エピローグ
駅から若い学生が出てきて私たちのそばを通り抜けていった。学生服は真新しく、今年入学したばかりなのかもしれない。
「言ったろう、この辺は隣の都市への集団就職が多かったって」
先輩は語り続ける。
「はい」
「聞いたら焼津さんもその一人だったんだと。つぐみ園でも仕事のことをよく語っていたそうだ」
柵越しに線路を覗くと現場は綺麗に片付けられていた。ただ目を凝らすと線路とプラットフォームに激突した傷だけは隠しようがない。線路脇には新しい侵入防止の柵が作られようとしている。
深夜の狂ったひととき。記憶と共に全身に寒気が走る。美里も同じ気持ちなのかそっと私に寄り添ってきた。まだ元気がない美里の肩に腕を回すと、何も言わずに頬を私の胸に押し付ける。
「この駅は、燒津さんにとっては人生の道のりでもあったんだよ」
先輩は目を細めて線路を行く先を見つめる。遠くに陽炎のように浮かぶ線路の果て。
「娘さんは結婚して遠方にいるらしいけど、すぐに会いに来るそうだ。家族に車も引き取らせるんだと」
「そうですか」
「奥さんが亡くなられてから少しずつ異常が出始めたらしいね。娘さんの介護も断ってたそうだ」
「なぜ……?」
「おまえの人生を大切にしろと言ってきかなかったそうだ」
「へえ」
「自分は集団就職で家族のために働くことを選んで、行きたかった大学進学もあきらめた、おまえは自分の人生を生きろと。昔は多かったんだよ、そうしたことは」
先輩は線路の尽きる先を指さす。遠く地平線の果てまで連なり、空の中にまで行く先があるように見える。
「ここをまっすぐ突っ切れば燒津さんの就職先だった市に向かう」
「…………」
なんとも言えない。
「ありし日を過ごした場所に向かおうとしたんでしょうか」
「さあ……それはどうだろうかな」
家族のために自分の夢をあきらめ、将来の道を閉ざした人。娘さんの話からも、家族思いの人だったのかもしれない。
私は柵に身を乗り出して線路を見下ろす。鈍く光を弾く太いメタリックなレール。頑丈そうに見えて無数の傷をその身に刻んでいる。それは長い歳月の傷でもあった。
鋼の道の消えない傷のように、焼津さんもよく見なければ分からない心の傷を残していたのかも知れない。あの人の崩れた内面まで推し量ることができていたら……
ハンドルを握ってここではないどこかに、何かを求めていた。
「娘さんはもっと会いに来ると。できれば旦那さんと一緒に住むようにさせると言ってる」
「実現すればいいですね。焼津さんにとっても」
先輩の言葉が途切れる。一瞬切なげに線路の終わりを見つめる。黙って私たちは同じ線路の行く末を眺めた。
駅から女子大生らしい二人が連れ立って出てくる。長い髪を染めてお洒落なコートをまとっている。楽しげに若さが弾けるような表情で笑い合ってる。
「あの人は暴走してる時に何を見てたんだろうな」
ハンドルを握る燒津さんの目は見開かれていた。強烈に何かに取り憑かれたかのような、激しい顔付き。
一心に何かを求め走ってるように向かった。少なくとも何もせずに漂ってるようなものとは真逆。どこかゆくべき先に、もしくは何かを探すような……
「自分の思い出の中を走ってたのかもしれませんね」
連れだって歩く学生の笑い声。燒津さんには手に入らなかったもの。そして年を経て振り返った時に若い時の何かを取り戻したかったのではないか。
「人は失ってからその貴重さに気付って言うからな……ほんとに駅には歴史がある」
しみじみとした口調で呟き先輩はポケットに手を入れた。
そう、若い時にはその貴重さに気付けない。その時、そこに居る時はそのかけがえのなさに気付けない。
手を伸ばしても届かないことが分かってる。できるのはいくつかの思い出を胸の中に灯しておくだけだ。
駅の行き交う人々はそれだけ一人一人にその人だけの人生を刻んでいる。栄駅から家族に別れを告げ旅立っていった燒津さんもその一人だったのだ。
かつて栄えた駅の名残り。この鄙びた小さな駅にも同じく長い過去があり、大勢の人を受け入れてきて清新な朝の風景もあったのだ。そこに大小の違いはない。
そっと目を閉じる。朝の息吹が香る気がした。




