後日談 見ている人
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後日談 見ている人
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◇
四月。
母校の門をくぐるのは、六年ぶりだった。
桜が、ちょうど散り始めていた。
……変わっていない。
いや、正確には、少し変わっている。校舎の塗装が新しくなって、駐輪場が広くなって。
でも、匂いが同じだった。
◇
「――日下部先生ですね」
事務室で、そう呼ばれた。
……先生。
まだ、慣れない。
「はい」
「新任研修の書類、こちらです」
……。
顔を上げると、その人が立っていた。
少し、年齢を重ねていた。でも、すぐにわかった。
「……和泉さん」
「お久しぶりです」
◇
和泉さんは、少し笑った。
「……大きくなりましたね」
「六年経ちましたから」
「そうですね」和泉さんは言った。「――六年」
……。
「制度は、どうなりましたか」
……。
和泉さんは、少し目を伏せた。
「――四年前に、廃止されました」
◇
……。
「廃止?」
「はい」和泉さんは言った。「特別選抜制度は、なくなりました」
……。
「……よく、通りましたね」
「十一回、提出しました」和泉さんは言った。「――十二回目で、通りました」
……。
「十二回」
「はい」
……。
「時間が、かかりました」和泉さんは言った。「――でも、なくなりました」
◇
「かわりに、何かできたんですか」
「進路支援の制度を、作りました」和泉さんは言った。「――選抜ではありません。希望者全員です」
……。
「奨学金の情報提供。面接練習。書類の添削」和泉さんは言った。「――地味ですが」
「いや」僕は言った。「――そのほうが、いいです」
……。
和泉さんは、少し笑った。
「そうですね」
◇
……。
職員室に案内された。
途中、廊下で、柏木先生とすれ違った。
「――日下部か」
「お久しぶりです」
「本当に来たな」柏木先生は言った。「――物好きだ」
「そうですね」
……。
柏木先生は、少し老けていた。でも、目は、あのときより穏やかだった。
「……和泉さんと、まだ一緒に働いているんですね」
「ああ」
「……なるほど」
「なんだ、その顔は」
「いえ」
◇
……。
昼休み。
僕は、図書室に行ってみた。
……変わっていなかった。
同じ書架。同じ窓。同じ、日当たりのいい席。
……誰も、座っていなかった。
◇
……。
六年前、ここに七人いた。
いや、正確には、八人。
……あの日、和泉さんが座った席も、ちゃんとあった。
……。
僕は、椅子に座ってみた。
……ここに座るのは、初めてかもしれない。
いつも、僕は、少し離れた場所にいた。
◇
……。
その日の夜、僕は、当時のことを思い出していた。
そして、去年のことも。
◇
――去年の秋。
僕は、就職活動をしていた。教員採用試験と並行して、一般企業も受けていた。
その説明会で、偶然、二人に会った。
「……日下部くん?」
振り返ると、そこに五百旗頭さんがいた。
スーツを着ていた。……なんだか、違和感があった。
そして、その隣に、御手洗さんがいた。
「……あら」
「……なぜ、二人が」
「偶然です」五百旗頭さんは言った。「――本当に、偶然」
◇
四年ぶりだった。
説明会のあと、三人で喫茶店に入った。
「……びっくりしました」僕は言った。「五百旗頭さんが、就職活動をしているとは」
「……そうですね」
五百旗頭さんは、コーヒーを見ていた。
「研究室は、どうなんですか」
「――順調です」
……。
「本当に?」
「……順調です」
◇
……。
詳しく聞くと、こうだった。
彼女は、大学で素粒子物理の研究室に入った。国際共同実験に参加する研究室で、ヨーロッパの大規模な実験施設と連携している。
大学院に進めば、現地で測定実験に関わることになる。
「……すごいじゃないですか」
「……そうですね」
「夢が、叶ったんですね」
……。
五百旗頭さんは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「――限界が、見えました」
◇
「……限界?」
「はい」五百旗頭さんは言った。「わたしより、できる人が、たくさんいます」
……。
「高校では、わたしが一番でした」五百旗頭さんは言った。「でも、大学では、違いました」
……。
「――本当に、優秀な人は、次元が違います」
……。
「わたしは、たぶん、一流にはなれません」五百旗頭さんは言った。「――二流の研究者に、なります」
◇
……。
僕は、何も言えなかった。
「……それでも、続けるんですか」
「大学院には、行きます」五百旗頭さんは言った。「――でも、その先は、わかりません」
……。
「就職も、考えています」五百旗頭さんは言った。「――だから、今日、ここにいます」
……。
「研究室の人には、言っていません」五百旗頭さんは言った。「……裏切りみたいで」
◇
……。
御手洗さんが、静かに言った。
「――裏切りじゃないわ」
「そうでしょうか」
「そうよ」御手洗さんは言った。「――迷うのは、真剣だからでしょう?」
……。
五百旗頭さんは、少し笑った。
「……そうですね」
◇
「御手洗さんは、どうなんですか」僕は聞いた。
「わたし?」
「留学したんですよね」
……。
「したわ」御手洗さんは言った。「――三か月だけ」
……。
「三か月?」
「ええ」御手洗さんは言った。「自費でね。二年生のときに、オーストリアに」
……。
「短いですね」
「短いわ」御手洗さんは、あっさり言った。「――お金が、続かなかったの」
◇
……。
「何をしていたんですか」
「語学学校に通っていたわ」御手洗さんは言った。「朝から昼まで」
「午後は?」
「観光か、図書館ね」御手洗さんは言った。「ウィーンの国立図書館」
……。
「一次資料は、読めましたか」
……。
御手洗さんは、少し笑った。
「――読めなかったわ」
◇
「……全然?」
「全然」御手洗さんは言った。「三か月では、無理よ」
……。
「古い文字だし、方言もあるし」御手洗さんは言った。「――甘く見ていたわ」
……。
「じゃあ、これからは」
「就職するわ」御手洗さんは言った。「――お金を貯めて、もう一度行くの」
……。
「歴史の研究は」
……。
御手洗さんは、少し黙った。
それから、言った。
「――いつか」
◇
……。
その言い方が、少し、寂しかった。
でも、諦めているようには、聞こえなかった。
「……他の人は、どうしているんですか」
「不破くん?」御手洗さんは言った。「――相変わらずよ」
「相変わらず?」
「サークルで、モテモテらしいわ」
……。
「本人から聞いたんですか」
「本人が、言っていたわ」御手洗さんは言った。「――『不本意だ』と」
……。
「不本意なんですか」
「不本意らしいわ」
◇
「東海林さんは?」
……。
二人が、顔を見合わせた。
「……知らないの?」
「知りません」
……。
五百旗頭さんが、スマホを取り出した。
そして、画面を見せた。
……。
……え。
「……これ」
「東海林さんです」
◇
……。
画面には、ステージの上で歌っている女性が映っていた。
衣装を着て、髪を巻いて、笑っている。
……知らない人に見えた。
でも、よく見ると、たしかに東海林さんだった。
「……アイドル、ですか」
「はい」五百旗頭さんは言った。「――ご当地アイドルです」
……。
「オーディションを受けたそうです」五百旗頭さんは言った。「大学一年のときに」
……。
「なぜ」
「わかりません」
◇
「――でも」御手洗さんが言った。
「はい」
「東海林さん、写真、上手だったでしょう?」
……。
「ああ」僕は言った。「インスタ」
「そう」御手洗さんは言った。「あれ、フォロワー、二万人まで増えていたのよ」
……。
「二万」
「ええ」御手洗さんは言った。「――スカウトされたのかもしれないわ」
……。
……あの、無口な人が。
人前で、歌って踊っている。
◇
「……本人は、なんて」
「聞いていません」五百旗頭さんは言った。「――連絡は、たまに取りますが」
「なんて言ってるんですか」
……。
五百旗頭さんは、少し笑った。
「――『……楽しい』と」
……。
「それだけですか」
「それだけです」
……。
……相変わらずだ。
◇
「湊さんは?」
……。
「同じ大学です」五百旗頭さんは言った。
「え、そうなんですか」
「学部は違いますが」五百旗頭さんは言った。「――たまに、すれ違います」
……。
「どうですか、彼女」
……。
五百旗頭さんは、少し困った顔をした。
「……変わりました」
「変わった?」
「はい」五百旗頭さんは言った。「――お嬢様に、なっていました」
◇
「……お嬢様?」
「言葉遣いが、丁寧です」五百旗頭さんは言った。「『ごきげんよう』と言われました」
……。
「湊さんが?」
「はい」
「……あの、湊さんが?」
「はい」
……。
信じられなかった。
「毒舌は」
「――一度も、出ませんでした」
◇
……。
その話は、僕にも心当たりがあった。
去年、駅で偶然会ったのだ。
彼女は、友人らしき数人と一緒だった。
そして、僕を見て、こう言った。
「――あら、日下部さん。お久しぶりですわ」
……。
僕は、本気で、人違いかと思った。
◇
「……成長したのでしょうか」
「わかりません」五百旗頭さんは言った。「――猫を被っているだけかもしれません」
……。
「日本史の話は?」
「――それは、変わりません」御手洗さんが言った。
「え?」
「SNSは、今も続いているわ」御手洗さんは言った。「毎日、日本史の話をしているの」
……。
「もう、十年目ね」
◇
……。
「……で」
僕は、最後に、聞いた。
「森本くんは?」
……。
二人が、黙った。
「……わかりません」五百旗頭さんが言った。
「わからない?」
「はい」
……。
「連絡は」
「取っていません」五百旗頭さんは言った。「――卒業してから、一度も」
◇
……。
「知っていることは」
「一浪したことは、知っています」五百旗頭さんは言った。「そして、関東の大学に進学したことも」
……。
「どこの大学ですか」
「わかりません」
「何を勉強しているんですか」
「――わかりません」
……。
五百旗頭さんは、コーヒーを見ていた。
「……本当に、わからないのです」
◇
……。
その後、一つだけ、妙な話を聞いた。
僕の友人の、そのまた友人が、森本くんを知っているらしい。
大学に入る前の話だという。
「――パルクールが、上手いらしいですよ」
「……パルクール?」
「はい」五百旗頭さんは言った。「その界隈では、少し有名だったとか」
……。
「大学生になって、パルクールですか」
「わかりません」五百旗頭さんは言った。「――伝聞の伝聞です。信憑性は、ありません」
◇
……。
でも、僕は、なんとなく、想像してしまった。
どこかの街で、あの人が、建物の上を走っている。
……ありえない話ではない。
むしろ、あの人らしい。
「……何をしているんでしょうね」
「わかりません」五百旗頭さんは言った。
……。
そして、少しだけ、笑った。
「――でも、たぶん、面倒くさがっています」
◇
……。
帰り際、御手洗さんが、思い出したように言った。
「――そういえば」
「はい」
「藤堂さんの話、聞いた?」
……。
「藤堂さん?」
「ええ」御手洗さんは言った。「わたしたちの、一つ下の」
……。
ああ。
あの、演劇部の子だ。
「彼女が、どうしたんですか」
◇
「――森本くんに、告白したそうよ」
……。
……え。
「……いつ」
「卒業式の日らしいわ」御手洗さんは言った。「――誰かから、聞いたの」
……。
「本当ですか」
「わからないわ」御手洗さんは言った。「――でも、そう聞いたの」
……。
僕は、少し、混乱した。
◇
「……失礼ですが」
「なあに?」
「――森本くん、そんなに、恋愛対象になるような人でしたか」
……。
御手洗さんが、少し笑った。
「わたしも、そう思ったわ」
「ですよね」
「でも」御手洗さんは言った。
……。
「――藤堂さんが言うには」
◇
「――『いつも、見ていてくれた』そうよ」
……。
「見ていた?」
「ええ」御手洗さんは言った。「『わたしたちを、守ってくれた』と」
……。
「……守った?」
「そう言っていたそうよ」
……。
僕は、少し考えた。
……守った、だろうか。
あの人は、ただ、気になって、動いただけだ。
……でも。
されたほうから見れば、そうなるのかもしれない。
◇
「……で、返事は」
「――『大学に入ってから、考えてほしい』と」
……。
「はい?」
「そう答えたそうよ」御手洗さんは言った。「――『今の気持ちは、高校の中でのものかもしれないから』と」
……。
「……ひどくないですか、それ」
「ひどいわね」御手洗さんは言った。
……。
「――でも、あの人らしいわ」
◇
……。
「その後は?」
「知らないわ」御手洗さんは言った。「――誰も、知らないの」
……。
……そうか。
……結局、何もわからない。
◇
……。
――今、僕は、職員室にいる。
新任研修の書類を書きながら、ときどき、窓の外を見ている。
グラウンドで、生徒が走っている。
……六年前、僕もあそこにいた。
◇
和泉さんが、コーヒーを持ってきてくれた。
「――どうですか、初日は」
「疲れました」
「そうでしょうね」
……。
「日下部先生」
「はい」
「――なぜ、教師になったのですか」
……。
僕は、少し考えた。
◇
「……見ているのが、好きなんです」
「見ている?」
「はい」僕は言った。「――人を、観察するのが」
……。
「昔から、そうでした」僕は言った。「誰とでも仲良くして、でも、どこにも属さない」
……。
「中立でいるのが、楽でした」僕は言った。「――でも」
……。
「でも?」
「――ある人に、言われたんです」
◇
……。
「『中立は、味方じゃない』と」
……。
和泉さんが、少し目を見開いた。
「……誰に」
「森本くんです」僕は言った。「――いえ、正確には、言われていません」
……。
「彼は、何も言いませんでした」僕は言った。「僕が中立だと言ったとき、『お前はそういうやつだから』と」
……。
「怒りませんでした」僕は言った。「――だから、逆に、こたえました」
◇
……。
和泉さんは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「……似ていますね」
「何がですか」
「――わたしも、同じでした」
……。
「見ているだけの人でした」和泉さんは言った。「十年間」
……。
「そして、あの子たちに、止められました」
……。
和泉さんは、少し笑った。
「――『それは違う』と、言われました」
◇
……。
「……和泉さん」
「はい」
「森本くんが、今、何をしているか、ご存じですか」
……。
和泉さんは、首を振った。
「――知りません」
……。
「そうですか」
「はい」和泉さんは言った。「……でも」
……。
和泉さんは、窓の外を見た。
◇
「――たぶん、どこかで」
……。
「はい」
「――誰かが一人でいるところに、行っていると思います」
……。
僕は、少し笑った。
「……根拠は」
「ありません」和泉さんは言った。「――ただの、想像です」
……。
でも。
……たぶん、当たっている気がした。
◇
……。
窓の外で、桜が散っていた。
六年前と、同じように。
……。
図書室の、あの席は、今、誰が座っているのだろう。
……知らない生徒たちが、知らない話をしているのだろう。
それでいい。
……そういうものだ。
◇
……。
ただ。
一つだけ、確かなことがある。
……あのとき、あの部屋には、七人いた。
いや。
……最後には、八人いた。
……。
そして、そのことを、僕は、覚えている。
(後日談 了)
(――『恋愛推理ゲーム』完結)




