7-4
次の日から、アルツは時間を見つけるたびにレーフェルの部屋にこもるようになった。
最初はレーフェルに薦められた児童書を手に取ったが、それを瞬く間に読破すると、辞書や辞典を繰りながらレーフェルの本に片っ端から手を出した。
そのうち辞書や辞典自体を読みだし、それらを読み終わると辞書も辞典も見なくなったので、恐る恐るレーフェルが理由を聞くと「覚えたから見る必要がなくなった」とのたまう。
頭の良い子だとは思っていたが――レーフェルはアルツの乾いた砂地が水を吸い込むように知識を得ていく様を、感嘆しながら眺めていた。
アルツはいつもその日の最後に分からないところを質問した。分からないところが出た時々に聞いてもらえばいいよとレーフェルは言うのだが、分からないところも、本をすべて読んだり別の関連する本を読んだりすれば類推することが可能だから、どうしてもわからない時だけ聞きたいと、答えられた。質問する時間があるなら本を少しでも読んでいたいらしい。
始めの頃、みんなが寝静まってからこっそり部屋に入り込み寝る間を惜しんで本を読んでいたこともあった。それはさすがにレーフェルがカミナリを落として今後やらないことを誓わせたが、出来ることならずっと本を読んでいたいというのがアルツの本音のようだ。
レーフェルの持ってきた蔵書もこの勢いなら、一月も経たずに読み終わってしまいそうだ。
知識にずっと餓えていたのだろう。
これだけ頭の良い子だ、たくさんの疑問をあの小さな身体の中に溜め込んでいたに違いない。しかし、この土地ではその疑問に答えてくれる人間はおらず、ずっと歯がゆかっただろう。
レーフェルは、アルツのこれまでとこれからを思い、そっとため息をつく。
「父さん、どうして女の人を大切に扱わなきゃいけないの? 男も女も平等なんでしょ。それってひいきじゃないの?」
アルツのする質問は概念的というか、経験が必要なものが多い。レーフェルはさて、どう答えたものかと首を捻る。
「――一般的には女性は男性よりか弱いので、大切に扱わなくてはいけないと言われている」
「……ちっともか弱くないよ」
アルツは何かを思い出しながら答えた。レーフェルもそれに力強く頷く。
「確かに、女性はとても強い。しかし、ある点から見ればとてもか弱く繊細に出来ているのだよ」
「どういう点?」
「例えば、妊娠している女性は転んでしまったり、腹部を強打してしまったりするだけで、子どもが流れ、母親の命もあやうくなってしまう可能性がある。大切に扱うべきだと思わないかい?」
「全部の女の人が妊娠してるわけじゃないじゃん。じゃあお腹が大きい女の人は大切にする、でいいんじゃない?」
アルツが不満げに答える。
「外見だけから妊婦と分かる時期より、まだお腹が大きくなる前の方が大切に扱わなければいけないんだよ。それに、妊娠をしていなくても、女性の身体は繊細だ。ちょっとのことで子どもが出来なくなる身体になってしまうこともあるんだ。まあ、それは男も一緒だけどね」
「じゃあ、女だけ大切にしろっての納得できないよ」
アルツが頬を膨らませ文句を言う。そんなアルツにレーフェルは首を振って嗜めた。
「納得出来なくとも、大切にしなければいけないんだよ」
「どうして?」
「女の人に疎かにして、機嫌を損ねては危険だからだ!!」
「…………訳わかんないんだけど」
こぶしを握り力説するレーフェルに、アルツはため息混じりに言う。
「女性の機嫌を損ねては、すべての物事がうまくいかなくなるんだよ。理不尽だろうが、理屈に合わなかろうが、男はすべからく女性のご機嫌をとっていた方が平和なんだ!」
「それって、自分が奥さんに尻に敷かれていただけなんじゃないの?」
レーフェルに妻子がいたことは、早い段階で全員に話している。
レーフェルは妻の機嫌をうっかり損なって、恐ろしい事態になってしまった数々の出来事を思い出し、戦慄した。
「勿論そうだ。しかし、大切にしなくてはいけないのは奥さんだけではない。仕事場の女性の機嫌を損ねても恐ろしいことになるんだ! いいかいアルツ、将来仕事をする際、仕事場の女性を敵に回しては絶対いけないんだよ。どんなに優秀な人間でも、女性を味方に出来なければ仕事はうまくいかないんだ」
「そ、そんなこと言われても、どうしたらいいか分からないよ」
アルツは戸惑ったような顔をする。
「そうだね、色々あるけど重要なことを三つだけ教えよう。
その一、褒める。どんな些細なことでも気が付いて褒めるんだ。仕事を手伝ってもらったお礼だけじゃなく、髪型や化粧が変わった時にも絶対気が付いて褒める!
その二、話を聞く。女性の話は取りとめがなかったり、感情的だったりして時に聞くに堪えない場合も多いが、我慢して全部聞く!
その三、節目節目に甘いものを贈る。お礼やお詫びは口だけじゃなく、甘いお菓子もつけるんだ! ただ、甘ければいいわけじゃない、美味しくて、話題になっていて、希少性の高いものがベストだ! ああ、でも決して自分で作れるからって、自作のものをあげてはいけないよ。相手が子どもならまだしも、妙齢の女性のプライドを刺激して逆効果になってしまうからね」
「…………面倒くさいんだね。女の人を相手にするのって」
アルツはうんざりした顔でため息をついた。
「――父さんって、前の職は軍人だったんでしょう。そんなに職場に女の人がいたの?」
他の子どもらからレーフェルの前職を聞いていたらしいアルツは、ふと湧いた疑問をぶつけてくる。
「ああ。僕のいたところでは女性も普通に軍人になっていたんだよ。彼女達は本当に強くて恐ろしかったなあ……」
レーフェルが遠い目をして呟く。「可愛いところもたくさんあるんだけどね」とフォローをするが、アルツの頭の中には女性に対する認識が『扱い厳重注意の恐ろしいもの』として埋め込まれてしまった。
そんな馬鹿話をしていると、ユソンが息を切らし部屋に入ってくる。
「アルツ! モーネを見ていない?」
「いいや。夕食後からここにこもってたから、ずっと見てないけど……。姿がないの?」
最初の頃はアルツにくっついて、モーネもこの部屋にいたのだが、アルツが本に夢中なのとレーフェルと自分にはさっぱり分からない話をしているのが気に入らないのか、ついてこなくなっていた。
「一緒にお風呂に入ろうと思って探してるんだけど、教会の中にはいないみたいなの。ヘレムが外を探すって言い出してて……」
ユソンが困ったような顔をして、アルツとレーフェルを見た。
「もう夜も遅い。子どもが外に出るのは危険だからだめだ。モーネは僕が必ず探す。君達は待っていなさい」
レーフェルはそう言いながら外套を着て、ランプを手に取った。
「父さん、オレも行くよ。モーネが行きそうなところはオレが一番良く知っているから」
「――そうだな、その方がいいか。アルツ、夜遅くに悪いけど、よろしく頼む。くれぐれも僕から離れないでくれ」
「わかった」
レーフェルは一瞬躊躇したが、考えを改めアルツに頼むと、アルツは頷き自分も上着を取りに行くために身を翻した。




