3-5
オレは結界の穴を潜ると立ち上がり、よいしょっと荷物を背負い直す。
あれから一週間、再び祭儀のある休日である。祭儀に出るのは替え玉らしく、その間巫女は何時も薬園で薬術の勉強をしているそうだ。
あの後、オレは薬のお礼をしたいと巫女に申し出た。
「必要はありません。ここの薬草はいつもただ枯れていくだけなのです。薬になり助かる方がいるならば、ウテウオも本望でしょう」
「甘い!! 世の中等価交換が基本なんだぞ! ただであげるなんてもってのほかだ。労働には対価を! タダより高いものはない!」
「……よくは分からないのですが、わたくしが貴方から貰ったものを持っているのが女官に知られては、貴方に迷惑が掛かるのではないですか?」
「確かに……。なら何かしたいこととかある? オレに出来ることならなんでもするよ」
巫女は首を傾げて考え込んだ。そして傍らにある薬術学の本を見ると、期待に満ちた目でオレを見る。
「わたくし、図書館に行ってみたいです」
「図書館?」
「はい。奥神殿にも図書室はあるのですが、全部読んでしまって……」
「言えば増えるんじゃないの?」
「そうなのですが、古い本などは手に入らないものも多くて。女官に依頼すれば図書館の本を持ってきてくれるのですが、1週間以上掛かってしまいますし」
「……なんでそんなに掛かるの?」
「消毒と虫干しに1週間かかるそうです。時間が掛かるだけならわたくしが待てば良いだけなのですが、この作業は本が傷んでしまうので、古い貴重な本がわたくしの我が儘で傷つくのは忍びなくて……」
図書館の本は巫女に読ませるには汚いということか。お前ら絶対なんか間違ってる。
「巫女をここから連れ出す……か」
オレが考え込むと、巫女はしゅんとした感じに落ち込んだ。
「やはり難しいですよね。あっ、いえ、ちょっと思いついただけなのでいいんです。他にしたいことは……」
「いや、なんとかなりそうだ。でもちょっと準備が必要だから、来週でもいいかな?」
「わたくし、外に出られるのですか!?」
生まれて死ぬまで奥神殿から出ることの無い巫女にはやはり衝撃らしい。その後はぼんやりとしてしまい、会話にならなかった。
というわけで、準備して本日再びオレは潜入した。二度目はオレ専用出入り口のお陰で楽勝だ。バレてる様子はなさそうなので、オレはいそいそ巫女の待つ温室へ向う。
「アルツ!」
オレが温室に入っていくと嬉しそうに目を細め、巫女が駆け寄ってきた。う~ん、実家の妹達を思い出す。話す言葉は大人びているが、やっぱり12歳の女の子だ。無邪気に慕ってくれると少しくすぐったいが嬉しい。
「さあ、挨拶はそこそこに急いで準備するよ」
そういってオレは変装グッズを次々彼女に身に付けさせていく。右の耳に月長石の装身具を付けると白金の髪は黒髪に変わり、左の耳に紅水晶の装身具を付けると優しい雰囲気の美少女がきりっとした美少年に変わった。それでは目立つので、長い髪を結い前に垂らし、大きめの伊達眼鏡を掛けさせ、服も学び舎の学生たちの制服を着せた。ってか、オレが服を着替えさせても抵抗ないのね君……。ちょっとアブナイ人になったみたいで複雑な気分ですよ、お兄さんは。――次回は服を変える魔具でも作ろうか。
「すごいです! わたくしではないみたい。アルツはすごい方なのですね!」
彼女は手鏡で自分の姿を見て驚く。
「あ~、『ワタクシ』は男の子がいうのはおかしいから、『わたし』とか『ぼく』とかに替えられるかな。それから、普段は名前なんて呼ばれてる? みんなの前で『巫女』とか『アルトレーシア』じゃ拙いから、愛称が被る偽名を付けておこう」
「『わたし』ですね、分かりました。気をつけます。普段は『巫女』『神子』と呼ばれています。――ところで『アルトレーシア』とはどちらの方なのですか?」
「君の名前だよ!!」
なんかもう本当にありえねぇ。神殿の奴ら、児童虐待で訴えてやる!! 訴える先が教会なんだから意味無いんだけどさ。自分の名前を知らないってどういうことだ? 記憶力も頭も良さそうなんだから、一度も呼ばれたことが無いんだよな、きっと。
「わたくしの名前なのですか! 初めて知りました。ありがとうございます、アルツ。アルツはわたくしに、初めてのことをたくさん教えてくれるのですね」
ほんわりと彼女は喜んでいるが、オレはつらくなってくる。なぜだか彼女を見ていると、昔の自分を思い出すのだ。
「じゃあ、これから君の事を『シア』って呼んでもいいか? 『アルトレーシア』だから『シア』。それでその格好の時は、――そうだな『シアルフィーラ』ってのはどうかな? 愛称一緒だし、一応男性名っぽいし」
オレが気を取り直して名前を付けてあげると、シアは頬を紅潮させて喜んだ。
「薬草の『シアルフィーラ』からですね! 万能薬と誉れ高い伝説の! あの神話のお話し大好きなのです。嬉しいです、素敵な名前をありがとうございます」
「どういたしまして。こっちこそ、そんなに喜んでくれて嬉しいよ」
シアのはしゃぎぶりに思わず苦笑する。この子は表情が出ないだけでとても感情豊かだ。昔のオレとは全然違うか。