潜入Ⅳ
それは、最も知りたく、そして最も知りたくなかった情報だった。
動揺が漣のように心に広がる。
頭蓋に謎の泡が浮いては沈む。
なぜ夜魔が自分や祖父の名を、関係性を知っている? 棺戸内での会話が漏れることはない。とすれば、同じ系統の魔術を使ったことからの推測か。赫船慈榮から聞き出した可能性……。他に情報源がある? いや、祖父から直接尋き出したと考えれば……。
静かに息を呑み、遥斗は口を開く。
どうしても、訊かずにはいられなかった。
「……生きて、いるのか?」
女夜魔が悠然と頷く。
「私の元に運ばれてきた時は心停止寸前だったけどね。どうにか延命処置が成功して、今は我々の医療施設に収容しているよ。王城の騎士たちと激しくやり合ったようでね。それはもうひどい傷を負っていた。正直、王命でなければ私も諦めていた。襤褸雑巾に臓器移植した方がマシなくらいに思えたからね。まあ、フランケシュタインの怪物を一から造るよりかは楽だったけど」
その時の苦労を揶揄するかのように、女夜魔が身振り手振りで切開と縫合の仕草を繰り返す。
「君のお祖父さんの救命に勤しんだのは、捕虜として尋問し、六紡閣の動きを探るため。だけど、自白剤を投与しての強引な聴取は私が許さなかった。ただでさえ生命を維持させるのに大量の薬剤をじゃんじゃん投与しているんだもん。それ以上は心身が持たない。死地の縁から拾い上げた生命。無駄に散らすのはあまりにも勿体ない。そこで回復に専念させていたわけなんだけど、最近になってようやく意識を回復してね。頻繁に喋るようにもなった。まあ、喋るといっても睡眠誘導での受け答え時だけだけど」
「………」
「こちらの質問には頑として口を割らない彼だけど、心身ともに損耗激しい無意識下では防壁も崩れるようね。我々夜魔の精神念波が優れているということもあるけれど。
遥斗君、君との思い出も赤裸々に語ってくれたわ。君を引き取って早々、魔術素養を確かめるために霊絡神経を強制的に覚醒させられた時のことを覚えている? 術式図を埋め込まずとも君の掌が考俔氏の胸板を擦り抜けた時、彼は君を稀代の天才と認め、伏見の因縁を一掃し得る傑物に違いないと得心したそうよ。そして、君に二度と会えないことを心底悲しく思っている。おそらくは魔術師として既に死を覚悟しているんでしょうね。自決を仄めかす発言もあったし」
「………」
祖父と自分の間でしか知らない出来事を、女夜魔はまるで見て来たように話す。
嫌が応にも上がっていく信憑性。
静まり返る遥斗を見遣って、女夜魔は提案する。
「で、どうかしら? 火津摩柊と伏見考俔。昨日今日あったばかりの女と、長年の苦楽を共にした血縁……。君はどちらを選ぶ? 我々としては、柊ちゃんは渡せない。全力で抵抗する。だが、君が祖父を連れて大人しく此処から去ると言うのであれば、喜んで彼を引き渡す。勿論、君の生命も祖父の生命も保証する。さて、最大の利益を得るためにはどちらが得策か。合理的な魔術師であればわかるよね?」
遥斗は瞑目する。
祖父との思い出が、共に暮らした記憶が蘇る。
その中で、魔術師としての心得を教わった。
そして、あの別れ際。閉じた扉の向こうで囁かれた言葉は――
「『期日までに帰らねば死人と思え』……。憶測と現実。合理的に考えるならば、後者以外に選択肢などない!」
遥斗は駆ける。
瞳孔を見開いた女夜魔が何かするより早く、伸びた薄羽の鋼刃がその首を――
ギャンと硬質な不協和音を響かせて、飛燕のしなりは無骨な大鎌によって叩き落される。
「……ふおっ、ハ、ハウラー君、ナーイス! あ、危なかったぁ……‼」
へなへなと腰砕けになる女夜魔の鉄壁として立ち塞がったのは、逆三日月の大鎌を携えた人馬一体の夜魔騎士。速い。もう昏倒から回復したのか。
「技術屋が前に出張るな。死ぬだけだ」
「……ん? んん? 何よ、その口。あのねぇ、うちの警備兵もそうだけど、君がだらしないからわざわざ私が激務を割いてこっちに来なくちゃならなかったのよ! それを偉そうに邪魔者扱いって。生命賭けの時間稼ぎありがとう、くらいのこと言えないの、この朴念仁! 私は君の創造主みたいなものなんだから、もっと崇め奉って! マジで死ぬところだったんだからね‼」
喚き散らす女夜魔を無視し、夜魔騎士は兜を脱ぐと、剥き出しとなった紅き眼差しで遥斗を射抜く。
「見縊っていたことを詫びよう。我はハウザー=ベリアール……。約定に違えることにはなるが、再び相手となろう……」
「柊さんは返してもらう」
遥斗は駆けながら薄羽を振るう。
夜魔騎士は巧みな身体捌きで鞭刃の一閃を躱すと、果敢に迫る遥斗に対し、バックステップで距離を取りながら大鎌を振るう。
狙いは、遥斗ではなく足元の金属甲板。叩きつけるような一撃に、無数の飛沫破片が宙に散乱。刹那、いくつかの破片は不気味に縮小し、榴弾の如く爆裂する。
(……っ、断片の権能か。鎌を突き刺した対象を爆発物に変化させることができるようだけど……)
魔術の酷使で意識が飛びかけていたが、夜魔騎士の静止命令に逆らった狼獣も似たような爆発していた。しかし――
爆発の乱舞を透過しながら、遥斗は違和感を覚える。
(赫船慈榮が寝返ったのは、断片による若返りに魅せられて……。断片の権能は一つだけではない? それとも、二つの異なる事象を結びつける本質が他にあるのか……)
爆風を抜けると同時、今度は触手型生命体の投槍が迫るが、これも透過。
しかし、駆け抜けた分だけ騎士も左右に回り込んでいるため相対距離が縮まらない。
再び足場爆破。矢継ぎ早の攻撃に突っ込む形となった遥斗は焦る。
奴の言う通り、消耗戦になれば勝ち目はない。
騎士を無視して柊を攫って逃げる? いや、駄目だ。二人分の透過は命取り。逃げきれない。このまま一気呵成に攻め立てるしかない。
その時だった。
『ラピアス様、聞こえていますでしょうか? 神体起動・最終承認段階に到達しました。起動にあたって同調プロトコルのいずれを適用するのか。ご判断をお願い致します』
無感動無機質な女の声が、音響放送に乗って区画全域にわんわんと響く。
「十四次版のフィードバックは⁉ 解析結果は出た⁉」
叫び声に振り返れば、女夜魔が内線電話らしき受話器相手に口角を飛ばしている。
磔台には意識も朦朧な柊の姿。あの女夜魔がやったのか。くそ。少し目を離した隙に……。
『いえ、まだです。王が途中で目覚めたこともあり、ノイズの除去に時間が掛かっています。現状の解析進行度は44パーセント。安全評価は暫定イエローですが、閾値はクリアしています。どうしますか?』
女夜魔は天を仰ぎ、次いでありったけの罵詈雑言を古英語で吐き散らかして地団駄を踏む。
「くそう、やっぱり時間が足りなかった! あー、もう、もう、もうっ! なんで最後の最後の大事なところで……‼ ええい、こうなったら仕方ない。次善として一番安定していた十一次のベータ版を使うわ。厄介な敵が来ている。カウントダウンは省略。起動して、今すぐに!」
『了解しました』
ブウンという低周波が二度ほど空気を震わせ、区画を照らしていた照明が真っ赤に染まる。
緊急性、非常性を伴った警報と警笛がやかましく響き渡り、大慌てで壁沿いへと退避していく舟艇群。
水面には小刻みな波紋が気泡と共に浮かび、それはバシュと湖底より響く圧搾音が激しくなるにつれて荒天の嵐へと一変する。
「………‼」
足元から伝わる震動。橋梁が中央から二つに割けていく。機械的なギミックによるものではない。湖底から競り上がって来た巨大な何かに突き上げられ、架橋そのものが破壊されつつある。
間欠泉の如く水が噴き上がり、白い鯨を醜悪にしたような巨大触手が次から次へと顔を出す。
遥斗はよろめき、欄干にしがみつく。天変地異の襲来に、もはや戦闘どころではない。激震とそれを上回る荒波に、水面に投げ出されないようにするだけで精一杯だ。
天井より落下する鉄骨、梁、隔壁材。
頭上より迫るそれらを夜魔騎士は容易く打ち払い、左腕を触手型生命体に変化させた女夜魔へと侍り寄る。
「……準備は出来たか?」
「ええ。あとはこの娘を搭載すれば万事オッケー。折角だから可愛い奴隷にお別れの挨拶でもしておく? たぶん今生の別れになるけれど」
「……不要だ。神体に完全吸収されれば、文字通り王と一つになる。惜しむこともない」
吊り下げ台を喪失して湖面に堕ちた巨大肉腫。それがなぜか宙に浮いている。
いや、違う。あれは白鯨の肉襞紐と同種のもの。そして、この肉腫が湖底より引き延ばされた臍の尾の末端であったことを、遥斗は次の瞬間知ることになる。
AGGGGYAAAAAAAAA‼
耳を劈く絶叫と共に、湖面が爆発する。
大瀑布。重い水飛沫に全身を打たれながら見上げた先にあったのは、
「……なんだ、この怪物は……」
茫然とする遥斗を見遣って、女夜魔が笑いながら鎌首を擡げた臍の上へと飛び移る。
「それではこれでお別れね、伏見遥斗君。まったく君には冷や冷やさせられたわ。盾のみならず神体にまで悪影響が及んだらどうするんだって、私ったらもう気が気じゃなくて心臓バクバクものだったんだから。しかも殺されかけたし。だーかーらー、最後にちょっとした意趣返し。意地悪ついでにネタバレをしてあげる」
縄のように伸びた触手型生命体で磔台ごと柊を簀巻きにすると、それを引き寄せ女夜魔は嘲笑する。
「君のお祖父さんが私の研究棟に運ばれてきたのは本当よ。捕虜待遇で治療を施したのも本当。だけど、尋問しなかったっていうのは嘘。夜魔が同族以外に人道的精神なんか持つはずないじゃん。所詮、畜生は畜生なんだし。それに極東魔術師の生きた肉体、霊体構造に加えて術式図を弄れるチャンスを好奇心の虫である私が逃すはずもない……。というわけで、君のお祖父さんは術式図を開頭手術で取り出した後、廃棄処分にするはずだったんだけど、折角の魔術師の肉体、勿体ないじゃない。だから、利用させてもらったんだよねー」
女夜魔は得意げに語る。
「夜魔が眷属を殖やす方法の一つに、人間の死体を使うというものがある。死体に真祖の因子を移植し、魂を塗り替えることでそれは蘇り、眷属としての生を受ける。人間だった頃の記憶はないけれど、性格や素質の一部に前世の影響が残ることがある。それは即席生産された下級眷属であればあるほど表面化し易い。これが能力的な有無に関わらず、下級眷属が要職に就けない理由ね。逆に言えば、前世の影響を完全除去した特注仕様であれば、血縁同士が顔を合わせてもわからないくらいのレベルになる……。だよね、SG0900211、認識個体名ハウザー=ベリアール?」
遥斗は目を見開く。
女夜魔の隣に飛び乗った夜魔騎士が憮然と呟く。
「……我の素体となった肉体の頑健さは聞いていたが、まさか魔術師だったとはな」
「あれ、知らなかった? じゃあ内緒にしておいて。王にバレたら何を勝手にやっているんだと怒られちゃうから。でも、レプリカ断片との親和性は断トツだったし、やっぱ色々試してみるべきだとは思うんだよねー」
貴重なデータも知見も得られたしと独り言ちる女夜魔は、戦慄く遥斗へと満面の笑みで問いかける。
「それで、実の祖父と殺し合いをしていた気分はどうかな、遥斗君? 良かったね。君の手で生まれ変わったお祖父さんを殺さなくて。近親殺人は人間同士の間だと禁忌でしょ?」
「嘘だ!」
思わず叫ぶ遥斗に、女夜魔は嬉しそうに首肯する。
「うん、嘘だよ。いや、どーかな、本当かも? にへへ。さあ、どっちかなぁ。答えは……教えてあーげない。きっと今後の人生、君は大いに悩み続けることになるだろうねー。柊ちゃんを寸前のところで救えなかったことを含めて、是非とも悔恨と苦汁の余生を過ごすと良いよ。それじゃあね、バイバーイ」
「……っ、待て!」
遥斗は叫ぶ。必死になって手を伸ばす。何に対して伸ばしているかはわからない。ぐちゃぐちゃの頭の中、必死に。
だけど何も掴めない。
GWOOOOO‼
悍ましき巨人が大量の水を巻き上げて天井へと撥ね跳び、激突する。
「柊さん!」
応える声もなく、探し求めていた人の姿は降り頻る豪雨と粉塵の中に消えていった。




