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手術翌日から、屋敷に一週間泊まり込むはめになった。医術師としてはほとんどやることが無いが、念のために待機しなくてはならないのだ。それはしょうがないと納得出来るが、国王の政務の合間に相手をさせられることがかなりの苦痛で、泊まり込みが終了した時どれだけホッとしたことか……。
手術二週間後にも診察が必要で、オレはうんざりしながら再び屋敷へと足を運んだ。
様子がおかしいことは、屋敷の入り口に立った時点で分かった。あれほど厳重だった門に、警備兵が一人も居ないのだ。生け垣の陰を覗くと、事切れた警備兵が隠されていた。
懸念通り穏便に済みそうもない状況に、オレはこのまま回れ右をして帰りたかったが、そうもいかないので仕方が無く扉を開け中に入る。
屋敷の中は死屍累々たるありさまだった。潜入者はかなりの手練れらしく、ほとんどの死体はひと太刀で切り捨てられている。魔術を封じる結界がそのままなのを考えると、剣を得意とする刺客なのだろう。しかし魔術師がいないとは限らないので、結界はいじらずにオレは国王の元に急いだ。
最初に案内された部屋の扉を押し開けると、護衛を務めてる白金の剣術師の男が崩れ落ちるように倒れる姿が目に飛び込んでくる。
驚いたことに、今部屋にいるのは国王を除いてたった一人だけだった。その一人の男は、剣に絡みついた血を振って飛ばすと、今度はオレに向かって構えた。
「――一人で全部殺したのか」
あれだけの人数を切ったのなら、普通刃こぼれなどで剣は使えなくなるだろうに、男の持つ剣はまだ血を欲するかのように赤く輝き、その威力が衰えていないことを示していた。恐らく名のある剣なのだろう。こいつとやり合った兵士たちの折れた剣が転がっているのを幾つも見た。オレが途中で拝借した一般兵の剣では、まともにやり合ったら剣が持たない。
「お前が、アルツ=ウィルニゲスオークか?」
男は顔を全く隠していなかった。30代前後と思われる男は、淡い茶色の髪を地肌が見えるほど短く刈り、体は鍛えられているが小柄で、敏捷な身のこなしが強みであることが今までの動きから読み取れる。どう対処するのが最良なのか、オレは考えながら答えた。
「その通り。君は兇手かい? その剣の形を見ると剣士だろう」
兇手という殺しを生業とする組織があることは、話だけだが知っていた。その中に大陸古来の剣の技を今だ伝え持つ剣士が多くいるということも。男が持つ剣は、オレたちが使う物より細身で長く、剣士が持つ剣独特の特徴がある。
「さあな。お前はインバシオンに征服されそうなパラヴィーナの人間なんだろう。この国王が死ねば、お前の国は助かる。手伝えとは言わないから、じっとそこで待っていろ」
「――じっと待っていたら、オレも殺されるんだろう」
「お前には手を出さない。お前に勝てるとは思っていないから。後が面倒なら、後頭部にたんこぶを作ってやる。それで誤魔化せ」
「無茶言うな。他の奴らはみんな死んでて、オレだけたんこぶ。めちゃくちゃ怪しいじゃねえか」
「――じゃあ、切り傷もつけとく」
「オマケをつけるみたく言うな。殴られようが、切られようが生きてりゃ一緒だ。悪いがオレは医術師なんでね。患者が殺されるのを黙って見てる訳にはいかないんだよ!」
そう言いながら、オレは手に持った医療道具と薬一式が入った鞄を男に投げつけた。男が鞄をすぐさま剣で切り捨てるその隙に、オレは男に駆け寄り剣を振り下ろす。男はそれを剣で防ぐが、すぐに自分の剣がおかしいことに気がついた。
「軟膏べったりじゃ、せっかくの名刀も形無しだな」
鞄の中には、国王に渡すために持ってきたさまざまな軟膏がぎっしり入ってた。幾ら名のある剣でも軟膏にまみれれば切れ味は格段に下がるだろうし、オレの剣が他の兵士のように折れなかった言い訳も立つ。
オレはこっそり自分の剣に『力』を込めながらぎりぎりと押さえ込み、相手が身動きの取れないことを確認すると、先ほど無駄話をしながら解術していた魔術を封じる結界を一気に破った。
パンと風船が破れるような音と共に、結界独特の空気が霧散する。目の前の男が一瞬気を取られた隙をつき、オレは男に繋縛の魔術を施した。
「なっ!」
男は手足の自由を奪われ、持っていた剣を落とすと前屈みに倒れてくる。オレはそれを受け止め、男をそのまま足下に横たえさせた。そして、男の剣を部屋の隅に蹴飛ばす。
「それは絶対破れないよ。大人しく待ってな」
男にそう言い渡すと、オレは先ほどから興味深げにオレたちを見物していた人間に対峙する。
「殺さないのかね」
国王は愉快そうにオレに声を掛けてきた。殺されそうだったのに、全く動揺する素振りも見せない。肝が据わっているのか、もしくは……。
「先ほども申しましたが、医術師なので人殺しはしないんですよ。――私は余計なことをしましたか?」
もしくは、命の危険が全くなかったかのどちらかだ。
「いいや。君の実力をこの目で見たかったから、目的の一つは達せられた」
「……私もこの茶番の登場人物ですか」
「そう。かなり重要な役どころだ」
「全く嬉しくは無いですが、それはこの屋敷の兵士達や、白金の剣術師を失うほどの価値があるのですか?」
オレが睨み付けても国王は全く痛痒を感じない様子で笑う。
「その白金を始末するのも目的の一つなのだよ。剣術師においては、年を取ったらメダルを没収すべきだと思わんかね。矜持ばかり高くなって役立たずな上、容易に地位から追いやれん。全く厄介だよ」
厄介なのはあんただよ。オレはめまいを感じながら首を振った。自分がどれだけ面倒ごとに巻き込まれているのか考えるだけでぞっとする。
「アルツ=ウィルニゲスオーク、インバシオンの国王を救った褒美を取らせよう。欲しい物を考えておくが良い」
オレは間髪入れずに答えた。
「私と義父を諦めて下さい」
「それは出来かねるな」
国王も即答する。
「では、パラヴィーナ国への侵略を中止して下さい」
「それも出来んな」
どれも駄目じゃん! まあ、無理だろうとは思ってたけどさ。
「ならば、この刺客をアーリリア教の法の管理下に置いて下さい」
国王はオレの言葉が意外だったのか、眉を上げてこちらを見る。
「国王の命を狙った咎人を助けたいというのかね」
「いいえ、無罪放免にすると言っているわけではありません。ここは教都、アーリリア教の法の下裁かれるべき罪人です。勿論インバシオンの方も尋問したいことがたくさんおありでしょうから、それは徹底的にされて結構です。しかし、それもアーリリア教の保護下のもと行ってもらいたいのです」
オレが頼まなくてもそれが本来の国家間の約束事だが、相手がインバシオンではそんなこと無視をしてこの剣士を連れて帰りそうだ。アーリリア教ではその教義のため、どんな重罪人でも死罪はないのだが、インバシオンに連れて行かれたら剣士の命運は推して知るべしだろう。
「お前がそこまでしてこの咎人を庇うのは何故だ」
「別に庇いたいわけではありません。何度も言うようですが、私は医術師です。人が殺されるのをむざむざ見過ごす訳にはいけないのですよ」
「そんな殊勝なこと言うような可愛げのある人間には見えんのだがな」
「失礼な。私は自分でなんて健気でいじらしい人間なんだと常々思っているのですが」
「――――厚顔な人間であることは認めよう」
国王が呆れた視線を送ってくるが知ったことが、本当に思っているんだい。ほっとけ。
「いいだろう。この咎人をお前にやろう。この駒を上手く使ってインバシオンから逃げてみよ。アルツ=ウィルニゲスオーク」
「――駒など使わなくても逃げ切ってみせますよ」
オレは国王に対して笑って見得を切った。ほとんど負け惜しみだが、だからといってむざむざ捕まってやるか。オレはオレでやりたいことがあるんだ。人の手の上で踊らされてる暇はないんだよ。
オレは転がる剣士を担ぐと、恭しく頭を下げて部屋を退出した。




