不時露営Ⅱ
圧倒される遥斗を救ったのは、妙蓮だった。
「バカだからでしょ。ちっぽけな全能感に浸って神の気分を味わいたいからでしょ。恐れを知らない子供は、なんでもできる気になっている。でも、あんたはもう子供じゃない。果たすべき使命が、役目が、あんたにはあるはずよ」
刑部の虹彩が揺れ、苦笑が漏れる。
「……そうだな。あー、そうだった。嫌だねえ、これだから本気になるのは……。しっかし、まあ、これでここら一帯は綺麗になったかな。これだけ待っても増援も来る気配もないし。ようやく頭打ちってところかねぇ。やれやれ、疲れた疲れた」
弛緩した空気に、遥斗は胸を撫でおろす。
たった一人でこれだけの戦果を平然と上げる、六紡閣最高の炎術師、刑部宵親。その根底はこの殲滅力にあり、親しみ湧く人格も頼もしいリーダシップもそれを形成するピースの一つに過ぎないことを思い知らされた。
機嫌を損なえば、あっさりと殺される。柊や鶴来が感じていただろう刑部に対する恐怖心を、ようやく遥斗も共有する。
しかし、それでも向き合う必要があった。
「刑部さん……」
「よお、遥斗。ようやくお目覚めだな。眠れぬ森の美女並みに良く眠っていたぞ。もしかしたら王子様のキスが必要かとちょっとだけマジで焦ったくらいだったからな。それとも一発かましてさっさと起こした方が良かったか。ま、相手は俺だけど」
ニヤニヤと笑う刑部に、遥斗は頭を下げる。
「すいません。不甲斐ないところをお見せしました……」
「ん? あー、いやいや、すまんな。別に責めているわけじゃなかったんだが。で、どうだ? 体の異常や後遺症はないか? 見た感じ、目立った外傷はなかったが」
「大丈夫です。魔術の乱用に一時的に身体が耐えきれなかっただけで、もう回復しています。問題ありません」
「そうか。なら、いいさ。これも経験だ。己の力量を測れない奴はまだまだ未熟とでも肝に銘じておけ」
「はい。それで、刑部さん。火津摩さんは、どこに……?」
「火津摩か。そいつは俺の方こそ知りたいな」
その一言で遥斗は理解する。
自分がこうして無事に生きている。そして彼女がいない。
つまりは、そういうことなのだ。
「気絶しているおまえを保護したのはそこにいる妙蓮巴だが、そいつがおまえを見つけた時、周囲には誰もいなかったそうだ。夜魔もいなければ火津摩もいない。というわけで、遥斗、教えてくれないか? どうして夜魔はおまえをほっぽり出して消えたのか。そして火津摩はどうして俺たちの前から消えたのか」
遥斗は覚えていることを嘘偽りなく正直に語った。それは懺悔に等しかった。
刑部は黙って聞いていた。
聞き終えると、刑部はぽりぽりと頭を掻いて、夜空を見上げて言った。
「ふーん。なるほどねえ。夜魔と交渉か。おまえさんが無事だったことを考えると、契約が成立したんだろうな。となると、火津摩は今頃夜魔の本拠地ってところか。【盾】ねえ。自信満々なところからして結構な計画のようだが、火津摩をどう使うんだろう? 巴ちゃん、何か心当たりない?」
話を振られた妙蓮が素っ気なく答える。
「なんで私に聞くのよ。私が知っていることは全部話したでしょ。知らないわよ」
「でもさ、巴ちゃんも夜魔に襲われて拘束されたわけだろ? 状況的に似ているじゃん。なんで捕まえるのとか、火津摩みたいに夜魔に訊かなかったの?」
「それどころじゃなかったわよ。触手まみれにされて死ぬかと思ったんだから。窒息死しかけたところで捕まって、だけど馬鹿な騎士が余裕ぶって隙を見せてくれたから何とか逃げ出すことができたのよ。そのあとは身を隠すので精一杯だったんだから」
「そうだっけ。じゃあ共通点から考えるか。巴ちゃんも火津摩も、炎術師。年齢に多少の差こそあれ、若い女の子。容姿もそれなりに綺麗だし……。屈服触手プレイが趣味なのかな?」
「あんたねえ。真面目に考えなさいよ」
「大真面目なんだがなぁ。赫船を味方に引き入れたにもかかわらず、更に炎術師を求める……。盾に利用……。赫船はあっちに使うためだろうから、改めて別枠で用意する必要があった……? んー、しかし、どう使うつもりだ? 洗脳して文字通り肉の盾にする? いや、釈然としないな。それなら耐熱材やら防衛魔術やら、他にいくらでもやりようがあったはずだ」
考え込む刑部を妙蓮がたしなめる。
「ねえ、悠長におしゃべりする前に、まずは今後の方針を決めてよ。これから私たちどうするの?」
「帰還する。総撤退だ」
決まっているだろうと言わんばかりの即答だった。
「疋嶋、鶴来が死に、火津摩は行方不明。そして赫船が夜魔に寝返った。残りは三人。断片を破壊するにしても、フェルキア含む七凶聖の動向を探るにしても、どう考えても枚数が足りない。実のところ、こんだけ暴れたら夜魔の王様が直々に来てくれるかなー、と、ちょっぴり期待なんかもしていたんだが……、ご覧の通り、見事に空振りだ。赫船粛清というタスクも増えたし、仕切り直しが必要だな」
指揮官としては妥当な判断だろう。文句のつけようもない。
しかし、だとするとーー
「火津摩さんはどうするんです? 助けにいかないんですか?」
刑部の答えは単純だった。
「なぜ?」
遥斗は衝撃を受ける。刑部が柊を見捨てることを前提として話をしていることに。
「なぜって……、彼女は僕たちの仲間です。同じ陣営に属する魔術師です。助けに向かうのが当然のはず……」
「まあ、わざわざ生かして連れて帰ったってことは、生命活動していなければ意味がないってことだろうからな。生存している可能性は高い。どんな目に遭っているかはわからんが」
「だったら、一刻も早く……」
遥斗の訴えに、刑部はふうとため息を吐く。
「そうしたいところは俺としても山々だが、指揮官としては、勝算無しに勢い任せで突っ込むわけにはいかんのよ。一人を救うために全員が死ぬリスクは冒せない。こうなった以上は隊を纏めて、無事に帰還することが最優先だ。もし救出活動があるのなら、部隊を再編してからだなー。ま、その時には俺は無能野郎として左遷させられているかもしれないけど」
「…………」
刑部の判断に間違いはないように思う。
いくら刑部が凄腕の魔術師でも、多勢に無勢。これより先に進むのであれば、離反した赫船慈榮、断片らしき大鎌を振り回す夜魔騎士、未だ見ぬフェルキア王と、数多の艱難が待ち受けている。
真面にぶつかれば激戦は必至。魔力切れを起こせば、即座に詰み。では、それら障害を上手く擦り抜けて、無事に断片へ辿り着ける確率は?
……わからない。だが、それでも、生命の恩人を、はいそうですかと見捨てることなどできるはずがない。
意を決し、遥斗は口を開こうとする。
が、刑部の冷たい声がそれを制止する。
「火津摩にうしろめたさを感じているのなら、気にすることはないぞ。あいつは親切心や同情からおまえを助けたわけじゃない。
そこにいる妙蓮も同じだ。『私は赫船とは違います。派閥の長に倣い、夜魔に転んだわけではありません』。そう主張するために、そいつは倒れていたおまえを積極的に保護して手厚く介抱した。すべて下心あってのことだ」
横目で覗くと、妙蓮が、そういうことだと肩を竦めているのが見えた。
遥斗は頷く。それは納得できる。内通間者の疑いを晴らすには、先んじて潔白を示すしかない。
だが、柊は? 自分を命がけで助けることが、どうして彼女の利益に繋がるのか?
「……どういうことなんです?」
「ぶちゃけてしまえば、脅迫だな。前もって火津摩には伝えていたんだ。おまえの身に何があっても伏見遥斗の生命を護ることを最優先に行動しろ、出来なければ俺がおまえを殺すってな。あいつは死にたくないから命令に粛々と従い、その結果として、おまえは今、此処にいる。騏堂の旦那も、赫船と同様に使い潰して構わないと言ってくれたしな。まあ、これで火津摩も一端の魔術師として名誉の殉死を遂げることができるわけだし、めでたしめでたしってところだろう」
信じられないものを見る遥斗の視線に、刑部は肩を竦める。
「家名を重んじる魔術師としてはこれが普通なんだがな。じゃあ、どうしたらよかったんだ? おまえが犠牲になって火津摩が五体満足でここに立っていた方が良かったか。そうなっていたら、俺は命令違反で火津摩を即刻殺していたぞ? 俺にとっては即席魔術師一人の生命より、『どんなことがあっても伏見遥斗だけは必ず生還させよ』という旦那からの依頼の方が遥かに重要だからな」
真っ直ぐな視線で、刑部が遥斗を見据える。
「いいか。未成年だとか女の子だとか、拉致されて無理矢理魔術師に改造されただとかは関係ない。俺たちは盤面の駒。棋士の思考に合わせて職務を全うする。上意下達に基づく命令は絶対で、逆らえば処分という死が待っている。それが仕えるということだ」
「……っ‼ じゃあ、死ねと命じられれば死ぬしかないんですかっ‼」
遥斗は拳を握り締める。
命令に従ったからじゃない。それもあったかもしれないが、違う。それ以上に火津摩さんが僕を助けてくれたのは……。
あの人は、本当に……。なのに、こんな……。
「そうでもない」
刑部の声に、遥斗は俯いていた顔を上げる。
刑部は、ニヤリと口の端を上げて笑っていた。
「そうでもない。弱肉強食が魔術師の常だ。実力さえあればなんでもできる。気に入らない命令に平然と背いてもいいし、我を通して大暴れしてもいい。罰則や処罰などクソ食らえってな感じでな。あー、ついでに言うと、馬鹿な命令に従って自滅するのはもっと馬鹿というのが俺の持説だ。時には逆らうことが正解なこともある」
きょとんとする遥斗に、刑部はウインクを贈る。
「自らの決断がすべてを左右する。最善を尽くし、考え続けろ。それができなくなった奴から死んでいく。どんな時でもな」
これまでの空気を振り払うように、刑部はパンパンと手を鳴らす。
「さて、俺達は撤収するわけだが、今すぐにというわけじゃない。まだ一つ、状況が大きく変わる可能性が残されている。尻尾を撒いて逃げるのはそいつを確かめてからだ」
「巻き込まれて死ぬかもしれないけどね。まったく、七凶聖って本当になんなのよ。まさか、あんな大物がかかわっているなんて……。四饗公家が名を伏せるはずだわ。公になれば、断片争奪どころじゃない。最悪、連合が割れるわよ。この分だと、最後の一人もとんでもないビックネームなんじゃないの?」
「未だ秘匿されている七凶聖メンバーの七人目か。三十三奉衆でも真っ先に犯行現場に足を踏み入れた筆頭補佐の弍神しか知らないという噂だが……、どうだかねえ。裏で流れている面子もいくつかは死人の名前だし、実際に逢ってみないとわからんだろうな。でも、まぁ、巴ちゃんが聞いた六人目に関しては本物くさいが。鳳と確執がなかったわけでもないし」
「え、そうなの?」
「とは言っても、奴の一方的な執着心、変質的な横恋慕みたいなもんだからな。あれで本人、まったく悪気がないから質が悪い。加えて、情緒倫理も破綻しているし。七凶聖に加わったのも、退屈だったからくらいの理由だろうなぁ」
「……? あの、話がよく見えないんですが……」
置いてけぼりにされてしまった遥斗に、刑部がすまんすまんと解説を入れる。
「巴ちゃんがな、夜魔に捕まった際に、赫船と夜魔のお偉いさんとの話を盗み聞いたんだと。それによると、どうやらフェルキア王は七凶聖からの離脱、独立を企てているようでな。その件でリーダーである詩貴静蘭と揉めているらしい」
「内部分裂……。内紛ということですか?」
「その一歩手前といったところだ。詩貴は組織分裂を回避したく、フェルキア王に魔術師を一人放った。平和交渉のための使者ではなく、実力行使で従わせるための刺客としてな」
「えっ、たった一人で、ですか?」
「それで充分に用を成すんだよ。夜魔が相手なら尚更にな。で、その魔術師ってのがな、禁術をバリバリ行使してブイブイ羽振りを利かせていた赫船を凋落させることになった原因でもあるんだわ。そのせいで爺は恨み骨髄。夜魔にスカウトされたのは、たぶんそれだな。若返りに加え、妄執を突かれて丸め込まれた。どうやら、極東魔術師の事情について随分と詳しいやつが背後についているようだな」
「要するに、私たちはいいように利用されたってこと」
妙蓮の総括を受けて、遥斗は頭の中で情報を整理、再統合させる。
「夜魔が赫船慈榮を味方に引き込んだのは、その刺客を倒させるため……ですか。そういえば、そのような趣旨の言葉を叫んでもいたような……。でも、何かおかしくありませんか。プライド高い夜魔が敵の手を借りてまで倒そうとするんて。彼らの性格的にもちょっと考え難いことのように思うんですが……」
妙蓮が首を横に振る。
「逆よ、逆。それだけ切羽詰まっているの。敵であるはずの魔術師に縋るしかないくらいに夜魔にとっては絶望的な相手なんだから」
遥斗は刑部を見遣り、問い掛けた。
「誰なんですか、その人は?」
刑部はにやりと笑って答える。
「不嶽鍊。極東史上最高にして最強の炎術師さ」




