石殿Ⅰ
阿万鵺奏弦が、いつの頃から殺人芸術に手を染めるようになったのかは、わからない。
ただ、この外法師が一躍悪名を轟かせるようになったのは、十三年前、とある地方都市で起きた一つの事件を契機としている。
捜査にあたった霊障監査局の調書によれば、犯行時刻は午前十時四十五分から五十三分までの僅か八分間。阿万鵺単独の犯行であったにも関わらず、累計死者数が80人を超えたのは、雑居ビルに立て籠もった男を遠巻きに包囲していた警察関係者、報道機関員、野次馬、その一切合切を、石眼邪視によって物言わぬ石像へと変えてしまったせいだった。
『奴は悠然と立て籠り犯へと逢いに赴いた。そして四人の人質がいるにも関わらず突撃しようとしていた機動隊員も石に変えて、ライター片手に灯油塗れになっている犯人へと親し気に歩み寄ったそうだ。生還した人質たちの話によれば、阿万鵺は男へとこう言ったそうだ。テレビで男の顔を見て、大急ぎで駆け付けたのだ、と。貴方の娘さんと交わした約束を是非とも果たしたいのだ、と……』
立て籠り犯にそう語った阿万鵺は、懐から一枚の写真を撮り出した。
本当は実物を運んで来たかったのですけれど、と申し訳なさそうに謝りながら。
『それは、立て籠り犯の娘の石像だった。臓器移植が必要で、病院の無菌室での寝たきり生活を余儀なくされていた娘……。男は愕然と膝を折ったそうだ。事後の捜査で、男は娘のために基金を設立し、その手術費用を代理人に騙し取られていたことが発覚した……。もう、わかるだろう。男が立て籠もっていたのは、その代理人が務める事務所だった……』
最後に阿万鵺は男へと何事か囁くと、娘の死よりも驚愕した表情を浮かべた男を石に変え、悠然と踵を返して去って行った。
極東魔術連合は、当初、この一件を反連合外法師による社会擾乱活動の一種であると見做した。世間の注目集める事件で治安機関員を虐殺し、犯罪者を擁護することで、連合の社会統制を侮辱しようと試みるプロパガンダであると考えたらしい。
だが、阿万鵺の行動実体を洗うことで、それはすぐに間違いであることが判明した。
『阿万鵺の自宅兼アトリエからは、夥しい数の死体が出て来た。全て石化され、そのほとんどが人間性を著しく穢されたアートとなっていたそうだ……。こうした経緯から、阿万鵺は享楽的嗜好の愉快犯としてカテゴライズされている。言葉を濁さずに言うのなら、何を考えているかわからない狂人だ』
外法師は素養不足から連合によって見放された者だけ構成されているわけではない。力がありながら、あえて野に留まり、己の欲望のためだけに魔術を揮う者もまたいる。
そして血統や組織、家格から生じる面子や矜持の軛なく、無制限に行使されるその魔術は、容易く善悪の範疇から逸脱する。
阿万鵺は、そうした外法師の悪しき側面を体現したような男だと弍神巽は語った。
実際、その通りなのだろうと思う。魔術師の矜持やら誇りやらに興味はないが、阿万鵺が魔術を揮うのは、自らの歪んだ愉悦のためだ。
神殿の入り口。祭事祭礼や神話の故事を刻んだはずのメートプやフリーズには、残虐無比に殺される人間が精密細緻に描かれている。
本殿は更に異相で、柱も壁面も、屋根を支える鼎も、全てが苦悶し絶叫する石像で構成されていた。階下の猟奇石像とは異なり、こちらは完全に絶命している。そして、数が多い。二十、三十……。いや、もっと……。
怨嗟と慟哭の魔宴。蒼炎に照らし出される無音無声の阿鼻叫喚に、頭の奥が軋んでいく。
「……今までは小手調べ。この神殿こそが、猟奇芸術家の真のギャラリーっていうわけね」
阿万鵺の最高傑作……。いったい、どれほど醜悪なものを見せられるのか。
精神的冒涜に身構えながら、柊は前室を通過し、内陣へと入る。
闇の空間。中央に、巨大な何かが鎮座している。
柊は慎重に歩を進める。一歩、二歩と近づき、仰ぎ見て、
「………」
唖然と言葉を失った。
端的に語るならば、それは、地獄の坩堝そのものだった。
ぐらぐらと煮え立つ不浄の苗床より、石像の姿を借りた亡者が地上へと這い登って来ている。
だらしなく開け放たれた口腔は汚らしい涎で溢れ、滑る舌は罵倒と侮蔑を捻り出すために蛞蝓のようにうねっている。
身体は何処も傷だらけで、槍や杈で貫かれ、裂けた腹からは臓物さえ零れているが、気にする素振りは一切ない。
それどころか千切れた腕や足を玩具のように弄び、道化のように茶化しては笑い合っている有様だ。
どこか滑稽で、だからこそ陰惨で。
しかし、それがどうしたとばかりに亡者は高らかに謳う。
見るがいい、これこそが我らの住処。素晴らしき悪臭酸鼻の楽土である、と。
「………」
亡者は絶叫している。
神などいない。救世主など存在しない。だが、地獄はある。人を苦しめ嘲笑うために地獄はある。
亡者は憎悪している。
生者が憎い。幸福な誰かが妬ましい。だから、引き摺り込んでやる。巻き添えにしてやる。俺達と同じ目に遭わせてやる。
そして亡者は柊へと見せつける。
地獄への新たな犠牲者――襤褸を纏った一人の老婆へと襲い掛かる、その様を。
「………」
亡者は、老婆に、聴くも耐え難い悪態を叩きつける。
ドロドロに溶解した汚物を投げつける。苦痛に喘がせようと、無数の槍で脚を貫く。
せせら笑い、呪詛を吐き、老婆から正気と尊厳を徹底的に奪おうと画策する。
だが――
「……すごい」
老婆は、屈してなどいなかった。
彼女は両手を合わせて静かに拝跪し、深く静かに瞑目していた。
その静謐なる佇まい。無心の祈り……。
悍ましさと醜悪さの掃き溜めにありながら、いや、だからこそ、その美しさは超然と冴え渡る。
いつか老婆の魂も悪意に染まってしまうのかもしれない。狂気に墜ちてしまうのかもしれない。それでもこの瞬間における高潔さは本物で、その儚き奇蹟から目を背けられない自分がいる。
「……作者冥利に尽きますね。立ち止まって見てくれる人がいる。それだけで造った甲斐があるというものです」
虚ろから響いたその声に、柊ははっと我に返った。
後室へと繋がる回廊の奥から、ゆっくりと靴音を鳴らし、一人の男が現れる。
一部の隙もなく着こんだ高級スーツに、無数の眼球が蠢く両手。そして、顔面を包むように巻かれた黒包帯……。
「初めまして、火津摩柊さん。私は阿万鵺奏弦。この早蕨の塔にて、稚拙な創作活動に励む芸術家の端くれです。どうぞお見知りおきを」




