Episode80/2.嵐(風雨)
(162.)
こちらも既に完全に夕方の時刻。
しかし、雲行きが怪しく、今にも雨が降りだしそうな曇天で夕陽は差していなかった。
一号室のソファーに座りながら、その空模様を窓を見て確認していた。
対面のソファーには朱音が座り、隣には珍しく翠月が座っている。その目の前に沙鳥が居る構図だ。
「他の家族やアルストロメリアの一部も、皆さん自室に帰ってきてます」
沙鳥はそう言っていた。
一号室に入ったとき、いま私が座っていた場所には舞香がいた。
しかし、私と朱音が顔を出すと、舞香は藍を連れてくると言い残して部屋から出ていったのだ。
そうして空いたソファーに座り、溜まった疲れを休ませてもらっている訳だ。
十中八九、藍は私を家へ帰すために呼びに行ってくれたのだろう。
やはりというべきか、ぽつらぽつら雨が降りはじめる。音から察するに、風も強いだろう。
そんななか、私はソファーに浅く座り、背凭れにだらんと背中を預けて脱力する。
疲労からか眠気までしてきた。
「嵐になりそうですね……」
「まあ、ぼくたちは大丈夫だし、豊花は藍の力で送るんだから問題ないんじゃないかな?」
二人は軽く言葉を交わす。
が、すぐに沙鳥は前に視線を戻し、翠月を見つめた。
「さて、先ほどの話のつづきです」
「えぇ……だから、もしもあたしが一さんに恋愛感情を抱いてるのがマジバナとしても、それって仕事に関係ないっしょ?」
翠月が怠そうな声色で、面倒そうに沙鳥に返事する。
そういえば、一号室のリビングに踏み込んだとき、翠月に対して沙鳥となにか話していたなぁ……とぼんやり思う。
「そもそもあたし自身、そんな感情自覚ないし。ってゆーか、誰かを好きになったことすらないっつーの。あたしから見て、一さんはただのおもろいおっさんって認識でしかないし」
なにやら、翠月が一という年上の男性に恋心を抱いているか否か……みたいな会話をしていたらしい。
翠月にはその自覚はないけど、沙鳥は無意識下まで心を見抜く力があるから、実際に恋愛感情か、それに似た感情は抱いているんだろう。その一とかいうひとに。
だけど、翠月が言うとおりの話だ。
たとえ一ってひとを翠月が恋愛的な意味で好きなのだとして、それが沙鳥たちに関係あるかと問われたら、ほとんど関係ないだろう。
「関係ありますよ? お忘れですか、豊花さん?」
「え?」
だらしない座りかたをしている私を沙鳥が横目で見ていた。
つまり、心を読まれたのを意味する。
私が忘れた……?
翠月の恋愛事情に、沙鳥が関係ある理由……?
沙鳥は嘆息すると、足を組む。
「貴女たち愛のある我が家はひとりの例外もなく、皆さん家族なんです。もちろん、そこには豊花さんも含まれています」
「はあ……はい、わかってます……?」
「家族の想い人を守るため、豊花に独断専行する許可を出したのを、もうお忘れで?」
「あ……」
そういうことか。
沙鳥の言いたいことをようやく理解した。
みんな思いの強さに差はあるだろうけど、愛のある我が家の構成員は、みんな家族……少なくとも仲間という意識は大小関わらず抱いている。
そして、私は沙鳥たちと会話を交わしてきたなかで理解していた。
ーー沙鳥は特に、愛のある我が家の仲間のことを、家族だと強く認識していることを。
その感情は、血の繋がった家族より深い関係とも。
愛のある我が家の前当主“舞香”が、元は大海組の正規組員だった影響なのか、沙鳥の思考は、まるでヤクザの親子盃や兄弟盃のような考え方だ。
その家族と思われている私は、沙鳥から想い人のために独断専行を許してくれたり、私の家族を守るために、大事な戦力のひとりーー六花を預けてくれたりしているじゃないか。
つまり、もしも翠月が本当に一という男性に好意を寄せているなら、それは翠月の想い人ということになる。
家族の翠月の想い人を守るため、沙鳥は行動を起こすべきか悩んでいるのかもしれない。
「概ね正解です。豊花さんが瑠璃さんを大切に想うくらい、翠月さんがたこ焼き屋さんに惹かれて強く好意を寄せているのであれば、それは私たち家族に関わります」
「はい……その、ありがとうございます?」
褒められた気がしないけど、一応礼を述べる。
ん……たこ焼き屋さん?
「べつにどーでもいいよそんなの。一さんはたしかにおもろいひとだけど、笑えるから好きって気持ちがあるだけで恋愛的な好きじゃないし。なんもしなくていーから」
「……わかりました。なにかあっても、愛のある我が家を優先していただきますね」
沙鳥は複雑な表情を浮かべながらも、ようやく納得して主張を引っ込める。
……たこ焼き屋さん?
「あの、沙鳥さん? たこ焼き屋さんって、いったい?」
「たこ焼き屋さんというのは、赤羽組若衆、一明さんの……そうですね、愛称のようなものです」
ヤクザなのか……一さん。
いやいや、たこ焼き屋さんが愛称ってなんなのか説明ないじゃないか!
「愛称というより、組員からバカにされて呼ばれてる蔑称、だとぼくは思ってるよ?」
「あの……たこ焼き屋さんが一ってひとを指してるのはわかりましたが、どうしてたこ焼き屋なんて名前で?」
翠月が横から口を挟んだ。
「いろんなお祭りに参加してはたこ焼きの屋台ばっか出して、さらにたこ焼きづくりに熱を入れてっからさー? シノギがそれだけで組の看板つかったりすることもなくて、唯一やってる犯罪は、あたしの仕事の手伝いだけって感じなんよ」
「は、はぁ……だからたこ焼き屋なんですか」
あらゆる祭りに顔を出して、たこ焼きばかり焼いているヤクザ……それ以外のシノギなし。
翠月の担当している仕事の手伝いをしていなければ、たしかに単なるテキヤのたこ焼き屋でしかない。
どういう人物なんだろ?
少なくとも、おっさんとの言から歳上の男性ということだけはわかる。
そして、たとえたこ焼きにばかり焼いているとしても(それもお熱で)、ヤクザはヤクザだ。顔は相応にイカツイだろう。
私の知っているヤクザが赤羽さんと大海さんしかーー総白会直系大海組組長と、大海組若頭赤羽組組長と、直系だったっけ?
直系組長と三次団体の組長で、二人とも組長って点でイメージに偏りが芽生えているかもしれないけど……。まあ、ヤクザが主題のゲームでもだいたい厳つい顔面と体躯の野郎ばかりだし間違いじゃないだろう。
「スキンヘッドで筋肉隆々の見た目をしている30手前の男性です」
妄想に近い想像をしていたからか、沙鳥が詳細を教えてくれた。
筋肉隆々スキンヘッド……とてもたこ焼きばかり売り捌いているようには思えないんだけど……。
でも、たしか翠月の担当している仕事は、児童管理売春。
手伝いとはいえ、ヤクザらしいと言えるかは微妙だけど、イリーガルなことをやるにはやっているんだ。それも、響きも内容も最悪な仕事だ。
たぶん、見た目がイカツイなら、愛の異能力以外の客に対する脅し役とかなんだろう。
「とにかく、あたしは今まで散々男どもに春を売ってきたけど、特定の誰かを好きになったことなんてないっつーの。沙鳥っちは読心できるからってなんでもかんでも決めつけすぎー」
「そこまで言うなら、もうなにも言いません。問い詰めて申し訳ありません」
沙鳥は軽く頭を下げて謝罪を口にする。
ーーっ!?
寒気からか?
からだが震えた。
直後に嫌な予感が背筋を走る。
見ていて嫌な予感がする私を察したのか、沙鳥は口を開きかける。
「ごめんなさい! こいつ、駄々こねて連れ出すのに時間かかっちゃったわ」
しかし、ちょうど舞香が藍を連れて一号室に戻ってきた。
そちらに皆の視線が自然と向く。
「ちゃちゃっと転移させますから、はやく部屋に帰らせてくださいよ?」
「引きこもって自慰してただけだったじゃない。せめて部屋に入ったら察して下着くらいすぐ履きなさいよ」
藍を舞香が叱るように言いつける。
じい……自慰か。またしていたのか、このひと。
「豊花さん。なにかあっても冷静に。危ない事態であれば、すぐに連絡してくださいね?」
「ーーはい。わかりました」
なにかを察した沙鳥は、私の身を心配するように言葉をかける。と、藍が私に近づいてきた。
女性らしくない体臭が漂っているのが気になるが、今は謎の胸騒ぎに気がいってしまう。
窓の外から激しくなり始めた風雨の音が、私の耳に微かに届き、聴こえてくる。




