第三合流地点Ⅰ
「なになに、おまえら、どーしたの? 喧嘩でもした?」
「ええ、まあ……」
微妙な空気を感じ取った刑部の問いかけに、ははは、と伏見が苦笑している。
結局、一睡もできなかった。
柊は重たい頭を隠しながら、棺戸の撤去作業の手を進める。今度は刑部が眠る番かと思ったが、俺はまだいいかな、と断られた。本当に休息が不要なのか、それとも新人二人に背中を預けるのが不安だったのか。まあ、その両方というのが妥当なところだろう。
「一晩のランデブーを誘って振られたとか、そんな感じ?」
「違いますよ。別にそういうのじゃあ……」
神威倶の展開を終了させるのは簡単だ。供給元を絶つだけでいい。
掌に載せていた方陣から、それとはなしに流していた魔力を引き戻す。
目の前の視界が、透明のまま、ぐにゃりと歪む。
空間に座標指定された障壁の消失を確認。これで完了。魔力残滓がほとんど出ないのも棺戸の良いところだ。面倒な痕跡処理をすることなく安心して立ち去れる。
が、柊はあえて注意深く後始末に時間をかける。背後で交わされている会話がさっさと終わってくれることを期待して。
「ふーん」
背中に刑部の視線が刺さるのを感じるが、無視する。
伏見のメンタルは回復したのだから問題ないだろう。そう言ってやりたかったが、それで今度はこっちが不貞腐れているようでは意味がない。
わかっている。任務遂行が最優先だ。既に警告を受けている身。チームの和を乱す不穏分子になるわけにはいかない。
「終わったわ。行きましょうか」
勤めて平静に二人の元に向かう。
伏見はぎこちない笑みで。
刑部は面白そうなものを見るように柊を出迎え、
「ああ、ご苦労さん。そんじゃ、第三合流地点へと向かいましょうかねえ」
と、樹海の彼方を見遣って告げる。
先行部隊がつけた誘導標識――安全経路を示すガイドラインは、すぐに見つかった。
樹皮の表面に刻まれた、ほんの些細なひっかき傷。そこから方角と距離を読み取り、当初の計画にあった合流ポイントとの齟齬を修正する。
「二キロほど南西方向にずれるようですね」
「渓流が思ったよりも深かったようだな。迂回しろとさ」
「僕が前衛で良いですか?」
「お、やる気だねえ。いいぜ。気を付けて行けよ……と、その前に腹に何か入れておけ。食える時には食っといた方がいいからな」
「わかりました」
刑部と伏見の会話を聞きながら、それもそうだと柊もバックパックから固形燃料型の携帯食料を取り出そうとする。
「遥斗、バナナ味ある? あれ美味いんだけど、俺、忘れてさー」
「ラズベリーショート&チーズなら。プラムヨーグルトもありますよ」
「なにそれ。初耳なんだけど。そんなフレーバーあるの? 火津摩、知ってた?」
「多分市販品でしょ、それ。いつもの配給品で良ければ、バナナ味、持ってるけど?」
「お、さんきゅー。遥斗、俺、そっち貰うわ。いやー、ありがとなー」
近づいて来る刑部に、柊はパサパサとしたブロックバーを口に咥えながら、バックパックの中身を漁るために視線を落とし、
「―――――」
「……⁉」
唐突に、耳元で囁かれた声にはっとする。
顔を上げると、朗らかに微笑む刑部の顔がある。
「……はい。了解しました」
「そっか。じゃあ、頼むわ。しっかりな」
携帯食料を手渡すと、刑部は背を向けて立ち去っていく。
「? どうしました?」
「んにゃ、大したことじゃない。セクハラ案件には断固たる態度で臨むから泣き寝入りするなよって言っただけ。遥斗、吐くなら今だぞ。裁判になったら勝ち目はないと思え」
「だから、本当に違いますって! 絶対わかって言ってますよね、刑部さん!」
急速に味覚を失っていく口の中。
砂のような食感に喉が詰まりそうになるが、ぐっと堪えてゆっくりと呑み込む。
「………」
見据えるのは、仲良さそうに歩く二人の、屈託なくはしゃぐ伏見の姿。
脳裏に騏堂成叡の言葉が蘇る。
(『それで死ぬのであればそれだけのこと』……。私と君は、そもそもからして違う。つまりは、そういうことよ。残念だけど……)
指定された第三合流地点までの行程に、問題は何も生じなかった。
道に迷うでも夜魔の伏撃に遭遇するでもなく、刑部率いる本隊は先行偵察隊との合流に成功する。
が、問題が起きたのはそこからだった。
「………」
平たい花崗岩が重なり合うようにして聳える岩棚にあって、苔の筵に寝そべるのは上機嫌に煙管を吹かす老人。その脇には若い男が所在無さげに立っている。
訝し気に周囲を見渡す刑部が問いかける。
「妙蓮はどうした?」
監視に出払っているような雰囲気でもない。
赫船は煙を吐き出し、さらりと答えた。
「さあの」
「……どういうことだ?」
「夜魔に襲われての。分断されて、それっきりよ。生きているか死んでいるかもわからん」
溜息混じりに刑部が赫船を睨む。
「あんたが付いていながらこの程度か」
「仕方なかろう。寄る年波には勝てん。間抜けなひよっこを救い上げるには、ちと億劫でな。かかかか」
笑い飛ばす赫船に、刑部が眦を深くする。
「何があった?」
「刑部様。それについては、当事者でもある私の方から説明を……」
やや躊躇いがちに、鶴来が口を開く。
「情けない話で恐縮なのですが、私と妙蓮は夜魔の罠にかかったのです。夜魔の襲撃の渦中、私たち二人は足元に突如として開いた大穴へと落ちました」
「儂も夜魔を追い払ってすぐに飛び込もうとしたのじゃがのう。その時にはもう穴が塞がってどうにもできなんだわい」
落ちた先は、狭くも深い地下空洞体。
そこには、雲霞の如く群れる夜魔が待ち受けていた。
「地下洞での間断ない波状攻撃は二時間に及びましたが、撃退には成功しました。ですが、愚かにも私たちは、地下洞穴の更に下を掘削する気配に気づかなかったのです。撤退していく夜魔に勝利を確信した、その時でした。抜けた足元から現れた触手に絡め捕られ、そのまま妙蓮は地底深くへと消えていきました」
その後、どうにか地上に戻った鶴来は、赫船に事の次第を報告する。
「追跡するべきかとも考えたがのう。不用意な真似をして、これ以上駒を減らすことは貴様も本意ではあるまい? そこで儂は泣く泣く引き下がり、本隊との合流を優先したのよ。先見の明に優れた指揮官殿のありがたい指示を仰ぐべきだとな」
どうだと言わんばかりの赫船に、刑部は大きな息を一つ吐く。
「事情はわかった。で、あんたらはどうなんだ? まだやる気はあるんだよな?」
「おうおう。生意気な口を利くのう。それとも負け犬の遠吠えというやつか? やはり儂に指揮権を預けておけば良かったと嘆いておるように聞こえるわい。無論、儂は構わんぞ。元より独りでも十分な仕事じゃからのう」
「私も任務を続けます。ですが……」
赫船をちらりと見遣って、鶴来が懸念を口にする。
「老公はこのように言われますが、実際問題、頭数が減ったことは偵察部隊として致命的です。地の利で圧倒的に劣る以上、これまでのようにルートを確立しながら進むのは困難かと。であれば、いっそ本隊と合流。夜魔殲滅を前提とする大打撃部隊として行動した方が……」
刑部が首を横に振る。
「それで一網打尽にされたらおしまいだろ。最悪、あんたらが全滅したとしても、俺たちが無事に断片へと辿り着けるのであればそれでいい。
つまり、ここまでは予定通りってわけだ。悪いが、その役割を変えるつもりはない」
指揮官としての非情な決断に、赫船は笑って煙を吐く。
「かかか、威勢の良い若造よの。よいよい。せいぜい虚勢を張っておけ。貴様に代わって儂が断片を持ち帰った暁には、その無様さを肴に騏堂と祝宴をあげてやるわい。さぞかし甘露なことじゃろうて。かっかっかっ」
軽快な動きで岩棚から飛び降りると、話はこれまでとばかりに赫船は踵を返す。
どこか不安げな様子の鶴来が、その後に続こうとして――
「ちょっと待て。話はまだ終わっていない」




