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白金の医術師 黄金の薬術師  作者: 木瓜
第九章 4年前 教都
75/99

9-8

 ナスカ大神官は冷たい視線をオレに向けて、口を開く。


「お前には不本意だが、感謝をしている。奥神殿には、退任式などの一部の機会を除いて守護騎士と巫女の四親等以内の女性、四親等以内でかつ10歳以下の男性しか入ることは出来ない。一人きりのレーシアに会いに行きたくとも、五親等の私では、どうにも出来なかった。

 だから、レーシアの孤独を癒やしてくれたことには感謝する」


 感謝の枕詞に「不本意」はないんじゃないのか?


 内心毒づくオレをよそに、ナスカ大神官は寝台の横にひざまずき、シアの手を取った。

 ――シアにさわるな! そういって、その手を振り払いたかった。しかし、オレにはそれが出来る資格はない。コイツはシアの守護騎士候補、つまり婚約者なんだ。 


 婚約者という言葉に、オレは自分で思っておいて愕然とする。そうだ、コイツはこれからずっとシアの側で、シアの笑顔を見て、シアの言葉を聞いて、こうやってシアの手を取って行くのだ。今までオレがしてきたように。オレの代わりに。いいや、…………オレが代わりだったんだ。


「お前は本来なら処罰すべきなのだろう。しかし、レーシアがお前を信頼し、慕っている様子は見て取れた。レーシアからお前を取り上げるのは、レーシアの為にならないと判断したのだ」

「――オレみたいな男を側に置いて、心配じゃなかったのか?」


 ナスカ大神官はオレと話しながらも、シアから視線を離さず顔をじっと見つめる。その表情には、オレなんかにシアを預けるのは不本意だと思っていることがにじみ出ていた。


「お前のような、女性関係にだらしない男に預けることに不安がなかったわけではないが、性的嗜好が低年齢の少女を対象としいるわけではないのは、調査してわかった。それに、レーシアに不埒な真似をして『神』が見過ごすとも思えない」


 神罰のことを言っているのだろうか。実際に受けたことのないオレにはピンとこない言葉でも、大神官ともなると当てにするほど、信頼出来る存在なのか。


「だが、もうレーシアは『子どもの世話』という年齢でもなくなった。お前は『お役ご免』というわけだ。報酬として、アーリリア教がインバシオンから一生お前を『守って』やろう。大神官である私が約束する。

 だから、レーシア、心配しなくて良い。お前の守護騎士にしなくとも、この男を守ってあげよう。だから、そんなことで君が憂う必要はない」


 そういって、ナスカ大神官はシアの頬にそっと手をやる。


 それまで、シアは戸惑ったような表情で、オレとナスカ大神官の顔を交互に見比べているだけだった。手を握られた時も、少し困った顔をしたが、特に抵抗はしなかった。


 しかしナスカ大神官の手がシアの頬にふれる直前、首をすくませ嫌がるそぶりをし、その瞳に怯えが走る。


 その仕草を、その怯えを見た途端オレの何かがぶち切れ、気がついたらナスカ大神官の体を押しやり、シアを背に庇っていた。

「シアにさわるな! 大神官だろうが、守護騎士だろうが、知ったことか! シアが嫌がる奴になんて、シアは渡さない! シアは――シアはオレのものだ!」


 とっさに出た自分の言葉に驚き、オレは手で口を覆う。オレは、オレは今何を言ってしまったんだ。




 ずっと、ずっと心の中で隠してきた愚かしい妄想だ。


 緑が深い温室の中、何時もオレを待っていてくれている少女。箱庭のような閉ざされた世界で、オレだけが会える少女。オレだけが少女の顔を、声を、表情を、心を知っている。 オレはいつの間にかその少女を、シアのことをオレだけの女の子だと思うようになっていた。


 そんなのはただの妄想だ。そんなことは分かっている。シアは癒やしの巫女で、アーリリア教の象徴で、大陸中の尊敬と崇拝を集めている。そして、ナスカ大神官という婚約者だっている。オレみたいなくだらない男のものな訳がない。分かっている、理解していると何度自分に言い聞かせても、シアがオレのものなのだという妄想は消えてくれなかった。


 シアの笑顔が、慕ってくれる様子が、オレに馬鹿な勘違いをさせるのだ。シアの好意を受ける資格なんてオレにはないのに。離れなきゃいけないと分かっているのに。


 孤独なシアが可愛そうだとか、もっともな言い訳をついて、自分を誤魔化してシアの側を離れられなかったのは、シアはオレの一番大切な人だから。一番幸せにしたい人だから。――――一番、好きな人だから。


 好きなんだ。愛しているんだ。側に居たい、離れたくない。あれだけ帰りたいと思っていた故郷さえも、シアと離れると考えただけで、帰ることが気鬱になるほど、オレはシアのことを愛している。



 その気持ちを伝えてはいけないと分かっていたのに。





 激しい後悔で、吐き気がするオレの背中にシアは抱きついてきた。オレは驚いて、顔だけ振り向き、シアを見る。


「――嬉しい。わたしをアルツのものだと言ってくれるんですね」


 シアは頬を赤らめ、嬉しそうにオレを見上げる。オレの独占欲にまみれたたわごとさえも喜んでくれるシアに、胸が熱くなる。


 やっぱり嫌だ。この手を離すことなんて出来るわけがない。


「この男を守護騎士にすることは難しい。レーシアが望んでも、禁を犯してレーシアと逢瀬を重ねていたことが明るみに出れば、この男は重罪人として罰せられるだろう。

 それでも、レーシアはこの男が良いか?」


 オレが罰せられる、という言葉にシアは息を詰める。そんな卑怯な脅しにオレはカッとなり、気がついたら啖呵を切っていた。


「オレがシアの守護騎士として認められないのなら、シアをここから連れて逃げてやる! こんな訳の分からない、シアを利用ばかりする宗教なんてクソくらいだ!

 この大陸に逃げる場所がないなら、別の大陸にだって逃げる。逃げて、シアを自由に、幸せにしてやるんだ!」


 叫びながら、冷静な自分が「正気かよ」と突っ込みを入れる。癒やしの巫女と駆け落ちか? そんなことが本当に可能だと思っているのか? インバシオンから逃げることよりずっとずっと非現実的だ。


 そんなこと分かってる。でも、それでもオレはシアから離れたくない。オレが、自分の手でシアを幸せにしたいんだ。こんなの自分勝手なエゴだって分かっている。それでもオレはこの手を離したくないんだ。


「――わたしも、守護騎士なんてどうでも良いです。そんなものより、わたしはアルツと一緒にいられるなら、どこで生きたって構わない。わたしはアルツと一緒に生きたいんです」


 オレの背中にしがみつきながらも、シアは力強い声でナスカ大神官に答えた。その姿をじっと見ていたナスカ大神官はこんな状況にもかかわらず、冷静な声でシアに問う。


「それが、君の望みか?」

「はい」


 きっぱりとした口調でシアが答えると、ナスカ大神官はため息を一つつき立ち上がり、オレをぐるりと避けて再びシアの脇にひざまずいた。


 そして戸惑うシアの手を取って、ゆっくりと口づける。


「――なにを!」


 その手を払おうとするオレを遮るように、凛とした声がその場に響く。


「アルトレーシア、君の望みが私の望みで、君の喜びが私の喜びだ。

 だから、君の望みを私は叶えよう。私がこの男を君の守護騎士にしてあげるよ」


 そう言ってうっすらと笑うナスカ大神官の顔はシアとよく似ているのに、明らかに異なるものだった。




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