巨人像
壁龕をイメージしたホールの中央。
滾々と黒褐色の液体を噴き出す噴水の上に、それは忽然と立っていた。
「………」
巨人だ。
禿頭裸体の巨大な石像。身の丈は優に八メートルを超えている。
噴水によって全身を赤黒く濡らしているが、それでも皮膚が不自然にごつごつと隆起していることがわかる。まるで、地表に噴出した溶岩がそのまま冷え固まったかのよう。
一見すると粗野で粗暴。だが、廊下の猟奇石像に勝るとも劣らない悪意の体現に、柊は頬を引き攣らせる。
噴水の周囲には、複数の人型石像が配されていた。
骸骨同然に痩せ衰えた裸体像。老人もいれば子供もいる。恋人と思しき手を繋いだ男女もいれば、嬰児を胸に抱き締めた母親らしき像もある。
彼等に虐待の痕跡はない。しかし、叫んでいた。
全身全霊で、こっちに来るな、来ないでくれ、と、逃げ惑っていた。
巨人は貪っていた。
ごりごり、ぐちゃぐちゃと、口腔一杯に頭から噛み砕いた女を詰め込んで、地味豊かな肉汁を嚥下していた。
――足りない。この程度では。もっと、もっとだ。
何処からか聞こえて来た声に、柊はびくりと震える。
久慈原……? いや、違う。なんだ、今のは……。
まさか巨人が呟いたとでも言うのだろうか。馬鹿な。
しかし、飢えを満たすことへの限りない渇望が、巨人の全身から冷気のように迸っているのは疑いようのない事実……。
いくら腹を膨らませようとも、何かが決定的に足りていない。満たされない。
だから、巨人はひたすらに贄を求めていた。
涎と脂でこびりついた指で、新たな血肉を欲して憐れな飢餓者を追い回していた。
だが、はたして、巨人は気が付いているのだろうか。
自らを構成する肉体。それが、咀嚼し呑み込んだ無数の人間の破片から成ることを。
そして、散り散りに逃げる飢餓者が、ぐずぐずと崩れ出している自らの下半身から生まれ落ちていることを。
「永遠に繰り返される捕食と飢え、か……。なかなかに凝ったカリチュアじゃないか。人間の浅ましさをよく表しているね」
巨人の表皮に浮かぶ、無数の苦悶の顔。それを見てせせら笑う久慈原の言葉に、柊は静かに目を伏せる。
キュレーターの目的は十分に達成されたはずだ。もう、見たくはない。巨人を挟んだ対岸に階段があることは確認済みだ。さっさと先に進んでしまおう。
陰鬱さを無表情に塗り込めて、柊は石像群を迂回しようと一歩を踏み出し――
ぎゅるり。
「……‼」
湿った捩じれ音が一斉に響くと同時に、目が合った。
液体に濡れる飢餓者の顔が、飢餓者を貪る巨人の顔が、ホールを埋め尽くす全ての石像の顔が、こちらを見ていた。じっと見詰めていた。
柊は唖然としながらも気付く。
物言わぬ岩でしかなかったはずの石像の顔が、小刻みに震えていることに。
ぴくぴくと痙攣し、喉と鼻腔に空気を含ませ、口を激しく開閉させた、次の瞬間だった。
「……ぁあ………ああああああ‼」
「助けて……すけて……たすけてよおおおおお!」
「ああああ! やだあああっ! あああっ!」
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてええええええ!」
阿鼻叫喚の大合唱に、柊は当惑する。
「こ、これは……? っ! まさか……!」
柊は直感的に理解する。
生きている。彼等は生きている。人間だ。石なんかじゃない。最初から……。
くすくすと、久慈原が微笑む。
「成程。石化魔術の使い手か。それも芸術家被れの猟奇趣味……。現世で人間を攫うのは結構なリスクがあるけど、霧郡なら問題ない。近くに被災民がいなかったのはそのせいかな? この塔の前身が美術館だったから触発されたのか、それとも飾るのにうってつけだったから居座ったのか、どっちだろうね? まあ、いずれにせよ、依然として塔に巣食っているのは間違いない」
「……塔の魔術師を、石像製作者と同一であると見做すのは危険では?」
これ以上悲鳴を聞いていたくなくて、柊は現実逃避のために久慈原へと尋ねる。
久慈原は、そんなこともわからないのか、と呆れたようだった。
「多々羅の出血、おかしいと思わなかったかい? 満身創痍で帰還した割には、出血はプラットホーム、彼の倒れている個所にしか零れていなかった。そして、アジト内部における荒廃。あれは平面獣の襲撃なんかじゃないね。多々羅自身がわざと壊したものだ。適度に瓦礫が散乱していないと誤魔化せないからね。自身の肉体が石化してしまったことをさ」
「魔術によって石となった四肢や脇腹を砕き、それをコンクリート片に紛れ込ませることで敵の正体を隠蔽しようとした、と……?」
「そう。僕との取引を有利にするためにね。僕等二人の接近を察知して砕いたんだろうけど、なんともお粗末な仕掛けだよ。僕等が気紛れを起こして引き返していたら、どうなっていたんだろうね、あの人。まあ、そんなわけで、塔の魔術師が石化魔術を操ると考えることは理に適っている」
そう笑うと、久慈原は柊へと向き直る。
「さて、塔の魔術師が本当に一人きりとは限らないが、僕達が排除すべき当面の敵については把握できたわけだ。石像の意匠の巧みさからもわかるように、この魔術師は常習的に人間を石像に作り変えて遊んでいる。なぜ断片を手中に収めたかは不明だが、それを殊更喧伝することもなく趣味に耽溺し、それでいて六紡閣の精鋭を撃退できるだけの実力者……。火津摩、君はそんな人物に心当たりがあるかな?」
柊は無言で首を横に振る。
くくく、と久慈原が優越感に満ちた微笑を浮かべた。
「そうだろうね。君のような即席魔術師ではその程度だろう。しかし、僕にはある。そうか、そうか。こんなところに隠れていたとはね。てっきり国外にでも逃亡したとばかり……」
何のことかはわからなかったが、質問したところで久慈原が教えてくれるはずもない。
「だが、どうやって断片を……? 塔を接収した際にでも見つけたのか? ……まあ、いい。いずれにしても邪魔者は消すだけだ。……ん? 何をしている、火津摩? さっさと片付けろ。まさかこんな石像ごときに気圧されたわけでもないだろう?」
「……はい」
逆らえるはずもなく、柊は正面に向き直る。
もはや尖兵としての正体を隠そうともせず、石像たちは侵入者を排除すべく動き出していた。
強張った棒のごとき四肢を不気味に前後させ、緩慢なゾンビのように、石像たちがこちらに向かって手を伸ばす。巨人像もゆっくりとではあるが身を捻って歩き出した。
背後を伺えば、予想通り、廊下に展示されていた猟奇石像が退路を絶つように群れている。
人海戦術は、こちらの手の内を探ると同時に疲弊を誘う常套手段。囲まれれば厄介なことになる。
まずはあの巨人をどうにかするべきだ。鈍くても、あの質量は脅威。本格的に暴れられる前に倒さなくてはならない。
だが――




