物品調達
「ラインやシュラウドがありません」
副長のビ-ティー海尉が報告した。
ラインとは船で使われるロープや綱の事だ。ロープが絞首刑を意味するため、船乗りはロープという単語を使わずラインとかブレースと呼んでいる。
帆船は大量の綱を使う。
マストを支えるための静索や上り下りに使う縄ばしごであるシュラウド、帆桁を動かす動索など様々な種類が必要となる。
有名なカティ・サーク号の綱は総延長一六キロ以上と言われており、どれだけ綱が使用されるか理解出来るだろう。
「どういう事だ。工廠の連中は怠けているのか?」
詰問するようにサクリング艦長が尋ねた。
工廠は海軍用具の生産も行っており、綱の生産も勿論行っている。
艦の艤装を供給するのは工廠の重大な任務の一つだった。工廠は自分の役割を果たせないのかとサクリングは苛立ったが、その苛立ちをビーティー海尉に向けてしまい彼は萎縮してしまった。それでもビーティーは報告を続ける。
「正確に言うと原料となる麻が足りません」
船に大量の綱が必要と言うことは、原料となる麻も大量に必要となる訳だ。
特に現役復帰させる艦が多い今はロープの需要が高まっており、造船所内でも原料が少なくなっていた。
原料が無ければ、製品は出来ない。単純な結論であり現実だった。
そんな訳でレナウンは完成できない。
クレーン船によるマストの取り付け作業が行われていたが、それが終わってもその先の綱の取り付け作業が出来ない状態になっていた。
「何処からか持って来られないか?」
「貿易公社から送られてくる量が足りません」
通常、麻は中欧に位置するポメラニア周辺が良質と評価されており輸入される。
海軍には貿易公社からその年帰ってきた船団から割り当て分が送られてくる。
「アテは無いのか?」
「原料がありませんと」
集まった士官を見渡すが誰も答えようとしない。
カイルも何も言えなかった。無から生み出すことなどカイルにも出来ない。
卓越した航海技術があっても知識があっても、扱うべき道具が無ければ無意味だ。その道具の原料を調達するあてが無い。
父であるクロフォード公爵は北方諸国との取引を行っていて麻も取り扱っている。だが現物が来るのに二ヶ月ぐらいかかるだろう。
時間が足りなかった。
「……あの」
その時、手を上げたのはエドモントだった。
「なにかね。ミスタ・ホーキング」
「私にあてがあります」
「結構大きいのね」
「あまりはしゃぐなよ」
「工場の前で騒がないでくれよ、邪魔になる」
翌日、レナとカイルを連れてエドモントは自分の家の工場にやって来た。
エドモント紡績。それがエドモントの実家だった。
何本もの煙突が立ち並び、レンガ造りの建物が何棟も建ち並んでいる。その間を馬車や人がせわしなく動き、製品を作っている。
「ここにあるの?」
「紡績会社だからね。麻は結構な量を貿易公社から購入している」
「昔からの工場には見えないわね」
工場の建物は新しく、昔から建っているように見えなかった。
「家は元々、農家でね。内職で機織りとかしていた」
アルビオンは土地がやせており碌な産物が無かった。
そこで海外から原料を輸入して加工して輸出する事で外貨を稼ぎ富を得ていた。
農家としても農作業の出来ない冬の間の内職として機織りをして収入を得ることも出来るので好都合だった。
「ただ織機や原料の繊維を購入するには費用が掛かるからね。それに商人から安く買いたたかれたり吹っ掛けられたりするんで、組合を作ったんだ。で、その組合で家の先祖が元締めのような事をしていた」
農家が一軒一軒だけで取引をしても受けられる契約は小規模だし、安く買いたたかれる。商人は他のもっと安い契約を結んでくれる農家を相手にすれば良いため、立場が弱い。
そこで何軒もの農家が団結して組合を作り、共同で織機を購入したり、大口の契約を結んで分担して製品を作ったり、原料を纏めて購入するなどしていた。
「けど、それでも限界が来てさ。蒸気機関を使った紡績機の性能が良い上に、購入代金が高かったんだ。それで祖父の代の時、紡績工場を作ったんだよ。周辺の農家に株を買って貰って資金を集めたりしてね。代わりに農閑期に雇ったり、安く購入した原料を渡したり、契約の一部を代行して貰うんだ。父親の代になって海外とも契約を結ぶようになったんだ」
その過程で海軍や貴族との結びつきも出来てホーキング家は中産階級となった。
エドモントもその恩恵に預かって海軍に入隊できた訳だ。
「で、麻もあるの」
レナが疑問を述べた。製品用の原料である麻を分けてくれるのだろうか。
「麻織物も作っている。けど、最近は新大陸から綿が多く輸入されているし、肌触りもよいのでそちらが主力になりつつある。だから麻は余り気味なんだ。それにもうすぐ春で農作業が始まって人が減るから生産も少なくなる。だから麻も余る事になる。それを買い取る。不良在庫も処分できるんで承諾してくれるはずだ。」
「出来るの?」
「やってやるよ」
エドモントはレナに言い返すと工場に入っていった。
エドモントが言ったとおり、麻は余り気味で心良く工場は余剰在庫を海軍に納めることを承諾した。
在庫分は直ぐに工廠に運ばれて綱の生産が再開され、完成次第レナウンに取り付けられた。
「よくやってくれたなミスタ・ホーキング」
取り付けられたマストに静索や動索の取り付け作業が行われる中、サクリング艦長はエドモントを顕彰した。
「いえ、ただ工場の余剰在庫を持ってきただけで」
「そんな事はない。君が言わなければ誰も用意できなかった」
考えてみれば海軍当局も麻の在庫のある工場を探し出し購入すればよかったのだが、貿易公社や一部の輸入業者のみが購入元だったため、頼り切っていて麻を持っている工場などを探し出すことはしなかった。
エドモントが提案しなければ麻は手に入らなかっただろう。
いずれ誰かが探し出したかもしれないが、遅れたことだろう。
「ありがとうございます。結局、こんなことしか自分には出来ません。カイル、いやミスタ・クロフォードやミス・タウンゼントの様な活躍など自分には出来ませんし」
カイルは航海術や船の知識に優れているし、レナは戦闘においては目覚ましい活躍をしている。一方自分は物を用意する事しか出来ない。
エドモントは改めて自分が劣っている事を確認してしまう。
「いや、君にしか出来ない事だった。確かにあの二人の活躍は目を見張るところがある。だが、彼らの活躍は船が動いてこそだ。もし艦が動かなければミスタ・クロフォードは航海術を発揮できないし、そもそも造船の知識も証明できない。ミス・タウンゼントも艦が出撃できなければ戦闘が起こらず活躍出来ない。彼らが活躍出来るかどうかは艦が出来るかどうかに掛かっていた。君は艦を動かせるように資材を用意してくれた。つまり二人を活躍出来るよう舞台を用意したんだ。それは誇るべき事だ」
「は、はい。ありがとうございます」
「その調子だ。海尉心得がそんなしょげていては後から来る候補生が心配するぞ」
「え?」
サクリングの言葉にエドモントは疑問符を浮かべた。
「昇進だ。次の出撃では海尉心得として任務を遂行したまえ」
「宜しいのですか?」
喜ばしいことだが突然の昇進が信じられずエドモントは聞き返した。
「大砲の数が減ったお陰で等級が下がってな。船の大きさに対して海尉の数が足りない。君は実戦も経験しているし多少なりとも操船術の心得があるだろうから海尉として扱うからな」
「ありがとうございます」
エドモントは敬礼して感謝を表した。
「よかったわね」
後ろで見ていたレナがエドモントを囃し立てた。
「何だよ偉そうに」
「そりゃそうよ。私のほうが先に心得に任命されたから先任だし」
「うぐっ」
散々自分が言い聞かせてきた言葉だけにエドモントは反論できなかった。
「ああ、ミスタ・ホーキングの任官は日付を遡って君らより先にしておく。元のままの方が良いだろう」
だが、サクリングの言葉で一瞬にして優位は逆転してしまった。
反論しようにも艦長相手ではレナも黙るしか無かった。
「と言う訳だ。この後、乗員の補充を行うので諸君らにも頑張って貰うぞ」




