不時露営Ⅰ
玄関先で見詰める老人の背中。
別れの挨拶は、いつも同じだった。
『では、いってくる』
気負うことのない、平素な声色。
落ち着いた物腰。しゃんと伸びた背。
だが、遥斗は落ち着かない思いを抱く。
初めて対面した七年前に比べて、祖父は明らかに老けた。
霊絡神経の鍛錬や肉体素養の覚醒など、過酷な訓練に付き合ってくれたのも今は昔。縁側で転寝をしている姿を見かけることも多くなり、趣味の農作業では腰を摩る回数も多くなった。
魔術師とはいえ人間。時の流れには抗えない。出来ればゆっくり養生してほしいが、そうはいかない事情もある。
御屋形様からの直々の招集。以前は年に一度、挨拶に詣でるくらいだったのが、このところは頻繁にお呼びが掛かる。半ば隠遁状態の祖父を是非にと駆り出すくらいだ。余程に忙しいのだろう。
重用されるのは信頼の証。それはわかっている。だが、不安は募る。
……大丈夫だ。いずれも祖父は無事に帰ってきた。血生臭い匂い一つさせず、いつもそうであったように淡々と。きっと今回だって。
『いってらっしゃい』
二人暮らしには広すぎる玄関。がらんとした寂しい空間にあって、引き戸へと手をかけた祖父は、不意に動きを止める。
どうしたのだろう。不思議に思った遥斗が声を掛けようとすると、くぐもった祖父の声が聞こえて来た。
『遥斗。魔術師となったこと、後悔していないか?』
またか、と遥斗は少し呆れる。
それは何度となく聞いた問い掛け。
だから遥斗は、変わることのない答えを告げる。
『するわけがない。祖父さんと逢えて、こうして育ててくれて感謝している』
『そうか……』
遥斗は知っている。祖父が、自分に対して深い負い目を背負っていることを。
両親の死は、伏見家を巡る因縁が引き起こしたものだ。西と東に分かれた伏見家の、どちらが本家筋かを巡る家門係争。血族間での恨み辛みは、やがて実力行使を厭わぬ殺し合いへと発展し、家督院の仲裁官でさえ匙を投げる骨肉の相克へと相成った。
祖父、伏見孝俔は、この殺し合いの連鎖から逃れようとした。息子共々還俗し、伏見の魔の手から身を隠そうとした。
それは上手くいっていた。交通事故に遭った遥斗の母が、伏見が経営する大病院に緊急搬送される、その時までは。
今でも鮮明に思い出せる。
病室ごと爆破されて死んだ母。路地裏で惨殺された父。そして自分を襲った刺客を返り討ちにした見知らぬ老人が祖父と名乗り、すまなかったと泣いて詫びたこと……。
理不尽だと思う気持ちは今もある。
だけど、祖父を恨む気持ちは微塵もない。
祖父は、本当に自分を大切に想ってくれている。だから、身を護る術として相伝の魔術を与え、鍛えてくれているのだ。一人になっても生きていくことが出来るようにするために。
普段と何も変わりない、いつも通りの問答。
ただ、その日は少しだけ違った。
遥斗に背を向けたまま、祖父は溜息を吐く。
そして本当に珍しいことに、弱々しく肩を落として、押し殺したような小さな声で呟いた。
『……私は、後悔しているよ。地獄から抜け出すために、新たな地獄へとおまえを道連れにしてしまった。そんな気がしてならない』
遥斗は掛ける言葉を無くしてしまう。
祖父が、極力、自分を魔術界に関わり合いにならないよう配慮していたことは知っていた。必要最低限の知識しか与えず、代わりにいつでも世俗に戻れるようにと大学に籍を用意し、勉学に勤しむための時間と余暇を楽しむための機会を捻出さえしてくれた。
『この仕事が成功すれば、暫くは何も心配しなくて済む。帰りを待っていなさい。二週間で戻る』
そう告げて、祖父は旅立った。
そして旅立ったきり、まだ帰って来ていない。
だから――探しに来た。
(……そうだ。僕は望んで此処に来た。今の自分にできるせめてものことをするために……)
自覚する。
同時に、暗闇だった視界がぼんやりと滲み始める。
手が、足が動く。生きていることを自覚する。どうやら仰向けに寝かされているようだ。
微かな圧迫感。狭い空間のようで、空気の流れはない。洞窟? いや、簡易結界独特の魔力波長を感じる。神威具・棺戸を展開しているようだ。ということは、魔術師がいる。
重たい瞼を無理矢理に開く。
こちらを覗き込む一人の人間の姿。
何か言っている。
黒い髪。女性だ。
「――火津摩さんっ‼」
飛び起きて無事を助かめようとする。
良かった。無事だった。
淡い期待は、しかし、すぐに跡形もなく霧散する。
突然目を覚ました自分に驚いているのは、記憶に新しい女性。だが、彼女ではない。
「妙蓮……さん……?」
夜魔に殺されたはずでは、と頭の中で疑問が渦巻く。
だとすると、臨場感はあるが、もしかしてここは死後の世界だろうか。
困惑する遥斗に、妙蓮巴はどこか居心地悪そうにぎこちなく微笑んだ。
「安心して。危害を加えるつもりはないから。それで、どう? 動ける?」
遥斗は自らの身体へと視線を落とす。
怪我は、ない。痛みを訴える個所もないし、呼吸も脈拍も正常だ。魔術の限界行使に伴う反作用――恒常性異常、脱力、肺臓機能の著しい低下――も、ほとんど感じない。完全ではないが、身体機能は回復している。
「……はい。大丈夫のようです」
「そう。それは良かった。じゃあ、すぐにここから離れましょう。この辺はだいぶ静かだけれど、いつ居場所が割れるかわからない。さっさと刑部と合流した方が良さそうだからね」
「刑部さんもいるんですか?」
「ええ。ピンピンしているわよ。私たちの中では一番マシなんじゃないかしら」
そういえば、妙蓮の恰好も結構ひどい。
神職の巫女のような袴衣装は土埃に汚れ、カギ裂き跡も多数。肩や脇腹には鋭い刃物で突き刺されたかのような破れ目もあり、うっすらと血が滲んでいた。重傷とまではいかないが、それなりに手負いの様だ。
「ホント勝手なのよね、アイツ。こっちは意識不明の人間抱えて動けないのに、気になることがあるからって出ていったきり全然戻って来ないし、戻ってきたら戻ってきたで新しい集合地点を決めて先に出て行っちゃうし。私がいれば雑魚相手なら余裕だろうって、全然こっちの話を聞かないんだもん。もうちょっと優しく……、というか、配慮してくれてもいいじゃない」
怒っているようだが、それにしては声に拗ねた調子がある。強気そうな猫目も心なしか垂れ下がり、不安げに見える。
遥斗は意外さを覚える。会合の際はほとんど喋らず、無表情にこちらを睨むだけだったが、おそらくはこれが彼女の素なのだろう。
(もっと冷静で、もっと酷薄な人なのかなって勝手に思っていたんだけど……)
考えれば、自分だって赫船を脅すために暗殺者を演じていた。
外面というものを体裁と言い換えれば、誰だって何者かを演じているし、望まずともそのように振る舞わざるを得ないこともある。
(火津摩さんが、御屋形様を恨みながら従っているのもそうだ……。だとしたら、本当に御屋形様は……)
遥斗は妙蓮に柊の行方を尋ねようとして、やめる。
自分を看病してくれたようだが、妙蓮がまだ味方だと判明したわけではない。鶴来は最期まで赫船に忠実だった。彼女がそうでないとどうして言い切れるだろう。
安易にこちらの情報を漏らさない方がいい。本当に刑部がいるなら、報告も質疑も彼に直接するべきだ。
簡単に身支度を整えると、妙蓮に促され、遥斗は棺戸の外へ出る。
そこは、大きなスギの樹の根本で、第三合流地点に向かう際に決めておいた緊急退避ポイントに合致した。柊と共に目指していた場所に自分だけが到着してしまったことを後ろめたく思いながら、遥斗は森へと駆ける妙蓮の後を追う。
太古の樹海は、恐ろしいほどに静まり返っていた。精霊さえひっそりと眠ってしまっているかのように、葉脈の鼓動、梢の騒めき一つもない。
座標を確認することなく、刑部宵親の居所はすぐにわかった。
「結界越しにも聞こえてはいたけど……、随分と大暴れしたみたいね」
静かに煙草を吹かす刑部の背中に、おずおずと妙蓮が声を掛ける。
刑部は振り向かない。
紫煙を棚引かせながら、目の前に広がる光景を見据えて動かない。
そこには、何もなかった。
より正確に言うならば、湿潤な丘陵樹林帯の只中であることを示す物的証拠が一切遺らないほどに、何もかもが吹き飛ばされ、焼き尽くされ、吹き曝しとなっていた。
焦土の大地に、深く刻まれた大小無数の隕石痕。
虚ろな口腔の底に横たわるのは、溶けた鉄筋、ガラスの煌めき、ケーブルともワイヤーともとれない機械的な太い管。歪なパズルとして散らばる戦車砲塔、装甲壁板、車輛車軸の残骸たち……。
「子供の頃に、やったことないか?」
おもむろに、刑部が声を発する。
「大きな公園とか神社の境内とかにあったよな。次から次に出て来る蟻の巣穴。で、なんとなくバケツで水を汲んで来て、おもむろにそこへと中身を注ぎ込む。特に意味はないんだが、やってみる。楽しいとかは二の次で、とりあえずやってみる。滅茶苦茶にしたい。藻掻き苦しんでいるところを見てみたいってわけじゃないんだよな。でも、やるんだよ。あれってさ、いったいどんな種類の衝動なんだろうなぁ……。おまえら、解る?」
刑部が首だけで振り返り、こちらを見る。
遥斗はぞくりと背筋を震わせる。
殺意も剣呑さもない。飄々とした軽い物腰であるにも関わらず、その一挙一動が恐ろしい。
ともすれば炎の渦に吞み込まれると錯覚するほどに、彼の視線には何かが漲っていた。決して好意を抱けぬ何かが。




