あ、ありがとう……お前も、なんだ。カッコいいな?」
知音玲緒奈は、鼻を指でこすり照れた。
「やめろ。もう、そんな台詞、言われ慣れてるからよ」
「その割には、まんざらでもない顔してんじゃねえか」
「お、なかなかお前、鋭いな。気に入った!」
どうしよう。本当に気持ち悪いんだけど。
「その……知音さん。どうしてお前は、恋子と喧嘩してたんだ?」
「知音さん? やめろやめろ。玲緒奈かレオって呼んでくれ」
「お、おう……」
「それでまあ、恋太郎と喧嘩した理由は、実に単純だ」
人差し指を立て、玲緒奈は言った。
「ライブのパフォーマンスで、意見が割れた箇所があってな。俺も裕も、それはやめろって言っても、聞かないんだよ」
「ふうん。そういうのって、演出家とかが決めるもんだろ、普通」
「いや、そうでもないんだぜ。基本的に俺たちの意見は、ほとんど考慮されるし、反映される。だから、いまこうしてもめてるわけよ」
よくバンドで、音楽の方向性があわない、とかって話を聞くけど、正しくそういう感じなのだろう。恋子たちは。
「ライブまであと一時間なので、そろそろ準備を終わらせてくださーい!」
下っ端っぽい男の人がそう言うと、他のスタッフは慌ただしく動き出す。
「あ、なんか悪いから、僕たちはそろそろ行くよ」
「お、そうか。それじゃあ、また後で」
玲緒奈から離れ、恋子のもとへ行く。
「それじゃあ、俺が兄貴と春香を特別席まで案内する」
鼻歌まじりに歩き出し、恋子は僕らを先導。
「大丈夫? あたしたちなんかに時間使ってる余裕はあるの?」
不安気な表情の春香に、恋子は言った。
「平気。どうせあのまま俺がいても、雰囲気が悪くなるだけだから」
「そ、そっかぁ……」
恋子と一緒に歩いていると、頻繁にスタッフの人から挨拶されるので、僕とはまったく違う世界に恋子たちは生きているのだと実感した。
僕の妹なのに、僕の妹じゃないみたいだ。カッコいいとも思うし、素敵だとも思う。
でも、やっぱり、本音を言ってしまえば、ちょっぴり寂しいのである。
娘の結婚に反対する親父の気持ちがよく分かるというか、自分の知らないところに行って欲しくないのだ。
いつまで経っても、恋子は僕の知っている妹であって欲しい。自分勝手だとは思う。けど、これが本音なんだから仕方がない。
恋子は急に立ち止り、僕らを見る。
「このドアから行けば、特別席に入れる。それじゃ」
後ろ向きで、フラフラと手を揺らしながら、クールに立ち去っていく恋子。こうしてちゃんとデンゾとしての恋子を見たが、男装している方が圧倒的に楽しそうだ。
天職、なのだろう。アイドルという仕事は。
「月人君、どうしたの?」
いつまで経っても恋子の背中を目で追う僕を見て、春香は訝しげな表情をする。
「別に。なんでもない」
やたらと重たい扉を開き中を見れば、そこには業界人っぽい人がちらほらと。ステージを見下ろす形で、特別席が設置されている。
僕らの下には大勢の観客がおり、微妙な優越感に浸っている自分が悔しい。僕が凄いんじゃなくて、恋子が凄いだけなのに。
疲れ切った足を休めるため、僕は近くにあった席につく。特別席のほとんどが空席なのが気になる。まあでも、いつもこんな感じなのかもしれないけど。
春香が僕の隣に座ったのとほぼ同時、場内にアナウンスが流れる。
「あと一時間ほどで、デンジャラスゾーンのライブを開始いたします」
すると、春香は子供みたいにはしゃぎ出す。
「始まるって! もうすぐ始まるよ、ライブ!」
「ああ、そうだな」
僕は、いつにも増して適当な返事だ。春香は一人で騒ぎ、一方僕は、ただ黙って座る。この場においては、この特別席においては、春香が異常で僕が普通。
いかんせん、このライブを楽しむために来たとは思えない人たちが、僕のまわりにいるもので。恐らく、テレビ局の人間なのだろう。
番組で使えるかどうか、まだライブは始まってすらいないというのに、ここの人間はみな、揃いも揃って鋭い眼差しだ。
居心地が悪いような良いような、微妙である。
ライブ開始まであと五十分分ぐらい。観客席はどんどん埋まり、女性ファンたちは、サイリウムやらデンゾのメンバー名が書かれた内輪やらを掲げる。
お祭り騒ぎとは正しくこのことだ。
僕はジッと、恋子たちが登場するのを待った。




