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書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


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第25話「セフィア、引き離される」

 施行十五日目。


 朝の鐘が鳴る前に、セフィアは閲覧室へ来ていた。


 照合台帳を机に置き、いつものように帯留めを直す。ただし今日は、台帳の上に小さな布袋が載っている。


「身辺整理ですか」


 ユースが聞くと、セフィアは布袋の紐を結び直した。


「持ち物の確認です。教会の備品と私物を分けておかないと、返却でもめますから」


 実務的な答え。いつも通りだった。


 ユースは閲覧申請票に目を戻した。昨日の請求番号の続き。辺境砦向け補給認可の七年前の台帳。越権防止命令の範囲では、これを読むことだけが許されている。


「ユースさん」


「はい」


「照合特務室がどこにあるか、ご存じですか」


「教会本棟の地下二階です。治療認可の広域照合と、認可時刻の整合記録を一元管理している部署です」


 セフィアの手が止まった。


「……さすがに、そこまで即答されると少し悔しいですね」


 ユースは答えなかった。申請票の次の欄に、請求対象の記録番号を書いた。


 七時半。閲覧室に差し込む光が、東棟の小さな窓を通って壁の書架を這った。過去十年分の監督記録が、背表紙の金文字だけをわずかに光らせている。


「一つだけ」


 セフィアの声が変わった。半音ほど低い。


「配置換えの理由は、治療認可の時刻照合混乱の収拾要員、です。ヴァルカス次長の特例処理が教会側の認可時刻に食い違いを起こしているから、その照合を手伝え、と」


「妥当な名目です」


「ええ。完璧に合法です。断れば、教会への反抗と見なされます」


 ユースは鉛筆を置いた。


「照合特務室の閲覧権限は、この閲覧室より広いですか」


 セフィアは答えなかった。


 代わりに、照合台帳を閉じた。その手つきが、いつもより丁寧だった。表紙の角を指先で撫でるように整え、背表紙の文字を確かめ、布袋の隣に置いた。


「広いです」


 短い沈黙。


 ユースは閲覧申請票を裏返し、余白に何かを書いた。三秒で書き終え、表に戻した。


「では、お気をつけて」


 セフィアは立ち上がった。照合台帳と布袋を抱え、椅子を音を立てずに戻した。


 閲覧室の出口まで五歩。


 四歩目で、振り返った。


「ユースさん。私がいなくなっても、ここの空気はたぶん変わりませんね」


「変わりません」


「少しくらい寂しがってください」


 ユースは申請票に目を落としたまま答えた。


「閲覧申請票の消費速度が半分になります。それは変化です」


 セフィアの足が止まった。


 それから、小さく息を吐く音がした。笑ったのかもしれない。確認はしなかった。


 靴音が廊下へ消えた。


 ---


 閲覧室が静かになった。


 静かだったのは前からだ。セフィアがいても、二人とも黙って記録を読んでいる時間のほうが長かった。


 だが音の質が変わった。


 紙をめくる音が一人分になった。椅子が軋む間隔が倍に延びた。閲覧申請票を書く鉛筆の音だけが、壁の書架に吸い込まれていく。


 ユースは七年前の補給認可台帳を開いた。


 辺境砦への物資搬入記録。起票番号、承認者、搬入日、数量、検収印。どの行も整っている。七年前の第三窓口は別の担当者だったが、基本様式は変わっていない。


 三頁目の検収欄で、ユースの鉛筆が止まった。


 数字を一つ、白紙の端に書いた。


 それから台帳を閉じ、次の閲覧申請票に手を伸ばした。


 ---


 昼を過ぎた。


 ユースは記録管理区画へ向かうため、東棟二階の廊下を歩いていた。


 渡り廊下の手前で、声が聞こえた。


 教会の法衣を纏った年配の男と、法務局の制服を着た若い男。若い男のほうは見覚えがある。ギデオンの部下だ。隈が、一昨日より濃い。


 司祭は足を止めていた。手元に書類の束を持ち、その一枚を指で示しながら話している。


「——認可時刻が、搬入報告より二時間早い。施術の開始時刻と治療物資の到着時刻が逆転している」


 ギデオンの部下が何か答えた。声が小さく、聞き取れない。


 司祭の声だけが、渡り廊下の天井に反響した。


「前の第三窓口の担当なら、こんな初歩的なズレは事前に潰していましたが」


 ユースは歩調を変えなかった。


 渡り廊下を渡り、記録管理区画の扉を開けた。


 背後で、ギデオンの部下が何かを言いかけ、途切れた。司祭の法衣の裾が石畳を擦る音と、若い男の靴が踵を返す音。


 記録管理区画の扉が閉まった。


 ユースは閲覧申請票を受付台に置いた。


「補給認可台帳、六年前分をお願いします」


 管理官がファイルを探す間、ユースは受付台の掲示板に目を留めた。


 照会累計の更新票が貼られている。


 施行十四日目——八十九件。


 施行十五日目正午時点——九十七件。


 半日で八件。


 ユースは掲示板から目を外し、管理官が差し出した台帳を受け取った。


 ---


 夕刻。


 閲覧室に戻ると、セフィアの席の椅子がきちんと机に収められていた。


 朝、彼女が戻した位置のまま。誰も座っていない。


 机の上には何も残っていない。布袋も、照合台帳も、彼女が使っていた閲覧申請票の束も。備品はすべて返却済みということだろう。


 一つだけ、机の端に小さな紙片が置かれていた。


 教会の事務用箋。セフィアの筆跡。


『照合特務室、着任しました。治療認可の広域照合記録、過去五年分の閲覧権限が付与されています。——以上、業務連絡です』


 業務連絡。


 ユースは紙片を裏返した。裏にも一行。


『閲覧申請票の消費速度が戻るよう、努力します』


 ユースは紙片を閲覧申請票の束の下に挟んだ。


 窓の外が暗くなり始めている。中央庁の鐘が六時を打った。


 法務局特例処理室では、照会累計が百件に届こうとしているはずだ。


 そしてギデオンの部下は今夜、司祭から突きつけられた認可時刻のズレを、上席へ報告しなければならない。報告書の様式を知っているかどうかも怪しいが。


 ユースは六年前の補給認可台帳を開いた。


 起票番号の列を指で追い、四頁目で止まった。


 白紙に数字を一つ書いた。


 昨日の数字の隣に。


 セフィアの席は空だった。照合台帳を広げる音も、紙をめくる音も、丁寧な毒舌も聞こえない。


 だが教会本棟の地下二階には、治療認可の広域照合記録・過去五年分が眠っている。


 そしてその記録を読める人間が、今日から一人増えた。


 ユースは鉛筆を取った。


 閲覧申請票に、次の請求番号を書いた。

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