鑿の一撃
(この感覚は、ひさしぶりですね……)
眼窩に感じる空洞に、阿万鵺奏弦は想いを馳せる。
深淵が何処までも広がる、底無しの闇。
遠い昔、全身麻酔の最中に覚えた、あの途方もない喪失感……。だが、胸に去来するものは明瞭に異なる。
不安はない。怖れもない。
それは無尽胎蔵の事象遡行によって、魔眼が再び眼窩に戻ることを知っているからではない。
果たすべき役割。自らの行き着く先を正確に見据えているからだ。
心残りがあるとすれば、ただ一つ。
(我が母を超える像は……、結局、造れず仕舞いのままですね……)
阿万鵺奏絃は欠陥品として生まれた。
石眼邪視の血統因子を継ぎながら、魔眼を持たずに生まれ落ちた。
落ち目の血統であれば、よくあることだ。阿万鵺家が外法師に落ちて久しいことも考えれば、何もおかしい話ではない。
失意に苛まれた父は、母を詰った。ひどく手荒に。時には気絶するまで殴りつけた。
母もまた、魔眼血統の魔術師の家に生まれた無能者だった。父が母を娶ったのは、その血統が自らの血と混じることで優生因子が復活するのを期待してのことだった。
こうした覚醒を期待して、無能者を売り払うこともよくある話。そして、期待に添えずに終わるということも、また……。
父は最後の望みに賭けた。奏絃が術式図敷設の開頭手術に耐えられる七歳を待って、魔眼の強制移植に踏み切ったのだ。
阿万鵺家には、歴代当主の遺骸から繰り抜いた魔眼が保管されていた。健常だが無能な眼球を繰り抜き、魔眼へと入れ替える。脳に埋め込んだ術式図と移植魔眼が連動するかは賭けでしかなく、後に成功率は一割もなかったことが父の口から語られた。同時に、手術直前になって父に翻意した母が、奏絃を連れて密かに屋敷から逃げ出そうとしていたことも。
『肉親の情などというつまらぬものにほだされた結果がこれだ。無能は無能の考え方しか出来ん。しかし、おまえはもう違う。阿万鵺の魔術師として、おまえはこのように石眼邪視の御業を磨く責務がある』
おそらく父は激高や癇癪からではなく、魔術師として生きる宿業、当主に叛くことへの罪と罰の有り方、そして何よりも己の技量を子へと伝える教材として、捕らえた母を石へと変えたのだろう。
実際、その石像は素晴らしい出来映えだった。
哀しむよりも息を呑み、戸惑うよりも感動した。母の死を憐れむ気持ちも、父の非道を怒る気持ちもなかった。
美しかった。何よりも、その表情が。
強張った緊張が緩み、微かな笑顔を漂わせたその顔がたまらなく美しかった。
それ以降、激しい創作意欲に駆られるようになった。自らの手でこのような美しいものを造ってみたいという欲望が、止め処無く溢れて仕方がなかった。
しかし、どれだけ石眼邪視の研鑽を重ねても、母を超える石像は造れなかった。収蔵されていた石眼全て、更には父の双眸さえ繰り抜き、自身へと埋め込んで尚、満足できるものが造れなかった。
扶植石臍という第二魔術へのアイデアはこの時に生まれた。石化物の内部に人造臓器を派生し、それを自在に操ることができるのであれば、硬直体でしかなかった石像に駆動というまったく新たな表情が生まれることになる。
名案に思い、後先考えずに実行に移した。
(……ふふふ、あの頃の私は愚かでしたね。己が精進すれば何もかも手に入ると、安直に考えていたのですから……)
扶植石臍も上手くはいかなかった。機械的に稼働する人形は造れたものの、決められた行動方針をなぞるだけの物体に美しさは感じなかった。
そんな中、ふとした偶然が全てを変えた。
気付いたのだ。素体となる人間の重要性に。自分が求める美しさが何処にあるのかということに。
(……あるいは、これがラストチャンス。もしかしたら、彼女なら……)
空洞が埋まりゆく感覚に、阿万鵺は微かな望みを瞼に載せる。
邪視が石化の効力を発揮するまで、一秒ほどの猶予があった。
彼女は、それをどのように使ったのか。刹那の際で、いったい何を選択したのか。何を優先したのか。
見開き、確認する。
背筋が粟立つ。どうしようもなく声に喜悦が入り混じる。
「ああ、そうでしょう。貴方であれば、きっとそうなされると思いましたよ、火津摩さん」
彼女は背を向けていた。
両脚を突っ張り、仁王立ちにして堂々と、降り注ぐ邪視の雨を全身に受けて固まっていた。
驚くべきは、その石化が身体の芯まで浸透していないこと。
彼女の足元に散らばる花弁のような薄い石の破片から判断するに、どうやら咄嗟に炎の膜を張ったらしい。術式組成が乱雑だったためか、全身を覆うことは出来なかったようだが……。
(こちらとしても、石眼の子弾化は突発的なアイデアに依るもの。付属の魔力槽も急拵えでしたし、効果減衰は止むを得ないと見るべきでしょう)
完全に防がれなかっただけ良しとするべき。いや、寧ろ、この結果こそが最善であるのかもしれない。
耳を澄ませば、臓腑を貫かれた獣のような苦悶の呻きが聞こえて来る。
そうだろう。右肩甲骨から左半身にかけてのほとんどが珪素と炭素の複合無機物と化したのだ。心肺への浸透は辛うじて免れたようだが、それは即死を回避したに過ぎず、血管閉塞、血流障害に伴う恒常系の暴走は激痛となって、彼女の肉体を蝕んでいるに違いない。
小さな、すすり泣くように掠れた息遣いが聞こえて来る。
ここからでは柊の背が邪魔してよく見えないが、どうやら白髪の少女は無事らしい。
であれば、と阿万鵺は想起する。
自分が眼を取り戻すまでの時間。精神感応を通じ、二人は何を語り合ったのか。
身を挺して庇ってくれた恩人へと、少女は何を告げたのか。感謝だろうか。謝罪だろうか。それとも――
「……いいから行って! まだ終わりじゃない! 諦めないで……!」
唐突に響いた怒号に、阿万鵺は相好を崩す。
確かに、その通りだ。半身を石に変えられ身動き叶わぬ柊とは違い、少女には逃げ延びる余地がある。精神探査で石室の綻びを発見する可能性だってゼロではない。
(希望はまだ残されているということですね。ならば、私はどのように振舞うべきか……)
阿万鵺は思念を塔の頂上――無尽胎蔵があるべき箇所へと向ける。
(……私としても正念場……。そう言えば、作品製造時における私自身の心身状態については考慮していませんでしたね。ふふふ、これまた迂闊なことです、本当に……)
しかしながら、これで舞台は万全なまでに整ったと言えるだろう。
究極の美を放つ石像となるための、大事な大事な鑿の一撃。
久慈原千景との別れ。弍神巽との出会いと交渉。精神感応の少女への立ち振る舞い。そして兎塚禁李から拝聴したいくつかの情報を吟味した上で、全幅の信頼を寄せる直感が囁くものとは……。
「……ええ、そうですね。そうしましょう」
阿万鵺は石蛇の触手を撓ませる。
差し向けるのは、柊の懐。捕まえるのは容易く、そして引き摺り出すのもまた容易かった。
「雪ちゃん!」
「火津摩さん。貴方は無力です。魔術という絶大な力を会得しようとも、結局貴方は何一つ変わらない……」
阿万鵺は怯える白髪の少女を宙に翳すと、胴に巻きついている触手を軽く締め上げる。
少女が苦悶の顔を浮かべて、声にならない悲鳴を上げる。肋骨を折らない程度の圧搾だが、それでも幼い身体には堪えるだろう。
「やめろ!」
頸だけを必死にこちらへ傾けて、動けぬ彼女が吐血に濡れた顔で叫ぶ。
必死の形相。石になり切れなかった皮膚が裂け、腱が引き千切れるような嫌な音が響くが、お構いなしに柊は吠える。
自分の生命と他人の生命。いったいどちらが重要なのか。紡ぎ護るべきは、いったいどちらなのか。それを知らぬ彼女ではないだろう。
だというのに、この反応は……。
阿万鵺は石仮面の下で、にんまりと笑う。
「貴方はまたしても見ているだけです。このようにね」
「……⁉」
弍神雪を吊るしていた触手が、途端にその拘束を解除する。
宙へと放り出された少女をひたりと見据え、待機していた一匹の石蛇が虚空を駆けた。
《……え?》
そして石蛇は過たず、少女の右胸を貫通する。
柔らかな果実を握り潰す感触が、心地良く脳髄へと伝導し――




