【第十一話】ただの風邪
僕は家に戻ってタオルケットを被る。夏だしエアコンもかけてないから暑い。でも、暗闇にはいれば真冬の気持ちが少しだけ分かるような気がしたんだ。
「闇の向こうの一縷の光なのか、その先には地獄が待つのか」
仮に手術が失敗してしまったらドナーも真冬も両方ともに死んでしまうことになる。もしそうなったら……。
「いや、始まってもいない事を考えるのはやめよう」
僕はどうするのが正解なのか。お見舞いに行く?それよりも文香にこの事を話すべきなのか?明日から三日間はまた文香と一緒に居ることになる。話す必要はあるのか?
「いや、話す必要はないな」
大工カフェに真冬がいなくなる事については、なんて説明すれば良いのか。マスターがうまく説明してくれるのだろうか。暗闇の中でそんなことを考えていたらいつの間にか眠りについてしまった。
「健斗!」
「うわ!なんだよ急に」
大学に行くと校門のところで文香が待っていて僕に飛びついてきた。往来の目線が痛い。
「なんだ、その。とにかく離れようか」
「ふむ……。困るの?やっぱり」
「そりゃ文香と真冬両人とイチャイチャしてたら他人の目線がだな……」
「健斗ってそんな事を気にされる友達いたっけ?」
「う……」
「ほら。大丈夫でしょ?」
「だからって公衆の面前でこういう事はだな」
「分かった。じゃあ、公衆の面前じゃなければ良いのよね?」
文香までこんな事を言い始めるのか。とか思ったら、いきなり大工カフェに行こう、と誘われた。どうする。いつもなら真冬がバイトをしている時間だ。いない事についてなんて言い訳すれば……。そんな事を考えている間に文香はズンズン進んで行って校門から伸びる一本道を歩いてゆく。あの角を曲がったら大工カフェに到着してしまう。でも止める口実なんて……。
「いらっしゃい。お、健斗くんも一緒か」
マスターがいつものように声を掛けてくる。真冬の事をどう説明するのか、と思っていたら、テーブル席から誰かがこちらに歩いて来た。
「健斗、来てたんだ」
「いや、って!」
「なに?バイトの時間だよ?」
何食わぬ顔で真冬が制服を着てトレーに空のコーヒーカップを載せている。
「その……」
「?」
不思議そうな顔をしている。本当に昨日見たのは真冬なのか?と思ってしまうほどに。
「大丈夫なら良いんだけどさ。ちょっとビックリしただけだから」
文香がなんの話?と言うように僕と真冬を交互に見ている。
「ああ、先週真冬がちょっと風邪を引いてさ。それで大丈夫なのかなって」
風邪。そんな簡単な病だったらどんなに良いだろうか。
「そうなの?真冬ちゃん、大丈夫なの?」
マスターがそんな事を言う。まるで昨日の事なんて無かったかのように。そういう事か。無かったことにすれば良いのか。対応の方法を理解した僕は、いつものように真冬に接する事にした。
「ねえ、何かあったの?真冬ちゃんともしかして……」
「いや、多分考えているようなことは何もないぞ」
「本当にぃ?」
「ああ。本当に」
「ってか、何を考えてたの?いやらしいこと?」
「違うのか?ってか、文香こそ何を考えていたんだ?」
「別に!そんな!」
手を前に突き出して違う違う、と手を振っている。自分から振ってきた話なのに。そんなやりとりを見て、真冬はカラカラと笑っていた。本当に昨日の事なんて無かったかのように。あの時、病室にいたのは本当に真冬だったのか?そんな気さえしてくる。
「ね、ナイショの話、してもいい?」
トイレに立った帰りにカウンター席に戻ろうとしたら真冬に小さな声でそう言われた。ナイショの話。昨日のことだろうか。僕は聞きたい気持ちと、知らなければ苦しくならないという気持ちが入り混じって返事にあぐねていたら、返事を待たずに真冬が僕の耳元でこう囁いてきた。
「文香ちゃんとの時間も大事にしてあげて」
「え?ああ、うん。分かってるけど。なんでそれがナイショの話なの?」
「ナイショ!」
なんなのか分からないが、自分に不利になるようなことを言うのはナイショの話、ということなのだろうか。
「遅い」
「や、すまん。ちょっとな」
カウンターに戻ると文香がスマホの画面から目線を動かさずにそう言ってきた。
「何を見てるんだ?」
「ナイショ」
「なんなんだ」
文香にもナイショとか言われてしまった。乙女心のなんとやら、なのか、察してほしい、というやつなのか。後者の場合、現状は何も分からない。まぁ、そのうち分かるだろう、そう思っていたんだ。本当にそう思っていたんだ。
「今日はちょっと付き合って欲しいところがあるの」
水曜日までの文香との時間を何気なく過ごして木曜日、会って早々に真冬にそう言われた。
「いいけど。あ、密室はダメだぞ。いや、行っても良いけど変なことはするなよ」
「密室かぁ。ふむ……」
真冬は顎に手を当てて何かを考えているようだった。そして小さな声で「うん」と言った後に僕の手を引いてバス停に向かって行った。
「どこまで行くんだ?」
「行けば分かるから」
「そう?」
バスは駅から住宅街に進んで行き、バス通りを抜けて角を曲がった。
『つぎ、停まります』
バスの中にアナウンスが流れる。真冬が停車ボタンを押したからだ。
次のバス停。新横手病院。
「真冬、お前やっぱり……」
「ん?風邪っぽいから」
「え?入院とかじゃなくて?」
「なんで風邪で入院するのよ」
「いや、そうだけど。ほら、先週この病院の病室で真冬がさ」
「あー、あれ。あれは私の双子の妹だから。でも大丈夫、もう退院したから」
「お前、双子だったのか?」
「そうだよぉ。健斗に会う時は一人ってことにしてたけど。びっくりした?」
「ナイショの話ってそれか?」
「あー、これもナイショだったか」
これも、ってことはあの時のナイショの話というのは別のことなのだろう。
その後は本当に内科を軽く診察して風邪薬を貰って薬局を出てきただけだった。
「真冬、お前、本当に大丈夫なのか?」
「風邪?もうそんなに熱もないから大丈夫だと思うけど。でも健斗に移しちゃうといけないから」
「もう手遅れなんじゃないのか?移るならもう移ってるだろ」
「かもね。それじゃ、今日のメインイベントに行きます」
「メインイベント?この時間から?」
もう時刻は夕方の十六時。日が長くなってるとは言え、この時間から出かけるには遅いような気がする。でも、どこに行くのか聞いても答えてくれない。唯一は南の方。急ぐ。というだけのことだった。
「なんだ?この駅、何かあるのか?」
終点までやってきたけども特に何もない。マグロが云々の広告が沢山あったけども。
「何もないです」
そう言ってまたバス停に。しばらくしてバスが来たけども、聞き慣れない地名ばかりでどこに向かっているのか分からない。
「あ……」




