第7章 税の取り立て人
焼けつく日なたの匂いと、庭いっぱいに広げて干された、プランの渋く乾いた匂いが、ドンバン村じゅうに満ちていた。賑わいぶりは、何かの知識展覧会の祭りのようだ。村人たちが輪になって、熱心に情報を交わしている。堆肥の作り方、畑の土づくりの技、命をつなぐ野草の探し方、そして不足の時期に備えて乾物をつくる加工法まで。それはもう、アティウスが一方的に知識を与えるだけの場ではなかった。村人たちも自分で考えて、意見を出し、技を発展させはじめていたのだ。
特に盛り上がっていたのが、野生稲の種もみの選別である。この世界の野生稲は、背の高い、密生した草に近い姿をしている。そのため、実の多くは小さく痩せ、中身が詰まっていない。アティウスは、村人たちに頼んで、質の悪い種もみをふるい落としてもらうことにした。旧世界の知識の、おぼろげな記憶によれば、簡単で正確な選別法がある。きれいな水に塩を溶かして、ちょうどよい濃さにしてから、稲の実をすべて流し込む。中身のない、痩せて未熟な実は、水面にぷかぷかと浮かんでくる。すると、近くで見ていた村人のひとりが、ふいに声を上げた。
「あっ! 水と稲の実の、密度の違いのおかげなんですね!」
アティウスは、思わず目を見張った。目の前の村人の理解の早さに、舌を巻いたのだ。少年は心の中で考えた。この様子は、はっきりと示している。最近、村人たちが栄養をしっかりとれるようになったことで、脳の働きと考える力が、飛躍的に伸びているのだ、と。
夕暮れ、陽が沈み、暑さがやわらぐころになると、ドンバン村の人々は、広場に集まるようになった。アティウスはこの時間に、基礎の算数教室を開いている。数を数えることは、もともと何の問題もない。ところが、掛け算、割り算、べき乗、さらには分数へと進んでも、村人たちは、さして苦労せずに理解していった。アティウスが、村人たちの身の回りや、毎日の暮らしにまつわる、わかりやすい例を選んで教えているおかげだ……言葉については、いまのところ話し言葉しかない。昔から伝わる土地の言葉ではあるが、その構造と語彙は、印欧祖語に非常によく似ていた。ただ、文字はいまだ発明されておらず、せいぜい石や丸太に粗い印をつけて、物の数を伝える程度だ。もっと発展させるには、まず筆記用具をきちんと整える必要がある。それでもアティウスは、とりあえずの対策として、木の枝で地面に文字を書いて、村人たちに見本を示した。そして、少年の姿の天才と村人たちは、みんなで知恵を出し合い、文字の体系をつくりあげたのだ。もちろんアティウスは、旧世界の文字の特徴を、ちゃっかり、ばれないように混ぜ込んでおいた。
村人たちが楽しそうに文字づくりに励む様子を、まんまるの目で眺めながら、アティウスの頭に、ある考えが真剣に浮かんだ。(タイ語の体系は、絶対に使わないし、参考にもしないぞ……)。旧世界で染みついた偏見で、どうしても拭い去れない。哲学者ジャック・デリダ(Jacques Derrida)が、言葉はそれ自体に権力を宿すと述べたように。そして、彼の故郷の国の、過去にあった「英語を締め出す」言説は、外国語を、固有のアイデンティティと文化への脅威とみなす社会的な枠組みだった。あるいは、エリート層だけの特権的な知識にして、構造的な障壁をつくり、大多数の人が学びに近づけないようにしていた。その結果が、機会の格差だ。タイのある時代には、外国語の知識を締め出そうとする試みがひどく強かった。国が同化されてしまう、植民地にされてしまう、西洋の奴隷になってしまう、うんぬん、と美辞麗句を並べて。その結果、海外から流れ込む知識は非常に少なくなり、国民は「バカ」にされ、外の世界から、ほぼ全土にわたって切り離されたと言ってもいい。現実には、言語を締め出そうとした権力側の人間は、自分の子や孫を、海外で悠々と学ばせていたというのに。これこそが、アティウスが、この新しい世界で二度と起こさせまいと決めた、根深い偏見なのだった。
「さあ、みなさん、筆記用具を作るいい案はありませんか?」
アティウスが静けさを破って問いかけると、村人たちは、われ先にと元気よく手を挙げた。父トゥイスは、息子の隣で、誇らしげに微笑んで立っているしかなかった。
翌朝、近くの小川から、水のざあざあと流れる音が響いていた。アティウスは、トゥイスの後について、水汲みを手伝いに行く。村人たちは「近くの小川」と言うが、七歳の体にとって、重たい桶を持ち上げ、父の広い背中を追ってよたよたと歩く道のりは、果てしなく遠く感じられた。少年は思わず、くたくたになって愚痴をこぼした。
「父さん! どうして水車を作らないんですか?」
「水車? なんだ、それは?」
トゥイスは、いぶかしげに眉をひそめた。だが、アティウスが説明する間もなく、父は少年の手から、桶をすべてひったくった。そして、そのまま全速力で、村の中へ走り出す。小さな少年は、ぽかんと口を開けたまま、ばたばたと足を動かして、あわてて父を追いかけた。村の真ん中までたどり着くと、トゥイスが、手にした枝を指し棒のように振り回し、村人たちを、せわしなく呼び集めていた。
「きっと、とても大事で、役に立つものに違いない!」
トゥイスは声を張り上げ、期待と思案をこめた顔で、アティウスを振り返った。村長の呼び声を聞いて、村人たちが、二十人近くも、どっと駆けつけてくる。残りの人たちは、すでに割り当てられた仕事に散っていった。
「……つまりですね、水車というのは、荷車の大きな車輪に似た形で、でもずっと大きいんです。車輪のふちに、桶をぐるりと取りつけます。小川の水が当たると、その力で車輪が回って、桶が水をすくい上げるんです。桶が一番高い位置まで来て、傾くと、水が高いところから流れ落ちます。そこへ水路をつなげて、村まで引いてくれば、僕たちは、わざわざ水汲みに歩いて、疲れ果てなくても、楽に水が使えるようになるんですよ」
アティウスは、できるだけわかりやすいように、力学の原理を大まかに説明した。村人たちの多くは、聞くうちに、感嘆に目を輝かせた。
「それなら、村で水が使えるようになるだけじゃない。この水車の回る力を、ほかのことにも使えるんじゃないか!」
村の大工が、新しい可能性に気づいて、興奮して声を上げた。
「でも、いまの荷車の軸受けは、まだ荷重に耐えきれません。水車の軸にして、絶えず回し続けるなら、軸の仕組みを、全部作り直さないと」
荷車づくりの職人が、技術者の目で問題点を分析し、異を唱えた。
アティウスは、胸がいっぱいになって立ち尽くした。村人たちは、仕組みをすばやく理解するだけでなく、考えを応用して、物怖じせずに、理にかなった形で意見をぶつけ合っている。少年は、満ち足りた思いで、そっと頬をゆるめた。
話が盛り上がっているさなか、重い足音が、村の東の方角から聞こえてきた。村人が三人、真っ直ぐに広場へ駆け込んでくる。
「来ましたっ!! あの連中が、来ました!!」
これこそが、アティウスがトゥイスに頼んでいた「大事な役目」だった。足の速い村人を送り出し、こちらへ向かってくる「税の取り立て団」を、物陰から見張らせて、到着を待たせていたのだ。トゥイスも、アティウスも、村人たちも、みんな一斉にぐるりと顔を向けた。三人は、息も絶え絶えに、広場の真ん中へたどり着く。
「来ます……もうすぐ、着きます……はあ、はあ……」
ひとりが、息を整えようとしながら報告した。
「どのくらい先だ……」
トゥイスが、険しい顔で尋ねる。
「まず、みんなに水を飲ませてあげましょう、父さん」
アティウスが口を挟み、水の入った壺を取って、三人の見張りに渡した。
「今日の夕方には、着くと思います」
三人のうちのひとりが、水をごくごくと飲み干してから答えた。
アティウスは、心の中で首をかしげた。「今日の夕方には着く」とは、どういう意味なのだろう。実際の距離は、どれくらいなのか。この時代には、統一された距離の単位もなければ、正確な時刻の表し方もない。こんな見当のつけ方では、理系の天才も困惑するしかなかった。
「ああ……走って戻ってくる間に、歩数を数えてたんですが、ちょうど一万二千五百(12,500)歩でした……」
さきほどの見張りが、補足した。
……その答えのあと、広場は静まり返った。誰もが、あっけにとられている。アティウスの頭は、天才の本能で、数字をすばやく計算しはじめた。(この大人の男たちの一歩は、八十から九十センチくらいか。だとすれば、走ってきた距離は、十キロ以上になる。その距離に、重い荷を積んだ隊商の荷車なら、確かに夕方になって着くだろう……)。それでも、アティウスは、何にまず驚けばいいのかわからなかった。こんなミニマラソン並みの距離を走ってきたことなのか。それとも、走りながら、自分の歩数を、ここまで正確に数えていたことなのか! これもこの世界の特別な加護か、何かの技の結果なのだろうか? 少年は、舌を巻いて考えた。
「そうか……お前たちは、休んでくれ」
トゥイスは、三人の見張りに告げた。
「それじゃあ、水車の件は……」
アティウスが、話を続けようと振り返りかけたとき、大工の村人が、自信たっぷりに話をさえぎった。
「おれたちに、任せてください!」
「それでは、お迎えの準備をしましょう、父上」
アティウスは、役人としての立場を示すために、あらたまった呼び方で父を呼んだ。
「うむ……では、水車はお前たちに頼んだぞ」
トゥイスは大工たちに告げ、アティウスの後について、家へ戻っていった。
やがて、「税の取り立て団」の来訪の知らせは、村じゅうの耳に届いた。誰もが少し驚いた様子ではあるが、恐れ慌てるそぶりは、まったく見えなかった。
「父上、これを身につけてください」
アティウスは、なめして柔らかく仕上げた、威厳のある角熊の毛皮の肩掛けとマントを、父に差し出した。
「待て……これは、お前が仕上げたのか?」
トゥイスが、驚いて問いかける。アティウスは、淡く微笑んだだけだった。
「僕には……これだけで十分です」
そう言うと、少年は、角熊の爪を通した首飾りを手に取り、身につけた。四本の爪は鋭く、つやつやと光を反射して、力強い気配を放っている。こういうものは、象徴的な示威に、おおいに役立つはずだ。税の取り立て団に、ドンバン村の力と強さを、わからせるために。
午後になると、村人たちは総出で、取り立て団を迎える場所を整えた。やがて、蹄の音が響き、角つきの馬にまたがった、見慣れない姿の男が三人、村の入り口に駆け込んで止まった。
「どうどう……止まれぇぇい!……ここは、森の裏に隠れた村、ドンバンで間違いないか!」
兵のひとりが、迎えに出た村人に、荒々しく問いかける。
「はい、そうでございます」
村人は、落ち着いた様子で答えた。
「税の取り立て団のために、食料と宿を整えておけ。まもなく到着されるぞ!」
馬上の兵が告げる。両側の二人の兵は、村の奥まで鋭い目を走らせ、疑わしげに調べていた。
「万事、準備はできております。村長には、皆さまがお着きになることを、すぐにお知らせします」
村人は、礼儀正しく応じた。
アティウスは、離れたところから、こっそり様子をうかがっていた。これは、取り立て団の先遣の偵察隊が、安全を確認しに来たのだと、彼は理解している。村が反抗的な態度をとっていないか、不審な準備をしていないかを、見極めに来たのだ。ところが、騎兵たちが目にしたのは、ごく当たり前でありながら、実は「異常」な光景だった。村人たちの顔には、動揺も、怯えも、不安の影も、まったく見られなかったのだから。三人の騎兵は、しばらく村を見回して確認すると、手綱をひるがえし、馬を駆って引き返して、本隊に報告に向かった。
日暮れの、赤みを帯びた橙色の光が地平線に沈もうとするころ、ついに大規模な徴税の隊商が、ドンバン村に到着した。隊列の先頭に馬を進めてきたのは、ギアス市の騎兵隊長だった。徴収した税を管理し、首都へ送り届けるのが、その役目である。
「ようこそお越しくださいました。わたくしは、ドンバン村の村長、トゥイスと申します。こちらは、息子のアティウスです」
トゥイスは、指導者として、正式にあいさつした。
「やあ、トゥイス義兄上」
身なりのいい、堂々たる風貌の青年が、上等な服をまとい、にこやかに声をかけて、角つきの馬から降り立った。
「ああ……アティウス、こちらはお前の叔父の、ニカスだ」
アティウスは、少しのあいだ呆然としてから、二人に頭を下げてあいさつした。心の中では、思案を巡らせている。(叔父さん、だって……?)。少年は、かなり戸惑った。そうだ……この男は、母の実の兄なのだ。(これは、分割統治の政策だな……)。アティウスは、政治のからくりを見抜いて、ひそかにそう考えた。
取り立て団の歓迎班の周りを固める、六人の騎兵のほかに、アティウスは、もうひとりの少年に気づいた。見たところ、十三、四歳くらい。顔は無表情で冷たく、世の中にひどく倦み疲れた様子だ。少し離れて、うしろから馬でついてくる。騎兵隊長のカスアスは、アティウスの視線が少年に向けられていることに気づくと、鋭く、威圧するような声で怒鳴りつけた。
「アルイス坊ちゃまに、無礼を働くなよ、小僧!」
ところが、アティウスは、怯むそぶりも見せず、冷ややかな目で、カスアスを正面から見返した。
「無礼……? ……どういう意味ですか? ただ見ているだけで、無礼になるんですか?」
幼い少年の、動じない、無頓着な切り返しに、退屈そうにしていたアルイスは、はっと振り向いた。そして、ぐっとアティウスに興味を引かれた様子を見せた。
「義兄上……おお、甥よ、こちらは、アルイス様、ギアス市長のご子息だ。今回の徴税の旅に同行して、仕事を学び、税の取り立てを視察しておられるのだ」
ニカスが、張りつめた場を和らげようと、取りなすような口調で割って入った。
「ほう……それは、熊の爪か?」
アルイスは、アティウスの胸元に堂々と下がる、四本の黒い熊の爪の首飾りに目を留め、興味深げに尋ねた。
「はい……僕が自分の手で、仕留めました」
アティウスは、淡々と答えた。
その言葉に、隊商の指導者たちは、そろって呆然とした。目の前の七歳の少年の肝の太さに、度肝を抜かれたのだ。
「皆さまのために、食事と宿をご用意しております。どうぞ中でお休みください」
トゥイスがすかさず話を切り上げ、取り立て団を宿所へ案内していった。
アルイスは、もう一度、そっと振り返ってアティウスを見た。少年は、いまだ動かずに立ち、取り立ての隊商を、隅々まで観察している……騎馬の兵が十二人。そのほかに、徒歩の兵が二十人。さらに、ふつうの服装の者が十人ほどいる。おそらく、会計係か、特別な加護の使い手だろう。そして最後に、アティウスの目と耳に飛び込んできたもの。胸が重く沈んだ。それは、縄で腕を縛られ、長い列につながれて歩かされる、人々の群れだった。小さな子どもも、大人も、まじっている。絶望に打ちひしがれ、抗うすべもない姿だ……これが、この世界の残酷な真理の、動かぬ証拠だった。「税」という言葉は、ときに人の自由と命までも、冷酷に奪い去るのだ。
【語注】
印欧祖語:ヨーロッパからインドまで広がる言語群の、共通の祖先とされる言語。村の言葉の構造が、これに近いという設定です。
ギアス市:税の徴収と管理を担う都市。ここから首都へ税が送られます。
角つきの馬:この世界で、騎乗用に使われる、角の生えた馬。
水車:川の流れで回る大きな車輪。桶で水をくみ上げるほか、回転の力を他の作業にも使えます。
「英語を締め出す」言説:アティウスの前世の国で、かつて外国語の知識を警戒する考え方があった、という彼の見方です。物語の風刺的な背景として、原文どおりに訳しています。
分割統治:支配される側の内部に分断を持ち込んで、まとまりにくくする統治の方法。叔父が取り立て団の側にいることから、アティウスが連想しました。




