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二週間ぶりに温室に行くと、シアは嬉しそうに駆け寄って来てくれたが、オレの数歩前で止まってしまう。顔が少し赤く、どうやら二週間前のセクハラのせいで警戒されてしまったらしい。シアがあんまり優しいからってお兄ちゃん、調子に乗っていました。ごめんなさい、もうしません。
落ち込むオレにシアはおずおずといった感じに近づき、そっと抱きついてきた。
か、可愛いが抱擁について何か誤解を与えてしまっている気がする……。
「お、おはよう、シア」
「おはようございます、アルツ。この間はありがとうございました」
「ど、どういたしまして。――ところでなんで抱きついてるの?」
「えっ! お礼を言う時の礼儀ではないのですか?」
「ちっ違うよ!! ごめん! こないだので勘違いさせちゃった?」
「ふふふ。冗談です。ごめんなさい、アルツをからかってみました。勘違いしていませんよ」
「――マジ?!」
シアが冗談をいうだなんて……。
「『マジ』ってどういう意味ですか?」
「あ、ああ。『本気なの?本当なの?』っていう意味だよ。『本気』と書いて『マジ』と読む!」
「マジですか?!」
「――冗談です。ごめんなさい。あと、この言葉は男の人が使うスラングだから、シアは使わないようにしてね」
「はい!」
なんかオレ、振り回されちゃってない? 12歳でも女だね、男を振り回す手管をもってるとは……、ってオレが勝手に振り回されてるだけか。
「アルツ! 準備出来ました。すごいです! この魔具。首に掛けるだけで服が変わるのですね。着替え要らずです」
「あっ、ああ。見た目が変わるだけで実際の服が変わっている訳じゃないから、気をつけてね。まやかしの魔術は見た目だけじゃなくて、さわった感触や位置も錯覚させられるけど念のために」
「はい!」
「今日もお茶する? 今回はプリン作ってきたよ。プリン好き?」
「プリンって何ですか?」
「――すごく美味しいもの、です。楽しみにしててね」
「はい!! すごく楽しみです」
ゴラァァ! 神殿の奴等! 女の子にプリンを食わさんとは何事だあ!!
今日も図書館で本を借り、秘密の場所に向かう。シアが先ほどから「プッリン♪ プッリン♪ プップリン♪」と変な歌を歌っている、そんなに楽しみにされると少しプレッシャーが……。
苦笑いしながら生け垣を越えてると、あるものがオレの目に飛び込んできた。とっさにシアを止めようとするがすでに遅く、シアはそれを見て一呼吸止まる。そして、次の瞬間冷たくなっている子猫の脇に駆け寄り手を伸ばすが、それをオレは止めた。
「シア、もう手遅れだ。死んでから1日以上だっている。『蘇生の術』も効かない」
「でも!」
「シア、死んだものは生き返らないんだよ。例え神の子だと言われている癒しの巫女の力をもってしてもだ」
ゆっくりと諭すように話し掛けると、シアは子猫の亡骸の横に座り込み抱き上げる。
「――冷たい、この間の時はあんなに温かかったのに」
そう言うとシアは子猫を抱き締め、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。オレはしばらく見守っていたが、いつまでも泣き止まないシアをそっと抱き、頭を撫でる。
「これが死だ。誰にも等しく降りかかる避けられないものだよ。シアがそんなに哀しむことはない」
「でも、でもまだこんなに小さいのに。生まれたばかりなのに」
「それでも等しく、だ。死は一度だけ、二度はない。シア。君は初めて死に立ち会ったかもしれないが、この教都だけでも毎日何百という人間が死んでいる。こうした生き物も合わせたらそれこそ数えきれないほどのものに死が訪れている。死はありふれた珍しいものなんだ」
「でも、この子の温かさを私は知っています。私にはそんなふうに割りきれません」
そうだろうな。この優しい子にオレみたいなことが出来るはずがない。ではどうすればこの子の哀しみを和らげることが出来るんだろう。
「常世は知っているだろう」
「……はい。亡くなったら皆そこに行くのだと教えられています」
「そう。自ら死を選んだもの以外すべての生き物が行くところだ。死は哀しいものではないんだよ。そこに行けば先立たれた大切な人に会える。親、兄弟、友人、恋人、連れ合い。愛した大切な人達にまた会えるんだよ。哀しいことではないだろう」
「でも、残されたものは哀しいです。もう会えなくなるのだから」
「そうだね。でもそうして残されたもの達が嘆き哀しみ続けると、死んだものはその哀しみに引きずられ、常世に行けずにこの世でさ迷い続けてしまう。これも知ってるね」
「……はい」
「さ迷い続けた魂は悪いものになったり、誘う者に捕まって使役されたりするものもいると聞く。そうなれば、二度と常世には行けなくなってしまう」
「知っています! そのようなことをアルツに教えてもらわなくとも私はアーリリア教の癒しの巫女ですよ。常世の話だってすべて知っています!」
オレは激しく言い募るシアのこめかみに軽くキスをした。
「――!!!!」
「その通り。シアはもちろん知ってるよね。シアがまたこの猫に会えるって」
オレの暴挙で真っ赤になったシアに、オレは茶目っ気たっぷりに笑いかけた。シアは目をパチクリさせてそんなオレを見る。
「そう。シアが死んで常世に行ったらね。それが本当の話かオレは行ったこと無いから知らないけど、そう信じていた方が楽しくない?」
「――こういう時は、嘘でも『本当』っていうものじゃないのですか?」
「そうかもね。でも、オレはシアに嘘つきたくないし」
そう言って笑うとシアは顔をまた少し赤らめた。
「シアは、この子猫と会えて良かった?」
「……はい」
「オレも会えて良かった。――彼女に」
オレがそう続けると、シアはハッとした顔をした。
「ずっと常世の話なんてクソく……いや、嫌いだった。こんな考え方があるから彼女は病気を治さず、1日でも早く死ぬことばかり考えてるって。でも、今シアをどうにか慰めたいと思って常世の話をしているうちに気が付いたよ。常世の言い伝えがなければ、オレは彼女に出会えてなかった。きっと彼女はずっと昔に自ら命を絶っていただろう。あの人はこの世になんの未練もないからね。それをしないのは、自ら命を捨てたものは常世に行くことが出来ないって話があるから、死んで先に常世に行っている旦那さんに会いたいから、今死なずに生きていてくれる。
生きていてくれたから、オレは彼女に出会えたんだ。今まで彼女がオレを置いて死んでしまうことが辛くて、彼女と一緒にいても哀しいばかりだった。でも、それってなんか勿体なくない? せっかく出会えて好きになったんだ。出会えたことを感謝して、今一緒にいることを楽しんで、先に常世に行ってしまってもまた会えるって思った方が断然良いと思わない?」
ニコニコと話すオレに、シアはちょっと笑った。
「そんなふうに常世の話をする方、初めてです」
「オレ、神官じゃないしね。アーリリア教あんまり知らないし」
「ふふ、あまり知らないのに癒しの巫女に常世の話をしたのですか?」
「そう言われれば、かなり不遜な話だよね」
オレがすっとぼけて言うと、シアはギュッとオレに抱きついた。
「ありがとうございます。慰めてくれて」
「――ごめん。慰めようとして、慰めてもらってるのはオレだね」
「いいえ、貴方のいう通り、死を哀しみ過ぎてはいけないのですね。哀しみ過ぎては、出会いや生きることを否定してしまうかもしれないのですね。わたしは、この子猫に出会えたことを、抱いて温もりを知ったことを喜びたいです。そして死んでしまった哀しみに浸ってしまうのではなく、また次に会えることを楽しみに今をちゃんと生きたい」
オレはシアの温かな体をそっと抱き締める。
シアと出会って、癒しの巫女やアーリリア教について詳しく調べた。シアのことや早くに亡くなった母親のことなども知り、癒しの巫女が短命なことも知った。今この腕の中にある命もオレは見送ることになるのかもしれない。それでもオレはシアとの出会いを喜び、いるものならば神に感謝したい。この小さな女の子に出会って、オレはたくさん救われ、たくさん慰められた。オレは自分で思っていた以上に荒んでいたみたいだ。
この子に何かをしてあげたい、強くそう思う。オレはこの子に何がしてあげられるのだろう。
「ありがとう、シア。――オレもちゃんと生きていきたい」