地下駅舎
久慈原千景が騏堂成叡から受けた指令。
それは、霧郡に派遣された近習衆の重鎮、多々羅信篤との連絡が途絶したことに端を発している。
現世と亜空隙。二つの次元に跨る連絡網の脆弱性は、早い段階から指摘されていた。
新宮寺に空いていた次元穴が前触れなく閉塞したように、安定的確保が困難な通行路。通過そのものにもリスクがあり、潜った段階で何が起きても不思議ではない。
無事に到着しても、霧郡では濃密な魔力が大気に放出されているため、空電が頻繁に起きる。そのせいで周波数での通信は困難であり、酷いものになれば精密機器が壊れてしまう。
現世への帰還にしても、次元穴は一方通行であるため、入り口からは帰れない。霧郡から現世へ繋がる出口用の次元穴を探す必要があり、それも出現消失を繰り返す。
このような事情から、霧郡と現世との間には隔絶が生まれやすく、定期連絡が途絶えることもしばしばだ。
だが、それでも、一週間に渡る不通はあり得ない。
そこで騏堂は現状確認も兼ねた増援部隊の派遣に踏み切った、と、つまりはそういうことになる。
「さて。それでは御屋形様の命令通り、まずは無能な前任者との合流を目指すとしよう」
最初の目的地として、多々羅が連絡途絶前に拠点としていた基地を目指す。
久慈原の判断に、柊としても異論はなかった。
幸いにも、柊たちが降り立った場所は、事前に渡されていた都市概要図上にマッピングされていて、基地までの相対距離が割り出せた。
直線距離にして、およそ百二十キロ。消失以前の霧郡であれば、東西南北を二度横断してもおつりが来る。
おかしいと思ったが、少し歩いてみてすぐに納得した。
いくら進んでも金融街から一行に出られない。延々と同じような外観が続く。
久慈原が自慢げに語ったところによれば、なんでも霧郡の土地に纏わる記憶が汲み上げられると同時に複写され、無秩序に増殖しながら再現されているらしい。
「水源や寒暖差もないのに、盛んに湧き出る霧もそのせいさ。霧郡の名の由来。それくらいは調べて来ただろうね?」
柊は無言で頷く。
霧郡。この街は、高度経済成長期に氾濫対策として埋め立てられるまで、大小様々な河川が縦横無尽に走っていた。
それゆえこの地は丑三つ時ともなれば濃密な霧にすっぽりと包まれるようになり、その陰に隠れて、捨て子やら神隠しやら殺人やら、数多の悲劇が生まれたそうだ。
それらは浄瑠璃や戯曲となって語り継がれるようになり、いつしかこの地は、霧隠れの郡、略して霧郡と呼ばれるようになったと言う。
「古都としての佇まいを色濃く残した極東有数の商業特区……。この街の存在が消えたことで、どれだけのGDPが減ったかな? まあ、僕等魔術師にとっては、連合に上納される血税の額面が多少目減りする程度だ。損失としては些細だが……しかし、誰もいない。二か月が経過したとはいえ、もう少し生き残っているものだと思っていたんだけど……」
「………」
事前情報によれば、亜空隙に墜ちる前の霧郡には、推定でも十万人を超す人間が存在していた。彼等はいったいどうなったのだろう。久慈原の言う通り、全滅したとは思えない。
しかし、基地までの道程で、被災民を見掛けることは終ぞなかった。
「ここだな。ようやく到着か」
到着までには、結局、二日間を費やした。
未知なる霊異事象を回避し、起伏の激しい要害を迂回したため、思いの外、時間を取られた。
六紡閣がそうであるように、幣浄院、四饗公家も配下の魔術師を霧郡へと派遣している。彼等に見つからないように慎重に移動していたことも原因だろう。
柊は、崩れたドミノのように折り重なった地下鉄車両群を眺め遣る。
大地には深い裂け目が開いており、どうやらあそこから地上へと引き摺り出されたらしい。車両の最後尾は未だ地下のトンネルに留まっており、そこから地下鉄線内へと降りられそうだった。
車輛の連結でできたスロープを降り、真っ暗なトンネルを線路に沿って突き進む。
地盤沈下や岩盤崩落が予想されていたが、思っていた以上に軌道は綺麗だった。レールも歪んでおらず、非常灯も沈黙こそしているものの破損はない。なら、どうして車両が地上に出て来たのだろう。地震というわけでもなさだし……。
そんなことを考えながら柊はカーブを曲がり、脚を止める。
「………」
見渡す限り、全てがズタボロにされていた。
爪状の傷跡によって粉砕されたコンクリート壁。天井からは千切れた黒いケーブルがだらりと垂れ下がり、路面は抉れて穴だらけになっている。
仄かに感じる魔力の残滓。誰かが魔術を使った。それもかなり派手に。
だが、それよりも感じるのは血の匂い。しかも、これは新しい。新鮮で、今も零れている……?
「そこにいるのは誰かな? 殺されたくなければ出て来たまえ」
左手を羽織の右袖へと携えた久慈原が、鋭い眼差しをプラットホームへと向けている。
暫しの静寂。そして、低く唸るような声が聞えて来た。
「……ようやく、来やがったか。遅いんだよ……」
「ああ、なんだ。貴方でしたか」
久慈原がふんと鼻を鳴らし、警戒態勢を解く。
声の主には柊も心当たりがあった。但し、これほど弱々しくたどたどしいものではなかったが。
非常階段を使ってプラットホームへと昇る。
広告板が設置されたベンチの向こう。真っ二つに折れた柱の根元に、異質な塊が一つ転がっている。
「なんとまあ、ひどい有様じゃないですか。アジトも壊滅しているようですし、どこぞの魔術師に寝込みでも襲われましたか、多々羅さん?」
慇懃無礼な久慈原の挨拶に対し、その塊は億劫そうに眼を開いた。
「可愛くねえ小僧だな。ちったあ年長者を敬ったらどうだ? 近習衆に成り上がったばかりの新米がよぉ」
多々羅信篤。
騏堂の信任篤い、忠臣中の忠臣。近習衆の取り纏め役であり、筋骨隆々とした巨躯もさることながら、その豊富な見識と有無を言わせぬ実績から六紡閣の大黒柱とも讃えられる名門魔術師……。
それが今や、柊よりも小さく削られ、死に瀕している。
喉と脇腹からごぼりと噴き出す赤黒い液体。噎せ返るような血臭。
四肢の全てが根元から捥がれている。
常人であれば、失血か多臓器不全でとっくの昔にショック死していただろう。
魔術師としての強靭さが、彼をどうにか生かしている。が、それも、限界だ。早急に手当てしなければ……。
しかし、久慈原は平然としている。それどころか、冷然と瀕死の上役を見下している。
「多々羅さん。僕が此処に来た理由はお解りですね? 貴方の消息確認。これは終わりました。では次に、最も肝心な部分――貴方自身の任務の成否についてお聞きします」
そして、久慈原は問い掛けた。
「多々羅さん。貴方は早蕨の塔を制覇し、次元破断の断片を手に入れることができたのですか?」




