石殿Ⅶ
それは、さながら悪夢肉片が、明確な意思を持って寄り集まる。
臓器の滑りも鮮やかに、一つの塊となるべく癒合する。
生体再生……? 違う。これは、そんな規模で済む話じゃない。まさか……。
「断片の……、無尽胎蔵の権能……⁉」
首肯とばかりに、鮮血のプールからぷくぷくと泡が立つ。
「いやはや、忌々しくも恐ろしい力です。どのような損傷を負おうとも、意識を無くし絶命したとしても、この肉体は無尽胎蔵の永久遡行によって自動的に復元される……。ほら、このように」
盛り上がった肉塊が、うねうねと血溜りから立ち上がる。
顔もなく、手足もない。筋繊維と骨片を綯交ぜにした奇怪な肉棒は、それでも首らしきものを垂れて一礼すると、二人の魔術師に対して謝罪の言葉を付け加える。
「先程机上の空論であると申しましたが、あれは嘘です。仮想体とは、実のところ、私自身。精神感応者を用いるのがベストな方法ではありますが、断片の知識に明るければその限りではありません。ほら、あのように」
視神経をずるずると垂らした、眼窩だらけの右掌が、無尽胎蔵を指し示す。
言われて、柊は初めて気付いた。
無尽胎蔵の表層を覆う漆黒のヴェール。そこに、形容し難い深紅の紋様が浮かんでいる。
どくどくと血管のように脈打って、まるで生きているかのようだ。
見覚えがある。あれは……。
「印、呪……?」
リネンの切れ端を衣服として纏い出した肉棒が頷く。
「その通り。私の肉体と霊体は、静蘭が齎したあの印呪を通じ、無尽胎蔵と完全に接合しています。無尽胎蔵が存在する限り、もはや私は不朽不滅。そうでなくては私のような戦闘弱者に守護者の任は務まるはずがありません。……しかし、自分で言うのも何ですが、なんとも浅ましいとは思いませんか? 無尽胎蔵の不死性を醜悪と謗りながらも、必要とあればその力を享受する……。なんと下劣なことでしょう。しかし、静蘭に報いることを思えば、私の葛藤など如何ほどものでもありません」
軽やかな足取りで踵を鳴らし、振り向く阿万鵺。
その姿は、バラバラの肉片となって爆散する以前のものと寸分の狂いもなく同一だった。
柊は、ぞっとする。
四饗公家筆頭を暗殺後、連合や六紡閣を出し抜いていち早く断片を確保。のみならず、その解析と実用化も早々に実現する……。
なんだ、この迅速さは。どう考えてもおかしい。あり得ない。
「成程な……」
視線を細めたままの、巽がぼやく。
「爺が探りを入れようとするだけのことはある……。七凶聖、おまえたちの目的は何だ? 詩貴静蘭は何を企んでいる?」
阿万鵺は嗤って言った。
「お答えするのは吝かではありませんが、どうなのでしょうね。そんな悠長なことをされている余裕があるとは思えませんが?」
その言葉に疑問を持つよりも早く、柊は眼前に紅い閃光を見た。
(……なっ⁉ どこから……⁉)
回避? 防御? 駄目だ、間に合わな……‼
血飛沫が舞う。が、痛みはない。
当然だ。なぜなら――切り裂かれたのは自分ではなかったから。
刹那、閃光へと割り込んだ影――左肩口から右脇腹に抜けて、深々と凶刃によって薙がれた巽が膝を着く。
《お、お父さん……‼》
雪の絶叫の思念に、柊は茫然と立ち尽くす。
ぼたぼたと大量の血痕を迸らせる巽。
彼は阿万鵺を伊達眼鏡越しに睥睨すると、何事もなかったかのようにさらりと呟いた。
「……火津摩を狙ったのは、俺がこうすること見越してか?」
それに対する返答は、ない。
黒帯に包まれた顔は朗らかに微笑むばかり。
巽はふうと嘆息し、
「伏兵を、忘れていたわけではなかったが……」
と、抜刀態勢で固まったままの襲撃犯へと二挺の銃蟲によるフルオート射撃を敢行する。
飛翔する弾丸を、襲撃者は避けない。が、接触の瞬間、再び紅の閃光が奔るや否や、その姿は忽然と掻き消える。
遥か後方に跳躍して着地……。まったく見えなかったが、しかし、今はそれでも構わない。
距離を取った。なら、離脱を……。
「いけませんね、火津摩さん。私の射程に入っていることをお忘れなく」
「……くっ‼」
復活した阿万鵺が翳す両掌。そこから射出される石眼邪視を、浮遊する蒼炎――その爆散によって生まれる炎の膜で受け止める。
薄い岩となった壁が崩れると、阿万鵺は満足したように手を下ろしていた。
「お上手です。ですが、これで身辺に漂わせていた火球は全て使い切りましたね。あのようなギミックを仕込む以上、すぐに生み出せるものではないと思うのですが、違いますか?」
柊は臍を囓む。
正解だ。炎鎖以外の術式組成には、かなりの集中と時間を必要とする。
巽から阿万鵺の魔術を聞き出し、更に小休憩時の余暇があればこそ準備できたもの。
ストックは、もうない。
《お父さん! お父さん……! 血が、こんなに……‼》
戦慄きながら駆け寄り、そのまま縋り付こうとする雪を、片膝付いた巽が冷静に引き剥がしている。
「見た目ほどの深手じゃない。落ち着け」
言われて気が付いた。
巽の胸元からは、ぱらぱらと碧緑の破片が零れている。
綺麗に両断された甲蟲の死骸。身を挺して護った? あの刹那に反応して……?
「流石は連合でも指折りの魔術師であらせられる。神速の剣技、雲英紅攪をこうも簡単に受け止めるとは」
喝采の拍手を贈る阿万鵺を無視し、巽は沈黙に徹したままの襲撃者を睨む。
肩に靡かせた錦の羽織。
右袖の奥へと秘めた仕込み刀。
腰溜めに構えて左脚を軸足とする所作。舞踏のような軽やかな身のこなし……。
そのどれもが彼のものだが、明確に違うところがある。
耳がない。口がない。
肩から上に鎮座するのは、のっぺりとした各面中央に、ぎょろりとした巨大な眼玉が埋め込まれた無機質な石の立方体……。
「……傀儡か」
巽の呟きに、阿万鵺は鷹揚に頷く。
「愛用していた石像が二体ともに壊れてしまいましたので、その代わりと言ったところです。急造品ですが、まあまあ使えるかと」
「死体の再利用……。扶植石臍を駆使すれば、術式図と霊絡神経を遺したまま、此処まで機能を維持できる……。並の技量じゃない。おまえこそ、生体技巧術師の中では五指に入る……」
「恐れ入ります。宜しければ弍神さんの死体も、久慈原さん同様に使わせていただきたいのですが、どうでしょうか? こうして欲しいという要望があれば、お聞きしますよ。貴方専用の展示フロアもご用意させていただきますので、是非に」
「……死んでまで働きたくのは面倒だ。勘弁してくれ」
「それは残念。貴方も良い素材としては一級品でありますのに。まあ、生殺与奪は勝者の特権。後でもう一度訊くと致しましょうか」
余裕綽々とばかりに阿万鵺は微笑む。
状況は、極めて悪い。
「……立てる?」
「問題ない……」
そう答え立ち上がる巽だが、身体はふらつき、足元に散らばる赤の飛沫は止め処ない。
どう見ても痩せ我慢だ。とてもではないが、真面に戦える状態じゃない。
対して阿万鵺は、完全なる無傷。無尽胎蔵の権能である永久遡行でどんな負傷からも復活を果たし、更には神速の剣術師を従僕として引き連れている。
あとは大量の猟奇石像を内陣に呼び込み、退路を塞げば……。いや、そんなことをせずとも、久慈原に命じて私達を壁際へと追い詰めるだけで、全ての勝敗は決するだろう。
こうなってしまったことに後悔はない。だから、必死になって考える。
(どうする……? どうやってこの状況を打開する……?)




