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次元破断の魔術師  作者: 秋原
早蕨の塔

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石柱園Ⅴ

「……?」


 何かがおかしいことに気付く。

 頭の中では足を動かし、階段に向って歩みを進めたはず。

 なのに、見下ろせば、足はまったくその場から動いていない。


「………」


 無表情のまま、鞘に納めた刀の柄を握ろうとして、気付く。

 左腕の感覚――手首から先の感覚が、いつの間にか無い。


「………」


 上腕を動かし、左手を目の前に持ってくる。

 雪華石膏(アラバスター)にも似た、滑らかな白い光沢。それは陶器のように硬質な代わりに、柔軟性と精気を(ことごと)くに欠いている。


(石化……?)


 頭が真っ白になる。

 なぜ? どうして? どういうことだ?


 べとり、ぐちゃ、べとり、ぐちゃ……。


 背後で何かが蠢いている。

 咄嗟(とっさ)に振り向こうとして、それすら叶わないことに千景は愕然とする。

 首が、背筋が動かない。感覚自体がない。まったく何も感じられない。

 心臓を(えぐ)るような寒さだけが、執拗に首を絞めつける。


 ぺちゃ、ねちゃ……ぐちゃ……。


 何かがひどく猥雑(わいざつ)な音を鳴らして()っている。

 のたりのたりと身をくねらせている。


「ああ、成程。こうなるのですか……。実に貴重な経験をしましたね……」


 斬り殺したはずの、寸刻みに切り刻んだはずの男の声が聞こえる。


「奇妙な感覚です。何度も目にし、手にかけてやってきたことですが、自身に置き換えてみると、存外に悪いものではありませんでした。意識が深遠に跳ぶ瞬間、これが実に心地良い。生命を諦めることの虚無感と、もう何もしなくていいという安堵感。それが混然一体となって、(おのれ)が優しく溶かされていく……」


 なぜだ。

 奴は死んだはずだ。確実に息絶えたはずだ。

 首を刎ね、刎ねた首を小間切りにし、残った体躯(たいく)も微塵にした。

 全力を尽くして殺したのだ。心許なくなってきた魔力残量を無視し、後先考えず一気呵成(いっきかせい)に始末をつけたのだ。

 そこに一切の手抜きはなかった。

 なのに―――


「最後まで溶かされれば、おそらく本当に死んでしまうのでしょう。しかし、これはあくまで私の主観。万人に共通であるかはわかりません。臨死体験ともまた違うものでしょうし……。いや、どうなのでしょうね。死から遡行(そこう)した私は、本当に死んだと言えるのか。難しいところです」


 ぐちゃぐちゃと泥を捏ねるような音はいつしか止み、乾いた衣擦れに取って代わる。

 コツコツと靴の(かかと)が鳴る音に、何かを拾上げるような動作音。

 よいしょっという軽やかな掛け声が混じる。


「……ん。ああ、くっつきましたね。しかし、面白いものです。喉と肺の繋がりが切断されている以上、頭部のみで声が出せるはずもない。なのに、私は呼吸し、あまつさえ感想を口にすることができた……。まさしく出鱈目(でたらめ)もいいところですね。いやはや、改めて感じ入ります。つくづく次元破断の断片とは凄まじい」


 そして阿万鵺は再び千景の前へと姿を現す。

 傷一つ、染み一つもないスーツに黒包帯。

 右掌に犇めく石眼から邪視を照射しつつ、何事もなかったかのように微笑を(たた)えて。

 信じられないと千景は叫ぶ。


「なぜだ‼ なぜ死んでいない⁉ どうして平然と動いている⁉」


 手応えは確実にあった。幻覚や錯覚などでは絶対にない。

 飛び散る鮮血の音色。零れた臓物から立ち昇る湯気。腸液胆汁入り混じった悪臭。そのどれもが現実だったはずだ。


「魔術師との戦いにおいては、絶対など在り得ません。時には予想もしないことが起こるもの。ですから、油断していけません。勝利に酔い()れ、その場にとどまってしまったのは致命的なミスでしたね。万が一にと警戒し、私の死体から即座に距離を取っていれば、こうもあっさりと終わることはなかったでしょうに」


 そう言葉を紡ぐ合間にも、阿万鵺は容赦なく千景へと邪視を注ぐ。

 苦しい。息ができない。浸透する石化が肺を侵したのか、(あえ)ぐことすらままならない。


「繰り返しますが、貴方は私の素材にはなり得ません。ですが、ご安心を。別の使い道を考えておりますので」


 阿万鵺は千景へ注いでいた右掌の邪視を、自身の足元へと向ける。

 瞬時に生まれる細い石柱。それは意思を持つかのように揺れ動くと、阿万鵺の右手に巻きつき、形状を変えて巨大な斧へと姿を変えた。

 質量に任せて押し潰すだけが取り柄の、(なまく)らな石刃。

 だが、それでも自分の命を奪うには十分で、そのざらつく刃が遠心力と共に自分の頸へと吸い込まれていくのを、千景は白濁した意識の中で眺め遣る。

 白くなっていく世界の中で、何かが見える。


翡翠(ひすい)の帯飾り……。曾祖母の……。三味線の音色が聞こえる……)


 扇子を(かざ)し、(はかま)(ひるがえ)して、最後の拍子を舞い終える。

 こちらを見詰める、三人の妹たち。はっと息を呑む彼女たちの幼い顔には、純粋な憧憬(どうけい)と感嘆があって……。

 稽古に客はいない。だけど、いつもそうするように千景は鎮座し、深々と頭を下げる。

 幼い拍手。そして、三味線を弾き終えた曾祖母の皺枯(しわが)れた吐息に混じって、


『……上手くなった。これなら、もう、大丈夫や』


 一切の妥協を許さぬ厳粛な曾祖母が、ただ一度だけ露わにした、賞賛の微笑。


(こんなものが……、僕の、走馬灯か……)


「……ああ、畜生め」


 ぱしゅっと水音が響き、千景の意識は光に消えた。



                ◆  

 


 ぽたぽたと水滴が石畳に()ねる中、男の独り言ちる声が響く。


「最期の表情……。存外悪くなかったですね。うーん、少し惜しい事をしたような気も……っと、危ない危ない」


 阿万鵺は右掌を引っ込めると、棒立ちとなった首無し死体を見遣る。


「石化はこの程度で留めておかないと。全身を石に変えるわけにはいきませんからね。さて、精神感応のお嬢さんもお目覚めになったようですし、こちらも急いで準備しませんと。兎塚さんの情報通りだと良いんですが……」


 転がる久慈原千景の首。それを拾い上げて、阿万鵺はにっこりと微笑む。


「それでは久慈原さん。私と一緒に、世界を終焉から護りましょうか」

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