溶熱海Ⅲ
腰まで届く、長く艶やかな黒髪。
黄金律で整えられた柳眉に、綺麗な二重瞼。
危うい丈のスカートとニーソックス。折れそうなほどに細い腰回り。
妖艶さよりも健康的な瑞々しさが勝る肢体は、無邪気な十代のそれでしかなく、刑部にじゃれつく姿は、まるで遊びたい盛りの子猫のようだ。
先ほどまでの凄絶な魔術戦を繰り広げていた張本人には、とても見えない。
(極東魔術師最強とも噂される不嶽鍊……。幣浄院の最大戦力という看板に偽りはなかったけれど、まさか、その正体が……)
あんぐりと空いた口がふさがらない妙蓮を後目に、二人は和気藹々と会話を弾ませる。
「よお、鍊。ちょっと見ない間に色々と成長したなぁ。背、伸びた?」
「百五十五だよー。えへへ、それよりも聞きたいのはボクの胸とおしりの方だろー? ほらほら、聞いてみてー。それとも触って当ててみるー?」
「いや、そいつは遠慮する。仕事中だしな。それに、未成年は対象外」
「もー、真面目なんだから。でも、そんなところも好きー。じゃあ、キスならいいよね。ちゅっちゅっ」
百九十センチを超す刑部に全身を使ってしがみつき、執拗にキスを撒き散らす美少女。
そこには畏怖も威厳もまるでない。
「そろそろ気が済んだか。少し話を……、したいんだって……」
「だーめ。ボクのバトルの邪魔した報いを受けなきゃダメなの。ちゅっちゅっ。もー、ヨイチじゃなきゃ消し炭にしていたところなんだからさー。で、いつもはすぐに逃げて隠れちゃう癖に、今日はどうしてわざわざボクを呼び寄せたのー? もしかしてー、ようやくボクを殺してくれる気になったー?」
しな垂れかかった不嶽が耳元で囁くその言葉を、刑部はやんわりと否定する。
「残念だが、そういう気分じゃないんだ。悪いな」
「むー。そうなの? がっかり。じゃあ、ボクに何の用? 偶然見かけたから声を掛けただけ? というか、なんでこんなところにヨイチがいるの?」
小首を傾げる不嶽に、刑部はあっさりと任務内容を暴露する。
「次元破断の断片の捜索だよ。今の俺のご主人様、騏堂成叡の命令でな。この森を探っていた先遣隊が消息絶ったんで、俺にお鉢が回って来たんだ。森に巣食っている夜魔を排除するなら、奴らの脆弱性を突ける炎術師がうってつけだからな」
ふんふんと頷く不嶽。
「そっかー。六紡閣も結構やるねー。目立った動きはしていないのに、夜魔の森に断片が隠れていることをこんなに早く突き止めるなんて。余程優秀な偵察がいるのかな?」
「それについては俺も騏堂の旦那に聞いてみたいところだが……、まるっきし同じことが七凶聖にも言えるぞ。詩貴静蘭はどうやってこの森に断片があることを嗅ぎつけた? おまえは今、そいつの指示で動いているんだろ?」
刑部の一瞥に、不嶽が笑う。
「まーね、にひひひひ。静蘭がどうやって断片を見つけているかは内緒。秘密にしてって言われているからねー。それよりさあ、もっと聞きたいことない? ほら、あれからどれくらい開発したのかとかー? いかがわしいプレイに勤しんだのかとかー?」
「どうせAV鑑賞で自家発電止まりだろ。変なところでロマンチックだよなぁ」
「だって、そういうのは好きな人としたいしー。えへへ、でもボクのこと理解してくれて嬉しい。流石はヨイチだねー」
「理解者なら、稀醒の刀自様が一番だろ。というか、おまえが七凶聖についたこと、あの婆さんは知っているのか? まさか黙って幣浄院から抜け出したわけじゃないよな?」
ぎくっとする不嶽。
「え、えっとー。あははは。あの、その……、ノーコメントで。ノーコメントでお願いします!」
「……おまえが七凶聖に加わったのは、鳳來峰との因縁――術比べを袖にされたことが原因……」
ぎくぎくっと不嶽が目に見えて狼狽える。
「あ、あはは。なんのことかなー。てか、な、なんでヨイチがそのことを知っているの? ボク、ヨイチに話したことあったっけ?」
「幣浄院在籍時代の縁で、ちょっとな。しかし、やっぱりか……。当たって欲しくない予想ほど当たるんだよなぁ」
刑部は溜息代わりに煙草の煙を宙に吐く。
「で、どうだったんだ? さっきの……八咫烏だったっけ。おまえの新技と鳳相伝の飛翔炎術。比べてみた結果は? 四饗公家と戦争状態になるから刀自様には自重するよう言われていたんだろ? 焦らしプレイに滅法弱いおまえが頑張って辛抱していたんだ。さぞかし気持ち良くやったんだろう?」
不嶽が、爽やかな笑顔で微笑む。
「うん。それはもう。余すところなく堪能したよ。楽しかったぁ。壮観だったよ。大空を舞台にした空中戦。炎の翼をはためかせた鳳の一族たちが、ボクを目指して遮二無二突っ込んで槍を振るう……。まるで魔王を討つために馳せ参じた天使のようだった。老いも若きも関係なく、術式回路を脳幹に埋め込んでいない幼子たちも拙い炎でボクを狙って一斉に……。ふふふ……根拠地蹂躙はこれが醍醐味だよね。皆、すっごく、すっごく必死で、健気で、ボクを殺すことだけに純粋で……。本当に愉しかったなぁ」
妙蓮は思わず吐き気を催す。
しみじみと昂揚に頬を上気する美少女の背に、見えた気がした。
皮膚を真っ黒に炭化させた無数の屍。慟哭の悲鳴を叫ぶ幽鬼たちが、真っ黒な怨嗟と憎悪の業火に燻り爛れるその様を。
「……鳳の一族は、一人残さず鏖殺か?」
「うん。警備、使用人、その他関係者含めて一切合切殺し尽くしたよ。それが静蘭のオーダーだったからね。他のメンバーも結構派手にやっていたよー。地上戦も愉しそうだったなぁ。本当はボクも陸ちゃんや奏弦先生なんかと一緒に肩を並べて戦いたかったんだけど、ほら、フェルキアがいたじゃない? それに邸を破壊するのはNGだったから、こっちには絶対来るなよって釘を刺されていたんだよねー。だから、ボク、鳳來峰とだけは闘えなかったんだよ。もういいよ、って言われて邸に行ったら、とっくの昔にズタボロになって死んでいるんだもん。あれだけはがっかりだったなー」
大義名分も、高邁な思想も、罪悪感も、まるでなく。
好物のアイスが売り切れだったくらいのテンションで、不嶽鍊は四饗公家筆頭の死をつまらなそうに語る。
すっかり短くなった煙草を一息に燃やし尽くして、ぽつりと刑部が呟いた。
「鍊、おまえが現場に犯行声明を遺したのは、詩貴静蘭の指示か?」
「うん。そうだよー。これから七凶聖の名を売るために必要なんだって」
「おまえはそれでいいのか? 連合に仇することになる……いや、おまえとしては望むところか。これで大っぴらに連合三派閥の魔術師と戦えるようになるわけだから」
にひひ、と不嶽が笑う。
「でも、いいのか? 連合とやり合うってことは、刀自様とも敵対するってことだぞ?」
むむむ、と不嶽が唸る。
「うん……。そうだけど……、あ、でも、静蘭がね、心配しなくても大丈夫だって言っていた。幣浄院とは……」
言い掛けて、不嶽ははっと表情を変える。
「わー、ダメダメ‼ これ、言っちゃ駄目なやつだった‼ 内緒。内緒です‼ 言えないからね!」
「………わかった。その件については聞かないことにする」
「ありがとー。じゃあ、お礼ね。ちゅっちゅ。へへへ」
(なんなんだ、こいつは……)
妙蓮は心中に汗を掻く。
不嶽鍊という魔術師の実体が掴めない。
性格は、年相応のミーハーな小娘。情緒優先で節操無し。己の些細な欲求のためならば絶大なる魔力を振るうことを厭わぬ反面、一部の人間には従順で融和的……。
(唯我独尊、ではなさそう……。一応、宵親には懐いているようだし。なら、交渉の目も………っ⁉)
突如として、妙蓮は硬直する。
心臓を鷲掴みにされた感覚。脊柱が氷になったかと思うほどに凍り付く。
少女がこちらを見ていた。何の感情も籠らぬ瞳で。真っ直ぐに。
「でさー。ヨイチ。あの女、何? さっきからちらちら視界に入って目障りなんだけど。殺していいよね? いいよね? じゃあ、殺すね」
妙蓮は遅まきながらに気付く。
この少女は今の今まで刑部しか相手にしていなかった。だから友好的な振る舞いに徹していた。全て刑部のため。彼以外の存在などどうでもいいから、何の意味もないから無視していただけ……。
彼女の殺意は、それだけで臓腑を抉る。
透かし視える暴虐の炎に、息も出来ない。
凍った時を動かしたのは、従兄と慕っていた男からの懇請だった。
「そいつは勘弁してくれ。俺の遠縁の、昔馴染みなんだ。妙蓮家に養子入りする前までは家族同然に育った仲で……、それ以上でも以下でもないのが、ちょっと悲しいと言えば悲しいな」
「……ふーん。親戚ね。ま、ヨイチの頼みなら仕方ないか。でも邪魔だと思ったら即殺すから」
不嶽はそれっきり興味を無くしたように妙蓮から視線を外す。
(助かった……)
心底ほっとすると同時に、戦慄が奔る。
機嫌一つ損ねれば、その時点で生命がない。それは妙蓮という火種を失った刑部にしても同じだ。気に入られてはいるようだが、それも話の展開でどう変わるか……。
しかし、刑部に恐れる様子はない。飄々と、稀代の殺戮魔に質問をぶつける。
「それよりもだ、鍊。俺はおまえが何をしにこの森に来たのか確認したい。俺の推測では、おまえは七凶聖から離反を企てたフェルキアを詩貴静蘭に代わって討ちに来た。違うか?」




