第六十六話:不器用な一歩
人を救う方法は、一つじゃない。
戦うことでも、守ることでもない。
ただ――
“話すこと”が、一番難しい時もある。
そしてそれは、
最も勇気が必要な行為だった。
朝。
教室。
いつも通りの光景。
笑い声。
椅子の音。
ノートを開く音。
全部――普通。
でも。
(……違う)
ラフリは静かに周囲を見渡していた。
“何かが起きる前の空気”。
それを、もう何度も味わってきた。
そして今――
“それを止める方法”を、探している途中だった。
(戦うんじゃない)
(まずは――話す)
頭では分かっている。
でも。
(……無理だろ)
ラフリは心の中で即座に否定した。
会話。
コミュニケーション。
全部、苦手だ。
むしろ――
(今まで避けてきたことだろ)
沈黙。
ラフリは小さくため息をついた。
その時だった。
視界の端に――
ナカムラの姿が入る。
机に突っ伏している。
眠っているようにも見える。
でも。
(……違う)
ラフリは知っている。
“あの状態”。
一瞬。
記憶がフラッシュする。
暗い部屋。
割れたガラス。
怒鳴り声。
そして――
「……やめろよ」
小さく震える声。
「っ……」
ラフリは目を逸らした。
(……まだだ)
(いきなり踏み込むな)
(順番を間違えたら――壊れる)
拳を握る。
(……でも)
(何もしなかったら、また同じだ)
ラフリはゆっくり立ち上がった。
足が重い。
心臓がうるさい。
「……ナカムラ」
声が、少しだけ震えた。
ナカムラが顔を上げる。
「……なに」
やる気のない声。
眠そうな目。
でもその奥に――
“警戒”がある。
(……やっぱりな)
ラフリは苦笑する。
そして。
なぜか――
口から出たのは。
「お前さ」
少し間を置いて。
「昨日、幽霊見ただろ」
「……は?」
ナカムラが完全に固まる。
(……何言ってんだ俺!?)
内心で頭を抱える。
でももう遅い。
「いや、その……」
ラフリは焦りながら続ける。
「顔がそれっぽかったから」
沈黙。
数秒。
そして――
「……はは」
ナカムラが、少しだけ笑った。
「なんだそれ」
呆れた声。
でも。
さっきより――少しだけ柔らかい。
(……いけるか?)
ラフリは小さく息を吐く。
「で?」
ナカムラが言う。
「それだけ?」
「いや」
ラフリは頭をかいた。
「なんか……元気なさそうだったから」
ナカムラの表情が一瞬だけ止まる。
(……踏んだ)
ラフリの心臓が強く跳ねる。
「別に」
ナカムラは視線を逸らした。
「普通だし」
嘘だ。
明らかに。
でも――
(今は追うな)
ラフリは軽く笑った。
「そっか」
「じゃあいいや」
そのまま自分の席に戻る。
(……今のでいい)
(無理に掘るな)
(少しずつだ)
ノートを開く。
そして、小さく書き込む。
・ナカムラ
→ 朝、机に伏せる
→ 反応:警戒強い
→ 軽い冗談 → 少しだけ緩む
(……小さいけど)
(これが“差”になる)
その時。
視線を感じた。
ローズ。
彼女は静かにこちらを見ていた。
微笑んでいる。
でもその目は――
観察。
(……やっぱり見てるか)
ラフリは視線を逸らした。
(でも)
(前と違う)
“一人じゃない”
その感覚が、ほんの少しだけあった。
休み時間。
ナカムラが立ち上がる。
教室を出ようとする。
その瞬間。
ラフリは反射的に声をかけた。
「ナカムラ」
「……なに」
振り返る。
「購買、行くなら」
少し間を置く。
「パン買ってきて」
「は?」
「金は出す」
沈黙。
「……パシリかよ」
ナカムラが呆れたように言う。
「違う」
ラフリは即答した。
「信頼だ」
「意味わかんねえよ」
でも。
ナカムラは小さく笑った。
「……まあいいけど」
そう言って教室を出ていく。
ラフリは小さく息を吐いた。
(……今の)
(ちょっとだけ、距離縮んだよな)
その時だった。
机の上に――
パンが置かれる。
「ほら」
ナカムラ。
「……はや」
「ついでに自分のも買っただけ」
ラフリは少しだけ笑った。
「ありがとな」
ナカムラは少しだけ視線を逸らした。
そして――
ぽつりと呟く。
「……別に」
その声は。
ほんの少しだけ――
軽かった。
小さな変化。
小さな一歩。
でもそれは、確かに“前に進んでいる証”だった。
ラフリはまだ弱い。
まだ間違える。
まだ、何も知らない。
だけど。
“誰かに触れようとした”その瞬間。
世界は、ほんの少しだけ変わり始める。
そして――
その変化を、静かに見つめる影があった。
ローズ。
彼女は微笑む。
「へえ……」
小さく呟く。
「そういう動き、するんだ」
予想外。
でも――
「面白い」
その瞳が、わずかに細められる。
「じゃあ、少しだけ――」
ページがめくれる。
パラ……
「壊し方を変えようか」
物語は、さらに歪み始める。




