7、カラ子さん
「観覧車のカラ子さんて、知ってる?」
どういうわけか、そんな話題になった。
「裏野ドリームランドの観覧車には、カラ子さんっていうのがいて、異次元に連れて行かれちゃうんだって」
やっぱり夏だから、怪談は嫌でも耳に入ってくる。私は怖いのが苦手だから、こういう話はしたくないんだけど。
「カラ子さん? トイレのは花子さんで、観覧車のはカラ子さんかよ。あほくせー」
キョウヤはそう言い捨てた。
「いつかは知らないんだけど、閉所恐怖症の女の子がいて、その子は学校でいじめられていて、修学旅行のときに、閉所恐怖症なのに、観覧車に無理矢理乗せられたからパニックになって、それでそのまま発作で死んじゃったんだって」
どこかで聞いた噂をそのまま言った。
「目は真っ黄色で、首はぐるぐるになってるんだって」
「なんだよそれ」
首がぐるぐるって、どういう意味なんだろう。私にも分からない。
「それがカラ子さんの噂」
「そんなの作り話に決まってるだろ。それに閉所恐怖症じゃなくて、高所恐怖症だろ? 観覧車は高いんだから」
キョウヤは、それから、こう言った。
「そんなやつが本当にいるんなら、逆に会ってみたいもんだ」
学校でも、あの遊園地の話題はたまに出る。
「あの遊園地は他にも色んな噂があるの。呪われた遊園地なんだよ。だって、方角が悪いもん。森が西にあるし」
サユリがそう言っていた。サユリの家族は、遺伝なのかみんな霊感が強い。サユリも、よくいろんなものを見るらしい。学校の帰り道でも、一緒に喋っていて、急に黙るときがある。たぶん、あれは何かを見ているときなんだ。
「ミズキ、そういうところ絶対に行っちゃだめだよ。人生狂っちゃうから」
あの遊園地の話をするとき、サユリは絶対にこの言葉を言うのを忘れなかった。
十七歳の誕生日に、キョウヤが家に遊びに来た。家族と一緒にケーキを食べた後、私の部屋でこう言った。
「誕生日だから、特別に一日だけ電気をつけてくれるってさ! ダメもとで頼んだら案外OKだった!」
「え、どういうこと?」
「裏野ドリームランドだよ。俺のパパって、建設会社の社長だろ? あそこを作ったのもパパの会社なんだって。あの遊園地の管理人とも知り合いでさ、電気系統はまだ全然生きてるから、電気をつけるだけなら簡単なんだって」
キョウヤは活き活きしていた。
「でも、アトラクションには絶対にのっちゃいけないって言われた」
「なんで?」
「二十年も放置されて、点検されてないからだよ。デートには最高だろ? 行こうぜ」
廃墟でデートなんて、気乗りしない。できれば、断りたい。
「いつ?」
「今夜。これから」
「えーやだよ。気持ち悪いもん」
私ははっきり言った。
「行こうぜ。無断で忍び込むんじゃないんだぞ。別に悪い事してるわけじゃないし。お前どうせ、カラオケとかじゃ喜ばないだろ。パパにもう頼んじゃったからさあ。頼むよ」
結局、断り切れずに行くことになってしまった。廃墟とはいえ、貸し切りの遊園地でデートという、他の人が絶対に経験できない体験をしてみたい。そういう軽い気持ちがあったのかもしれない。
閉園されたはずの裏野ドリームランド。今日だけは貸し切りの遊園地。もう灯りがついていた。
門は、柵が閉まっている。
「鍵は預かってるから」
キョウヤはポケットから古臭い鍵を出した。
「ねえ、なんか書いてあるよ」
柵のところに、ビニールに入った紙が一枚張られている。筆文字の手書きで、何か書いてある。
私は声に出して読んでみた。
「『最初に、メリーゴウランドの話を、しよう……? 私が何者かというとね……もう七十歳にもなるおじいさん……』」
「なんだこれ?」
キョウヤも首を傾げた。
「そのキョウヤのお父さんの知り合いの管理人って、これを書いた人?」
「いや、その人はまだ40歳くらいの人だけど」
私はまた、その手書きの文字を読んだ。
「『……これから色んなことが起きると思うよ……それでは裏野ドリームランド、これにて閉園いたします……1997年、7月4日』」
なんだかおかしい。変だ。
「……じゃあ、これ書いたの誰なの?」
キョウヤは興味なさそうだった。
「さあ。管理人が二人いたんじゃねえの?」
平然とそう言って、中に入って行く。
やっぱり、気持ち悪い。早めに帰ろう。
中は、静かだった。普通の遊園地ではなにかしら音楽がかかっているから、異様に静かで、電気だけがついているのは気味が悪い。
アトラクションには乗れないから、近くに行って、見て回った。
それから、お土産売り場へ行った。鍵がかかっているせいか、中は綺麗だ。荒らされてもいない。
電気はついている。私たちは、売店の中をのぞいた。
アトラクションの模型が展示されている。ジェットコースター、アクアツアー、ミラーハウス……。それに観覧車の模型。
「へえー。観覧車の模型かあ。お土産にもらっていく?」
またつまらない冗談を言う。そういうところは、あまり好きになれない。
「なにバカなこと言ってんの?」
売店では何も売っていないので、外のベンチに座って、持ってきたコーラを飲んだ。
「ここの遊園地の観覧車ね、夜になると『出してえ、出してえ』って声がするんだって。聞いた人がいるんだって」
少し怖がらせてやろうと思って、あの噂をキョウヤに言った。
「その声の主がカラ子さん?」
「ううん。閉じ込められた人」
心霊スポットでは、こういう話をしちゃいけないんだって、サユリが言っていたのを思い出した。霊が集まってくるらしい。
キョウヤは、全然怖がっていなかった。
「すげえだろ。貸し切りの遊園地だぜ? 夢みたいだろ? 廃墟だけど」
「そうだね」
たしかに廃墟だけど、電気が煌々とついていればそんなに怖くも無い。こんな広いところに、自分たちだけというのはすごく特別で、神秘的な感じもする。
…………あれ?
私の視界に、違和感があった。
「ねえ、観覧車、動いてない?」
目を凝らして見ると、やっぱり、ゆっくりと動いているのが分かる。
「ほんとだ。パパが動かしてくれたのかもしれない。行ってみようぜ」
早く確かめたくて、小走りで乗り場まで行った。
「誰もいないね」
「せっかく二人きりのデートなのに、親がいちゃ雰囲気が台無しだろ。だから、動かしてそのまま帰ったんだろ」
本当かな。だったらいいけど。
ゴンドラの扉は閉まっている。やっぱり安全の為にキョウヤのお父さんが閉めたのかな。
「なーんだ。つまんねえの」
キョウヤが言った。
なんだか、この観覧車から今すぐ離れたい気分になった。
「ベンチのところまで戻ろう」
ところが。
「おい、あれ見ろよ」
キョウヤが指差した。
一台だけ、扉が開いている。乗ろうと思えば乗れる……。
ゆっくりと、扉の開いたゴンドラがこっちへ向かってくる。
「おい、乗ってみようぜ。せっかくなんだし」
やっぱり言うと思った。
「ダメだって。落ちたらどうするの?」
「大丈夫だよ。こういうのは落ちないように計算されてつくられてんだからさ。おい、乗ろうぜ」
キョウヤは私の手を引いていこうとする。私はそれに抗った。
「絶対いやだ。そんなに言うなら別れる」
それを聞くと、キョウヤは大人しくなった。
「ふーん。分かった。じゃ、乗るのはやめとこう」
キョウヤは、扉の開いたゴンドラを見送りながら言った
「で、カラ子さんに会うには、普通に乗ればいいのか?」
私は、噂をそのまま伝えた。
「カラ子さんに連れて行かれた人は、後ろ向きで、目を瞑って観覧車に乗った人だけだって」
でも、そんなの誰が見ていたんだろう。連れて行かれた人はもう話せないわけだし。やっぱりデタラメだよね。言いながら思った。
「ふーん。そっか」
キョウヤは、目を瞑って、観覧車に背を向けた。
その姿勢を見て、私は怒った。
「ちょっと、やめなって。まだふざけるの? 危ないよ。ホントに違う世界に行っちゃったらどうするの?」
キョウヤは、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。乗らないって言ったのに、やっぱり乗るつもりだ。
もう一度、ニヤッと笑った。それから目を閉じる。
そして、ゴンドラに乗った。
その瞬間、キョウヤが消えた。
「…………?」
暗い。
ここは、どこだ?
ゴンドラの中じゃ、ないようだ。
俺は何かに挟まっているのか。
せまい。
身動きがとれない。
「なんだここ……」
自分の熱い息が、何かにはねかえって顔に当たる。感触からしてガラスのようだ。
顔は動かせないから、目だけで辺りを見回した。
ここに見覚えがある。
ここは、……売店だ!
ゴンドラに飛び乗ったはずなのに、俺はなぜ、売店にいるんだ。後ろ向きに乗ったから、うまく乗れずにどこかに頭をぶつけて、ここに運ばれたんだろうか。
遊園地のアトラクションの模型が見える。ジェットコースター、ミラーハウス、アクアツアー。
待てよ。たしか、ちょうどこの位置には……観覧車の模型があったような……。
ということは、馬鹿げた話だが、自分は今、模型の観覧車の中にいるのか?
狭い。
息が苦しい。
ここから出たい。
こんな小さな観覧車の模型の中に、どうやって自分の体が収まっているのか。
手も足も体も、小さな模型の中に折りたたまれているが、なぜか生きている。ちゃんと意識もあるし、感覚もある。
「苦しい。誰かいないのか! 出してくれ! ここから出してくれ! ミズキ!」
叫んだ。でも、ミズキは来ない。
……ベタ。
ベッタ。べッタ。ベッタ。
固い床を、ゆっくりと裸足で歩く、足音がした。
向こうから人が近づいて来る。電気が消えているので、はっきりと見えない。
髪が長い。
女の人だ。
あれはミズキだ!
そう思った瞬間、すぐ目の前にその女がいた。それはミズキじゃなかった。
気味の悪い女だった。
目は卵の黄身のように黄色で、首は雑巾のようにねじれている。笑った口には、歯が一本も無い。
カラ子さんだ!
俺は、異次元に連れて行かれたんだ!
カラ子さんはしゃがんで、模型に入った俺を見下ろしている。
「いっいっいっいっいっいっ」
潰れた喉から出るような、不気味な笑い声で笑い続けた。
なんで、こんな奴がいるんだ……。
意識を失いそうだった。
「あーーーーっ!」
俺は恐怖のあまり大声で叫んだ。
「出してくれ! 出してくれ! 出して……」
キョウヤの叫び声が、あの観覧車からずっとしていた。
「声はするけど、姿がないんです。きっと、カラ子さんに捕まって……」
私は、キョウヤの両親に事情を説明した。
キョウヤの両親は、なにもできずに呆然と観覧車を見上げているだけだった。




