最終話 私が選んだ行き先
side 王国
「出力、八十二パーセントで安定しました!」
「各区画、異常ありません!」
結界管理局に安堵の声が広がった。
年次中枢調整は、どうにか終わった。アニエスが残した資料をもとに十二人の技師が総出で作業し、大結界は出力八十二パーセントで安定している。
技師長が椅子へ座り込んだ。
「……来年までに、俺たちだけで全部できるようにするぞ」
「はい!」
アニエスが途中まで進めていた技術継承。
今度こそ、それを完成させる。
◇
数日後。
王宮の謁見の間に、追跡隊の騎士たちが並んでいた。
玉座に座る国王が、彼らを見渡す。
「今回の任務について、結果を確認する」
「はっ!」
騎士隊長が頭を下げた。
「我々はアニエス様を発見しましたが、王都へお連れすることはできませんでした。また、国外退去命令の撤回書も、期限までにお届けすることができませんでした」
「つまり、任務には失敗した」
「……はい」
謁見の間が静かになる。
国王は厳しい顔で騎士たちを見た。
「任務に失敗した以上、処分なしとはいかん」
「はっ」
隊長は頭を下げたまま答えた。
「いかなる処分も、お受けいたします」
「よろしい」
国王は側近へ目を向けた。
「まず、追跡に参加した騎士、伝令、各宿場で替え馬の手配に携わった者。全員に特別褒賞金を出せ」
「……は?」
隊長が顔を上げた。
「加えて、今回構築した臨時伝令網について詳細な記録を残せ。緊急時の連絡体制として正式に採用できるか検討する」
「陛下?」
「騎士隊長」
「は、はい」
「現場において、正式な国外退去命令を無視することなく、可能な限りアニエスの帰還を実現しようとした判断を評価する。今回の働きを功績として記録し、一階級昇進とする」
隊長はしばらく動かなかった。
「……陛下」
「何だ」
「これは、処分なのでしょうか」
「私が処分と言った」
「しかし」
「異論があるか?」
国王は真顔だった。
隊長も真顔になる。
「ございません」
「よろしい」
国王はうなずいた。
「任務そのものは失敗した。だが、お前たちの働きに失敗はない」
騎士たちが一斉に頭を下げた。
「ありがたきお言葉!」
「下がってよい。よく働いた」
「はっ!」
騎士隊長たちは一礼し、謁見の間を退出した。
大きな扉が閉じる。
国王はしばらく、その扉を見つめていた。
「……よき臣を持った」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
「命令を守り、法を守り、その範囲でできることを最後までやり遂げた。誇らしい限りだ」
そして、次の報告書へ目を落とした。
そこに書かれている名前を見た瞬間、表情が変わる。
「……その直後に、あの馬鹿を見るのか」
国王は額を押さえた。
「誇らしき我が臣の後だと思うと、余計に殺意が湧くな」
側近たちは、何も聞かなかったことにした。
「レオナールを呼べ」
「はっ」
◇
「父上、お呼びでしょうか」
「ああ」
レオナールが謁見の間へ入ってきた。
国王は玉座から息子を見る。
「今回、お前がアニエスへ発行した国外退去命令について、確認する」
「はい」
「私の承認は取ったか?」
「……いいえ」
「アニエスが王都の大結界中枢を担当していたことは?」
「知りませんでした」
「後任が中枢調整を行えるか、確認したか?」
「……いいえ」
「国外退去命令を出す前に、結界管理局へ問い合わせたか?」
「しておりません」
「ミレーヌ本人に、結界術を使えるか確認したか?」
「……しておりません」
「その状態で、王家の印章を使った正式な国外退去命令を発行したのだな?」
レオナールは答えなかった。
「答えろ」
「……はい」
「そうか」
国王は一枚の文書を手に取った。
「では、処分を申し渡す」
レオナールが顔を上げる。
「本日をもって、お前の王太子位を剥奪する」
「……父上?」
「王都防衛に関する権限はすでに剥奪した。加えて、王家の名による命令書の発行権限を停止する。当面、すべての政務から外す」
「お待ちください!」
「待たん」
国王の声は静かだった。
「お前が知らなかったことを責めているのではない」
レオナールが止まる。
「知らないまま確認せず、王家の権限を使ったことを責めている」
「……」
「王家の印章とは、お前が思いつきで使ってよいものではない」
国王は国外退去命令の写しを机へ置いた。
「一枚の命令書を取り消すために、何人の人間が走ったと思う」
レオナールは答えられない。
「結界技師たちは、お前が追い出した技師の資料を頼りに大結界を維持した。騎士たちは街道を走り、宿場ごとに馬を替え、伝令は一枚の撤回書を届けるために限界まで走った」
国王は息子を見る。
「お前の一言を片づけるためにな」
「……申し訳、ございません」
「謝罪は受け取る」
国王はうなずいた。
「だが、責任は別だ」
それで話は終わった。
◇
side アニエス
翌朝。
「それで、どうするんだ?」
商隊長に聞かれた。
国境を越えれば、王国へ戻れる。
でも。
「この商隊は、どこまで行くんですか?」
「王都までだ」
「では、そこまでお願いします」
商隊長が笑った。
「決めたのか?」
「はい」
「もう少し、この国を見てみたいと思います」
誰かに命じられたからではない。
私が、自分で決めた。
「アニエス殿!」
呼ばれて振り返る。
隣国の紋章をつけた馬車から、一人の男性が降りてきた。
「アニエス殿でいらっしゃいますか?」
「はい」
「王立結界研究院の者です。昨夜、国境から報告がありまして」
「私に何か?」
「確認させてください。三年前、王国の大結界中枢を再設計されたアニエス殿ご本人でしょうか?」
「はい」
男性の表情が明るくなった。
「やはり! あなたの研究は、我が研究院でも以前から知られております」
「私の研究が?」
「ええ。以前から招聘したいという話もありました。しかし、王太子殿下の婚約者を他国の研究院が勧誘するわけにはいきませんでした」
「ああ……」
「ですが、現在は婚約を解消されたと聞いております」
「はい」
「王国へ戻られるご予定は?」
「ありません」
今度は迷わなかった。
「でしたら、ぜひ我が研究院へお越しください」
「私を?」
「大規模結界の中枢を設計し、実際に運用してきた技師です。こちらからお願いしたいくらいです」
「あの、一つだけ」
「はい」
「私は、聖女ではありません」
男性がきょとんとした。
「存じています」
「……はい?」
「我々が探しているのは、聖女ではありません」
男性は笑った。
「結界技師です」
しばらく、言葉が出なかった。
聖女ではなかった。
王太子妃にもならなかった。
でも。
七年間学んできたことまで、なくなったわけではない。
「……そうですか」
私も笑った。
「では、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
差し出された手を握る。
国外退去命令から始まった旅の終わりに。
私はようやく、自分で選んだ道を歩き始めた。




