約束のもの
トリベウスに着くと早々別行動をとっていたオレは、一同がすでに入っている宿のシアの部屋を少し焦りながら訪れた。
シアの就寝時刻にはまだ早いが、旅も長くなり疲れが溜まったのか夕食後すぐに眠ってしまうことが時々あるのだ。
往路とは違い、オラージュを出てからはシアと別室になので、この時を逃してはシアと二人きりで話す機会はなくなってしまう。
明日は教都に着くし、着いたら着いたでバタバタしてせっかく手に入れた約束のものを渡すことが難しくなるだろう。
しかしそんな懸念は杞憂だったらしく、オレが遠慮がちに部屋の扉を叩くとシアはすぐさま「はい」と返事をくれた。
「遅くにごめん、オレだ。少し良いかな」
「――アルツ!」
シアの弾んだ声とともにすぐさま扉が開け放たれる。
「帰ってたんですね。夕食の時もいなかったから心配したんですよ」
全開の笑顔で抱きついてくるシアに、顔がだらしなく崩れる。
可愛いなあ、もう。
ポルテの教授のせいか、人目があると少し間を空けるようになってしまった。
そのため同行者がいる現状ではシアとのふれあいが激減して切ない日々だったが、この一瞬でオレの気分は急上昇だ。
我ながら現金である。
「ごめん、ちょっと用事があって。
寂しかった?」
部屋に入って扉を閉めると、シアの腰に手を回す。
するとシアはオレに抱き付き、肩に顔を埋めてきた。
「寂しかったですよ。何時だって一緒にいたいんです、アルツと」
甘えるような仕草に相好を崩していたオレは、シアの沈んだ声色に眉をひそめる。
いっとき思案すると、腰に回していた手で背を優しく撫でた。
「何かあった? それともオレ、シアを不安にすること何かやらかしちゃったかな?」
なるたけ穏やかな口調で問いかけると、シアは肩に額を押し付けたままふるふると首を振った。
「――――何かしたのはわたしではないですか?」
「へっ?」
シアの予想外の言葉に思わず間抜けな声がもれる。
驚きのあまり言葉をなくしていると、シアは苦しそうな声で続けた。
「ここのところずっと浮かない顔をしています。ため息をついていることも多いです。それに…………わたしにふれる時、一瞬辛そうな表情になります」
オレは自分の気鬱がシアに気付かれていたことに驚き、上手く隠しているつもりだった自分の駄々漏れ具合に呆れ果てた。
「アルツに辛い思いをさせている原因が自分だと分かっているんです。原因を知ったからといって、わたしに何も出来ないことも。
でも知りたいんです、アルツが何に苦しんでいるのか。アルツは大丈夫と言うのはわたしを守るためなのは知っていますが、守られているだけなんて嫌なんです。何も出来ないとしてもせめて一緒に悩んで苦しみたい。我が儘だと分かっているんですが、でも……」
シアはそこまで強い口調で言い募ると一転、頼りなげな小さな声でポツリと続けた。
「わたしはアルツの奥さんなのに」
寂しげなその言葉にやられて、オレは顔に血が上るのを感じた。そのまま抱き締めたくなる煩悩とクラクラする頭を冷やすために大きく深呼吸し、体を離してシアに笑いかける。
「ごめん、心配かけて。楽しいことも苦しいことも分かち合うのが夫婦だって昔教えたのはオレなのに、そのオレ自身が奥さんにこんなことを言わせるなんて、旦那さん失格だね」
「そんな! アルツが失格なんてはずありません」
シアが血相を変えて否定するのをオレは更に否定した。
「いや、失格だ。変な格好を付けて、シアに余計な心配をかけた。ごめん、本当に情けない旦那さんで申し訳ない」
シアの肩に両手を置いて頭を下げると、シアはおずおずといったふうに質問した。
「――何が辛いのか、聞いても良いですか?」
オレは「あ~、え~とっ」と言いよどんでいたが、シアを悩ます方がよっぽど格好悪い。オレはシアを促して二人掛けの椅子に並んで座り、ままよと口を開いた。
「本当にしょうもないことで、そんな大層なことじゃないんだけど……。
退任式の後、癒しの巫女と守護騎士は3ヶ月一緒に暮らすことになってるだろ」
「はい」
「シアと一緒に暮らしたことがなかったからすごく楽しみにしてたんだけど、別大陸に行くことでそれがなくなって、がっかりしちゃったんだ。それが落ち込んでいたワケ。――本当にしょうもない理由だろ」
情けなくて、思わず上目遣いでシアを見る。
シアはオレの回答に不思議そうな顔になり、再び質問してきた。
「ずっと一緒に旅をしてきましたけど、一緒に暮らすのとはそんなに違うことなんですか?」
「あー、ずっと一緒にいるとこは同じだね。うーん、正直に全部言っちゃうとシアともっとイチャイチャしたいなあっと」
本当に欲にまみれた願望で自分が情けなくなる。
「だからシアにふれる時またセクハラしちゃいそうなのを堪えてたから、変な顔になってたんだと思う。ごめんね、本当に大した悩みじゃないんだ」
オレが手を合わせ謝ると、シアは頬を赤らめながら口を開く。
「――わたしもアルツといちゃいちゃ、したいです。もうセクハラなんて言いませんよ」
シアの誘うような言葉に、思わず鼻を押さえる。
出てないよな、鼻血! 落ち着け、オレ!
冷静になるために再び大きく深呼吸し、オレはシアの肩に手を置き苦笑した。
「シアの気持ちはすごく嬉しいけど、シアは今男性の身体だからこれ以上イチャイチャ出来ないよ」
するとシアは不思議そうに首を傾げた。
「えっ、でもポルテさんが男の人同士でもいちゃいちゃ出来ると言っていましたよ」
――――おい、ポルテ! 何をシアに教えてるんだ、コラッ!
内心ポルテを盛大に罵りながら、オレはひきつった笑顔を浮かべた。
「そ、それはそうなんだけど、オレは本来の姿のシアとイチャイチャしたいから」
「男性と女性とでは、そんなに違うのですか? わたしは同性同士で恋人になれることも知らなかったので、よく分からないのですが……」
そ、そんなことをオレに聞かないでください! と言ってオレ以外にも聞かないでほしいんですが。
「ポルテさんがアルツなら知ってるだろうから、大丈夫だと」
何が大丈夫なんだ! 何が! お前、これ絶対嫌がらせだろう。シアを使って嫌がらせはやめてくれ! 破壊力が半端ないから。
オレがぐったりと落ち込むと、シアが焦って頭を下げる。
「す、すみません。わたしはまたおかしなことを言ってしまったんですね。ごめんなさい、忘れてください」
オレは気力で立ち直り、落ち込むシアの肩を優しく抱いた。
「いや、オレのために色々考えてくれてありがとう。
確かに知識だけなら大体知ってるけど、オレ自身が男性の身体のシアにどうこうするのは抵抗があるんだ」
「抵抗、ですか?」
オレの言葉にシアの瞳は不安げに揺れた。
「シアはそういうこと、まだしたことないだろう」
「はい」
素直にうなずくシアにオレは優しく笑いかける。
「シアと初めてそういうことをするは、本来のシアの姿が良いんだ。初めては大切にしたいっていうオレの勝手な願望なんだけど、駄目かな?」
男に欲情する性的指向ないが、ぶっちゃけシアになら男の状態でもいけると思う。
だけどシアとの初めては、やっぱり本当のシアじゃなきゃ嫌だ。
我ながら乙女っぽいと思うのだが、抵抗があるんだからしょうがない。
黙ってしまったので恐る恐る顔をのぞきこむと、シアの目は潤み、顔はこれ以上ないほど赤らんでいた。
「駄目じゃない、です。嬉しいです、大切にしてくれて」
嬉しそうな笑顔に誘われて軽く口づけ、抱き締める。
「大切だよ。シア以上に大切なものなんてない」
オレの言葉に答えるように、シアもオレの背に両手を回し力を込めた。
「わたしも……、わたしもアルツ以上に大切なものはないです」
そう言うと、するりと身体を離してオレを軽くにらんだ。
「だから、格好付けないでなんでも話して下さいね。この話のどこも格好悪くなんてないですし、例え格好悪いアルツだってわたしは全部大好きなんですから。
そのままのアルツを見せてください、じゃないと……」
そこまで言うとまたオレを抱き締め、肩に顔を埋めながら小さな声で続ける。
「せっかくアルツの奥さんになれたのに、寂しいです」
大切にしたいと言った口が乾かぬうちに、不埒な真似をしでかしそうだ。
これ以上オレの理性をぐらつかせないでくれ、シア!
今まで以上に大きく深呼吸をしてからオレはうなずき答えた。
「約束する。シアには格好付けずにありのまま見せる努力をする」
「努力、ですか?」
シアは不満げな声を上げる。
「好きな子に格好付けたくなっちゃうのは男の本能みたいなものだから、多少は許してよ」
オレの情けない返事に、「少しだけなら」とシアはクスクス笑い許してくれた。
「そういえば、何かわたしに用事があったのではないですか?」
ふと顔を上げ聞いてきたシアの言葉で用事を思い出し、オレは腰の鞄から箱を取り出した。
「そうだった、これを渡しに来たんだよ」
綺麗に包装された箱をシアの両手に乗せると、シアは首をかしげた。
「何でしょうか?」
「あっ、忘れちゃってた? 約束のものだよ。開けてみて」
オレの声に促され、シアは戸惑いながら包装紙を剥ぎ、箱を開けた。
「これは……」
箱の中には同じ意匠の白金と黄金で出来た腕輪が、それぞれ一つづつ納められていた。
「帰りにトリベウスでお揃いの腕輪を買う約束だったろう。シアと一緒に選びたかったけど、ナスカが外出を許さないだろうし、シア自身あんまりこだわり無さそうだったから、オレが勝手に選んじゃった。どうかな? もし気に入らないようなら交換してもらえるけど」
シアは一言も喋らず、首をぶんぶんと振る。そして感極まったように声を詰まらせながら礼を言った。
「ありがとう、ございます。――嬉しい、覚えてくれてたんですね」
「当たり前じゃないか、シアとの約束を忘れるわけないだろ。
じゃあ、品物はこれで良い?」
「はい! これじゃなきゃ嫌です。すごく気に入りました。とっても綺麗です」
シアはうっとりと箱の中の腕輪に見とれている。
良かった、気に入ってくれたみたいだ。トリベウス中の装飾品の店を見て回った甲斐があった。
行きの時とは違う店でと思い色々見たのだが、ピンとくるものがなく、仕方なく1ヶ月前に行った店に立ち寄ると、あの時の店員がめちゃくちゃ良い笑顔で「お帰りなさい」と出迎えてくれた。
寄ったのは1ヶ月も前のことなのに、何時もは人にすぐ忘れられる印象の薄いオレなのに、何が欲しいとも言っていないのに、店員はこの揃いの両方男物の腕輪を取り出し、「お客様はお肌の色が黄色みを帯びておりますのでこちらの黄金の腕輪が、今日はいらっしゃられないお客様は透き通るような白いお肌ですので、こちらの白金の腕輪が良くお似合いだと思います」と言いながら見せてくれた。
1ヶ月前に比べて色々吹っ切れたつもりのオレだったが、大きさもオレ達にピッタリの腕輪を差し出す店員に「これでお願いします」としか言えなかった。
「シアは知らないかも知れないけど、お揃いの腕輪は婚姻の証なんだ。アルトレーシアの時付けるのは難しいから、腕輪の大きさはシアルフィーラにしてある」
箱の中の白金の腕輪を取り出し、シアの左腕につける。
「シアルフィーラの時はなるべく付けていて欲しい」
そう言って、オレは白金の腕輪に唇を落とす。
祈るようなオレの仕草に、シアは眉を寄せた。
「――もしかして、この腕輪に何か魔術が掛かっているんですか?」
勘が良いなと思いながら首を振る。
「いいや、魔術は掛けていない」
掛かっているのは魔術ではなく呪術なのだが、その内容を言うと受け取ってくれそうにないので、シアを騙すようで後ろめたいが誤魔化すことにした。
「掛けたのはシアが幸せになりますように、怪我も病気もなく長生きしてくれますようにっていうおまじない。大事にしてね」
そう言いながら再度腕輪に口づけると、シアも箱から黄金の腕輪を取り出しオレにつけてくれた。そして、同じようにオレの腕輪にキスをする。
「アルツが幸せになりますように、怪我も病気もなく…………ずっと一緒にいられますように」
そう言って顔を上げたシアにオレは口づけ、誓う。
「一緒に幸せになろうね」
力強い「はい!」という返事にオレは笑顔を返した。
二人一緒なら、絶対幸せになれる。
そんな確信が自分の胸に広がるのを感じた。




