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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔

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霧中

 それは、さながら、赤錆びた大地が広がる火星のように。

 何もなかった。雑然と群れる廃墟もビル街も。

 あらゆる起伏が均されている。例外はない。

 茫然と、柊は早蕨の塔が建っていたはずの大地を見詰める。

 隕石痕のような浅い窪み。それ以外には何もない。夢幻のように何もなかった……。


《お父さん、は……?》


 脳内で響いたその呟きに、柊ははっとする。

 振り返ると、雪の顔から血の気が引いていた。

 わなわなと震える少女の瞳が、一縷(いちる)の希望に(すが)るように柊へと向けられる。

 状況的に仕方なかったとはいえ、雪には巽との再会を期待させる物言いをした。しかし、あの爆発に巻き込まれたのであれば、生存は……。

 言葉を失うしかない柊に、蒼褪めた雪が大きく瞳孔を見開く。

 その瞬間、全てを救う声がした。


「……こんなところにいたのか。探したぞ」


 まったくもって平然と、罅割れた高速道路の路面を歩き、こちらに近付いて来る一人の男。

 刀傷や血糊で身形こそ派手に汚れてはいるものの、その足取りは律動的で淀みない。


《お父さん!》


 眼に涙を浮かべて勢い良く飛び込んで来た娘を、鉄仮面で淡々と受け止めるその仕草にも余裕がある。

 柊は安堵と共にその頼もしさに苦笑する。

 流石は一流の魔術師。そう簡単に死んだりするはずがないってことか。


「元気そうで何より。また逢えて嬉しいわ」


 心からの言葉に、弍神巽は素っ気なく頷く。


「おまえもな。それより、何があった?」


 柊は巽が知りたいと思う一部始終を語った。

 巽の蟲の効果によって、深刻な機能異常を起こした阿万鵺奏弦。瀕死の状態だった柊が勝利するにはその隙を突くしかなく、一命を賭して挑んだものの、結局は倒し切れずに終わったこと。

 けれども、阿万鵺は柊を無尽胎蔵によって回復させ、雪共々に塔の外へと脱出させた。二人が無尽胎蔵消滅時の大爆発に巻き込まれぬように……。


「奴は、守護者として最後の役目を果たすと言っていたわ。最初からそのつもりだったとも」

「無尽胎蔵の覚醒は、俺達が手を出そうと出さまいと既定路線……。それを防ぐための人身御供か。周到だな……」


 巽は考え込むように沈黙する。

 同じことを考えていると柊は確信する。


「七凶聖……。連中は、いったい何者なの?」


 巽は、ややあって口を開いた。


「……わからん。が、爺が早急に手を打とうとするだけの相手ということは理解できた。断片だけの話じゃない。俺は崩れる足場に巻き込まれる形で塔の外へと排出されたが……、その直前、奴の工房らしき部屋に行き当たった。そこで俺は……」


 言い掛けて、巽は何かに気付いたように口を噤む。

 どうしたんだろうと柊は不思議に思って、ああ、そうか、と気が付いた。


「六紡閣の魔術師には言えないことね。うん、わかっているわ」

「……まあ、そんなところだ。任務は不首尾に終わったが、土産くらいにはなるだろう……。火津摩、おまえはどうだ?」

「えっ、私?」


 いきなり矛先を向けられて、柊は少し困惑する。


「久慈原は死に、断片は無に帰した。空手で戻ることになるぞ。そうなれば、十中八九……」

「全ての責任を一手に背負わされて更迭。悪ければ首でも斬られるかしら。騏堂の信頼篤い多太羅を見殺しにもしちゃっているしね……。正直、どうなるかはわからない」

「……そうか」


 無表情のまま巽は紙煙草を咥えると、ぽつりと呟いた。


「……一人も二人も同じ事だ。弐神の(やしき)は無駄に広い。おまえが飽きるまでは(かくま)ってやる」


 思ってもみなかった申し出に、柊は驚きと共に雪を見遣る。

 雪も驚いた顔でこちらを見詰めている。彼女が嘆願してのことだと思ったのだが、まさか違うとは………。


「なんだ、お前達、その顔は……?」

「えっ、だって、ほら、ついさっき敵同士だって確認し合ったばかりでしょ? それでこの流れは意外過ぎるというか……。ねえ、雪ちゃん?」

《はい……。あ、でも、すっごく良い提案だと思います! お父さんのところにいれば安心ですから。柊さんも一緒に行きましょう!》


 無邪気にはしゃぐ雪へと柊は微笑み、しかし、即答した。


「ありがとう。でも、それはできない。それをしたら、私は二度と闘えなくなると思うから」

《あ……》


 断固とした拒絶の意思に、雪が戸惑ったように巽を見上げる。

 だが、巽は泰然としていた。紫煙を一つ吐き、素っ気なく踵を返す。


「わかった。達者でな……」

「ええ、貴方もね」

《柊さん……。その……》


 おずおずと雪が近寄って来る。

 目線を合わせるために柊が膝を折ると、少女は深々と頭を下げた。


《ごめんなさい。私、柊さんに助けてもらうばかりで……。柊さんがあの時助けてくれなかったら、私は死んでいました。こうして再びお父さんと逢うこともできなかった……。でも、私、何もお返しできるものがなくて……。本当に、ごめんなさい……!》


 気がついたら、跪いて彼女を抱き締めていた。

 成果がないだと。とんでもない。


「いいの。貴方が生きていて、それだけで……」


 暫く抱き合い、柊と雪はどちらからともなく離れる。

 魔術師になって、初めて誇れることを出来た気がする。それがなんだか無性に嬉しかった。


「元気でね」

《はい、柊さんも……!》


 巽は背を向けたままだ。

 彼は解っている。魔術師が戦場で出逢えば、殺し合わずにはいられない。

 今回は偶然そうならなかっただけのことだ。次に合い見えた時は、どうなるかわからない。

 でも、この瞬間だけは考えないようにしよう。それくらいの贅沢(ぜいたく)なら神様だってきっと(ゆる)してくれる。


《さようならー!》


 いつの間にか垂れ込め出した霧の中へと溶け込むように消えて行く親子を見送り、柊はふうと溜息を零す。

 これからどうするかは、実のところ決めていた。

 処罰覚悟で六紡閣に戻る。それしかない。

 首枷の印呪・百手縛が存在し続ける限り、自由に動くことは難しい。現世と霧郡の次元を超えて術が発動するとは思わないが、絶対ではない。少なくとも首枷のギミックを暴くまでは、騏堂および六紡閣の眼が届く範囲にいた方が良い。

 しかし、戻ることを選んだのは生命惜しさからではない。

 寧ろ、その逆。好機だからだ。

 多太羅と久慈原のいきさつ、阿万鵺と無尽胎蔵の関係性など、帰還した柊が齎す情報は多岐に及ぶ。

 極めて機密性の高い情報だ。魔術師は秘匿主義。騏堂は詳細を自身の耳で聞きたがるだろう。そこを狙う。

 阿万鵺へ特攻した時のように、我が身を捨てて一矢報いる。

 あの時の感覚は、魂に刻まれた記憶として残っている。首枷が発動しても、絞め殺されるまでに一瞬の猶予さえあれば、今の私なら……。


「やれる。殺せる。騏堂成叡を……!」


 密かに覚悟を決め、柊は歩き出そうとした。

 その時だった。


「おやおや、誰を殺すですってー? 私のご主人様に対し、物騒な事を言っては駄目ですよー」


 湧いた気配に身構える間もなかった。

 首枷が熱くなる。心臓が掴まれる。激痛が身体の芯まで押し寄せる。


「がっ……‼」


 成す術も無く倒れ込む柊を、乳白色の靄に浮かんだ小柄な輪郭がニマニマと見詰めている。

 誰なのかは、すぐにわかった。


「兎……塚……、禁李……!」

「はーい、柊さん。お久しぶりですー。お約束通り、その首枷について調べてきましたよー」


 外法師の情報屋は、これ見よがしに右掌をひらひらとさせて現れた。

 そこに輝いているのは……。


「な……! なんで……、お前……が……⁉」

「ん? ああ、これですか? まあまあ、そう焦らないでください。まずは私の報告から。柊さんの首に刻まれた百手縛ですが、この印呪、凄まじく強力な反面、拘束指令が届くのは刻印者の目視の範囲内。つまり、姿が見えないように逃げ続けるだけで、全然オッケーだったんですねー。あはは、思ったよりもゆるゆるでびっくりしましたー。ちなみに自動発動の条件は不明のままですので、こちらは続報をお待ちください」


 と、そこで兎塚はわざとらしく頭に生えているウサギ耳に手を添える。


「え? なになに? それよりも、どうして可愛い可愛い禁李ちゃんが、こんなところにいるのか不思議ですって? それはですねー、柊さん。貴方を尋問するためだったりするんですねー」

「……⁉」


 驚く柊に、兎塚はにこやかに語る。 


「実はですねー、私、柊さんの首輪を調べるために六紡閣の本拠地へと赴いたのですが、そこで総帥の騏堂成叡様にいたく気に入られてしまいましてー。なんと特別待遇で雇われることが決定したのですー。わー。ぱちぱちー」


 柊は激痛の中で蒼白となる。

 兎塚が、騏堂に就いた? 

 それはすなわち、自分がひた隠しにしていた叛意が露見したということ。

 不味い。こいつは私を粛清するために現れ――


「あ、ちなみに柊さんとの間に交わした守秘義務は継続中なのでご安心を。この刻印につきましても、私が柊さんを好きで好きで仕方がないことを延々と語ったら、ご主人様が就職祝いも兼ねてプレゼントしてくれたものなので、今回の私の任務とはぶっちゃけ関係ありませんー。多太羅さんの死骸の回収や状況証拠の採取など、ほとんど調査も終わってますし、あとは柊さんの口から真相を聞き出すだけ。まあ、その意味では非常に便利な道具ではありますが」

 

 心臓に指を突き入れられる。痛い。苦しい。七転八倒の苦悶に、呼吸もできない。

 芋虫のように這い擦る柊の様子をしげしげと眺め遣り、兎塚がほくそ笑む。


「さて、柊さん。どうやら先程の謎の大爆発で、塔は跡形もなく消えてしまったようですが、断片はゲットできましたかー? まさか手ぶらでおめおめと逃げ出してきたとか、そんなつまらないオチじゃありませんよねー?」

「………!」


 身震いしたこちらの反応だけで察したのだろう。

 兎塚は口の端を不気味に吊り上げた。


「……成程。ですが、ご安心を。騏堂様は断片が欲しくて貴方達を派遣したわけではありません。塔の断片を永久に消滅させる。そのために多太羅さんを派遣し、彼の後任として久慈原さんと柊さんを向かわせたのです」


 思わず、えっと声が出た。

 消滅させる? 断片を? どういうこと?


「おや、その顔、もしかして初耳でしたか? 多太羅さんには伝えてあったはずなのですが、もしかして任務の内情を尋ねる前に殺しちゃいました? 断片の破壊処理の方法も訊かずに? マジですかー」


 兎塚はやれやれと肩を竦める。


「まあ、結果オーライではありますが、任務は無事に達成です。おめでとうございます、柊さん。私としても折角の愉しい玩具……もとい、大切な友人を無くさなくて本当によかったと思っていますよ。さて、塔の喪失に加えて柊さんの無事も確認出来たことですし、私の任務もこれで完了です。ではでは、仲良く次の任務へと向かいましょうかー」

 

 心底嬉しそうに兎塚はステップを踏むと、横たわる柊の元へと歩み寄る。

 そして膝を折って腰を落とすと、自分の顔を柊の顔へと近付けた。


「ここからは殉職した久慈原さんに代わり、私が柊さんの管理監督を務めます。無論、嫌とは言わせませんのであしからず」

 

 通り去り行く激痛の残滓に荒い呼吸を吐きながら、柊は考える。

 七凶聖……。騏堂成叡……。共に早蕨の塔へと挑み、無尽胎蔵の消滅を企図した。 

 なぜだ? 次元破断の断片は、連合首座に就くための宝具。超常的な神秘としてだけでも莫大な価値がある。それをどうして双方共に破壊しようとする?

 ……わからない。私を生かそうとした阿万鵺の思惑も、この女の私に対する執着も、何もかもが霧に包まれている。


「これから……、どうなるの……?」

 

 思わず漏れた小さな呻き。

 綺麗にマニキュアが塗られた爪が、灰銀の髪をさらりと撫でた。

 

「進むしかありません。だって、もう、引き返すことはできないのですから」

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