第二話 二日目 九時十二分
side 王国
「ミレーヌ。よく来てくれた」
翌朝。王太子レオナールは、ようやく妹のミレーヌと面会していた。
「神託によって、お前こそ本物の聖女だと判明した。そこで、これまでアニエスが担当していた仕事を、お前に引き継いでもらいたい」
「お姉様のお仕事を、ですか?」
「ああ。まずは王都の結界からだ」
「……結界?」
ミレーヌは少し首を傾げた。
「私、結界術は使えませんよ?」
「何?」
「使えません」
レオナールは眉をひそめた。
「だが、お前は聖女だろう?」
「はい。私は聖女です」
「ならば、なぜ結界が使えない?」
「私が使えるのは治癒と浄化、それから聖なる力です。結界術は学んだことがありません」
「しかし、アニエスは使っていたぞ」
「お姉様は結界術を勉強されていたのでは?」
レオナールは答えられなかった。
「……確認する」
二人はそのまま結界管理局へ向かった。
事情を聞いた主任技師は、ミレーヌを見た。
「結界術を学ばれた経験は?」
「ありません」
「では無理です」
「だが、ミレーヌは聖女だぞ」
主任技師はレオナールを見た。
「確認しますが、ミレーヌ様をアニエス様に代わる大結界中枢の担当者にされるおつもりですか?」
「そうだ」
「結界術を一度も学ばれていない方を?」
「聖女なのだから問題ないだろう」
主任技師は数秒黙った。
「……おい。王宮へ走れ。国王陛下に緊急報告だ。大結界中枢の担当者変更について、至急ご判断を仰ぎたいと」
「はい!」
技師が部屋を飛び出していった。
「そこまでのことか?」
「そこまでのことです」
主任技師は机から分厚い結界術の基礎教本を取り、レオナールへ差し出した。
「こちらをお読みください」
レオナールは本を開いた。
複雑な術式。魔力循環の計算式。見たこともない専門用語。
しばらく読み進めたあと、本を閉じた。
「……分からん」
「ですよね」
今度はミレーヌが受け取り、しばらくページをめくった。
「私も分かりません」
「そういうことです」
「では、アニエスはなぜ扱えた?」
「七年勉強されたからです。三年前には大結界の中枢術式も改修されています」
「七年……?」
「聖女だからではありません。結界技師として身につけられた技術です」
ミレーヌが不安そうに口を開いた。
「お姉様は、今どちらに?」
「昨日、国外へ出るよう命じた」
「……誰がですか?」
「私だ」
ミレーヌが固まった。
「期限は?」
「当日を含めて三日目の日没までだ」
「では、明日の日没まで?」
「ああ」
「お姉様を国外へ追い出したのですか!?」
「追い出したという言い方は――」
「私が聖女だったからですか?」
「それも理由の一つだ」
「私の名前を使って、お姉様を追い出したのですか!?」
「ミレーヌ、落ち着け」
「落ち着けません!」
主任技師は額を押さえた。
「昨日、アニエス様はこちらへ来られました。国外退去命令も確認しています」
「なら、なぜ止めなかった!」
「正式な命令を受けた方を、我々がどう止めろと?」
レオナールは黙った。
「我々はアニエス様抜きで、明日の中枢調整を行う準備を始めています。まさか後任として、結界術未経験の方を連れてこられるとは思いませんでしたが」
それからしばらくして、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
管理局の扉が勢いよく開く。
「大結界中枢の担当者を変更すると聞いた。どういうことだ」
「父上」
国王だった。
「アニエス様は昨日、国外退去を命じられております」
「……何?」
「そして明日が年次中枢調整です。理論と手順書は共有されていますが、実際に中枢を調整した経験があるのはアニエス様だけです」
国王の表情が変わった。
「誰が国外退去を命じた」
主任技師の視線がレオナールへ向いた。
「……私です」
「誰の許可を得た」
「王太子として、必要な措置だと判断しました」
「私は許可していない」
室内が静まり返った。
「アニエスは今どこにいる!」
「……分かりません」
「どの門から出た!」
「分かりません」
「どの道を使った!」
「聞いていません」
「いつ王都を出た!」
「それも……」
「何一つ知らんのか!」
国王の怒声が管理局に響いた。
レオナールの顔から血の気が引いた。
明日、王都を守る大結界の中枢調整が行われる。
その中枢を実際に調整した経験がある人間を――自分が国外へ追い出した。
「各門の記録を調べろ!」
国王が叫んだ。
「昨日から今朝までの出入記録を全部だ! 乗合馬車の記録も調べろ! 行き先が分かり次第、騎士を走らせろ!」
「はい!」
「馬は途中ですべて乗り換えろ! 金はいくらかかっても構わん!」
騎士たちが一斉に走り出した。
「結界管理局は明日の調整準備を続けろ! アニエスが戻らない場合も想定しろ!」
「承知しました!」
国王はレオナールを見た。
「今この時をもって、お前を王都防衛に関するすべての権限から外す」
「父上……」
「父と呼ぶな。今は国王として話している」
レオナールは何も言えなかった。
騎士が走り、技師たちが資料を抱えて行き交う。
すべて、自分が昨日出した命令のせいだった。
もし、間に合わなかったら。
その考えが浮かんだ瞬間、レオナールの膝から力が抜けた。
国王は息子を見ることすらしなかった。
「見つけろ」
低い声だった。
「何としてでも、アニエスを見つけろ!」
◇
side アニエス
馬車の窓から、第一宿場の屋根が遠ざかっていく。
本当なら午前六時発に乗るつもりだったのだが、目を覚ましたら六時十分だった。
見事に寝過ごした。
「まあ、仕方ありませんね」
次の馬車は八時半だった。
国外退去の期限は明日の日没。今日中に第二宿場まで進めば、まだ十分に間に合う。
「第二宿場には何時頃着きますか?」
「昼過ぎですね」
「そうですか」
なら、問題ない。
私は座席に深く腰掛けた。
馬車は何事もなく、南西街道を進んでいった。




