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後編

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「本当かい、パパ!」

 喜色満面といった様子でマクガヴァン少将から事の仔細を聞いているのは、その息子であるサーレオン・アブラハムだ。

「ああ、そうだ。お前はもう少し落胆するなり怒るなりするかと思っていたが……」

 息子の反応を奇異に思いながら、マクガヴァンは首を傾げる。

 普通に考えれば、そう言った反応を示す筈だ。なにせ、婚約の話が進むどころか後退してしまったのだから。

 どう考えても喜ぶ様子は無いのだ、普通なら。

 勢いを買って受けただけの賭けの内容には、実際何処にもメリットらしきものは無いのだから。

「よぅし、これで婚約が成立しなくても問題が無くなった! 計画通りだ!」

「――――――は?」

 はしゃぐサーレオンの口から漏れ出た言葉に、マクガヴァンは耳を疑った。

 というか、息子の脳の具合を疑った。

「待てサーレオン。お前は、アメリア嬢と結婚したかったのでは無かったのか?」

 そう。それが今回の話の大前提だった筈だ。現に、サーレオンは先日まで頑なに断っていた軍属の話まで受ける覚悟を決めている。

 その為にマクガヴァンは貴重な『借り』を強引な形で督促までしたのだ。

「いや? そうでも無いよ。他にも気になる女の子はいるしね」

 しかし、サーレオンはあっさりと首を振った。

「ならばどうしてアメリア嬢でなければダメだとあれだけ言っていたのだ! まるで意味が分からんぞ!」

「嫌がる女の子と無理矢理……なんて僕の美学に反してるよ。だからこそ、計画通りなんだ」

 息子の言っている言葉の意味が把握できず、マクガヴァンは困惑する。

 常日頃から時折理解できない言動を発していたが、今回の奇行は度を越している。

「つまりね、パパ。僕は初めっから、この現状を作る予定だったんだよ」

 その言葉で、漸くマクガヴァンは息子の真意を察した。

 常日頃から話していた言葉の、その全てが戯言では無く真実だったとすれば――――。

「つまりお前が欲していたのは――――アメリア嬢ではなく、あのレオ君……なのか?」

「そう、その通りだよ」

 良く言い当てたと言わんばかりに、父親相手に人差し指で指し示すサーレオン。余り行儀が良いとは言えそうにない態度だ。

 そういった魔術が発動されたという意味以外で、鋭い剣で突き刺されたような頭痛が指された側であるマクガヴァン少将へと襲いかかった。思わず頭を抱えるようにして呻き始める。

 ひとしきり呻いた後、疲れ果てたような顔をして平気な顔をしている息子へと問いかける。

「何故、どうしてあの劣等生なのだ。お前が称賛するからと学院長に頼んで成績を教えて貰ったが、とても褒められたものでは無かった」

 どのように思考しても、マクガヴァンにはその点が納得いかなかった。

 疑似魔術を主に扱う学問では、その殆どがBかCといった程度の単位しか取れていない。

 例外的に召喚術系統では優秀な成績を残しているようだが、その程度だ。

 ――――世の中の殆どの魔術師がそうであるように、マクガヴァンも例に漏れず召喚術を下等な魔術と見做していた。

「ダメだなぁ、パパは。レオ君の凄さが分からないなんて」

 笑いながら、サーレオンの表情が変異していく。

 朗らかな笑いから、嗜虐と猟奇の混濁したような嗤いへと。

「パパも観戦に来なよ――――見れば嫌でも分かる筈さ。レオ君がどれほどの奴なのか」

 サーレオンから見られた瞬間、マクガヴァンの背筋がぶるりと震えた。

 話をそれまでとばかりに退出し、書斎へと向かいながら心中で微かな安心を得る。

 今にも獲物を狩らんとする、野獣の如き眼光。

 その眼を見て、息子を軍属させる決意を固めた日のことを思い出した。

 かつて――――息子が十に満たなかったころ。

 息子を家政婦へと任せ妻と二人、国でも評判の歌劇を鑑賞しに久々の休日を満喫したあの日。

 芸術を解さない自身にも面白いと唸らせた歌劇の話をしながら夕食を食べ、楽しく帰宅して見た光景は――――赤かった。

 十数年たった今でも、鮮明に憶えている。

 頭部がリンゴほどの大きさまで圧縮された死体。

 身体をくり貫かれる様にして穴だらけにされた死体。

 背骨を抜き取られ、口を通して樹に縫い止めてある死体。

 右腕と両脚が凍傷によって壊疽し、腐り落ちてしまった死体。

 炎で以て全身が炭化するまで燃やされた後に水を掛けられた死体。

 破壊されつくされた死体で、屋敷の中庭全体が埋め尽くされていた。

 頭部の残っている死体全てが、一様に絶望の表情を浮かべていた。

 息子の生命の危機に――――背筋が凍った。

 最も、その最悪の想像は一瞬にして砕け散った。

 凄惨な死体の中に立ち、死体を弄びながら嗤っている血塗れの息子が居たからだ。

 そのあまりにおぞましい光景に戦慄したが、すぐさま駆け寄り何事が起きたのかを詳しく尋ねた。

 当時からアブラハム家の鬼才と謳われていただけあり、息子は要領よく事の仔細について語ってくれた。

 オブジェのように配置されている死体は雇った家政婦が手引きした暗殺者らしいこと。

 それらを羽虫の手足をもぐように弄びながら、朝から時間を潰していたことを。

 その後の調査により、この事件は性根の腐った兄の雇った暗殺者であったことが分かった。

 あの時は怒りに任せて粛清したが、今では逆に感謝する気持ちすら芽吹いている。

 学院に入ってからは、女の子を侍らせ始めたりしたかと思えば盛んにレオ・ファルドのことを語っていた。

 あの日に見せた残忍性は、今ではすっかり為りを潜めている。もしかしたら、まだ幼かったからかもしれない。

 だが――あの日があったからこそ、マクガヴァンは何としてでも息子を入隊させようとしたのだ。

 確かに、稀代の天才ことアメリア・ファルドを迎えられないのは残念でならない。それも事実ではある。

 だがマクガヴァンも、息子と同じく嫌がる婦女子に無理矢理に婚約を迫るような真似は御免だった。

 どちらにしろ約束を果たした以上、これで息子は卒業後は軍へと入隊し、自分の跡を継ぐ道を歩んでくれるだろう。

 ならば、これで何も問題は無い。

 そこまで考えて、マクガヴァンは書斎へと足を速めた。

 机の前に座ってノートの上で鉛筆を滑らせながら魔術式を改良しつつ、サーレオンが呟く。

「――――――漸く。全力の君と戦えるんだね、レオ君」

 サーレオンの狂気染みた含み笑いが、一人きりの部屋に木霊した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「…………大丈夫か、レオ」

「坊主は今朝からずっとこの調子でな、全くもって不甲斐ない」

「大丈夫だ、問題無い」

「いや……目の焦点が合ってないぞレオ」

「だいじょ……ん? あれ!? 今何限目だ!?」

 意識のピントが唐突にあったような錯覚とともに、自意識を取り戻す。

「オイオイ……今はランチタイムだぜ、親友」

「もう、昼なのか……」

 一限目のの教室に辿り着いて、遅刻しなかったことに安堵して席に着いたところから今までの記憶が全く無い。

 俺は、どうやって授業を受けたんだ……?

「えー!? レオ、さっきの講義の時も意識無かったの!? あんなに凄いの作ってたのに!!」

「え……? 俺なんかしてたか……?」

 シェロームが言うには、俺は二限目の魔術加工学で『凄いの』を作ったらしい。

 暴れ回れるほどの体力は残って無い筈だが、何をしたというのだろう。

「うん。久々に実技で好きな物作れってことになってたのに……」

「そうそう、皆が魔術加工学だからって鉄とか銅とかを加工してた中で、寝てた筈のお前が突然『刃化』発動して構え始めたのには俺どころか教室の皆が引いてたぞ……先生はあの『刃化』の出来が良かったから褒めてたけど」

 ……図らずも先生の好評価が得られたので良しとする。

 皆からの評価がどうなったのかは敢えて考えない。

 ……ッハ、どうせ元から落第生なんだ。どうってことないさ。

「……哀愁漂ってんぞレオー。それにしても、お前最近なんかおかしいぞ? 消灯時間過ぎてお前の部屋行っても居なかったりするし」

「消灯時間が過ぎてるのに、何でお前は俺の部屋に堂々と来てるんだよ」

 お前も大概おかしいことしてんだろ、いつものことだけど。

「一週間後、学院で闘魔会あるだろ?」

「ああ、校内での一大イベントだからな。当然校内人気随一の決闘トトカルチョことBOREROも盛大に活動する予定だ」

 BOREROって何だよと言いたいところだが、残念ながら学院公認である。

 入学してすぐにこの組織を学院に認めさせたボレロは正直頭おかしいとしか思えない。そして公認する学院も頭おかしい。

 まあ…………こうやって文句言ってる俺自身もその組織の一員に入っていたりするのだが。

「残念ながら今回は手伝ってやれないな。今回は、俺も出場するから」

「………………お前、マジで言ってんのか?」

 俺の大会への参加表明に対してボレロから返されたのは、気持ち悪い物を見せつけられた女子のような視線だった。

 あれ……? おかしいな。ボレロなら「ッヒューゥ!! いよいよやる気になったのか親友!」とか言いそうなもんなのに。

「いや……うん、まあ、そういう趣味は悪くない。仕方ないと思うよ俺は。可愛くて綺麗な姉なんて奇跡的な存在、そうはいないもんな」

「レオ、だから他の女の子に興味無さそうだったんだ……」

 え? なにこれ? 何でこんな敵地に迷い込んだみたいな状況に陥ってるんだ俺は。っていうかアメリアがどうかしたのか?

 先程まで親しげに話しかけてきていた親友とその使い魔が、哀れな物を見るような視線を俺へと投げかけてくる。

「っちょ、ちょっと待てよ二人とも。どうして俺がそんな目で見られないといけないんだよ」

「ん……? あれ? もしかしてお前、知らないのか?」

 そう言いながら、今回の大会のパンフレットを手渡してくるボレロ。

 ありがたく受け取り、その見出しを見た瞬間。

 冗談抜きで、一切の誇張無しで心臓が止まるかと思った。

「――――――――――ッ!!」

 意識せぬままに声無き悲鳴を上げてしまう。

「知らなかったんだ……パンフレットが出回ってから二・三日は経ってるのに」

「いや、まあ仕方ないだろ。ああ……大会に向けて修行してたから疲れきってたんだな」

 他愛も無い会話をボレロ主従が繰り広げているが、まるで頭の中に入ってこない。

 そんなどうでもいいことよりも、パンフレットの見出しの方が遥かに問題だった。

 パンフレットには――――アメリア生徒会長の口づけは君のモノ! という途轍もなく頭悪そうな見出しがでかでかと載っていた。

「どうなってんだ関係者! お前か、お前の所為なのか!!」

「おいおい親友……流石の俺も大会に言いがかりはつけらんねぇよ。提案者は……そいつだぜ?」

 ボレロが首を絞められながらも俺の背後を顎で指し示す。

 ついつい釣られる様にして見ると、そこには宿敵が立っていた。

 整った顔に人好きのしそうな表情を浮かべながら、その男は優雅な足取りで近づいてくる。

 その左腕には、アメリアの一つ下の役職を示す魔徒会副会長の腕章が付けられている。

 ついこの間までは――――。

 そう、この間までは、やけに親しげに話しかけてくる、俺みたいな劣等生との決闘を盛んに望む酔狂な奴という印象しか無かった男だ。

 今では、アメリアを強引に奪おうとする掠奪者としての印象しかない。

 宿敵、サーレオン・アブラハムがそこに居た。

「やあ、レオ君! 今日も一段と凛々しいね!」

「黙れ金髪偽善者。その肩まで伸びた髪を全部毟り取られてハゲたくなかったら今すぐ消えろ」 

 全身から清々しいといった感情を放出してくるかのような挨拶にも俺の心が動かされることは無い。

 あの無駄に条件の重なった『誓約』さえ無ければ、大会の前にどんな手でも使って存在を消しているところだ。

「いきなり酷いなぁ、レオ君は。僕が何をしたって言うんだい?」

「何を――――だって?」

 訓練の成果か、無意識のうちに『刃化』発動させる準備として右手を動かし――――。

「オイオイ、どうしちまったんだよレオ」

 脇腹まで持って行ったところでボレロに掴まれる。

「ああそうか、成る程ね。レオ君は、大会の優勝者への賞品に不服があるんだね」

 納得がいったというような顔でのうのうと『賞品』扱いするサーレオンを、更に睨みつける。

「これも――――婚約も、だ」

 自制心を保ち、発動しかけていた『刃化』の魔術が暴走するのを防ぎながら、殺気を込めて言い放つ。

「は? 婚約?」

 話が理解できないボレロのことは、今は置いておく。

「今回の『賞品』の件に関しては完全に自分で判子を押して貰ってるよ? 尤も、疲労で意識が朦朧としていた時にだけど」

 殺気を感じていながら、尚も舌を動かし続ける金髪。

「いやいや、仕方ないねぇ。僕の目的を完全に達成するにはどうしても会長を使う必要があ――――」

「――――アメリアを、モノ扱いするなよ、有象無象が」

 自分でも驚くほどに低く、冷酷な印象を与える言葉が口から零れた。

 純粋で素朴な、殺意の発露。

 横目で、シェロームの怯える姿を捉える。

「っくく」

 その言葉にも気圧されることなく、サーレオンは唐突に笑い出した。

「何が可笑しい?」

「漸く良い顔になってくれたと思うとつい、ね」

 ひとしきり笑い終えたのか、笑いながらも顔を上げて続きを言う。

「それにしてもレオ君、怒ると会長のこと名前で呼ぶんだねぇ」

「――――――ッ!?」

「それじゃ、大会優勝と同時に結婚なんてことがないように頑張ってみてくれよ」

 そう言って背を向けるサーレオン。

 その姿は完全に油断しきっている。そしてボレロも唐突な事実に呆然としているようで、抑える手から力が抜けきっている。

 ――――今ならッ!

「こら待て坊主。悔しいなら大会で晴らせば良いだろうが」

 が、掴まれていた右手を素早く動かして自由にした瞬間、頭を掴まれて前へと進めなくなってしまう。

 そうこうしているうちに、サーレオンの姿は見えなくなってしまった。

「何すんだよ、シルクリス!」

 後頭部へと手を伸ばし、頭を掴む太い腕をはたき落して後ろを向き、シルクリスを怒鳴りつける。

「何をするんだ、はお前だ坊主。『誓約』とは生半な魔術では無いのだろうが」

「う…………」

 確かに、そうだ。あれだけ強化された『誓約』を破れば、その被害は俺だけに止まらないだろう。

 下手したらアメリアにも被害が及んでいたかもしれない。

 ……危うく、怒りに任せてとんでもない自体を引き起こすところだった。

「すまん……悪かった、シルクリス」

「全くだ。本気で愛しているのは分かっているが、それにしても一応は姉だろうが」

「――――っちょ、お前ッ!?」

「あ、すまんレオ」

 慌てて口を押さえるシルクリスだったが、時既に遅し。

 その後ろには、鬼の首を取ったかのような顔をして目を輝かせるボレロの姿が。

「シスコンだァー! おーい皆ー、ここにとんでもない変態シスコン馬鹿がいるぞぉー!」

 周囲に向けて叫び出すボレロ。何事かと周囲の注目が集まってくる。

 悟ったような気持ちで、空を仰ぎ見る。

 雲一つない空は、遥か遠くの彼方まで泣きたくなる程に深い深い空の色をしていた。


 俺の隠し続けてきた嗜好が周囲から見れば薄々勘付ける程度のものであったことが解ってから、数時間後。

 ここ最近の日課通り、俺は自室で実戦訓練の前に術式の改変を行っていた。

 尤も、術式の改変とはいっても通常の疑似魔術では無い。ルージュやゴードン達が扱う真魔術の、だ。

 通常、魔獣は真魔術を扱う際に魔術式を構築したりはしない。

 真魔術はその魔獣達の血によって受け継がれているため、腕や足を動かすのと同じようにして発動できるからだ。

 とはいうものの、魔術は魔術であるために魔術式も存在はしている。敢えて意識すれば、魔獣達にはその術式を理解することが出来る。

 しかし、真魔術の術式は人間には決して理解できない。

 それこそが、真魔術と疑似魔術と区分されている原因である。

 そもそも何故人間が使う魔術が疑似とされているかと言えば、これは魔術の祖であるエイヴォンが魔獣の使う真魔術を参考にして基本の魔術を編み出していったからだと言われている。

 エイヴォンは無から編み出していったわけではなく、それらの真魔術の魔術式がどのような働きをしているかを解読し、それを人間が再現できるような形へと改変していくことによって疑似魔術を編み出していったらしい。

 などと言っているが、エイヴォンのように誰にでも真魔術の術式が解るかといえば――――そんなことはないのだ。

 魔術が無いのに、どうして魔術の術式なんて目にも見えないものが理解出来たのか。

 その答えは、エイヴォン自らが語っている。

 ――――曰く、『私には彼らの魔術とともに、それを構成する思考のような『何か』までが脳内に焼きつくのだ』と。

 その『何か』をエイヴォンは術式と呼び、それを模倣することによって疑似魔術を編み出したのだ。

 そんな真魔術だが、俺もエイヴォンと同じくその真魔術を発動する瞬間に見るだけでその魔術式をも見ることが出来る。

 例えるならば、普通の疑似魔術が細い筆で描いた綺麗な線画とするならば、魔獣達の真魔術は荒々しく様々な絵で描かれた油絵のようだ。

 恐らく魔獣と人とは色が違い、荒々し過ぎるためにそれらの多種多様な術式を理解できないのだろう。

 俺の目は、ただ単にそれらの色を見極められるに過ぎない。それこそ現代では一発芸のようなものなので、役に立つわけではないのだ。 

「それにしても……坊主の召喚獣は随分と優秀だな」

 本を読みながら、より実戦的な術式へのアドバイスをくれていたシルクリスが俺の仲間を褒めてくる。

「だろ? 俺と『契約』してるから騒がれないってだけで、皆本当に凄いんだ」

 坊主の、を強調されても嬉しさしか湧いてこない。俺が劣等生なのは、もう十分に分かっていることだ。

 なにしろ、俺が発想だけで改変した魔術なんてのも十分に発動させられるだけの器用さを持ってるんだから。

 こんなにも俺の我儘に応えてくれる召喚獣と『契約』出来たことだけは、神に感謝しても良いかもしれない。

「……坊主の才能と発想にも驚かされるが、な」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、何でも無い。そろそろ、行くか」

 そう言ってシルクリスはおもむろに椅子から立ち上がり、持っていた本を直し始めた。

「ん、ああ……確かにもう結構遅くなってきたしな……」

 促されて見れば、部屋に置いてある星時計は九時半を指し示していた。

 まあ、正直に言えば。最近、特に一昨日からは行きたくなくなっているのだが……。

 窓を開き、右手の刻印へと魔力を通す。

 呼び出す前に、念話で事前に伝えておく。

 《呼ぶぞ、ゴードン》

 返事のような唸り声が念話によって返ってきたことを確認してから、召喚する。

「――――来い、ゴードン」

 目の前の空間へと呼び出される落下しかけるも、素早く羽根を広げて羽ばたき召喚された位置へと戻る飛竜。

 今日も行くんでしょう? とでも言うかのように首を傾げる姿に、とても申し訳なくなってしまう。

 無言で『強化』を発動させ、背中に飛び乗る俺とシルクリス。

「…………今度、お前の好きな羊食べさせてやるからな」

 せめてものお詫びにとそう告げると、ゴードンはクルクルと嬉しそうに喉を鳴らし始めた。

 ゴードンの好きな品種の羊だと、一匹でもこの前稼いだ賭けの取り分の半分は消えそうだが……仕方ない。

 申し訳ないと思ってるんだから、仲間には素直に誠意を示さないと。

「おい、レオ」

「解ってる。それじゃ、頼むぞゴードン」

 グルルと一唸りして、ゴードンは大きく羽根を振るい、禁忌の森へと飛びだした。

 頬に冷たい夜気を感じつつ、シルクに尋ねる。

「なあシルク、今日は何するんだ?」

 その問いに少し考え込みつつ、何気なく返すシルクリス。

「そうだな……それじゃ、今日もシェリーの真魔術と一緒にお前の近接技術も鍛えるとするか」

「いや、今更文句は言わないけど……本当にそういう戦法で上手くいくのか?」

 正直どうにも自身が無い。基礎は鍛えられているが、如何せん俺には近接戦闘での経験が圧倒的に足りていない。

「心配するな坊主。本来なら正々堂々と言いたいところだが、今回は特別だ」

 だというのに、これが最良だと太鼓判を押してくるシルクリス。俺の不安など全く考慮する気は無いらしい。

「でも、いきなり俺が接近戦ってのは……」

 文句は言わないといったものの、気が付けば文句のような形になってしまっているのに気が付き、途中で口を閉ざす。

「坊主、その利点は散々説明しただろうが」

 シルクリスは弱気な俺を見て呆れたような口調で言う。

「もう一度説明――――着くぞ」

 前を見れば、徐々に森の中にあるいつもの場所が近づいて来ていた。

 ――――もう着いたのか。

 ゴードンは高度を落とさぬまま、速度だけを下げ始める。

「さて、それじゃあまずは普通の『強化』の訓練からするか」

「なあ、やっぱりこれはやらなくても……」

「『強化』の訓練からするか」

 俺の泣き言を無かったことにして、笑顔で再度繰り返すシルクリス。但しその眼は笑っていない。

「やれば良いんだろ、やれば……」

 上体を動かして見ると、敷いてある召喚陣がちょうど真下に来るような位置になっている。

 万が一失敗しても樹に突き刺さるようなことは無い。

 ただ……どう見ても、昨日よりも確実に高度が高くなってる、よな。

 思わずそのことを告げようとしたが、如何せんシルクリスの視線が厳しくなってきているので言いだせない。

 諦めて溜め息を一つ吐き、覚悟を決めて跳び下りる。

 鋭い風が全身に当たり、重力に引きつけられるようにして落下していくが、目を閉じるような真似はしない。

 徐々に近づいてくる地面への恐怖を抑えつけながらも全身、特に両足を『強化』する――――――!

 轟音とともに、魔法陣から若干逸れた位置へと足先から衝突する。

「――――――っはぁ……」

 地面を割り砕きながらも、何とか着地を成功させることが出来た。

 毎度思うけど……この訓練って絶対意味無いよな……。

 空を仰ぎ見ると、ゴードンが自分の住処へと還ろうとしているところだった。

 と、いうことは。

「重畳、重畳。この分だと、危機的状況下に於いても問題無く発動させられそうだな」

「そりゃどうも……」

 いつの間にやら下りてきていたシルクリスが、俺の横に立って話しかけてくる。

 こういった頭痛がしてきそうな現象も、この訓練期間に何度も繰り返されただけあって慣れが生じてきていた。

「それじゃ、早速やるとするか。坊主、シェリーを呼べ」

 魔剣カラミティを呼び出しながら命令してくるシルクリス。

 これじゃ尚のこと、どっちが主人か解らないな。

 時間が無いのは確かなので、さっさと念話を送ることにする。

《シェリー、起きてるか?》

《ええ勿論! それで? ついに今夜は私に●●●のお世話させてくれる気になったとか?》

「――――ゴホァッ」

「どうした? 坊主」

 不思議そうな顔をするシルクリスに手を振って何でも無いと合図する。

 唐突なエロトークに、少し噎せてしまった所為で心配させてしまった。

 酔っ払っているのかと言いたいところだが、シェリーの場合はこれが素だ。

《違う。今日も修行するから、その手伝いを頼みに――――》

《え〜〜。せっかく●●●●●●●とか●●●●とかしてあげようと思ったんだけどなぁ……》

 俺の言葉を遮って続けられる刺激的な言葉に脳が揺れる揺れる。

 これ以上会話していても一向に要領を得ないと判断し、念話を切り上げる。

 右手の刻印へと魔力を送り、召喚術を発動する。

「来い――――シェリー」

 目の前に陣が現れ、シェリーが召喚される。 

 水の魔力を極度に含んでいるために淡い青色となっている、腰まで届く程の長い髪。

 光をそのまま弾き返しているかのように白い肌。

 その身にはアマリッテの吐く糸を紡いで出来た繊維で作られた、漆黒の豪奢なドレスを纏っている。

 豪奢なドレスでも隠しきれない成熟した肢体の線が、シェリーの色気をこれでもかと醸し出している。

 ――――召喚術が見下されている現代でも、その気高さと美麗さを理由にウンディーネと『契約』を結ぼうとする魔術師は少なくない。

 本来なら、俺にはシェリーのようなウンディーネと『契約』出来るほどの実力は無い。

 というよりも、ウンディーネという種族そのものが人の魔術に対する抵抗力が高いために、余程『拘束』に適性が有る者でなければ満足に『契約』を結ぶことが出来ないのだ。

 この性質がハヴェル講師によって発見されてから、召喚術を学ぶ魔術師の総数が更に減ってしまったというのも周知の事実である。

 それで、何故俺が『契約』出来ているのかと言えば、それは簡単。

「はぁ〜い。逢いたかったわよ、レ〜オ」

 シェリーの同意があったからだ。

 ……というかむしろ、最初は俺の方が『契約』するのを断ってたしな。

 途中で念話を打ち切ったにもかかわらず、特に動揺することも無くシェリーは抱きついてきた。

「ああもう、くっつくな……」

 絹のような触感の生地のすぐ下にある結構大きい胸が、もろに顔に……。

「ほらほら、もっと堪能しなさいって」

「って、わざとかよっ!!」

 突っ込みを入れつつ手で押して離れる。ちょっと手が触れてしまったかもしれないが、不可抗力だ。

 柔らかいなんて思ってないぞ、俺は紳士だからな。

「ふふっ、おねーさんのおっぱいは気持ち良かったかしら?」

「ぐっ…………」

 見透かしたようなシェリーの一言により、感触が生々しく思い起こされてしまう。

 ああ柔らかくて気持ちいいと思いましたよ、文句あるか!?

「さて、そこまでにしてもらおうかシェリー。あまり時間が無いものでな」

 心中で逆切れした俺の気持ちを知ってか知らずか、寡黙を貫いていたシルクリスが先を促してくる。

「あら残念。ま、アメリアちゃんが懸かってるんじゃ、レオの邪魔するのも悪いわねぇ」

 ようやくからかうのを止め、シェリーは漸く俺から離れてくれた。

「それでぇ? 私はこの前みたいにヤれば良いのかしら、シルク?」

 淫靡な口調でシルクリスへと問いかけるシェリー。

「ああ、それで良い」

 それに特に何の反応も示すことなく返すシルクリス。

 意外にも、シルクとシェリーの仲は初めて会った時からもそう悪くないようだった。

 別に意外という程でもないのだが、何となく相性が悪そうな気もしていたので、若干狐に抓まれたような感じがする。

 ともあれ刻印へと全力で魔力を通し、意識を集中してシェリーへと魔力を送っていく。

「ぁん♪ レオの元気なのが私の中に入ってくるぅっ♪」

「エロいこと口走るの禁止!!」

 もう何言い出すんだコイツは! 真剣になったと思ったのが間違いだったよ!

 シェリーの妄言で集中が途切れてしまったため、再度集中して魔力を送る。

「――――っと、このくらいでいいか?」

「ええ、このくらいあれば大丈夫よん」

 ちょっと魔力を送りすぎたかと心配するが、シェリーは別に気にした様子も無い。

 魔力への親和性が高いとされるだけあって、体内へと蓄えられる魔力総量の上限も高いらしい。

 瞳を閉じ、意識を集中させるシェリー。

 その静かな姿からは、世間一般で言われているようなウンディーネのような高貴さを感じる。

 黙ってれば、そうでなくともエロいこと口走らなければ普段も出してやれるのになぁ……。

「――――『騎士と水の精』」

 細波のように静かに、シェリーの口から言葉が漏れ、真魔術が発動する。

 それとともに、薄い青色の魔力が俺の全身を覆っていく。

 動きにも、視界にも問題は無い――――むしろ。

「以前も見たが……『強化』などとは比べ物にならんほどの強化魔術だな」

 シルクリスの言うとおり、俺が同程度の魔力を使った『強化』の倍の効力を発揮している。

 『騎士と水の精』さえ用いれば、ノルドの『強化』を相手にしても良い勝負が出来るだろう。

「良いか、坊主。改めて言わせて貰うが、お前の長所は召喚魔術とその魔力容量の多さだ」

 と、そこでいきなりシルクリスがもう何度も言ってきたことを再度説明しだす。

 まあ、先程シルクリスの作戦にケチをつけたのが原因だとは思うが。

「解ってるって。そのための『騎士と水の精』と戦闘訓練なんだろう?」

「そうだ。正々堂々とやる必要は無い。近接戦闘が得意な奴には距離を取った上でルージュの『魔弾の射手』。魔術が得意な奴には『騎士と水の精』。手数の多い奴には『錫の兵隊』。これだけあれば十分だ、相手の弱点を容赦なく突いてやれ」 

 堂々と外道のようなことを言うシルクリス。こういう姿を見ていると、やはり武人である前に王だったのだなと思いなおす。

 とはいっても、外道のようなと思っている俺も容赦なくそういう手を使うつもりでいるのだが。

「さて、それでは始めるとするか」

 穏やかに開始を宣言し、シルクリスは石刀を正眼に構える。

 その姿からは静かな闘気といったものが発せられている。

 闘気に囚われる前に、特に足に魔力を集中させて跳ねるように駆ける。

 一気に距離を詰めながら腕を振り上げつつ『刃化』を発動。

 心で負けたらどんな勝負にも負ける。それが魔術師同士の勝負なら尚更だ。

 一瞬で手の中に現れた剣を未だ反応一つ見せないシルクリスへと振り下ろす――――。

 しかし、唐突に距離を詰めての袈裟切りという奇襲にもシルクリスは対応する。

 反応を見せなかったのはフェイク。敢えて俺が斬りかかったところで石刀を少しだけ動かし、微動だにせず受け止める。

 ――――やっぱり、この程度じゃあ駄目か!

 力では未だに押し負けると判断し、今度は下からシルクリスの右腕を狙って斬りかかる。

 しかしそれも僅かに動かした石刀によって防がれてしまう。

 ――――埒が明かない。

 力もそうだが、何より速度が未だに追いついてはいないのだ。

《――――シェリー!》

《あは♪ オッケーよ!》

 唐突な念話、しかも呼び掛けただけにも係わらず、シェリーは俺の意を読み取り『騎士と水の精』の出力を増加させる。

 強化された脚力で以て背後へと回り込み、一切遠慮することなく唐竹割を仕掛ける!

「――――チッ!」

 一瞬での急加速と剣速の上昇に、さしものシルクリスも反応が遅れてしまう。 

 かろうじて石刀で防いだものの、無理な体勢で受けたせいで若干重心にズレが生じてしまっている。

 その隙を突き、シルクリスを狙うこと無く連続で石刀へと攻撃を仕掛けていく。

「く、ぬぅ…………」

 威力を増した剣戟を受けるごとに、更に体勢を崩していくシルクリス。

 更に三連続で剣を打ち付け、すかさず足へと狙いを変えて斬りかかる――――ッ!

 後少しで刃が触れる、というところで石刀が首の皮へと触れ、強制的に動きを停止させられる。

 ――――読まれてたか。

 隙をついたつもりだったが、どうやらこちらが隙だらけになってしまったらしい。

「あー、今日も駄目だったか」

 そう言って『刃化』への意識を切り、剣を消失させる。

「いやいや、今日の奇襲は見事だった。この数週間で随分と汚くなったな、坊主」

「ああ、お前のお陰だよ」

 本来なら悪い言葉である筈の汚いも、この場合は褒め言葉になる。

 死人に口無し、戦場では生き残った者が勝者だ。

「ただまあ、最後のは頂けんな。あれだけ単調な連撃の後では、逆に動きが読まれやすくなってしまう。もう少し全体に攻撃を分散させた方が受ける方としてはやりにくい」

「ああ……」

 とはいいつつも、俺もシルクリスも全力を発揮しているわけではない。

 その証拠に、訓練の際には俺は『刃化』に強化を施していないし、シルクリスはカラミティの能力を全く用いていない。

 改良型の『刃化』を用いたのは、単純にそれに慣れるためというのもある。

 が、それ以上にシルクリスのカラミティと打ち合うためには改良型でなければ無理だったというのがそもそもの理由だ。

 俺の脳裏に、最初の訓練の際にカラミティへと普通の『刃化』の剣を叩きつけ、それだけで折れた瞬間の映像がまざまざと甦る。

「シェリー、お前の方は特に問題ない。途中の念話での連携は特に良かった」

「あら、もしかして口説かれてたりする? でも残念でした、私はとっくに身も心もレオのものなんだから」

「残念だが、俺も一応は妻がいた身なのでな。たとえ誘われてもお受けできんよ」

 軽口をたたき合うシルクとシェリー。

 話をするシルクの右手に握られているカラミティ。

 一体全体、何をどうすればあんな魔剣が出来るんだろうか…………?

「さて、そろそろ休憩は終了だ」

 そんな風に思いを馳せていると、いつのまにやら近づいて来ていたシルクリスから声を掛けられる。

「次はこの前出していた課題が出来ているかどうかだ。良いな、坊主?」

「出来るかどうか……自信は無いけど、な」

 魔力をシェリーへと与えつつ、今度こそ奇襲を成功させるために課題とは別の魔術式を頭に思い浮かべる。

 ほどなくして、シェリーへの魔力供給も終わり、更なる奇襲戦法を考案出来た。

 課題を織り交ぜてあるので今度は一太刀浴びせられるだろう。

 シェリーによって『騎士と水の精』が発動される。意識を切り替え、『刃化』で剣を現出してシルクリスへと斬りかかる。

 ――――――大会まで、残り僅か。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「本当にやるのか? サーレオン」

「勿論さ。レオ君に勝つには、これくらいのことをしなきゃ駄目だ」

 十数度目にもなるマクガヴァンの確認を、全く同一の言葉で退けるサーレオン。

「しかし……それはお前の手にも余るだろうに……」

「だからこそ、だよ。多少の無茶だからこそやる価値がある」

 懸命なマクガヴァンの説得も空しく、遂にサーレオンは最後まで応じることなく魔法陣を描き上げた。

 緻密にして強固な六重の魔法陣は、六色の光を放ちながら発動される瞬間を待つように不規則に光を放っている。

「全く……あのような劣等生に何故そこまで……。そもそも何故そのような術を…………」

 訳が分からないといった様子でふるふると首を振るマクガヴァン。

 そんな父の姿を横目で見つつ、意識の半分を割いて魔術を行いつつも、無理もないとサーレオンはひとりごちる。

 かつては、サーレオンもそういう魔術師の一人だった。

 むしろ、そういう魔術師の中でもトップクラスと言っても良いぐらいにレオ・ファルドを侮蔑していた。

 その理由には、レオ自身だけでなくその姓が関係していた。

 『灰の悪鬼』ことソウェル・ファルド。

 サーレオンがかつて最も憧憬の眼差しを向けていた、そして今も向けている魔術師の一人である。

 現在でこそ穏やかな彼がかつて打ち立てた戦績は、華々しくもおぞましい記録で飾り立てられている。

 例えば、二等兵時代に於いて、悪逆非道と謳われたダレオリ山賊団の単独壊滅。

 例えば、少佐となって初めての指揮にも関わらず、単独部隊での奇襲を成功させての敵国少将暗殺。

 このような常軌を逸した戦績は、数え上げていけば枚挙に暇がない。

 どの記録をとっても、それらの内容は凄惨の一言では済まされない程に血臭で満ちている。

 そしてその実の娘である、『祖に最も近き者』ことアメリア・ファルド。

 彼女によって改変された術式は、そのどれもが元の特徴を残しつつも全ての要素で昇華される。

 アリス魔導学院での全ての講義内容を二年で終わらせ、また二年で学院の蔵書全てを読破した怪物。

 昨年の彼女の密かな指導により何人の入軍志望者が『ニグレド』の魔術を修めたのかを、傍で見ていたサーレオンだけは知っている。

 そんな優秀な遺伝子を引き継ぐファルド家の長男が――――劣等生だったのだ。

 かつてはことあるごとに召喚術を下等と蔑み、レオを見下していた。

 しかし、あの日。

 幻想結界事件の際のあの日から――――――――その考えが間違っていると悟ることが出来た。

 大妖精へと、畏れることなく言葉で意志をぶつけていく、レオの姿。

 そして――――妖精の張った幻想結界を、強引な力技で以て塗り替えた、結界魔術のような真魔術。

 あの光景を見たのは、おそらく自分だけだったのだろう。

 昏睡していた他の魔徒達が見ていたのなら、決して今日までレオを見下し続けるような真似はしなかっただろう。

 しかし、レオはあくまでも口外しなかった。周囲の魔徒達は、後から来たアメリアの功績だと今も勘違いしたままだ。

 その事態に抗議しようとしたアメリアに、レオは何も言うなと口止めした。

 そうして今も、レオは劣等生として学院生活を送っている。

 劣等生として扱われ、得意の召喚術も下等と蔑まれ、それでも揺るがないその在り方。

 その姿に、サーレオンは何より憧れた。

 力よりも、富よりも、名声よりも。

 そんな目に見えるものよりも大切な物を、サーレオンは彼から教えられた、だから――――。

 そこまで思考したところで意識を戻し――――――魔術を、発動させた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 闘魔会、当日。

 学院は常を遥かに超えた熱気に包まれていた。

 闘魔会の行われる今日は学院の講義も全て休みとなり、参加者以外は主に観戦に回っている。

 もちろん観戦せずに寮の自室で寝てたり、或いは研究を優先させても全く問題は無い。

 しかし、学院の多くの魔徒達は、否、導師達を含めた学院中のほぼ全ての人々が円形闘技場へと集まっている。

 何だかんだ言っても、こういうお祭りが好きな奴が多いのだ、この学院は。

 尤もそれだけでなく参加者の父母や、僅かではあるものの娯楽以外の確固とした目的を持って観戦に来ている者も見受けられる。

 恐らくは、動きからして国軍の関係者か傭兵団の一員がスカウトに来ているのだろう。

 他にも、導師達のものとは違う独特の魔術衣を纏った魔術師たちも見受けられる。

 こちらは恐らく研究者だろう。動作の所々が軍人のそれとは異なっている。

 その目的として、優れた魔術師のスカウトか、術式の着想を得るためにきたのかが考えられるが、実際はどうなのか判断できない。

 学院最強を決める大会だけあって、様々な思惑が渦巻いているのだ。

「さぁさぁ皆さん! 八つのブロックで予選を勝ち抜きそうな人物に賭けてちょーだい!」

 ――――――そう、このような賭けが成立し、繁盛するくらいに。

 予選が始まる前の少しの間だけでも良いからとボレロに乞われ、俺とシルクリスは売り子として手伝っていた。

「なんで俺がこんなことしなきゃ……っていうか俺Bブロックなんだから時間無いっての……」

「オイオイ、俺だってCブロックなんだからボヤくなって親友!」

 俺のぶつぶつとしか聞こえない様な小さなボヤキも聞き逃さず、ボレロが経営者として突っ込みを入れてくる。

 っていうか、え?

「お前、出るのか!?」

 驚きとともにCブロックの出場者を確認してみると、確かにボレロ・ジェルノという名前が記載されていた。

 なんだってこんな時に……。

「そんな目で見んなよレオ……言っとくけど、俺は毎年参加してんだぜ? 副賞が百万ウェンだからな」

「ああ……そういえばそうだったな……」

 アメリアとのキスのインパクトが強すぎてつい忘れがちになっていたが、この闘魔会には毎年目が飛び出るような額の賞金が出ている。

 この点からも、学院の中でいかにこの闘魔会が重要視されているのかが良く分かる。

 まあ、この闘魔会という大会自体が軍によって強制された見本市とも呼べるからこういった賞金が出せるのだが。

 ……そもそも、この賞金自体が国からのものだし。

「手加減しねえぞ、親友」

 ボレロは手を休めることなく、小声で告げてくる。

「ボレロ。今回だけは負けらんないんだってのは、もう何度も言っただろうが」

「ああ、確かに。俺もアメリアさんが無理矢理結婚させられるってのは許せねえよ」

「なら――――」

 なら今回の百万は諦めてくれ。そう続けようとしたが、ボレロから溢れる何かによって止められる。

「でも、それだけじゃない。俺は久しぶりに本気のお前と戦ってみたいんだよ」

 客を捌ききったからか、ボレロはもはや小声で喋るのを止めていた。

 いや、客がいようがいまいが関係無かっただろう。

 ボレロから魔力ではない、別の激しい何かが周囲へと放出されている。

 そう、シルクリスとの訓練で散々浴びせられたから分かる。

 これは――――闘気、だ。

「だから――――手加減すんなよ、親友」

 右の拳を突き出してくるボレロ。その瞳には一切の迷いが無い。

「ああ、全力でやってやるよ」

 その意思に応えるように、俺は言葉とともに右の拳をボレロの拳へと軽くぶつける。

「えー、みなさん。大会参加者のみなさんは至急集合してください。間もなく開会式が執り行われます」

 そうこうしているうちに、拡散された声による放送が聞こえてくる。

「…………だってよ」

「急ぐか、ボレロ」

 仕事が終わったと伸びをしているシルクとシェロに片づけを任せ、集合場所へと走り出す。

「コラー! 予選で負けたりなんかしたら、あんた達ただじゃおかないからねー!」

 シェロームの叱責とも激励ともつかない応援が、俺達の背中を押してくれた。

 

「えー、長々と話すのは苦手じゃから、簡潔に述べるとしようかの」

 闘技場の真ん中にブロック別に集まった参加者たちを前にして、学院長は開会式の挨拶を述べ始めた。

 内容に興味が湧かないので、周囲を観察してみる。

 屑金髪は――――――――Eブロックか。

「今回は君たちが主役じゃ。思う存分、己の望みのままに力を存分に振るって闘い給え。以上じゃ」

 えらく早いなオイ! これ本当に学院の中でも一、二を争うほどに人気な催しなのか!?

 おそらくは参加者全員がそう思ったであろう、学院長の淡々とした挨拶が終わり、Aブロックの参加者以外が控室へと移動する。

 控室もブロック別に割り振られているため、基本的にはブロック別で行動することになる。

 それにしても、周囲を見渡して見る限り、あんまり参加者の総数自体は変わっていない様に感じるが……。

「不思議そうな顔してるな、レオ」

 俺の疑問に答えるように、別のブロックの集団から外れてきたボレロが話し出す。

「ああ……この倍くらい参加すると思ってた。案外人気無いのか? 姉さんは」

 これは誇張では無く本当にそう思っていた。

 ファンクラブといっても、単に騒ぎたかっただけなのか……?

 しかしボレロは俺の言葉を人差し指を振りながら否定する。

「馬ー鹿、逆だよ逆。多すぎたから減ったんだよ」

「多すぎたから、減った?」

 何だよ、その矛盾してるような解答。

「そうか、サーレオンの所為でお前の所には通知が来なかったんだな。今回は例年の十倍以上の魔徒達が参加するってことになってたから、あらかじめ予選の予選会が行われてたんだよ」

「十倍、以上か……って、え?」

 各ブロックの予選には大体三十人程度が振り分けられている。もちろんここにも、だ。

 この人数の十倍となると、学院の四分の一以上が応募したことにならないかそれ!?

「だから、今回は女子も結構予選に出てるだろ?」

「ああ……成る程……」

 普段、アメリアの周りに集まっている女子の集団を思い起こす。

 殺気とかそういったものとは別の、空恐ろしい何かを出していた子達。

 そんな彼女達は、ついこの間には親衛隊か何かの参加を募っていた。

 彼女たちの中の実力者なら…………予選の予選くらい越えられるだろう。

 実力とは別の点で勝てる気がしない。

 俺が予選の予選から除かれたのは簡単だ。そうしなければ『誓約』が果たせなくなる可能性を見越してのことだろう。

 その辺はあの屑金髪が無理矢理工作したに違いない。そう考えることにして、免除については感謝しないことに決めた。

「それで? この人数だとお前の基本戦法じゃ体力使いすぎるんじゃないのか?」

 話を人数の話へと戻し、ボレロへと尋ねる。

「ああ、大丈夫だ。シェロ使うから」

 返ってきたのは簡潔な答えだったが、俺にとってはそれだけで十分理解できる一文だった。

 そうか、見たところCブロックには本当に大した奴が含まれてたようでもなかったし、シェロームの力を使えば簡単だろう。

「お前は大丈夫だな、ビーン兄弟がいるから」

「ああ、その通りだよ。Aブロックにも大した奴はいないみたいだし、何の問題もないだろ」

 話しながら、ボレロはBブロックの控室へと入ってくる。どうやらこのまま時間を潰す予定らしい。

 まあ、別に俺自身には長時間の準備なんて必要ないので話し相手になるのも問題は無い。

 そうこう話していると、再び放送が流れだしてくる。

「っえー。今回の闘魔会の審判をさせて頂きます、メリルリー・ガロワです。さてそれでは早速、Aブロック――――試合開始!」

 どうやら試合が始まったらしいが、結果は分かっているので見るまでもない。

 それはどうやらボレロも同じなようで、試合で用いる剣を整備し始めた。

 俺の『刃化』のような形状をした片刃の剣を磨きながら、樋――刀身の根元にあたる部分――に刻まれた刻印を確かめている。

 俺の『刃化』に似ている、というよりも俺がボレロの剣を真似たと言うのが真実に近い。

「やっぱり、お前はそれ使うんだな」

 『刃化』ではなく実際の剣を使うという魔術師は、実はそれほど珍しくない。

 いくら実戦派と言っても魔術師であって剣士では無い以上、剣に拘る必要はない。ならば『刃化』に魔力や意識を浪費させるくらいなら通常のそこそこ強力な魔剣を用いた方が効率的だ、というのが主な理由らしい。

 とはいっても、ボレロの場合は正反対の理由なのだが。

「おう、別に作戦があるとは言っても、本戦じゃあ小手先の技術は通用しないだろうしな」

 軽く答えるボレロだが、実際に『刃化』ではなくこの剣を使った場合の戦闘技術はノルドとほぼ同等かそれ以上と見ていい。

 普段はおちゃらけていたり、賭けの胴元としての存在感しかないが、いざ戦闘となると学院の名の知れた武闘派にも打ち勝てるのだ。

 これにさらにシェロームも加わることを考えると相当手強い相手になる。

「それで? お前は誰が勝ち上がると思う?」

 軽い確認を終えたボレロが聞いてくる。この場合は、Aブロックの中での話だろう。

「分かって言ってんだろ? じゃあ同時に言うか?」

 一瞬の間をおいてから同時に口を開く。

「「馬鹿ノルド」」

「試合終ー了ー! 決まりました! 圧倒的なスピードと怪力で次々と他の参加者を薙ぎ払っていったノルド・ファーガスさん。見事にAブロックから本戦出場です!」

 俺達の言葉とほぼ同時に、ノルドが本戦へと駒を進めたという声がここまで届いてきた。

「オイオイ、あいつだけラクし過ぎなんじゃねえのか?」

「その分、俺がアイツをぶちのめすから問題ねえよ」

 言ってから口を押さえても、もう遅い。

 その軽はずみな俺の言葉に、周囲から向けられていた視線が一気にきつくなった。

「あぁ…………」

 これからすぐ始まると言うのに、わざわざ目立ってしまった……。

「馬ッ鹿だなぁ、レオ。 んじゃ、頑張ってこいよー」

「リンチされない様にCブロックの控室で見守っててくれ」

 気の抜けたボレロからの応援に軽く応え、他の参加者達とともに闘技場の舞台へと移動する。

 通路を通り抜け舞台へと出ると、観客席から万雷の拍手で以て出迎えられる。

 ――――こんな、感じだったのか。

 ふと、参加者の流れに身を任せるようにして物思いにふける。

 今年こそ屑金髪の所為で賞品扱いとなっているアメリアだが、以前は参加者としてこの闘魔会にも参加していたのだ。

 凛とした表情のまま、こうやって控室から出てきていたのが印象深く心に刻まれている。

 油断も博愛すらも無くしたような、冷徹な眼差し。

 姉としての表情でもなく、魔徒会長としての顔でも無い。

 闘う者としてのアメリア・ファルドの顔が、そこにはあったのだ。

「っさて! それではこれより、Bブロックの予選――――試合開始ッ!」

 メリルリーと名乗っていた背の低い審判の女子が、栗色のポニーテールを靡かせながら試合開始を宣言したところで意識を取り戻す。

 ――――間に合えよッ!

《プラノ、真魔術!》

 刻印へと全力で魔術を籠めると同時に、多方向から先手必勝とばかりに炎弾光矢氷槍の群れが放たれる――――!

 直後、多数の魔術が連鎖的に発動し、爆発を引き起こした。

 他の参加者は、早くも邪魔者の一匹を蹴散らしたとばかりに他の参加者へと注意を向け、戦闘を続行し始めているようだ。

 朦々と立ち込める砂煙の中で、俺への関心を皆が無くしたことを確認して、ほっと一息つく。

 俺は悠長にも色取り取りの花の咲く結界内でこれからについて考えながら、結界を張り続ける相棒へと労いの言葉をかける。

「いきなり呼び出して御免な、プラノ」

「えぇ……問題無いですわ、レオ様」

 プラノは涼しい顔で俺の謝罪を受け取ってくれる。

「むしろ貴方を守れて嬉しいです……貴方は私の御主人様なのですから」

 清楚にして可憐なイブニングドレスにも似た白い衣。

 柔らかそうな豊かな黒髪を、三つ編みでシニョンにしてある。

 たおやかな白い手は今にも折れてしまいそうな百合の花を連想させる。全身が白一色で統一されているから余計に、とも言えるが。

 その姿はシェリーのような蠱惑的な魅力とはまた別の、草原に咲く一輪の花のような魅力を放っている。

 とは言うものの、実際には身体的にシェリーよりも女性的な魅力で劣るかと言えば……そうでもない。

「あら。どうしました、レオ様?」

「い、いやいや。ちょっと考え事してただけ」

 契約時のことを思い出して赤面してしまった。

 プラノに心配をかけてしまったが、どうしてそうなったのか言える訳が無いので言わないでおく。

「それにしても…………」

 先程まで穏やかだったプラノの声音が、次第に陰りを帯びてくる。

「よくもまぁ、私の主人に対してこのような下賤な真似を…………」

 暗い、闇の底から少しずつ溢れてくるような声。

 小規模ながらも結界を維持しつつも顔色が殆ど変っていないことが、この場合尚更恐怖を煽ってくる。

 結界内が、不自然に暗くなってきた気がする。

 っていうかプラノ。早くもキレかけてる?

「いや待ってくれプラノ! これは、これは……そう、俺が警戒されていたからだ!」

 未だに試合中にも係わらず、大声でプラノを宥めにかかる。

 本当は土煙が完全に晴れるまで静かにしておきたかったが、仕方が無い。

 ここで暴走されたりしたら、どれだけの被害が出ることか……。

「警戒? レオ様がですか?」

 暗に劣等生と言っているようなプラノの言葉にさめざめと泣きたくなる気持ちを堪え、説得を続ける。

「ああ、さっき控室でつい皆を倒すのなんて楽勝だって煽っちゃったせいなんだよ」

 若干逃げ出したくなるような視線の圧力にも何とか打ち勝って言葉を続けられたのは、これが本当だったからだろう。

「そうでしたか……。しかし、そんな当然の事を言われた程度で徒党を組んで襲うとは……なんと姑息な」

 プラノは納得してくれたかのように見えたが、言葉が続けられていくにつれ結界内が暗くなっていく。

 …………あれ? これ逆効果じゃね?

 そんな風に現実逃避できたのも一瞬だった。

 結界が砂埃を一気に吹き飛ばすようにして広がり、闘技場の舞台全てを囲うようにして展開される。

「あー……」

 本来ならビーン兄弟を使おうとしていたのだが、こうなってしまえばもう何もする必要は無いだろう。

 というか、俺にもどうしようもない。

 蔦のような模様の浮かんだ濃緑色の結界に取り込まれてしまった参加者達は、突然の事態に戸惑うように周囲を見回し始めた。

「レオ様への狼藉の御礼です。皆さま、どうぞお受け取り下さいましね?」

 しなを作りつつ、美しい笑みでおぞましい宣告するプラノ。

 次の瞬間には、花畑だったはずの地面から一斉に植物の蔓が伸び、全ての参加者を拘束してその体へと蔓を這わせ始める。

 巻き付く蔓は強固に拘束するだけでなく、そのまま全身から生命力や魔力を吸い取り始めた。

 周囲の参加者も抵抗していたが、圧倒的な魔力により強化された蔓で締め付けられ、魔力を吸い取られて次々と無力化されていく。

 これが、プラノの真魔術。『秘密の花園』。アルラウネたる己の世界を結界内へと展開する防護結界。

 この真魔術の恐ろしいところはその強固さではなく、内側を完全にプラノが制御している点にある。

「――――おいプラノ! 駄目だ!」

 一瞬で決着が着いてしまった事態に呆けてしまったが、慌てて制止を促す。

「ですがまだ…………」

 中々納得してくれないが、こうしている間にもプラノは常に参加者全員の生命力や魔力を根こそぎ吸い取っている。

「なんでもだ! せめて吸収するのは止めてくれ。お前の立場が危うくなる!」

「はい……申し訳ありません、レオ様」

 漸くプラノが折れて結界を解いたころには、参加者の中で立てるのは僅かな人数だけだった。

 それすらも、すぐに倒れていっているが。

 最後の参加者が炎弾を俺へと放ちつつ倒れた時には、会場が静寂に満ちていた。

 恥ずかしさを堪え、黙って天を衝くように右手を突き上げる。

 刹那、観客席から一斉に歓声が湧き上がった。

「っえー。開始直後の一斉攻撃をものともせず、召喚獣による真魔術で他の参加者を全員戦闘不能にしたレオ・ファルドさん! 見事に本戦出場です!」

 審判のメリルリーが何処からか現れ、『拡散』の魔術を使われた声で以て俺の名を告げる。

「じゃあ、また後でな。プラノ」

 礼を告げ、還って貰ったところでふと気付く。

 ――――って、え? もしかして、もしかしなくても巻き込んだ……?

 思わず近づいて確かめてしまう。

「あの……すいません」

「レオさん。次からはもう少し穏便な形で行って貰えませんかね? 私もう少しで巻き込まれるところだったんですけど?」

 笑顔ながらも早口で捲し立てるメリルリー。どうやら今は声の拡散を切っているらしい。

 まあ、あれに巻き込まれたら怒るよな……。

「全く、いつもお世話になってるアメリア先輩の弟さんじゃなかったら許してませんよ」

「あれ? もしかして、メリルリー……さんって……」

 よくよく顔を見てみれば、メリルリーさんはアメリアの一つ下の学年で魔徒会の書記だった。

 どこかで見覚えがあるとは思っていたけど、そういうことだったのか。

「若干呼び捨て気味だったところを見ると弟くん、君も私のことを年下だと勘違いしちゃってたのかなぁ?」

 先程よりも遥かに口調が速くなり、圧力が増してくる。

「いや、その、すいません……」

 もう謝るしかないと判断し、とにかく平謝りする。

 その姿勢に呆れたのか、一つ溜め息をしてメリルリーさんは口を開く。

「もういいわよ、慣れてるし。……あと十数年後には皆が私を羨む番なんだから」

 負け惜しみのような勝利宣言を聞いたところで控室へ戻るように促され、言うとおりにする。

 俺が完全に控室に戻ったところで、Cブロックの試合開始の声が聞こえてきた。

「はぁ……」

 木製の長椅子に座り、試合内容を振り返る。

 客観的な内容だけを見れば、ほぼ完璧な試合だった。

 最初に召喚した時にはプラノへと魔力を与えておらず、プラノには自力で真魔術の維持を行って貰っていた。

 しかしそれも最後の吸収によって帳消しか、下手をすればプラノの魔力が召喚する前よりも回復した可能性もある。なので消耗らしい消耗と言えばプラノを召喚したことぐらいだろう。それすらも『契約』を結んでいる召喚獣とのものなので消耗は零と言っていい。

 だが、それでも主観的に見ればまだまだ未熟だと思えるような内容だったとしか思えない。

 なにせ自分の召喚獣を制御できずに暴走させたようなものなのだから。

 そんな風に自省していると、ふと頭の上に手を置かれた。

 この掌の感覚は――――――――。

「シルク、か……?」

「おお、良く分かったな坊主。そして、良くやったぞ」

 どうやら、労いに来てくれたらしい。しかしそれも、今の俺にとっては逆効果にしかなり得ない。

「指示とは違ったが、それよりも消耗が少なかったところをみると、坊主の方が指揮官に向いとるようだ」

 俺の気も知らず、持て囃すシルクリス。

「あのな……シルクリス。さっきのは俺が指示したんじゃない、暴走だよ」

 若干の苦しさを伴ったが、誤魔化すことなくきちんと告げる。一時は師と仰いだ以上、失敗は申告するのが俺の流儀だ。

「ああ、そうだったのか。それがどうかしたのか?」

 だというのに、そんな俺の気持ちを全く斟酌することなくシルクリスはあっけらかんと言ってのけた。

「どうかしたのか、って……」

「おいおい坊主。まだ分かってないのか? お前が一度でも負けたら、アメリアは結婚することになるのだぞ?」

「分かってる、分かってるけど……」

 でも、意図せず不意打ちを行ったようで心が全く弾まない。

 そんな俺を見て、シルクリスは諭すように告げる。

「良いか坊主。もし本当に負けられないと心の底から思うのなら、そんな甘ったれた後悔などするな。あのサーレオンとやらに勝ってから、思う存分やるが良い」

「そう、だな…………」

 そうだ。俺には迷っている暇も、手段を選んでいる暇もないのだ。あの屑金髪をぶちのめすまでは、絶対に。

 尤も、あいつと当たるためには俺もあいつも決勝へと行く必要がある。つまり、本当に一度も負けられないのだ。

「見事です! ボレロ選手、召喚獣の歌で以て参加者全員を眠りにつかせました! めでたく本戦出場です!」

 改めて意志を固めていると、拡散された声による放送が控室にも届いてきた。

 シェロームは子供ではあるものの既に自我を持った召喚獣だ。俺が改良してはいないものの、その種族特有の真魔術を行使できる。シェロームはセイレーンだけあって、その真魔術も歌を媒介とするものだったのだろう。

「それじゃ、ボレロとシェロームを労いにでも行くか」

 悩みを振り払い、シルクへと促す。

「ああ、そうするとしようか。行くぞ坊主」

 復調した俺に合わせるように、シルクと俺はゆっくりと控室を後にした。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 予選も終わり、途中休憩。

 時刻は開始から二時間立ち、午前十時と言ったところだ。

 それで、休憩中に俺達が何をしているかといえば……。

「さぁさぁ、それでは予選トトカルチョの結果です!」

 ボレロの宣言とともにシルクリスが幕を下ろし、巨大な紙に描いた予選通過者の名簿が露わとなった。

 それとともに、一斉に周囲から阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る。

「っくぁー。俺は絶対ラネルが勝つと思ってたんだけどなぁ……」

「まさかザグレルが予選落ちとはのう……」

「っつかレオが勝つなんて誰も思ってなかっただろうが!」

「外れちゃったけど……まあグウェーヌ姉さまが勝ったから良いわね」

 悲喜交々の言葉の一部に俺の名前が聞こえてきた気がするが、気のせいだろう。

「見事に予測が当たった皆さまには券と引き換えに配当を差し上げますので、どうぞ列を乱さず並んで下さいねー」

 試合が終わってから、休む間もなく俺達はボレロの賭けの手伝いをしているのだった。

 シェロームは倍率の計算を終えて、若干疲れてしまったのか今は知恵熱を出したために木陰で休憩中だ。

「はいはい、青銅二枚ね……はい、六万と四千ウェン」

 俺も別で作業をしていた所為で見ていなかったが、今見ると倍率が物凄いことになっている。

 金、銀、青銅と賭け金の最も低い青銅の券ですら一枚につき三万二千ウェンもの値に釣り上がっているのだ。

 そしてさらに恐ろしいのが、俺が配当の出る金の券を一枚だけだが持っているということだ――――ッ!

 ……景気づけに買っておいたとは言え、最近なんだかツイてるな。賭けの女神でも降りてきてるのか?

 そんなことを考えながら呼び込みを続けていると、軍の関係者らしき方々の話が漏れ聞こえてくる。

「ああ……圧倒的だったな、マクガヴァン少将の御子息は」

「流石はサーレオン様。敵の攻撃を障壁を用いず、魔術で掻き消して圧倒していくとは……」

 知らず、奥歯を噛み締める。ギリギリという音とともに歯が削れるが、止める気になれない。

 悔しいが、完全に場を掌握していた試合だった。

 サーレオンは、試合中一歩も動かなかったのだ。

 自らに襲いかかる脅威を除きながら、確実に相手を降伏させていきながら勝ちをもぎ取っていた。

 魔術だけでなく体術にも優れていることが分かっただけ、十分だ。

「どうした、レオ。サーレオンのことでも考えてたのか?」

 俺の内心の葛藤を見抜いたのか、客を捌きつつ会話をし始めるボレロ。

「ああ、あそこまで圧倒的な試合だと、何を言っても嫉妬にしかならなさそうだ」

「だな。まあでも、あのブロックにノルドクラスの奴がいたら、もう少しはああいう試合じゃなくなってただろうな」

 そう言いつつ、ボレロは客へとチケットに刻まれた予選通過者名の一部が異なっていることを教えて次の客を前に来させる。

 凄い集中力だな、本当に……。

 相手の指で隠された部分の違和感に会話しながらでも気が付けるってのが、ボレロの金への執着心の強さを物語っているように思える。

「さて、それでは皆さま! 配当の手続きが完了したようなので続いての賭けに移行したいと思います! 今度は単純、本戦優勝者と思われる者を一名選んで頂きます!」

 どうやらどの組み合わせが何枚あるかを数えていたらしく、全ての配当を配り終えたようだ。

 しかしそれで終わるわけでもなく、今度は本戦の賭けについての説明をし始めた。

「…………じゃあボレロ、俺とシルクリスは休憩取ってくるから」

 言って即座にシルクに目配せし、その場から去っていく。

「ああ……ってオイ! これからが――――あ、はいはい金二枚ですね、はい、サーレオンですか、はい」

 引き留めるために声を掛けようとして、ボレロは客に催促されたために阻まれていた。

「いいのか、坊主。あの量を一人で捌くのは中々に困難だと思うが……」

「良いんだよ、あれくらいの量なら一人で何とか出来るんだから。後ろ見てみろ、多分もうやってる」

「ぅうん?」

 二人で後ろを振り返ると、『強化』を発動させて目まぐるしく狭い場所で高速移動するボレロの姿が目に映った。

「な? 出来てるだろ?」

「ああ……成る程な」

 そう言って前を向き、再び歩きはじめる。

「レオぉ――――! お前! 本戦では覚悟してろよォー!」

 背中に大声で罵倒が叩きつけられた気がしたが、気のせいということにする。

 隣を歩くシルクリスも同じ結論に至ったようで、振り返ることなくその場からすたすたと立ち去ることにした。

「しかし……サーレオンとやらも中々に玄人のような動きをしていたな」

 そのまま暫く歩いたところで、唐突にシルクリスが話し始める。どうやら屑金髪の試合内容についてのようだ。

「玄人? どういう意味だ?」

 玄人って……プロってことだろ?

 試合内容を振り返ってみても、一つ一つの魔術の完成度は高かったが、『ニグレド』の魔術は一切無かった。

 だからこそ王道的な試合だったと言うしかなかった、というのもあるのだが。

「ああ、専門家という意味では無い。そもそも魔術について俺に分かる筈が無いだろうが」

「じゃあ、何のプロなんだ?」

「殺しだ。殺人と言い換えても良い。あれは、確実に数人は殺してきている」

 あっさりと、大したことは無いというかのようにシルクは言う。

「アイツが…………?」

 学院でも、副会長として一応は学院内での抗争を武力行使で以て止めていたりしていた。

 しかし実際に戦場を越えてきたシルクリスが言うのだ、そのような子供騙しのものではないのだろう。

 実際の、血生臭い人殺しを、経験済みってことか……。

「ここにきて、更に経験の差も出てくるか……」

 どうしたものかと考えこむシルクリス。

 その言葉に、ちょっとした劣等感を感じてしまったために、つい反抗してしまう。

「俺だって死線くらい潜り抜けてきてるんだ、これで経験の分はとんとんってところだろ」

「ほう? しかし人相手に殺し合いをしたことは無いのだろう?」

 しかしそんなささやかな反抗など歯牙にもかけず、シルクリスは核心を突いてきた。

「それは…………」

 図星なだけに、上手い言葉が見つからない。例え見つかっていたとしても、シルクリスには通じなかっただろうが。

「まあ、今回の試合でなら大した差にはならんだろう。実戦となると厳しかったがな」

「……でも、どうやってそんなの分かったんだ?」

 体術からしても、洗練されてはいたが大して俺の動きと変わったところは無かったような気もするんだが。

 魔術の方はむしろ最も穏便だったと言っても良い。

 実際に相手に当てていた魔術は『拘束』や『麻痺』といった相手を戦闘不能にする魔術以外は一切使わなかった。

「さて、それはもう良いだろう。ほら坊主見てみろ、翼の六枚ある赤い鷹が飛んでいるぞ」

「………………………………」

 無言のままに、いいから教えろという視線を思いっきり送る。

 シルクリスは本で見た生物を適当に挙げてみたようだが、そんな希少生物がこの学院に居る筈がない。

 嘘吐くにしたってもうちょっと工夫しろってんだ、全く。

 そのまま暫し立ち止り、睨み続けること数分。空からは、俺の聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 思わず視線を逸らしかけたが、意地で無視してそのまま睨み続ける。

 ついに観念したのか、肩を竦めてシルクリスは答え始めた。

「目だよ。坊主が見ていたかどうか分からんがな」

「目? あいつ魔眼なんて持ってたっけか……?」

 俺の言葉に溜め息を吐きつつも、シルクリスは詳細を語った。

「そうではない。試合が始まった瞬間、奴の目には隠しきれない愉悦の光が輝いていた」

「愉悦……?」

「ふん……呼べば現れるとは、言霊だったか? ……どうやら信じても良さそうだな」

「え――――?」

 鼻で笑ったシルクに釣られる様にして顔を上げる。

「無事に予選通過してくれたようで何よりだよ、レオ君」

 すぐ目の前には、先程までの話の対象だった屑金髪ことサーレオンが立っていた。

「何の用だよ、屑金髪」

 素早く意識を切り替え、警戒を強めつつ簡潔に用を尋ねる。

「別に何の用もないけど、用が無かったら少しも話しちゃいけないのかい?」

 親しげに話しかけてくる屑金髪への意識を瞬時に消し、この上なく冷淡に聞こえるように言い捨てる。

「お前と話す事なんか何も無い」

 そう言って踵を返し、少し歩いたところで違和感。

「おい何してんだよシルク。もうすぐ第一試合始まるんだぞ」

「先に行っていろ、坊主。俺はこの金髪と話したいことがある」

 暗にさっさと来いと命令したつもりだったが、シルクリスはその意味を捉えた上で断ったようだ。

 今度は、シルクリスの方が強い意志の籠った眼で見つめてくる。説得は不可能と見て良さそうだ。

「…………先、行ってるからな」

 それだけ言って、早歩きで控室へと向かう。

 星時計を確認し、思わず舌打ちをしてしまい、駆け足で闘技場を目指す。

 本当ならもう少しの間説得を試みたいところだったが、休憩時間はもう――――残り十分もない。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 レオが立ち去ってすぐ、二人の間で言葉が交わされ始める。

「――――さて、それで? 何が訊きたいのかな、シルクリスさんは」

「ああ、簡単なことだ。貴様――――アメリア嬢を餌に使ったな?」

 シルクリスの言葉に、サーレオンは驚いたように口を開いたままで数秒静止した。

「良く分かったね? 隠してたつもりだったんだけど」

「安心しろ。俺ですら、試合を見るまでは貴様のことを女を手篭めにしようとする卑劣漢だと思っていた」

 意識してか無意識か、相手を馬鹿にしつつ告げるシルクリス。

「余計に分からないな。ならどうしてあの試合で勘付いたんだい?」

 小馬鹿にされたことにも大して気を払うことなく、サーレオンの頭に疑問が重なる。

「貴様と同じような目をした臣下が居たのだよ。他にもお前のような目をした者は皆――――心底から戦いを求めていた」

「目、かぁ……それはどうしようもないなぁ。意識のしようが無いし」

 疑問が解消してすっきりした、とでもいうかのような表情を浮かべるサーレオン。

 その表情だけを見て、この男がいざ戦いとなれば血に飢えた獣のような光をその眼に宿すと何人の人間が見抜けるだろうか。

「これはついでの確認だ。貴様は、坊主と全力で戦いたいがためにここまで手の込んだことを仕出かしたのか?」

「うん、まあそうだね。色々と他にも考えてみたんだけど、やっぱりこの方法しか無かったからね」

 これまたあっさりと口を割るサーレオン。計画を見破られた以上、最早隠す様な事など何もないと思っているのだろうか。

「何故、ここまで坊主の怒りに触れるような真似を選んだのだ。頼めば決闘形式の試合くらい、幾らでも受けただろうに」

 何でもないこの言葉は流せなかったのか、サーレオンの表情が初めて曇った。

「それじゃあ駄目なんだよ。レオ君は適当にやって、適当に負けてしまう。全力を尽くそうとしてくれない。それじゃあ駄目だ」

 その言葉に、僅かにシルクリスは気圧される。ボレロなら思わず頷いていたかもしれない。

 彼を少しでも知る者なら、大体同じような反応を示すだろう。

 極端に悪く言えば、召喚術や姉といった興味を惹かれる対象以外には冷淡な反応を示す人物。

 それがレオ・ファルドという男なのだ。

 良く言うのなら、自分にも他人にも何かを強制させたがらない自由人、とも言えるのだが。

「確かに、そうかもしれん。しかしそもそも、何故坊主なのだ。坊主以上に実力のある奴など幾らでもいるだろうが」

「嘘を吐くのは止めたらどうかな? 彼と『契約』したというなら、彼の改良した真魔術の威力を知っている筈だろう?」

 シルクリスは何故レオなのかを問いただすものの、逆に問い返されることで言葉を封じられる。

「レオ君の真魔術のうち、僕が知ってるのは『魔弾の射手』と『風と共に去りぬ』、そして今日も鮮やかに使ってた『秘密の花園』くらいなんだけど……それだけじゃないんだろう? この前、ハヴェル導師から無理矢理『借り』を使って聞き出したところによるとあと他に二種類の魔獣と『契約』してるみたいだし」

 レオの得意とする真魔術。その半分以上の情報を既に得ていることを明かすサーレオン。

 そこまでか、とシルクリスは驚きを隠せなかった。

 つい先程までは、シルクリスにも推し量れない実力を持つレオと、単に考えていた。

 しかし目の前のサーレオンと言う男は、本気でレオを打倒しに来ていることがはっきりと分かった。

 レオが劣等生というのが学院での確固たる事実として根付いていることは、この数週間でシルクリスも十二分に把握している。

 それでも、この男はここまで準備を揃えてきているのだ。

「余程レオにお熱らしいな、貴様は……」

「お、お熱って……そんな……」

 シルクリスの何でも無い軽口に、顔を赤くして俯くサーレオン。

 その余りに場違いな反応に思わず首を傾げかけた時、闘技場周辺にまで拡散された声が届いてきた。

「っえー。それではこれより第一試合、レオ選手とノルド選手の試合を開始いたします!」

「じゃあシルクリスさん、僕はこれで!」

 その放送が聞こえてきた途端、サーレオンは弾けるように顔を上げ、言葉を告げるとともに疾風のように闘技場へと向かって行った。

「――――分からんな、あの男は……」

 シルクリスの小さな呟きは、誰に聞かれることもなく風に乗って消えていった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 結局シルクリスが戻ってこないまま、試合が始まる時刻になってしまった。

 俺自身も開始数分前というギリギリで戻ってきたため文句は言えないのだが、やはり直前に居ないとなるともの寂しいものがある。

 深呼吸を一つ。試合へと意識を集中させる。

 ――――――集中、する。

 柏手を一つして意識が澄み渡ったことを確認し、控室を出て闘技場への通路を渡る。

 通路を抜けた瞬間、万雷の拍手が四方八方から降り注いできた。観客席の方からだ。

 同じく入場してきた、対戦相手であるノルドはといえば拍手に応えるように手を振っているが、俺にそんな余裕は無い。

 ただせめて緊張しない様に、意識を張り詰めた状態を保つので精一杯だ。

 互いに距離を詰め、審判であるメリルリーさんを挟んで立ち止まる。

「はん、やっぱり勝ち上がってきたのかシスコン野郎」

「ああ、俺も男だからな。ドワーフでも魅了してしまうような絶世の美女となったらつい、な」

 いきなり罵倒から入るノルドに、同じく罵倒で返す。

 通常の決闘ならばマナーがなっていないとでも言われるのだろうが、これは魔術師と魔術師の決闘だ。

 勝率を上げるために相手の精神を崩そうとすることも、立派な戦略の内と言える。

「ッ! 言うじゃねえか。見ろよ」

 ノルドが首で指し示した方向には、今大会の優勝『賞品』という扱いとなっているアメリアが座っていた。

 こちらを心配そうな目で見つめてくるアメリアに、安心しろという意志を込めて視線を送る。

「っは! 精々今のうちに見つめてろよシスコン。尤も、次に見るのは俺との熱いヴェーゼだったりするけどなぁ」

 野卑な笑いとともに告げられる勝利宣言。

 それ自体にはさほど苛立ちは感じなかったが、その光景をイメージした瞬間、俺の頭から何かが切れた。

「今の言葉――――覚悟しとけ」

 正しく、一触即発。あと一言でも相手から発されれば、それが即座に戦闘開始の合図と成る。

 そんな様子の俺達を仕方ないなぁ、とでもいうかのように見回して、メリルリーさんが言葉を発する。

「っえー。それではこれより本選第一試合、レオ選手とノルド選手の試合を開始いたします!」

 試合開始の合図とともに俺は後方へと跳ねるようにして距離を取りつつ、二つの魔法を瞬時に発動させる。

 即ち、『強化』と『刃化』を。

 『強化』は身体へと作用し、『刃化』は片刃の長剣を作り出す。

 二つの魔法が発動すると同時に、距離を詰めて一気に片を付ける――この場合は手足すら切り払う――ために袈裟がけに斬りかかる。

 しかし、それはノルドの方も同じだった。

 『強化』に『刃化』。全く同一の魔法を発動して斬りかかり、見事に斧と剣とで鍔迫り合いのようになっている。

 しかし対等のような状況もつかの間、徐々に競り負け斧の刃がこちらへと近づいてきた。

 突き放すようにして鍔迫り合いの状況から脱し、試合開始直後のように一旦距離を取るために後方へと跳ぶ。

「っは! 遅いってんだよ鈍重シスコンがッ!」

 しかしそんな俺の思惑を見透かしたように、着地した俺へと僅かな間も与えぬような連撃がノルドから放たれた。

「――――――っ」

 ノルドの言うとおりなのは癪だが、確かに鈍重と言われても仕方ない。

 『強化』自体の完成度は予想していた通り、ノルドの方が上回っている。同一の魔法を使っている以上、動きに差が生じてしまうのも当然のことだ。

 にもかかわらず、俺は何とか動きの差を技術で埋めることに成功していた。

 かろうじてではあるものの、次々と放たれる攻撃の全てを、避け、逸らし、受け流す。

 決して受け止めるようなことはしない。先程受けて分かったが、『刃化』自体の構成で負けていなくとも、斧の方が剣と比べて遥かに『強化』の威力を伝えやすい形状をしている、ようだ。

 ともあれ、この防御の技術はここ数週間のシルクリスとの実戦訓練で最も重点的に仕上げたのだ。その甲斐あって、俺もシルクリスの攻撃をある程度受けきれるようにまで仕上げられている。例えノルドと言えど、数週間でシルクリスの技量を越えることは出来ないだろう。

「――――ッチ」

 舌打ちを一つして、ノルドは連撃を中止し距離を取った。

 連撃で崩し切れなかったために様子見を図るらしい――――と思ったが、違った。

 一気に片がつくと見ていたのか、思いがけず俺が粘る所為でノルドのプライドを傷つけてしまったようだ。

 ノルドは目を瞑り、開くと同時に『強化』の魔術の出力を倍増させてきた。

「おいおい…………」

 試合中と言うのも忘れ、思わず呆れの言葉が口を突いて出てきてしまう。

 コイツ……まだ全開じゃ無かったのかよ……。

 先程までの『強化』は、シルクリスとの決闘時の出力とほぼ同等だった。あの時あれだけあしらわれておいて、単純馬鹿のノルドが『強化』の出し惜しみをしていたというのは考えにくい。

 にもかかわらず、ここまでの出力を弾きだすとなると――――やっぱり、な。

 圧倒され呆けてしまっていたが、冷静さを取り戻してよくよくノルドを見てみれば予想の通りだった。

 ノルドの身体からまるで油を塗り付けた蝋燭に火を灯したように、急速に魔力が消費されている。

 ノルドは魔術式の改良を得意としていない。

 よってこういう単純な改良法を用いられることはシルクリスとの話し合いでも予想されたことだった。

 しかしそれでも、これをやられると厳しいものがあるというのは事実だ。

 なにせ、これ自体に対する効果的な対処法というものが、無い。

 確かに効果が倍増したことで比例するように消費量も倍増したが、元が消費量の低い『強化』だ。

 『馬鹿タンク』とも呼ばれるノルドに対してこの試合の中で魔力切れを起こさせることは、目の前のノルドを二秒後に文字通り叩き潰してミンチにして捏ねて焼いてメルエルの餌に出すよりも不可能に近い。

 そして、俺の付け焼刃の技術では『強化』されたノルドの斧の一撃を受け流すことも不可能だろう。

 勿論、『強化』の熟練度に根本的な差がある以上、そこで勝負したところで俺がノルドに追いつける筈が無い。

「諦めろよシスコン野郎。闘技場の砂を舐めるように土下座して降参するんだったら、俺もこれ以上攻撃しないぜ?」

 もはや勝ちは貰ったとでも言うかのように、ノルドが余裕の表情で言い放つ。

 確かに、現状を見れば間違いなくノルドが優位にあるだろう。それは疑うべくも無い。

 そう考えていることが分かってしまうからこそ、僅かに笑ってしまう。

 ここで勝ちを確信するから――――お前は馬鹿タンクのままなんだよ、ノルド。

 俺は戦士じゃない。純粋な魔術師とも呼べない劣等生の、召喚術師だ。

 疑似魔術で追いつけないというのなら――――真魔術で追い越すまで!

「来い、シェリーッ!」

 叫びとともに、右手の刻印へと魔力を送ってシェリーを召喚する。

 呼び出されたシェリーは動揺することなく真魔術である『騎士と水の精』を発動させる。

 身体中を薄青色の魔力が包み、全身の身体機能と神経を向上させた。

「っな、お前……それ……」

 出力の倍増された『強化』にも勝る俺の隠し玉に、目を丸くして驚くノルド。

 残念だが――――それだけじゃあ無いんだよ。

 驚いている隙を突くようにして距離を詰め、至近距離で斧の柄の中心を狙って斬り付ける。

 ――――『錬剣』!

 意識を集中させ、斧へと接触する一瞬だけ『錬剣』を行使する。

 俺の狙い通り、受けきれると見たノルドの思惑をも巻き添えにして、『強化』された剣は斧の柄を真っ二つに断ち切った。

 手首を返すようにして即座にノルドの首筋へと剣の刃を向ける。

 斧の上半分が落ち――――地に着くことなく光の粒子と成って消え去った。

「――――それまで! 勝者、レオ・ファルド選手!」

 メリルリーさんの宣言により、観客席から大きなざわめきが発生した。


「それではこれより第二試合、ボレロ選手とノガヴェ選手との試合を――――」

「よくやったぞ坊主、作戦通りだ」

 控室に戻ると、シルクリスが濡らしたタオルを手渡してきた。

 舞台の方では早くもボレロの出る第二試合が始まろうとしているらしい。

「ああ、ありがとう。にしても、予想通りといっても本当に『強化』の出力を倍増させてくるとは思わなかった」

 礼を言いつつタオルを受け取り、畳まれている状態から広げて顔を拭く。

 疲労は余り無いとはいえ、そこそこ動き回った所為で身体は火照っている。今の俺にはこのひんやりとした感触がとても心地良い。

「あいつが馬鹿な上に機転が利くわけでも無かったってのが救いだったよ。もしも動揺してなかったら切り札を全部切らなきゃ勝てなかった」

 なにせ作戦の通りに不意打ちが上手く決まってくれたからこそ身体が火照るくらいの運動量で済んでいるのだ。

 もしも動揺しなかった場合は『錬剣』を行使しつつ『騎士と水の精』の出力も上げるのが必須条件となっていた。

 しかしそれでも尚、守勢に回ったノルドを崩すことは難しい、というのも予めシルクリスから忠告されていた。

「ああ…………切り札のことだがな、坊主」

 何だかんだで喜びを抑えきれていない俺とは対照的に、どうしてかシルクリスの顔は暗い。

「うん? どうした? まだ他に『騎士と水の精』の改良点でもあったのか?」

「落ち着いて聞けよ、坊主。――あの金髪に、既に坊主の切り札である『魔弾の射手』、『風と共に去りぬ』、『秘密の花園』の三つが知られていた。この試合で『騎士と水の精』も使ってしまった以上、もうビーン兄弟の『錫の兵隊』しか真魔術の隠し玉は残っていない」

 頭に冷水をぶち撒けられたようなイメージ。一瞬で顔から血の気が引いたと錯覚する。

 魔術師にとって切り札とは命に等しい。

 最後に己の生死を分かつのは切り札の質と数であるという言葉を残した軍人も居るくらいだ。

 その切り札のうち――――既に残り一枚しか秘匿できていない。

「それじゃ――――作戦の前提が、崩れてるじゃないか……」

 ノルドやボレロは仕方ないとして諦めていた。

 それでもあの屑金髪には――――サーレオンには知られていないという前提で作戦を立ててしまっていたのだ。

 計算違いとはいえ、この誤算の影響は余りにも大きすぎる。

「……っふぅ――――」

 深呼吸を一つし、ゆっくりと、僅かな音も聞こえないほど静かに息を吐き出す。

 落ち着き、意識を集中させる。

 現状を把握し、騒ぐ心を抑え、焦燥により加速しだす思考を強制的に静止する。

 ――――――問題、無い。

「――――仕方ないな、それならそれでやるしかない」

 そう言った俺の様子が予想外だったのか、シルクリスは目を丸くしつつも微笑む。

「ほう、随分と早かったな。あと十数分はどうしたものかと悩み込むものとばかり思っていたが」

「ああ。でもまあ、どの道知られてたと思うことにするさ。それに、まだ『錬剣』は見抜かれて無い筈だ」

 先程はノルドの斧を真っ二つに切り裂いた刹那しか『錬剣』は発動させていなかった。

 サーレオンといえども見抜くことはほぼ不可能だろう。

「格上を相手にするなら奇襲は鉄板の戦術。そしてまだ奇襲のための切り札は二つ残されている。しかしな坊主、貴様の強みは切り札一つ一つの質では無い。むしろそれらの組み合わせだ。例え全てを知られていようとも、工夫さえすればきっと打倒できる筈だ」

 いつになく持ち上げてくるシルクリス。試合前日ですらここまで全肯定してはいなかった。

 ――――疑似魔術のほぼ全ての分野で、俺がサーレオンに及ぶことは無い。

 召喚獣の真魔術で、やっとその差の幾らかを埋めることが出来ているくらいだ。

 剣術も、予選を見た限りでは俺を数段上回っている。

 剣術ほどではないが、体術も劣っている。知力の方は……言うまでも無い。

 戦闘に必要とされるありとあらゆる点で、俺はサーレオンに敗北している。

 しかしそれでも、戦闘は能力だけで決まらないことを、俺は知っている。

 召喚獣と――――仲間たちと潜り抜けてきた修羅場の数が、それだけは真実だと保証してくれる。

 何より俺は、負けるわけにはいかないのだから。

 ――――――絶対に、守り抜いてやる。

「無理だろうが何だろうが――――勝ってやるさ」

「よし、その意気だ坊主。では、ボレロの応援にでも行くとしよう」

 決意を固めるために、敢えて傲慢にも聞こえるように力強く言い放つ。

 シルクリスは相槌を打ち、重くなった空気を振り払うように告げて観客席へと歩き始めた。


 戦闘が始まって十数分。僅かに空いていた観客席に座って見てみると、戦況は未だに五分五分のままであるようだった。

「なんだ、ボレロの相手も結構強いんだな」

 ボレロはシェロームを連れること無く、使い慣れた剣を片手に持って接近戦に持ち込もうとしている。

 対戦相手であるガノヴェはと言えば『炎弾』とその上位魔術にあたる『焔砲』を巧みに使い分けている。

 距離を保ち、中距離戦でボレロを寄せ付けないよう気をつけながら戦っているようだ。

 あのボレロ相手にここまでの間――魔力を激しく消耗して続けているとはいえ――粘り続けているというのは称賛に値する。

 このまま泥沼な戦いに持ち込まれるのか、という俺の思考を遮るようにシルクリスが口を開く。

「いやぁ……これは、もうそろそろ終わりだろうな」

「え? ――――あっ」

 シルクリスは俺の予想とは正反対の答えを核心を持った様子で告げる。

 直後、ボレロは距離を詰めつつもさらに効率良く改良された『強化』の出力を増強した。

 加速して近づいてきたボレロを迎え撃つため、ガヴェルは先程までのように素早く発動できる『炎弾』を行使する。

 直進するボレロは殆ど防御や回避行動を取ることなく、襲いかかる幾つもの『炎弾』を寸前で避け、躱しながら確実に距離を詰めていく。

 先程までと違い、全く退くことの無いボレロの姿に焦りを覚えたのか、一度に発動できる最大の量と見積もられる数の『炎弾』を、撒き散らすようにしてボレロへと撃ち放った。

 避けられる者無き、全てを焼き尽くさんと放たれる絨毯爆撃。

 しかしボレロはそれこそ好機とでも言わんばかりに獰猛な笑みを見せた。

 最も近くにある炎弾へと小さな炎弾を撃ち放ち――――炎弾が一斉に爆発した。

 何十発もの炎弾が一斉に起爆し、ガヴェルどころか観客席ですらその巨大な音から隠れようとして首を竦めてしまう。

 数多くの炎弾の連鎖するような爆発がボレロへと襲いかかる。

 ボレロは剣を突き出すようにしながら巨大な爆発を引き起こして吹き飛ばした。

 周囲が把握できなくなっていたガウェルはその衝撃を直に食らってしまい、転倒した。

 すかさずボレロは距離を詰め、ガウェルが反撃を仕掛ける前に剣を突き付ける。

「それまでです! 勝者、ボレロ選手!」

 試合終了の合図とともに、俺の周囲から歓声が沸き起こる。

「ボレロの小僧があそこまでやれるとは、嬉しい誤算と言うべきか…………」

「嬉しくは無いだろ。俺の言ってた通り、これで次の試合で切り札の全てを披露することになりそうだ」

 左隣で感心したように頷くシルクリスに釘を刺す。

 コイツ……俺が屑金髪と当たらないまま負けても賭けには負けたことになるって、憶えて無いだろ。

「まあ確かにな。坊主の言うとおり、出し惜しみが出来る相手では無さそうだ」

「ああ。黒焦げ丸を使ってるあいつは、純粋な決闘なら学院でも上位に食い込めるくらいだから」

「そうと分かっていながら勝算があるなどと……大した自信家だな坊主」

「…………っ、う」

 指摘され、自分でも確かにそうだと思えたので言い返すことなく閉口する。

 まあ確かに、予選が終わった時にした会議でも言った通りだ。

 能力というより相性の問題で、俺はボレロに勝つことが出来る。

 黒焦げ丸は、ボレロの奴の愛剣だ。

 魔剣は他にもあるらしいが、俺は黒焦げ丸しか見たことがない。

 黒焦げ丸には魔力を刀身へと通すことで任意に爆発を引き起こせるという仕掛けが施されている。

 近距離や中距離では言わずもがな、遠距離からの攻撃も爆発一つで大抵の魔術は無効化してしまう。

 爆発でも防げない威力の魔術を詠唱しようとすれば、それこそボレロの術中に嵌まっている。即座に距離を詰められて、それで終わり。

 学院内でも上位に食い込めるというのもそれが理由だ。

 魔術師の多くが接近戦を苦手としている以上、魔術を無効化して接近戦に持ち込んでくる相手なんて相性が悪いにも程がある。

 一見すると穴なんて存在しないと思えるほどに理想的な近接特化型。それがボレロの戦闘スタイルだ。

「まあ、お手並み拝見といくことにしよう。確かに坊主の作戦が上手く嵌まれば、それが一番消耗せずに済みそうではあるからな」

 そんな風に次の対戦相手への対策が一通り纏まったところで、控室から上がってきたボレロがこちらへ近づいてきた。

「ヘイ! どうだったよ俺の試合は。中々に刺激的だっただろ?」

「もう……煩いわよボレロ。もうすぐ次の試合も始まるんだから静かにしなさいよ」

 どうやらボレロの控室で寝かされていたシェロームも起きたようで、共に俺の右隣の席へと座ってきた。

「ああ、今も手強いなって言ってたところだよ」

 俺の隣に座るボレロに、嘘とも本当とも区別のつかない灰色の回答を渡しておく。

 実際に手強いとも強敵とも思っているので嘘ではないのだ、嘘では。

「よしよし、素直なレオだぜ。まったく本当に親友だなぁ、レオは」

 ボレロはその答えに満足したようで、何やら意味不明な言葉を発している。素直な俺って何だよ。

 っていうか、本当に親友だなぁってどんな表現だよ。

 怒涛の突っ込みを入れたくなったが、根性でねじ伏せる。うん、俺の根性が育った原因は周囲の環境にもあるのかもしれない。

「そろそろ抑えてくれんかボレロ――――坊主の宿敵の試合が始まるのでな」

 欲望を理性で抑えるように、左手で右手を抑える俺を尻目にさらっと言ってのけたシルクリスの言葉に、全てを忘れて舞台へと集中する。

「さてさて盛り上がって参りました! それでは第三試合となります。サーレオン選手とエオピガ選手――――試合、開始!」

 メリルリーさんの宣言により、サーレオンの試合が始まった――――!

 

 試合の開始宣言を、サーレオンは上の空で聞いていた。

 観客席を見回すものの、目的の人物の姿は影も形も見当たらない。

「おい、人殺しのサーレオン様よぉ」

 対戦相手から声を掛けられるが、サーレオンは無視してレオの捜索を続行する。

 予選とは違い、この試合では戦う前にレオの姿を見つけなければならないという彼なりの予定があるためだった。

「知ってるぜぇ……『血塗れの狂笑』」

 今度の声は、サーレオンにも聞き流せなかった。

 相手をするために仕方なく、サーレオンは視線を対戦相手へと向ける。

「その名前を知っていて僕を呼ぶってことは…………軍の関係者かなにかかい?」

「ああ、一応な。俺は半分軍属みたいなもんでよ、戦場でのあんたのえげつなさは全部知ってる」

 サーレオンの問いに答える男は、そこまで言って品性の欠片も感じさせないくらいに大口を開けて笑いはじめた。

 それには特に何も思うところは無かったのか、サーレオンは言葉を続けた。

「えっと……名前はなんて呼べば良いのかな? うん、まあとにかく僕は先に……」

「エピオガで良いぜ、先輩。だから噂も知ってる。見つけたい奴ってのは、劣等生のことだろう?」

 エピオガというらしい男の指し示した方向には、確かにレオ・ファルドが座っていた。使い魔のシルクリスも共に、だ。

「ああ――――あそこにいたのか。うん、居てくれて良かった。エピオガ君、有難う」

「そりゃあどうも。にしてもアンタも鬼畜だなぁ――――アメリアを賞品にして、こんな公共の場で劣等生の弟を嬲るためのイベントを計画するなんてよ」

 有難かったので、素直に礼を言うサーレオン。

 それに応えるエピオガは、下世話な話を愉快そうに口の端に昇らせはじめた。

「っはは、あいつもあいつで参加してるしな。まあそのおかげでボレロの野郎とも遣り合わずに済みそうだし良いこと三昧だ。あとはアンタに勝つだけだ。それだけで何の問題もなくあの屑に靴嘗めさせて、アメリアも俺のも――――」

「――――黙れよ、屑」

 小さな呟きだけで、エピオガの口の動きは停止させられた。

 魔術が用いられた――――というわけでは、ない。

 単純な『拘束』の魔術ならば何をせずとも弾き返せる程度の実力は、エピオガも持っている。

 空気が凍った瞬間を、エピオガは初めて体感することが出来た。

 実際に凍っているわけではない。あくまでも錯覚だ。

 そう、その錯覚だけで、エピオガは今恐慌状態に陥りかけていた。

 笑顔のままで――――サーレオンは線を踏み越えた愚か者へと諭し始める。

「別に……僕をその名で呼んだり、鬼畜呼ばわりするのは構わない。それは、紛れもなく僕だからね」

「――――――」

 今のエピオガには言葉を発することも、動くことも出来ない。呼吸すらも忘れかけている。

「でもね、今のは頂けないな。彼を劣等生扱いするのは仕方ない」

 ゆったりとした死の宣告が、エピオガの心と体を縛り付ける。

「――――けれど、僕の前でファルド家を侮辱したのは不味かったね」

「――――『焔砲』!」

 精神力を振り絞って身体の自由を取り戻し、エピオガは無詠唱で『焔砲』を至近距離のサーレオンへと撃ち放った。

 発動自体も決して容易くはない『焔砲』を無詠唱で発動できた点から見ても、確かにエピオガは十分な実力を持っていると言って良かった。

 惜しむらくは――――相手とは次元が違ったということだろうか。

「へぇ、良い魔術だ。咄嗟に撃ったにしては十分な威力だね」

 火焔の放射が過ぎ去ったあとには、涼しげな顔をしたサーレオンが仁王立ちしていた。

 直撃せずとも火傷を負うほどの熱量を至近で浴びたにも関わらず、まるでそよ風が吹いただけと言わんばかりの表情で、だ。

 恒常的に張っていた防護結界。サーレオンはそれだけで高威力の魔術の不意打ちをも防いでいた。

 尤も、防ぐだけでなく魔術の余波による熱も完全に防いでいる。

「な。――――なんで、なんでだよォォ!」

 連続で撃ち放つが、まるで届くことは無い。

 ――――魔力も、それを保つための集中力も。

 サーレオンとの隔絶した差を自覚し、そしてそれを振り払うように叫ぶ。

「さて、それじゃあ、今度はこっちから行かせて貰うとしようかな」

 それまでただ立って攻撃を受け続けていただけのサーレオンが、唐突に詠唱を開始し始めた。

「――――再生と破壊とを象徴する焔よ。我が身に宿りし魔力を供物に捧ぐ。炎神よ、其が弓矢で以て我が敵を射抜き滅ぼし給え」

「――――っ!? そ、れはっ! 『ニグレド』のっ!」

 サーレオンの詠唱を聞き、先程まで狂ったように『焔砲』を撃ち続けていたエピオガの顔が恐怖で引き攣る。

 『ニグレド』。それは魔術を指す言葉であり、魔術師そのものを指す言葉でもある。

 魔術にも位階があり、下級や上級という区分は一応されている。しかし、それはあくまで一般レベルに過ぎない。

 そういった、通常の魔術には区分出来ない程の威力や特有の性質を持つ魔術のために作られた区分。それが『ニグレド』だ。

 そんな明らかに次元の違う魔術を目の前にして、エピオガの採る行動は一つしか無かった。

「こう――――――!?」

 降参する、と言いかけてエピオガは気が付いた。声が、出ないことを。

「何でだ、なんでこう――?」

 普通に喋ることは出来るが、どうしても降参するとだけは言えないことを改めて実感するエピオガ。

 いつの間にか『禁句』の魔術を行使されていることに、漸くエピオガは気が付いた。

 恐怖に駆られつつサーレオンを見ると、薄く嗤っていた。

「――――ヒッ!?」

 反射的に距離を取り、全意識を集中させて防護結界を展開し始める。

 詠唱を終えたサーレオンは、焦燥した様子で結界を展開するエピオガへと微笑みながら、ただ準備を終えるのを待っている。

 何重にも結界を張り終えたところで漸く、サーレオンは待つのを止めた。

「さてさて、それじゃあ準備も済んだかな? 安心しなよ、お仕置きだから殺す気は無い」

 逃がすつもりもないと言わんばかりの笑顔で宣告するサーレオン。

 その姿は、エピオガからは地獄の使者にすら見えた。

「――――――『炎神の鏑矢』」

 魔術名を締めに唱えて、サーレオンは『ニグレド』の魔術を発動させた。

 エピオガを指す人差し指の先端から中指ほどの小さな焔の矢が形成され、射出される。

 通常の矢のように飛び、臆病とも取れるほど何重にも張られた結界の外縁部のものへと接触する。

 そして触れた瞬間――――――――焔の嵐が巻き起こった。

 防護結界を包むようにして焔の嵐が吹き荒れる。一枚、また一枚と結界を剥ぎ取り、敵を焼き尽くさんとその威力を増していっている。

「う、おおおおおおおおおおおーーーー!」

 焔の中で、エピオガは全身全霊を込めて結界の維持に集中する。

 最早魔力も尽きかけ、結界の数も後僅かという状況になって、エピオガは漸く理解した。

 目の前のコレは、本物の化け物だ。

 その認識とともに後悔がエピオガの身を襲い、ついに最後の結界が壊れた。

「――――――!」

「――――もう、いいかな」

 焔にさらされる直前、サーレオンが『炎神の鏑矢』の発動を止める。それにより間一髪、エピオガは命を取り留めた。

「――――しょ、勝者、サーレオン選手」

 戸惑いながらも職務を果たしたメリルリーの宣言が、静寂の闘技場に拡散されて響き渡る。

 一部始終を固唾を呑んで見守っていた観客席から、怒涛の拍手が鳴り響いた。


「『炎神の鏑矢』かぁ…………サーレオン相手だと、俺には荷が重いな」

 開口一番、ボレロは明るく敗北宣言を始めた。

「まあ、サーレオン相手じゃお前の戦法自体が通じないからな。『ニグレド』の魔術を使われなくても、あの結界は破れないだろ」

 サーレオンの基本戦法が専守防衛なのは予選からの戦闘で把握できた。だからこそ、ボレロの黒焦げ丸ではおそらくサーレオンの防護結界は破れないであろうことも予測できる。

「オイオイ、随分好き勝手言ってくれるじゃねえか。ならお前はやれんのか? ああ?」

「いや――――正直、どうだろうな」

 退場を始めたサーレオンを目で追いつつ、喧嘩腰なボレロへと素直な感想を伝える。

「あいつの全力の結界がどの程度のものかってのが分からない以上何とも言えないが――――多分、予想を上回らない限りは破れるさ」

「あっそ、なら問題無いんだろうな」

「えっ? なんでボレロは納得出来るの?」

 全く納得出来ていないという顔をしたシェローム。黙っているのも面白そうだったが、また騒がれては敵わない。

 俺は端的にどの程度を予想しているのかを教えることにした。

「ちなみに俺の予想を上回った場合、サーレオンの全力は姉さんの普通の防護結界と同等の硬さになる。これで分かったか?」

「お姉さまの結界には……及ばないよね」

 表情を一転して深く頷き始めるシェローム。学院内でしか通じなさそうな例ではあるが、解ればこれ以上に説得力のある言葉は存在しない。

 あれほどの暴威を振るうサーレオンですら、赤子の手を捻るように扱えてしまうのだ。アメリア・ファルドという天才は。

「まあそういう訳で、一応俺には対策がある。だからボレロ……」

「駄目だ。対策の有る無しじゃないんだよ。俺とお前の真剣勝負に、他の相手との試合は関係無い。そうだろ?」

 期待も空しく、やはりボレロはきっぱりと断った。

「やっぱ、駄目か…………」

 実際にサーレオンとは相性が悪いことを知った今なら説得できるかとも思ったが、ボレロが応じることは無かった。

 まあ、解り切っていたことでもあった。ボレロ・ジェルノはこういう風に動く奴なのだ。

「――――っえー、ただ今届いた情報に依りますと、次に行われる第四試合。その参加者であるブーヴォ選手とグウェーヌ選手の両名が棄権されたそうです」

 駄目押しとばかりに、メリルリーさんの口から無情の通知が言い渡された。

 頼みの綱の、グウェーヌ選手も棄権してしまった。

 尤も、彼女の場合は棄権しないという可能性も無いわけではなかったので、予想通りと言えば予想通りだ。

 これで事は単純明快になった。或いは、なってしまった。

 そう、これでつまり――――。

「これにより試合が前倒しされることになり、準決勝第一試合が行われます。尚、第四試合の両名が棄権されたため準決勝第二試合は行われず、よってサーレオン選手の決勝進出です」

 そう、これでつまりは『誓約』通り、俺は本当にこの大会で優勝しなければならなくなってしまった。

「ほら、お呼びがかかったぞ。良い試合にしようぜ、レオ」

 俺の葛藤を知っていながら、爽やかな笑顔で告げてくるボレロ。正直殴り倒して説教してやりたい。

「――――仕方ない、な」

 覚悟を決めて、席から立ち上がる。

 確かにシルクリスには勝てると宣言した。とはいえ、実際には試合がどう転ぶかを完全に予測するなんて出来っこない。

 それこそ仮定を想定し、幾多もの可能性を思考するだけだ。予想外の事態が全く起きないことこそ不自然なのだ。

 本来なら戦うべきではない。ボレロへの『借り』を使ってでも勝ち進まなければならないところだ。

 しかし、それでも俺はボレロと戦う覚悟を決める。

 理由なんて、些細なことだ。

 レオ・ファルドは、ボレロ・ジェルノの親友なのだから。


「っえー。それでは些か問題も起きましたが、これより準決勝であるレオ・ファルドさんとボレロ・ジェルノさんの試合を取り行います!」

 控室でのささやかな準備を終え、俺は今ボレロと向かい合っていた。ボレロに合わせるように、既に『刃化』の魔術は使用済みである。

 予想した通り、ボレロはシェロームを引き連れてはいない。おそらくは試合の邪魔だと置いてきたのだろう。

 今頃シェロームは拗ねているに違いない。

 まあ、全部想像だ。大した根拠があるわけでもない。

 仮にそういう風に口の悪いことを言っていたとしても、ボレロの本当の気持ちはシェロームを集中的に狙われたくないってとこだろう。

 気恥ずかしくて言えないってのは、解らなくもない。

 感傷めいた気持ちを封じ込め、いつ試合が開始されても召喚できるように右手の刻印へと魔力を集め始める。

 試合が始まっていないのに卑怯者め、と言われても仕方ない。

 こうでもしなければ、接近戦の熟練者であるボレロ相手に俺が勝てる要素は無いのだから。

 ――――これで、第一段階は完了。

「それでは――――試合、開始!」

 準備が完了したと同時に発される、メリルリーさんの宣言。

 無詠唱で『強化』を発動させ、後ろへ大きく跳んで距離を取る。

 『強化』を切ると同時に刻印により、ボレロが距離を詰めてくる前に最速で召喚する!

「来い! ビーン、ポワ、ボーネ!」

 光とともに、俺の目の前に三体のゴブリンが召喚される。

 背丈は俺より遥かに小さく、精々八歳児かそこらというような大きさ。

 長兄のビーンは槍を、次男のポワは斧を、三男のボーネは剣を獲物として握っている。

 ゴブリンは妖精の一種族だ。悪戯好きな妖精の中でも特にそういった悪戯を好む種族として知られている。

 同じ妖精でもルージュのようなエルフとは違い、口が滑ろうとも美しいとは言えない顔立ちをしている。

 しかし俺にはその犬のような顔にも不思議と愛嬌が感じられる。

 悪戯でその名を知らしめている通り、ゴブリンは大した魔力容量を持つわけでも無く、膂力があるわけでもない。

 そのため魔獣としての格もそう高いものではないのだが――――。

「ッハ! まずは小手調べにビーン兄弟か!」

 何が召喚されるのかと身構えていたボレロは現れた召喚獣を確認し、問題無いと判断したのか距離を詰めてきた。

 ――――それでも、こいつらは今回の試合の鍵を握っている。作戦の中核となっているのだ。

「真魔術!」

 ビーン兄弟達へと短く指示を出す。予め作戦会議を終えていただけあって、素早く魔術を発動させてくれる。

 無詠唱で『強化』を発動させて迫ってくるボレロが危険域に入ってしまう、というギリギリのところで真魔術が発動してくれた。

 魔術発動とともに、ビーン達は発光しながら分裂するようにして一人二人三人四人と徐々に数を増していく――――。

「よし、突撃――――!」

「『錫の兵隊』か!」

 迫りくる数十体の壁を無理矢理抉じ開けるような真似を、ボレロはしなかった。

 加速する身体を無理矢理逆ベクトルへと切り替え、突撃してくるビーン達へと備える。

 これがビーン達の真魔術。その名も『錫の兵隊』だ。

 魔力によりビーン達と同等の分身体を形作るという数の暴力を具現したような真魔術である。

 疑似魔術でも模倣できない真魔術というものは現在にも幾つかある。その中にはゴブリンの真魔術もその希少な真魔術に含まれている。

 尤も、純粋なゴブリンの真魔術と『錫の兵隊』とは別物だ。本来の真魔術は一体か二体までしか分身体を作り上げることは出来ない。それを俺が無理矢理に改変し、ビーン達が真魔術を発動するたびに俺が魔力を供給するという術式へと作り変えたのが『錫の兵隊』だ。

 魔力容量しか脳の無い俺。

 単体では一体までしか分身体を作り出すことの出来ないビーン兄弟。

 欠点を補いあった、俺達だけの魔術。

 その補完された真魔術が、今まさに牙を剥く――――!

「ルージュも呼ばずに『錫の兵隊』だけってんなら――――」

 先程まで待ち構えていた筈のボレロが、一転して突撃してくるビーン達の分身たちへと正面から向かっていく。

「――――オラァッ!」

 黒焦げ丸を、雄叫びとともに一振りする。

 それにより巻き起こる爆発によって、先陣を切っていた分身体達を槍衾もろとも吹き飛ばした。

 吹き飛ばされた分身体達は元の魔力へと還元され、光の粒子を舞い散らせながら空気へと溶けていく。

「どうだレ――――って、ちょ待っ!!」

 吹き飛ばされた先陣に構うこと無く、待機していた第二陣の斧と剣の集団がボレロを取り囲んで襲いかかった。

 勝ち誇ろうとしたボレロは槍衾で隠されていた第二陣に気が付いていなかったため反応が遅れ、防戦一方へと追いやられてしまう。

 その隙に、俺は真魔術の準備のために刻印を通じて魔力を送る。

「――――オララララララララララァッ!」

 振り下ろされ、薙がれ、振り抜かれ、突き出される数多くの斧や剣の攻撃。ボレロはそれらをたった一人にも係わらず捌き、受け流し、避けながら斬撃と爆発によって着実に第二陣の分身体達の数を削っていっている。

 ――――相変わらず、乱戦では化け物みたいになるな、アイツ……。

 直前の作戦会議の間に、シルクリスから『錫の兵隊』だけを用いる場合でも持久戦に持ち込みさえすれば打倒できるのではないかという提案が出されたが、これは不可能と退けさせて貰った。

 理由は簡単。ボレロが息切れを起こすよりも尚早く、俺の魔力容量が底を突いてしまうからだ。

 これは『錫の兵隊』を開発して直ぐの頃に俺からボレロへと挑戦し、敗北したという結果から解っていることである。

 だからこそボレロも『錫の兵隊』だけならという判断をしているのだろう。その証拠に、傍目から見れば防戦一方であるにもかかわらず未だにボレロの顔は余裕の笑みしか浮かべてはいない。

 ――――いやまあ、あいつが戦闘狂ってのもあるんだろうけどさ。

 そんな戦闘狂に構うこと無く、俺は更に刻印へと魔力を注ぎ、召喚する。

「ッハァ! これで、ラストだ!」

 颶風の如き剣戟が、瞬く間に第二陣を削っていく。最後の数体も、黒焦げ丸の爆発により為す術も無く消し飛ばされてしまった。

 ――――だが、まるで問題は無い。むしろ、爆発を使うところまで読み通り、だ。

「今だッ!」

「――――ッ、まだあんのかよッ!!」

 俺の号令により、十数体の分身体からなる第三陣から一斉に矢が放たれた。

 ビーン達の真魔術『錫の兵隊』の武装は、何もビーン兄弟の持つ武装に限定されるわけではない。

 単純な構造をしているもの、というよりもビーン達に構造が解るものであれば大抵の武装は複製できる。

 とはいえ『錫の兵隊』の分身体は発動者のほぼ完全な複製だ。発動者にもそれを扱うための技量が必要となってしまう。

 今回の三段構えのために、わざわざビーン兄弟達にはシルクリスの指導のもと弓術を磨いて貰ったのだ。

 その甲斐あって、分身体につき数本の矢を持たせ、それを斉射させることが可能になった。

 さしものボレロといえども、一度爆発を起こした後ではこれらの斉射を一度に吹き飛ばせるだけの爆発を起こすことは出来ないだろう。

 そう、思っていたが――――。

「オラァァァァッ!」

 ボレロは先程爆発を放ったばかりだというのに、まだ十分な威力を持つ爆発でもって斉射を吹き飛ばした。

 ノルドはそのまま『強化』の出力を上げ、直線的な移動により瞬く間に距離を詰めてくる。

「おいおい…………もういいぞ、展開しろ」

 呆れつつも、俺は更なる指示を出す。

 その指示を聞き、第三陣はボレロを中心に招き入れるように左右へと展開した。

 その先にあるモノを見たとき、手の内を知っている筈のボレロの表情が一変する。

 第三陣の中から召喚されていない筈のルージュが突如として現れたからだ。

 ルージュは既に弓を引き絞り、真魔術を最大限にまで溜めている。

 ルージュは第二陣が破れるとほぼ同時に召喚済みだ。そのまま真魔術を溜めながら第三陣の分身体達の中心に隠れていたのだ。

 先にも述べたとおり、ルージュの背丈はビーン兄弟達と同じか、それより僅かに低い。

 だからこそ、手の内を知るボレロにも気付かせぬまま召喚することが出来たのだ。

 事前の作戦通り。俺の指示のまま、ルージュは開かれた射線を通すようにして全力の『魔弾の射手』を撃ち出した。

 駄目押しとばかりに、更に増殖させた第三陣によって左右へも矢を放たせる。

 斉射が吹き飛ばせたとしても――――これなら、どうだ?

「――――ッ!」

 間一髪、上空へと跳び上がることによってボレロは『魔弾の射手』を回避した。

 完全に負傷も無く回避するためにはそれしかなかったはいえ――――それは、失策だぞ。

 瞬時に七割の威力が込められた『魔弾の射手』を追い打ちの形で撃たせる。

 この速射性こそが『魔弾の射手』の特性だ。空中という不安定な体勢でならば、威力が減衰していても当たる筈!

 空中を上昇していくボレロを追い上げる形で、光の矢がボレロを貫き抜けて――――。

「まだ――――やれるっての!」

 諦めることなく黒焦げ丸へと魔力を蓄えていたボレロは、『魔弾の射手』へと直接剣をぶつけて爆発させた。

 あっけなく『魔弾の射手』は掻き消され、爆発の反動でボレロはさらに空へと上昇していく。

「…………嘘だろ、おい」

 予想を遥かに超える展開に脱帽する。と、同時に激しい魔力の消耗によりふらついてしまう。

 これは、不味い。ここまでとは思っていなかった。

 とっさの判断でビーン兄弟達を還し、魔力の消耗を抑えた。念話で礼を言うことも忘れない。

 俺もボレロも掠り傷一つ負っていない。しかし普段通りの戦い方をしている消耗の少ないボレロの方が遥かに有利だ。

 となれば――――。

 目を閉ざし、しばし考え込んで賭けに出ることを決める。

 『刃化』で剣を作り出しながら刻印へと魔力を注ぎ、召喚する。 

「あらら、結局私の出番なのね」

 光とともに現れるのは――――シェリーだ。

「シェリー、頼む」

 短く告げる。常時ならばもう少し労いたいところだが、生憎時間が無い。

「ま、ふざけてる暇も無いわね――――『騎士と水の精』」

 真魔術発動とともに、身体を薄青色の魔力が包み込んでくる。

 ここ数週間何度も慣れ親しんだ感覚が、全身へと広がっていく。

 強化された力で以て、再度剣を握りしめる。――――大丈夫、いける筈だ。

「ルージュ。もう一度、合図をしたら全力で頼む」

 こちらを向き、異論を挟むことなくルージュは頷いた。

 それを確認した後、上空へと視線を向ける。ボレロは上昇を止め、徐々に加速しながら落下してきている。

「――――『魔弾の射手』!」

 合図とともに、ルージュが全力の『魔弾の射手』を撃ち放った。

 三度放たれた光の矢が、今度こそ射抜かんとボレロへと襲いかかる。

 しかしボレロもそれを予測していたようで頭から落下しながら剣を構え、光の矢の先端へと剣先を叩きつけた。

 黒焦げ丸で全力の爆発を起こし、強引に矢の軌道を――――逸らした。

 全力の『魔弾の射手』を、ボレロはその曲芸染みた技巧で以て凌ぎ切った。

 凌ぎきって――――――――油断するよなぁ!

「っな!」

 『魔弾の射手』に隠れるようにして跳び上がり、完全に油断していたボレロへと斬りかかる。

 流石はボレロといったところか、不安定過ぎる体勢にもかかわらず無理矢理に身体を捻ることで剣を構えて斬撃を防ごうとする。

 このままの軌道ではまず間違いなく防がれてしまう。かといって今更軌道を変えるような魔術を用いる隙は無い。

 空中とはいえ技量では完敗している以上、せっかく避けていた接近戦へと持ち込まれてしまい敗北してしまうだろう。

 だが関係ない。問題無いのだ。

「『錬剣』ッ!」

 発動した『錬剣』により剣は強化され、振り抜かれる。

 振り抜いたと同時に顎から脳へと強い衝撃が走り抜け、視界が切り替わった。

 数秒して漸く、ボレロによって顎を蹴られたのだと自覚する。

 体勢を立て直す余裕も無く、無様に落下していく――――――――。

「――――――うっ」

 ある程度加速したところで、背中へと強い水流が放射された。

 水流は落下速度を徐々に削り取り、やがてある高度まで下がったところで零へと削り切った。

 放射が止んだところで、素早く体勢を立て直して着地する。

「まったく……私が居なかったらどうしてたってのよ、あんたは」

「助けてくれる確信があった――――ってのは駄目かい?」

 珍しくぶつぶつと文句を言ってくるシェリーへと軽口で返す。とはいえ、信頼していたのは事実だ。

 『魔弾の射手』の準備を終えているルージュを見て少々笑ってしまった後、先に着地していたボレロへと視線を向ける。

「――――まだ、やるか?」

「オイオイ、ここまでされてまだ闘えると思ってんのかよ」

 そう言って右手を前へと突きだすボレロ。

 右手に握られた黒焦げ丸は――――柄から上部のほぼ全てを失っていた。

 思い出したかのように残りの刀身が地面へと落下してきた。地面と衝突し、けたたましい金属音をたてる。

 魔力を大量に消耗したとはいえ、これでボレロの戦力を大幅に削ることが出来た。

 例え『刃化』を使って戦闘を続行しようとしたとしても、今度は全力の『魔弾の射手』を防ぎ切ることは出来ないだろう。

「俺の負けだよ――――親友」

 そこまで思考したのだろうか、あっさりとボレロは降参した。

「――――っえー。ボレロ選手の降参により、ただ今の試合の勝者は――――レオ選手です!」

 メリルリーさんの声で、観客席からの沸きたった歓声が耳に届き始めた。

 

 決勝の前に十分の休憩があるということなので、控室へ戻ることになった。

 入ってすぐさま、長椅子へと倒れこむ。 

「っはぁ…………」

「こらこら坊主。次が本番だぞ、休んでいる暇など無いのではないか?」

 溜め息を吐いただけにも係わらず、シルクリスから駄目出しされてしまった。

 ゆっくりと顔だけを向けて、正当性を主張する。

「……あれだけ魔力消費したんだ。急な回復が見込めない以上、回復に専念するのは間違ってないだろ」

 全力の『錫の兵隊』を補充しながら三陣編成。『魔弾の射手』を三発。出力全開の『騎士と水の精』。とどめに『錬剣』だ。

 予選での真魔術や前回のノルドとの試合でも大量に消費していて、よくもまあ魔力が続いたものだと自分でも呆れてしまう。

「問題無い…………と言ったらどうする?」

「は?」

 妖しげに笑いながら懐からフラスコを取りだすシルクリス。手渡されたそれの中には一見水のようにしか見えない澄んだ液体が入っていた。

「エリクシルだ。これを飲みさえすれば魔術師は魔力を取り戻せるのだろう?」

「エリクシル――――って、お前どうやって!」

 エリクシル。

 それは異国では生命の水とも呼ばれる希少な霊薬。一度それを服用するだけで枯渇した魔力を取り戻し、一時的には服用した個人の魔力容量すらも上昇させる。その有効性から軍も『ニグレド』の魔術師のために確保しようと躍起になっているものの、どの国も僅かな量しか確保することは無い。

 ――――では、どうして自国で精製しないのか。

 その理由は全く以て簡単なもので、人間には絶対に精製出来ないからだ。

 『陽光の欠片』、という真魔術がある。

 ピサンリという種族に固有の真魔術であり、この魔術を用いて作られる物質を加工することで初めてエリクシルが得られるのだ。

 ピサンリという種族を拘束することが『不可能』なことも相まって、この強力な霊薬が世に出回ることは殆ど無いのだが……。

「サーレオンが寄越したのだ。全力の坊主を負かさなければ意味が無い、とな」

「何考えてやがる……あの屑金髪は!」

 毒づきながらも躊躇うことなく蓋を開けてエリクシルに口を付ける。

 とはいえ、これが毒か何かだとはこれっぽっちも思っちゃいない。

 サーレオンならばこんな小細工をするまでも無い。今の俺相手なら赤子の手を捻るよりも簡単に勝つことが出来る。

 謙遜では無くそう言えるのだ。ならば躊躇う必要など無い。

 勝つ確率を引き上げるのなら、敵から送られた塩だろうがなんだろうが、遠慮なく使わせて貰う。

 持っている時は温かかった筈なのに、口内に含んだ途端に氷水のような冷たさを感じさせる。様々な果実を混ぜたような味。しかしそのどれもが主張することなく互いを引き立て合っている。強いてどれが主役かといえば……リンゴだろうか?

 量自体がそれほど無かったこともあって、すぐに飲み干してしまった。

「…………ふぅ」

「それで、どうだ坊主。戻ったか?」

 少し心配そうな調子で聞いてくるシルクリス。

 何だかんだ言っても、サーレオンからのものであったことを危ぶんでいたのだろうか。

「ああ……問題無い。戻ったよ、完璧に」

 体内の魔力が完全に……否、完全以上に充溢している。

 初めて服用したが、その噂は本当なようで本来の魔力容量を越えた量まで身体中に魔力が満ちている。

 これなら…………やれる。

「ほう、それなら問題無いな。予め立てていた作戦よりも良い結果が出せるのではないか?」

「これがただの水だったら本当に打つ手無しだったけどな……」

 負けるわけにはいかないのだ、絶対に。

『やっぱり結婚しなくちゃ、駄目なのかなぁ……』

 アメリアの涙を思い出して決意を更に深める。

 絶対に……勝つ。

「っえー。それでは決勝を始めます! 最終試合はレオ・ファルド選手対サーレオン・アブラハム選手です」

「そら、試合だぞ坊主。……次で最後だ、出し惜しみなどするなよ」

 解り切ったことを言いつつ頭の上に手を載せてくるシルクリス。正直ウザい。

「解ってる。全力で叩き潰してやるさ」

 頭に載せられた手を振り払い、叩きつけるように言い返す。

 そのまま立ち上がり、控室を後にして闘技場の舞台へと足を進める。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「待ってたよレオ君。全力の君と戦えるこの時を……ね」

 舞台には、既にサーレオンが待機していた。

 勿体ぶった口調で歓迎するように大きく手を広げながら笑みを浮かべてサーレオンは言う。

 それには特に反応を示さず、ただ聞くべきことを訊く。

 その前に、メリルリ―さんへと了解を取っておく。

「メリルリ―さん、あの……」

「解ってますよレオ君。でも、ちょっとだけですからね」

 そう言いつつも、メリルリ―さんは会話の邪魔をしないようにと自ら距離を取ってくれた。

「それと、試合を開始したら会場から離れて下さい。……危険ですから」

 ついでにもう一つ要望を追加して、重要な質問をサーレオンへと問いかける。

「どうして……姉さんなんだ? お前はグウェーヌさんと付き合ってるとばかり思ってた」

 試合開始まで僅かな時間しか残されていないが、それでも始まる前にこれだけは聞きたかった。

 本戦のトーナメントを見た時に僅かながら戦わなくても大丈夫だと思った理由が、それだ。

 サーレオンとグウェーヌさんが恋仲だという噂をボレロ経由で訊いていたからこそ、俺は彼女に微かな望みを賭けたのだ。

 …………結局、賭けには負けてしまったが。

 しかしそんな気持ちも、次にサーレオンから訊かされた言葉によって地平線の彼方まで吹き飛ばされる。

「ああ、それは偽装だよ。だって彼女、後輩の女子が本命だもん」

「――――う?」

 解り切った事実を話すように、サーレオンは耳を疑うしかない様な事を平然と言ってのけた。

 グウェーヌさんはサーレオンと同じく魔徒会の副会長をしている。

 得意魔術こそ派手ではないものの、その実力はサーレオンに劣るということも無い。

 家族という色眼鏡を外して見なくとも、その容姿はアメリアに匹敵するほどの美しさを湛えている。

 演劇部のお姫様とも呼ばれる花形の彼女には男女問わず相当数のファンが存在する。

 傍目から見れば十分にお似合いだと言える二人。だからこそ、そういう噂も出てきたのだろう。

 しかし、もしもそれが事実なら、グウェーヌさんは女の子同士でしか恋愛が出来ないという性癖を持っているということになる。

 ふと脳裏に、おっとりとした顔で微笑むグウェーヌさんの笑みが浮かび上がった。

 次いで、前回観た演劇の講演で王子様役の女子との熱烈な接吻を繰り広げていた場面が浮かび上がった。あの時は演劇に真剣な、とても尊敬できる先輩だなぁと単純に思っていた。今となっては本当に演技だったのかというところから疑ってしまう。

 ――――正直、当て嵌まりすぎてて困る。次に会った時、俺はどういう態度を取れば良いんだろうか。

 っていうか、もしかしてアメリアも――――。

 思考回路は呆気なくも容易く暴走し、脳内に桃色の空間を作り上げた。

 演劇に駆り出されるアメリア。幾度も練習を重ねる二人。そして――――。

 頭をぶるぶると振るい、強引に脳内の想像を振り払った。集中――――大切なのは、そう、集中だ。

「あ、そこで誤解されても困るんだけど。彼女は女の子だけじゃなくて男の子も大丈夫だよ。両方とも囲ってるし」

「囲ってんのかよ!」

 どうなってんだよあのお嬢さんは! おっとりした顔のまま学院内で何やらかしてんだ!

 取り繕おうとした冷静さは雲散霧消し、即座にツッコミを入れてしまった。

「まあ、後輩だけだけどね」

 その言葉を聞き、ほっと一安心する。そうか、アメリアには影響は無いのか。

 ……………………駄目だなぁ、俺。

 間もなく試合が開始されるにも拘わらず、集中を掻き乱されてしまっていることに自己嫌悪を覚える。

「うん? 別に、ファンクラブってそういうものじゃなかったのかい?」

「………………」

 目の前に居る人間との常識の乖離度に思わず空を仰ぎ、顔を手で抑えてしまう。

 っていうかこの学院の生徒会おかしいよ! 何で奇人変人ばっかり選ばれてるんだよ!

 あ、アメリアは……アメリアは普段どうやってこいつらを抑えつけてるんだ……?

 試合が始まってもいないのに、早くも強烈な眩暈が俺へと襲いかかった。

「って、違う。まだだサーレオン。まだ、何で姉さんを選んだのか訊いてない」

 眩暈を払いのけ、本題へと進む。それだけを訊ければ――――何の問題も無い。

「ただ単に全力の君と戦いたかっただけさ。どんな手を使ってもね」

 返ってきたのは、そんな戯言だった。どうやら真剣に答えるつもりは無いらしい。

 スッと頭が冷え切ったようになり、意識が切り替わってくれた。これで、もういつ試合が始まろうと問題無い。

「…………言いたくないのなら、それで良い」

 右手の甲の刻印へと魔力を送り込み、同時に仲間達全員へと念話を送る。

《――――絶対勝つぞ》

 それぞれから届く歓声には答えず、胸に渦巻く思いのままにサーレオンへと告げる。

「無理矢理にでも、吐かせてやるさ」

 そのままメリルリ―さんへと視線を向け、軽く頷く。

「っえー。大変長らくお待たせいたしました! これより闘魔会決勝戦を開始します! 試合、開始!」

 今ここに、決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 宣言とともに、俺は素早く召喚術を行使する。

「来い、ルージュ!」

 呼びかけと同時にすぐさまルージュが召喚される。特に言葉をかけることも無く、即座に『魔弾の射手』への溜めを開始し始めた。

「やらせる訳が無いだろう――――『焔砲』!」

 まずは小手調べとでも言うかのように、それでもサーレオンは容赦なく『焔砲』を無詠唱で放ってきた。

「ッチ! 撃て!」

 俺の言葉よりも早く、ルージュは溜めを中止して不十分な『魔弾の射手』で以て『焔砲』を迎撃した。

 不十分といえどもそこはルージュの『魔弾の射手』。短時間しか掛けていないにも関わらず、既に六割程の魔力が込められていた。

 光の矢は光を振り撒きながらも焔を貫き吹き散らしてサーレオンへと突き進む。

「流石は『魔弾の射手』。でも、これなら――――」

 そう言ってサーレオンは何をするでもなく、右の手を軽く前に突き出した。魔術を使う様子は一切無い。

 直進する光の矢はサーレオンの右手を貫くことなく、その前の常時展開されていた結界に阻まれ消失してしまった。

 解っていたことだが実際に『目の前』で見ると辛いものがある。やはり全力でもない限り『魔弾の射手では』結界を破ることが出来ない。

「そら、次を見せてく――――ッ!?」

「見せて――――やるさ」

 不完全だったために撒き散らすことになってしまっていた光を利用して距離を詰め、サーレオンへと逆袈裟に斬りかかる。

 『魔弾の射手』発動と同時にシェリーを召喚し、刹那の間に『騎士と水の精』。

 然る後に距離を詰めつつ『錬剣』。

 後のことなど一切考えない全力の魔術行使。最早ここに至って魔力容量について考える必要など無い。

 この身の全ての魔力を空にし尽くす気で、出し惜しむことなく連続で魔術を行使する。

「ハッ!」

「――――――――クッ!」

 その甲斐あって、『錬剣』は結界を切り裂いてサーレオンへと傷を負わせた。

 観客席から湧く歓声を耳が捉えるが、今はそれどころでは無い。

 傷は、負わせた。負わせたが――――今ので戦闘不能にさせることが、出来なかった。

 サーレオンが直前で大きく後方へと地を滑るように跳ぶという回避行動を採ったため、右手の肘裏近くに当たってしまった。

 予想より負傷が少なかったとはいえ、これでサーレオンの武術をかなり制限出来たことになる、順調だ。

 流石にあそこまで深い傷を完全に癒すのには長い詠唱を必要とする魔術が要るだろう。

「ッ、今のは――――!?」

 斬られた腕の痛みなど気にも留めていないようで、サーレオンは何かに驚いたように目を瞠った。

 ――――――――勘付かれた、か。

 ノルドとの試合とボレロとの試合、そしてサーレオンに一撃加えたこれを含めて三度。

 サーレオン程の実力者ならば、この一撃によって『錬剣』に気が付いたとしても不思議ではない。

 現にシルクリスも、『錬剣』はいつ見破られてもおかしくないとはっきり言っていた。ここは試合開始までに気が付いていなかった幸運を喜ぶべきだろう。

「それは――――ヨキの『錬剣』じゃないか。流石はレオ君。複雑な魔力変換を伴わない魔術とはいえ、見事だよ」

 実戦も経験済みだからだろう、あっけなく看破されてしまった。最早小細工は無用と判断し、常に『錬剣』を行使する。全て知られてしまったからといって、全く以て問題は無い。

 ノルドの戦法と考え方は同じだ。全てを知られようと、防ぐことが困難なことに変わりは無い。

 後退したサーレオンを追いかけるように直進しながら距離を詰める。

《今だ!》

 仲間へと念話を送りながら、剣を構えてサーレオンへと突撃していく。

「結界は張らなくて良いのか?」

 言葉とともに、サーレオンの右手側へと身体をずらす。俺の先程までいた空間の背後から、唐突に光の矢が現れた。

 先程までの連撃中にも溜めて貰っていた『魔弾の射手』だ。結界が無い今ならばサーレオンにも通用する。

 ルージュと一直線上に重なった瞬間に念話での合図で発射させていた『魔弾の射手』。相手に準備をさせる暇の無い奇襲の一撃が、容赦なく襲い掛かる。 

「うん。その必要は無いね」

 俺の奇襲をものともせず、軽快な口調で言葉を返すサーレオン。既に無詠唱で『刃化』を作り終わっている。

 絶体絶命の危機にもかかわらず、サーレオンは左手に握る小剣で以て『魔弾の射手』を真横に弾き飛ばした。

 その小剣には、当たり前のように刀身に『強化』が施されている。

 ――――『錬剣』。

 それを目の当たりにした瞬間、誇張なく俺の攻撃の手が止まってしまった。

 どうして、こいつがこれを…………。

「おやおや、そんなに驚くこと無いだろう? 構成を甘くすればこの程度、誰にでも出来る魔術じゃないか」

 両刃の小剣を軽く揺らしながら、何ともない様に話すサーレオン。

 俺の切り札を、こういう風に破ってくるなんて……。

 ――――――っでも!

「ッ、うおおおお!」

 硬直を振り払うように、剣を振るっていく。

 負傷した方向からの攻撃にもかかわらず、サーレオンは俺の剣撃を紙一重で躱し、小剣で逸らしていく。

 一際大きく振り下ろした一撃を、片手で受け止めてサーレオンは言う。

「とはいえ――――この腕とこの魔術の出力じゃ、魔力容量の差でいずれは負けてしまう」

「気が付くのが早いな。流石はアリス魔導学院をとり纏める魔徒会、その副会長様だ。けどな、詠唱させる隙を与えると思うか?」

 サーレオンの正しい予測の穴を皮肉交じりに指摘してやる。

 無詠唱魔法なら『錬剣』で弾けるのはサーレオンが実証済みだ。

 そして仮に距離を離されたとしても『魔弾の射手』で動きを止めれば問題は無い。

 あとはこのまま持久戦を続ければ――――俺の勝ちだ。

 そうでなくとも、片手で防ぐのがやっとのサーレオンが相手ならばこのまま押し切れてしまえそうだ。

 思わず、サーレオンの肩越しにアメリアの姿を見てしまう。

 強化された視覚だからか、心配そうな表情まではっきりと見ることが出来た。

「今は僕を見ていた方が良いよ、レオ君。勝った気にならずに――――ね」

 魔力を右手へと集めながら、笑みを湛えた表情でサーレオンが嘯く。

 魔術を行使するでもなく、ただ、血の伝う右手へと。

「まさか、お前――――――――」

 虫の知らせか、思考が有り得ない方向へと捻じ曲がっていく。

 いや、まさか、そんな訳が無い。

 行うこと自体は出来ても、そんな訳がない。

 サーレオンのような魔術師が――――有り得ない。

 胸中に渦巻く否定にも構わず、思考はどんどん飛躍していく。


 ――――無詠唱でも完全に発動できる魔術。

 それは、俺にも憶えがある魔術ではないか?


 ――――魔法陣無しでも、大規模な事象を引き起こせる魔術。

 それは、俺がいつも行っていることではないか?


 ――――魔力を右手に送る仕草。

 それは、俺がいつも行っているものと同じ――――。


 思考の空白を突かれ、小剣から押し返されてしまう。

 大きく距離を取ったサーレオンは、見せつけるようにして小剣を持った左手で右手の血に濡れた白手袋を脱ぎ取った。

 その右手の甲には――――燃え盛る焔のような模様の刻印が刻まれて――――。

 ――――――――こいつ、やりやがった!

 思考が現実に追いつくと同時、サーレオンは答え合わせをするかのように『呼び掛けた』。

「来い――――スフィンクス!」

 広げた距離をそのまま埋めるように、巨大な魔獣が俺の目の前に召喚された。

 召喚された魔獣は突然の環境の変化にも構うこと無く、その巨大な右の前足を振り上げる。

「っちょ、レオっ! 避けてッ!」

「れおっ!!」

 シェリーとルージュの叫び声がやけに遠く聞こえてくる。

 ああ、久しぶりに聞いたな。ルージュの声なんて。

 観客席から聞こえてくる大きなどよめきも、脳を素通りしていくのを感じる。

 後方へと跳んではいるが、完全には回避できないだろう。いや、あの爪で引き裂かれる分、下手に跳んだのが間違いだったか。

 『騎士と水の精』が発動しているとはいえ、あれだけの暴力を防ぎきれるわけがない。

 結局回避が間に合うことはなく、魔獣の爪が俺を抉らんと振り下ろされる。

 御免な――――アメリア。

 緩やかな思考回路で最後に至ったのは、そんな単純な謝罪だった。

 刹那――――――轟音が、闘技場内へ鳴り響いた。

 

 無音が、意識を支配していた。

 あの巨大な爪に引き裂かれたにもかかわらず、痛みは全く無い。

 既に試合は終了し、治療魔法を何重にも掛け終わった後か、或いは死んだか、だ。

 どちらにせよ――――試合は終わっているだろう。

 視界も暗転している。――――ああ、これは目を閉じているだけか。

 ゆっくりと、目を開く。

 目の前には――――大きな、背中。

「怪我はないか、レオ」

 漸く、周囲の音が意識へと届いてきた。

 観客席にいた筈のシルクリスが巨大化させた魔剣、ティタノスで以て巨獣の一撃を受け止めている。

「…………ぁ。ああ、問題無い」

 試合はまだ、終わっていない。

 アメリアは、まだ救うことが出来る。

 その事実が、何より俺を奮い立たせてくれる。

「……ハァッ!」

 気合とともに、シルクリスは数十倍はあるであろう魔獣の足を押し返した。

 起こり得る筈も無い不条理な事態に、魔獣はたまらずバランスを崩して倒れ込んだ。

 巨体が地面へと崩れ落ち、先程の数倍の重厚音をたてて大量の砂埃が舞い上がる。

 サーレオンはシルクリスの突然の参戦に着いていけない様に硬直していた。

 その隙に、俺はシルクリスへと近寄り話しかける。

「手出しはしないんじゃなかったのか?」

 少し喧嘩腰になってしまっているのを自覚しつつも責め立てる。

 そもそもここまでギリギリの勝負になってしまったのも、先程のスフィンクスの攻撃で本当に死を覚悟したのも、元はと言えばこいつが参加しなかったからだっての!

「今のは命の危機だったからな。契約しただろう? 『命の危機からは救う』と。まあ、直前までは良い勝負をしていただけあって、上でゆっくりと観戦できなくなったのが惜しいな」

「良い勝負って…………まあ、うん」

 なにやら誤魔化されたような気もするが、良い勝負と褒められて悪い気はしないので自然と苛立ちも治まってきた。

 俺の機嫌と同じように、立ち上った砂埃も徐々に治まってきている。

「良い勝負、か。なあシルクリス――――あれの相手、一人で出来るか?」

 二対二ではなく一対一の状況を作るしか勝つ術は無いと判断し、シルクリスに暗に命令する。

 無理を言っているという自覚はある。相手はただの魔獣では無い。

 ――――スフィンクス。獅子の身体に鷲の翼と女性の顔を持つ異形の魔獣だ。

 これだけならば普通の魔獣とそう大して変わりない、どころか劣るようにすら思えてしまう。

 しかしそれは大きな誤りだ。先程述べた構成はそのままに、全体の大きさはシルクリスほどの偉丈夫の数十倍程にもなる。その巨体と強さから、古代の王国ではスフィンクスを国の象徴としていたところもあったくらいだ。

 それだけでも十分な脅威なのに、この魔獣が真に恐れられているのは――――。

「立て、スフィンクス! 真魔術だ!」

 呼び声とともにサーレオンから魔力が送られ、スフィンクスが立ち上がった。

「避けろ! 『炎々熱波』が来るぞッ!」

 俺の言葉が言い終る前に、スフィンクスの口から火焔が吹き出される。

 吐き出された焔はあっという間に広がり、津波のように俺達へと襲い掛かってくる。

 ふと背後を見ると、後方にはルージュとシェリーの姿があった。

 ――――ッ!? マズイ、不味いぞ。ここで避けても二人は――――。

 安易に想像可能な最悪の光景に身体が強張る。かといって避けなくとも四人全員巻き込まれるのがオチだ。

 プラノの魔術は……駄目だ。あの威力で、しかも『火』だ。あっという間に結界ごと焼失してしまう。

「安心しろ坊主。あれが魔術なら――――俺には通じんよ」

 余程切羽詰まった顔をしていたのか、シルクリスが頭に手を置いてきた。

 言ってシルクリスは石の魔剣を消し去り、別の魔剣を呼び出した。

 握られた剣は、水晶を思わせる程に透き通っていて――――。

 シルクリスは、襲い掛かってくる火焔の津波へと魔剣を軽く振るう。

 次の瞬間、全く同じ大きさの水の津波が火焔の波へと衝突した。

「…………ッチ、流石にこのレベルの魔術は少々負担がかかり過ぎるか」

 あのレベルの魔術を、一瞬で……。『炎々熱波』は『ニグレド』並みだってのに……。

 シルクリスの非常識さにいい加減呆れてくるが、今はそれどころでは無い。

「いいから俺の任せろ坊主。サーレオンとケリをつけてくるがいい」

 そんな俺の心中を推し量ることなく、シルクリスはさっさと行けと言わんばかりに適当に手を振ってくる。

 その目は既にスフィンクスへとのみ注がれている。

 どうやら俺が言うまでも無く、魔獣との一対一を望んでいるらしい。

 ……但し、俺の意図とは全く別の方向で、だ。

「次にあの魔獣の真魔術を防いだら閃光を放つ。一気に距離を詰めろ」

「ああ、分かった」

 サーレオンが右腕の負傷の応急手当を行っている間に、簡単な作戦会議を済ませておく。

「それとな、レオ」

 何気なく。本当に何気なく、シルクリスはあっさりと俺に告げた。

「なんだよ。気ぃ抜いててモロに真魔術直撃とか御免だからな」

「いや、サーレオンの奴は元からアメリアと結婚する気は無かったらしいぞ」

 ――――今回の試合の意義を、根本から叩き壊してしまう真実を。

「は? いやいやいやいや! それだったらもう――――」

 目の前の試合のことも忘れてシルクリスに掴みかかる。

 そのくらい当然だ。それならもう今すぐにでも試合を中止して――――。

 と、そこまで思考して、それが不可能なことに気が付いた。

「気が付いたか? お前から負けた場合、お前はマクガヴァンとやらの部下になるしかない」

「………………そうなんだよな」

 既に『契約』の魔術が二重に発動している以上、その内容は覆せない。

「更に『借り』を無かったことに出来ない以上、結局アメリアはこのまま結婚することになるやもしれんな」

 闘志を剥き出しにしつつも笑顔で言うシルクリス。

「もう理由なんて関係無く、負けられないってことか……」

 諦めの境地に至りながら闘志を奮い立たせようと努力する。

 そうしようとしてサーレオンを見て、ふと気が付いたことを呟いてみる。

「それじゃ、俺が二重に『契約』とかせず無視し続けてたらどうしてたんだろうな」

 律儀なことに、シルクリス様は求めてもいないのに訊きたくも無い事実をお答え下さった。

「そりゃ、もう最後の手段として『借り』を使ってお前に直接頼んだんじゃないか?」

「どうして無駄なことしたんだよ俺!」

 過去の自分を『錬剣』で粉微塵に刻んでやりたい衝動に駆られてくる。

「今更悔やんでも仕方ないだろうが。ほら、撃ってくるぞ」

 釣られる様にして見ると、いつの間にやらスフィンクスの周囲にはスフィンクスの目玉ほどの大きさもある火球が浮かんでいた。

 あれは――――『飛焔』!

 『飛焔』は初級魔術である『炎弾』の元になった真魔術だが、その威力は比べるべくも無い。

 シルクに剣を構える暇も与えぬまま、数十の火球が一斉に発射された。

 ――――尤も、それすらも隙には成り得ないのだが。

「この程度なら、な」

 透明の魔剣を手首の先で適当に振るう。それだけで数十の火球の前に障壁が展開され、全ての爆発を防ぎ切った。

 そう確認する前に、既に俺は『錬剣』を行使しながらサーレオンの方向に走り出している。

「今だッ!」

 シルクの声を背中で受け、咄嗟に目を強く閉じる。

 閉じるか閉じないかというぎりぎりの瞬間で、目を灼きかねないほどの閃光が闘技場を奔り抜けた。

 目を閉じたまま、一直線に走り抜ける。

 途中で風切り音が聞こえたかと思うと、スフィンクスの苦痛の叫びが聞こえてきた。

「スフィンクスッ!」

 スフィンクスを案ずるサーレオンの声を聞き、目を見開いて斬りかかる。

「お前の相手は、この俺だッ!」

 叫びとともに振るわれた長剣は、咄嗟に展開された障壁ごと結界を破砕した。


「ふむ、流石俺の作戦だけあって上手くいったようだな」

 シルクリスは頷きながら満足気に自画自賛する。

 その眼前には、前足を傷付けられて猛り狂ったスフィンクスが臨戦態勢を取っている。

 威嚇するように唸り声を上げ、次々と『飛焔』を飛ばしてきている。

 とはいえ――――この程度、シルクリスにとっては鼻歌交じりに扱える物に過ぎない。

 また二つ、『飛焔』による火球が飛翔してくる。

 シルクリスはすぐさまそのうちの一つを切り裂くようにして魔剣で吸収し、もう片方の火球へと放出して相殺した。

 そう、そこまでは先程から幾度も繰り返した光景に過ぎない。

 違ったのは、その直後に再び『炎々熱波』が放たれたことだ。

 しかしシルクリスはそこまで想定していたように、魔剣を一振りして水の津波で相殺する。

 相殺して、喰らうように呵々大笑する。

「ほう! 貴様、火の海と火球を同時に扱えるのか!」

 漸く満足してきたとばかりに舌なめずりするその様は、スフィンクスよりも獣を思わせる。

 二連続の魔法ですらも通じなかったことに動揺したのか、スフィンクスは高らかに咆哮する。

 そして自らの負傷を物ともせず、数発の火球を放つとともにシルクリスへと跳びかかった。

 シルクリスはすぐさま飛翔してくる火球と同質の火球を撃ち放って相殺する。

 しかし、自らの爪牙で以て襲い掛かるスフィンクスに対して反撃を加えることは無かった。

 むしろ、自ら後方へと跳び距離を取った。

「気が付いたか。獣といえど、そこそこの知恵は持っとるようだな」

 シルクリスの透明の魔剣は、レオが驚愕したように確かに強力な魔術を放つことが出来る。

 しかしその力は家臣によって封印されているため、未だ自由自在に魔術を行使することが出来ない。

 ――――具体的に言えば、『発動された魔術への対抗魔術を発動する』ことしか出来ないのだ。

 そのため、魔術を発動されていない現状では強力な魔剣も壊れやすい硝子の玩具に過ぎない。

「……未だ解放されきってないセイジには、ちと荷が重いか」

 そう言って、シルクリスは手に持つ魔剣を消した。

「――――――三番、ブラスト」

 新たな魔剣が、その手に握られる。

「しかし――――最も魔術に縁遠かった騎士が、最も早く解放されるとはな……」

 何かを思い返すように、目を薄めて剣を眺め呟くシルクリス。

 細身ながらも確かな剛健さを感じさせるその剣は、騎士の剣と呼ぶに相応しい風格を備えている。

 確かめるように軽く一振りすると、周囲へと緩やかな風が巻き起こる。

 そこで漸く違和感に気が付いたシルクリスが上方へと視線を向けると、虚空には五十を超える火球が浮かんでいた。

 これだけの量では、さしもの透明の魔剣でも処理しきれなかっただろう。

 他の魔剣を相手にしても、恐らくは凌ぎ切ることは不可能だったに違いない。

 『炎々熱波』の発動と同時に、五十余の火球が一斉に放たれる。

 空からは炎の球が降り注ぎ、大地は火の波で焼き払われてゆく。

 スフィンクスは、魔獣と侮ることが出来ないほどに周到だった。

 十分過ぎるほどの知略で以て、確実に相手を仕留める方法を導きだしたと言っても良い。

 ――――惜しむらくは、相手がそのような想定を軽々と突き破る程の化け物だったということだろうか。

「――――頼むぞ、ブラスト」

 微かに呟かれた、柔らかな言葉。

 絶体絶命の筈のシルクリスは両手に持った魔剣を天へと掲げ、逆袈裟に振り下ろした。

 刹那、シルクリスの前面から怒涛の暴風が吹き荒れる。

 暴風は落下してきていた火球を一つ残さず吹き消し、炎の津波をスフィンクスの方へと押し返した。

 スフィンクスは更に真魔術の出力を上げ、炎の津波は双方の力によって停滞させられる。

 風と炎。力と力のぶつかり合い。

 ギリギリの拮抗状態の中、シルクリスはためらいも無く剣を突くようにして構える。

 構えた直後、刀身を中心に先程の暴風を凝縮したような竜巻が発生し、更に回転して威力を高めていく。

 スフィンクスも直ぐにその追撃に気が付いた。しかし全力で『炎々熱波』を発動しているために身動きが出来ない。

「案ずるな――――きちんと加減はしてやろう」

 突きとともに解放された颶風は真横になった竜巻のように『炎々熱波』を貫き、スフィンクスまでもを呑みこんだ。

 スフィンクスを引き裂いた竜巻は闘技場の結界へと衝突し、硝子の割れたような破砕音とともに結界と相殺して消え去った。

 後には、ズタズタに引き裂かれたスフィンクスだけが残される。

 思い出したかのように、大量の血飛沫が裂傷から吹き出し周囲を真っ赤に染めた。

 シルクリスは『治癒』の魔術を掛けようと再び透明の魔剣を呼び出した。

 が、直ぐにスフィンクスの全身を白色の光が包み込み、身体全体の傷を塞ぎ始める。

 一瞬で、シルクリスは治癒がサーレオンによるものであることを把握した。

 その証拠に、治癒が完了したスフィンクスが再び光に包まれた。今度は還るための光だ。

 魔剣を消して、還りつつあるスフィンクスへと口を開く。

「俺が今まで相手をしてきたスフィンクスの中では、間違いなく最強だったぞ、貴様は」

 結局スフィンクスへと止めを刺すことなく、シルクリスは二人の戦いへと目をやった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 渾身の力を込めて放つ突きも、剣先を弾かれていなされる。

「嬉しいよ、レオ君。君との舞踏は最高に気持ちが良い」

「余裕だな! けど、頼みの綱のスフィンクスもシルクが還したぞ!」

 いなされるが、すかさず体勢を立て直して唐竹割りに斬りかかる。

 全力での一撃にもかかわらず、小剣を横にして難なく受け止めるサーレオン。

 ――――コイツ! まだ、身体の『強化』の出力を上げられたのか!?

「けど……どうやら、シルクリスさんはこれ以上手出しをしないみたいだよ?」

 驚いたように呟くサーレオンの言葉についシルクリスの姿を探す。

 シルクリスはルージュとシェリーの前へと片膝を立てて座って観戦していた。

「…………はぁ」

「どうしたんだいレオ君。シルクリスさんに苛立ってるのかい?」

「別に。あいつはああいう奴だからな」

 それに……二人の心配をしなくていいのは助かる。

 会話しつつも手は緩めない。それはサーレオンも同じだ。

「しかし……これでは埒が開かないね」

 その言葉と同時に、サーレオンは不意に傷付いた右の裏拳で長剣の腹を殴りつけた。

 そのままの流れで、左手に握る小剣でもって俺の脇腹を撫で切りに――――。

「『錬剣』ッ!」

「っ!?」

 咄嗟に長剣から右手を離し、『錬剣』を発動する。

 現れた長剣を右手で握り、地面へと突き刺して小剣の一撃を受け止めることに成功した。

 成功したが、それでも脇腹を抉られた。鋭い痛みが脇腹から全身へと走り抜ける。

 こちらも負けじと左手だけで長剣を振るうも、後方へと大きく跳躍して回避される。

「――――この、卑怯者が。随分と汚い手を使うじゃねえか」

「レオ君こそ、よく受けたね。今の流れを防いだ人間は、君で三人目だ」

 そう言いつつ、サーレオンは小剣を消し去った。

 何を、する気だ……?

 警戒を解かずにいぶかしむ俺に、サーレオンは苦笑しながら提案する。

「このままでは埒が開かない。そこでどうだろう? 最後の一撃に全てを賭ける……というのは」

 どういう意図だ、と深読みしようとして、気付いた。

 アイツも、限界なのだろう。

 先程の奇襲の代償か、長剣を殴りつけた右腕からの出血が一層酷くなっている。

 試合中にも応急手当程度の魔術を行使するくらいしか出来ていなかったのだ。

 そこにきて『錬剣』の長剣を殴ったのだ、傷口が広がったに決まっている。

 さしものサーレオンといえども、失血が多ければ昏倒するだろう。

 だから、ここでの最善の選択は――――。

「ああ、全力で撃ってこい。俺達も、全力で返してやる」

 そう言って、気が進まないながらもルージュの元へと駆ける。

「そういうことだ。ルージュ。アレ、頼めるか?」

「なに言ってんの! アンタ怪我してるじゃない! 持久戦なら勝てるでしょ!」

 案の定、シェリーから叱責が飛んできた。

「確かに、シェリーの言うとおりだな……」

「ならさっさと――――ちょっと何よ……ルージュ?」

 攻性の真魔術を発動させようとしたところで、シェリーの動きが急に止まった。

 ルージュが首を横に振りながら、シェリーの腕を引っ張ったからだ。

「だめ……れおとの……けいやく」

 か細い声で、理由を告げるルージュ。

「ああ――俺も、忘れてないさ」

 サーレオンとの戦いだけを考えれば、ここは持久戦に持ち込むのがベストだろう。

 しかしそれでも、俺は全力のぶつけ合いを選んだ。

 ――――『本気を大切にする』。これが、ルージュとの契約で俺が守る条項だ。

 さきほどの小剣を受けてはっきりと理解出来た。

 サーレオンは、本気で俺に勝ちにきている。全力を振り絞って、だ。

 相手が本気だと分かった以上――――蔑ろには出来ない。

「ルージュ、頼んだぞ」

 言葉に返される返答を見たと同時に、右手の刻印に全力で魔力を注ぎ込む。

 ルージュはそれに応えるように前に出て、いつものように弓を構える。

 ゆっくりと、魔力によって光の矢が形成されていく。

「――――再生と破壊とを象徴する焔よ。我が身に宿りし魔力を供物に捧ぐ――――」

 サーレオンは詠唱を開始する。やはり想像した通り、『炎神の鏑矢』か。

「ちょっとレオ! 相手は『炎神の鏑矢』よ!?」

「……頼むから手出しはしないでくれよ、シェリー」

 シェリーに頼み込みながら、全力で魔力を注ぎ続ける。

 光の矢は、注がれる魔力を貪欲に吸い取って自身を形成していく。

 ――――ぎりぎり間に合うかどうか、か。

「――――炎神よ、其が弓矢で以て我が敵を射抜き滅ぼし給え――――」

 サーレオンの詠唱が完了した。

 サーレオンが唐突に、弓を構えるような仕草を始めた。勿論両手には何も持っていない。

 しかし弦を引く段になって、真紅の炎で出来た鏑矢が番えられた。

 あっちはもう、集束の段階まで入ったか……。

 時間との戦いであることは分かっていたが、魔力を注ぐことしか出来ない俺にとっては気が急いて仕方がない。

 光の矢の魔力の吸収は――――――よし! 完了した!

 ほぼ全ての魔力を吸収した光の矢は、放たれるのを心待ちにしているかのように鈍く点滅している。

「おいおい坊主。『魔弾の射手』じゃ、勝てないのではなかったか?」

「『魔弾の射手』? おいおい違うぜ、シルクリス。これは『魔弾の射手』じゃあない――――」

 シルクリスの言葉を訂正しながら、改良した真魔術を発動させる。


「――――『魔神の射手』!」

「――――『炎神の鏑矢』!」


 俺達の方が僅かに早く、しかしほぼ同時に二つの矢が放たれた。

 互いに等速で進み、中間地点で衝突する。

 瞬間。炎の矢は焔の嵐となり、光の矢は回転する巨大な鏃へとその姿を変えた。

 吹き荒れる嵐と、進み続ける鏃の動きが拮抗する。

「『魔弾の射手』の改良型か! ……しかし、これは失敗作だな。よく見てみろ」

 拮抗していた二つの内、巨大な鏃がゆっくりと押し戻されていく。

 焔の嵐は絶えず直進しているのに対し、鏃は少しずつ失速を始めていた。

 焔を吹き散らす分、勢いが弱まっているのだ。

「勢いが足りん。魔力を構成に回し過ぎだ――――あれでは、推力が足りん」

「おいおい、何当たり前のこと言ってんだよシルクリス」

「――――なに?」

 したり顔で言うシルクリスに同調すると、シルクリスは当惑した顔を浮かべた。

「推力が足りないのは当たり前だろうが――――シェリー!」

「ホントにもう、使い魔遣いが荒いんだから」

 愚痴を言いつつも呼びかけに応え、シェリーは刻印を通して魔力を与えてくる。

「全部見られないのは残念だけど……じゃあね、レオ」

「ああ、任せとけ」

 保有する魔力の大半を俺へと送ったからだろう。疲弊したシェリーは早々に還ってしまう。

 シェリーから受け取った魔力を、ルージュへと送る。

「やれ――――ルージュ」

 新たな魔力によって、鏃の回転速度が急上昇する。

 光の粒を放出しながら推力を増した鏃は、焔の嵐を吹き散らしてサーレオンへと直進する。

 巨大な鏃はサーレオンの障壁を軽々と貫いた。そのままの勢いで結界へと衝突し、炸裂する。

 衝撃波が、闘技場全体を奔り抜けた。

「魔力による、鏃の遠隔操作――――か」

 呆けたように、シルクリスは呟いた。

「ああ。これなら失敗作じゃないだろ」

「確かに、打ち勝ったな」

 視界の先には、先程の衝撃波によって薙ぎ倒されたサーレオンが仰向けに倒れている。

「それじゃお疲れ様、ルージュ」

 近づく前にルージュを労い、還しておく。

「……………………」

 何か言いたいことがありそうだったが、結局何も言わぬまま、ルージュは還って行った。

 付いてこようとするシルクリスを手で制止し、一人でサーレオンへと近づく。

「俺の――――勝ちだな」

「うん――――レオ君の勝ち、だよ」

 俺の問いに、穏やかな笑みを浮かべながら応えるサーレオン。

 とても先程まで闘っていた相手とは思えなかった。

「お前――――本当は、アメリアと婚約を結ぶ気なんて、無かったんだろ」

 俺の言葉に、目を見開くようにして驚くサーレオン。

「――――いつから、気が付いてたんだい?」

「試合中だよ。シルクリスが言ってたぜ、サーレオンはお前と戦いたかっただけだ、って」

 息を呑み、目を幾度か瞬かせて、サーレオンは頷いた。

「…………そうだね。だからこそ、こんな手を使うしかなかった」

 確かに、俺がサーレオンと決闘するとなるとこういう状況を用意するしか無かった気がする。

 しかし、こう、なんだかな…………。

 自分でこういう風にしか動かないって分かってるのも、何か辛いものがあるな……。

 結局のところ今回の件は、俺が蒔いた種を俺が刈り取ったに過ぎないってことになるし。

「…………悪かったな」

 恥ずかしい気持ちを抑えつつ、サーレオンへと謝った。

「は?」

 だというのに、返ってきたのは吐息のような疑問だけだった。

「だから、悪かったって言ってるんだよ!」

「どうして、レオ君が謝るんだい?」

 ああもう察しが悪いなコイツは!

「だから、ようは俺が今までお前と決闘しなかったからこうなったんだろ!?」

「あ、ああ…………」

 気圧されたように頷くサーレオン。

「だから――――」

 手を差し出し、サーレオンの左手を掴んで立ち上がらせる。

「――――次からは、きちんと決闘してやるよ」

 その言葉で漸く俺の言いたい意味が伝わったのか、サーレオンの表情が喜びの色で染まった。

「それはつまり、僕の愛が君に伝わったってことで良いんだね!?」

「良いわけ無いだろこの馬鹿サーレオンがッ!」

 抱きついてこようとしてきたサーレオンを全力で突き飛ばす。

 ――――――と。そこで、身体が不自然に傾いた。

 貧血のように、身体がふらつく。

 脇腹が大量の汗で濡れている。何気なく手で拭いとった。

 拭った手を見て、漸く思いだした。

 ――――――ああ、そういえば。

 俺、脇腹斬られてたんだっけな…………。

 最後に意識の表層に昇ったのは、そんな些細な実感だった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 代理で出席した表彰式が終わった後、シルクリスは直接サーレオンの部屋へと向かっていた。

 左手には、豪勢な花束を握りしめている。売店で購入したものだろう。

 病室を見つけノックすることなく中に入ると、サーレオンは寝巻から私服へと着替え終わるところだった。

 レオと比べると軽傷だったとはいえ、ここまで回復が早いというのも才能と言えるだろう。

「シルクリスさんでしたか。今お茶を淹れますよ」

「ああ、構うな構うな。…………それで? どうだったのだ、本気で全力を発揮してきた坊主は」

 礼儀としてお茶を淹れようとしたサーレオンを制し、シルクリスは問いを投げかける。

「――――ええ、満足いきましたよ。僕の目が狂ってなかったというのも解りましたし」

 制止を聞き入れず、サーレオンはお茶の準備をし始める。

 目的を果たしたということもあり、シルクリスにも敬語で話している。

「そうかそうか。それは俺もエリクシルを渡した甲斐があったというものよ」

 花束を持ったまま、花瓶に活けることなくシルクリスは椅子に腰掛けた。

 余所から見れば、病人を無理に働かせているようにも見える光景だった。

「何から何まですみません。こればっかりは、他に頼める人も居なかったものですから」

 サーレオンは用意し終わり、紅茶の入ったカップを差し出した。

 それを受け取りながら、シルクリスはサーレオンへの要求を口にした。

「さて、それでは駄賃を貰うとするか」

「は? お金、ですか……?」

 予想を裏切っていたのか、サーレオンの口が閉じられぬまま開いている。

「黄金など何の役にも立たん。俺が欲しいのは真実だ」

 市民が聞けば激怒しそうなことを、シルクリスは実感を込めて言う。

 それは正しく、彼がかつて王だったからこそ言える言葉だろう。

「真実、と言われましても……」

「とぼけるなよ。坊主なら誤魔化されるかもしれんが、俺はそうではない」

 試合中にも見せなかった鋭い眼光で、サーレオンは射抜かれた。

「なら、今回の大会や勝負は全てが嘘だと考えてるんですか?」

 震える声を抑えつけながらも反論できたのは、彼もそれなりに修羅場を潜っているからだろう。

「いや、全てが嘘だとは思っとらんよ。ただ、貴様が『勝負をする気が無かった』ということを除けば、な」

「……………………」

 シルクリスの推理に対して沈黙で返すサーレオン。

「正確に言えば『坊主の強さを皆に知らしめる』ことを望んでいたのだろう?」

「どういう、ことですか」

 サーレオンからの問いには答えず、淡々と推理を披露していくシルクリス。

「そもそも、今回の貴様の行動はどういう点から見ても穴だらけなのだ」

「穴だらけ……? どこがですか。僕は会長を餌に――――」

「そう。本気の坊主と戦いたかったのならば、婚約を餌に『契約』を使えば良い」

「……………………」

「それに本気の勝負と言いつつも学院での制約上、坊主はゴードンを使用出来なかったしな」

「それはたまたまレオ君が………………」

 隙を見つけたとばかりに、サーレオンが反駁する。

「そうだ。今回はたまたま坊主が提案したようだが、貴様からすればどちらでも良かったのだろう?」

「……………………」

 しかしそれすらも、シルクリスに封殺される。

「貴様から提案すれば、どのみち坊主の奴は乗っていただろうからな」

「……………………」

 沈黙。

「そして最後だ。今回は、俺が途中で貴様の真意を伝えたからこそ、坊主との仲が回復した」

「元々レオ君は僕のことなんて全く意識してませんでしたから、仲が回復したというのは間違いですね」

 自嘲気味に、サーレオンは訂正した。

「そう。それどころか意識して貰えたからこそ、更に親密になれたと言っても良い」

 その訂正を受けつつも慰める真似をせず、シルクリスは言葉を続ける。

「しかし、本当のところでは、それすらも二の次だったのだろう? もっと他に色々な手があった筈だ」

「……………………」

 サーレオンは、再び沈黙させられた。

 しかしそれは、シルクリスの発言を肯定するものにしかならなかった。

「…………そこまでして、坊主の才能を認めさせたかったのか?」

 サーレオンはおもむろに、口を開いた。

「……当然ですよ。彼の能力は異常と言っても良い。原因不明の理由により『真魔術や一部の魔術しか発動できない』からこそ無視されていますが、彼の術式構築速度と独自性はアメリアさんにも匹敵する。そればかりか、魔力容量に至ってはアメリアさんを凌駕している」

 怒涛の如く、サーレオンの口から賞賛の言葉が吐きだされる。

「……確かに。坊主は現代では『錬剣』と称されているあの技法を再現する術式を即座に組み立てていた。一日も掛けずに、だ」

「流石、レオ君だ。……あの程度の『錬剣』を実現させるだけでも、僕は数年を掛けましたよ」

「貴様でも数年か。全く、坊主の父親はどんな教育を施したのやら」

 呆れたように両手を上げるシルクリス。その際に花束が地面にこすれ、ガサゴソと音を立てた。

「最後に、僕も一つだけ訂正させて貰いますよ。他はともかく、僕は勝負には手を抜いてません。本当なら手加減するつもりだったのですがその必要は無かったです。貴方のお陰ですね」

「真実を知れば、坊主は間違いなく怒り狂うだろうがな」

「――――しかし、よくそこまで分かりましたね。理由を聞いても?」

「なに、種はある」

 そう言って、シルクリスは持っていた花束を突き付ける。

 その中には、巧妙に白い剣が隠されていた。

「読心系の魔剣、ですか……。ということは、僕の動機も全部筒抜けじゃないですか」

「ふん。慮って貴様たちの真剣勝負に水を差さなかった代金だ」

 そこまで喋って漸く、シルクリスは淹れて貰った紅茶に口を付けた。

 

 目を、開ける。

 この天井は…………保健室、か?

「レオ…………レオッ!」

 息つく暇も無く、誰かから左腕に抱き付かれた。芳しい花の薫りが胡乱な脳を覚醒へと促してくる。

 この清らかな声、それにこの柔らかくて心安らぐ感触は…………。

「姉さん、か……?」

「心配、したんだからね……」

 確かめるような俺の言葉に、アメリアは顔を伏せたまま答える。

 隠しきれない、涙声。

「試合に勝っても、そんなになったら意味無いじゃない」

「うん…………」

「私のために頑張ったからって、許さないから」

「うん……御免」

「こんなに怪我して……私が嬉しくなるわけ、ないじゃない」

「御免、姉さん」

 そこまで言って、アメリアは伏せていた顔を上げ、指で涙を拭い取った。

「……アメリアって呼ばないと、許さない」

「うん……って、え!?」

 拗ねた顔をしながら、アメリアは唐突にとんでもないことを言い放った。

 そしてついそのままの流れで頷いてしまう俺はもうちょい頭働かせた方が良い。

「いつもは名前で呼んでるんでしょ? ボレロ君から聞いたんだからね」

 ボレロ……! お前は血祭りに上げてやる……!

 ボレロ抹殺を心に刻みながら、恥ずかしさを抑えて名前で呼ぶ。

「許してくれ、アメリア」

「うんっ!」

 満面の笑顔を浮かべながら、漸くアメリアは許してくれた。

 童女のような、向日葵のような笑顔。

 そう――――俺は、この笑顔が見たかったんだ。

 無能と蔑まれても、別に構わない。

 世界を敵に回しても、何の悔いも無い。

 この太陽を護る騎士になろうと、決めたんだった。

 そんな幼い頃の誓いを、ふと思いだした。

「レオ……ごめんね、ちょっと嘘ついた」

「え?」


「――――――ホントは、嬉しかった」


 呼吸が、止まった。

「全部、私のためだったんでしょう?」

「……………………」

 咄嗟に否定しようとするものの、喉からは細い息が出るばかりだ。

 否定の言葉も、泡のように消えていく。

「お父様から聞いたわ。レオが、婚約を止めてくれたって」

「それは、元はと言えば俺の――――」

「誤魔化さなくても良いよ。ちゃんと、お父様から聞いてるんだから」

「そうか、そういえば………………」

 そういえば、確かに父さんから聞いたら、そうなるよなぁ。

 まだ、元の原因が俺だってことを知る前だったもんな……。

 誤解から評価が上げられるのは、なんかむず痒い気持ちになる。

「だから……ありがとね、レオ」

「ああ、うん…………」

 最後に再び礼を告げて、アメリアは椅子に腰かけた。

 気まずいような、そうでないような、不思議な空気に周囲が包まれる。

 何故だかアメリアの顔が上気しているのが気にかかって仕方がない。

 とはいえ、多分俺の顔も相当赤面しているのだろうが。

「――――そういえば。優勝賞品、あげてなかったね」

 言いつつ、再びアメリアは席を立った。

 優勝――――したんだな、俺。

 そういえば、今年の賞品は確か賞金とアメリアの……。

「って! いや、ちょっ!?」

 姉の、アメリアの綺麗な顔が近づいてくる。

 桜色の唇に、目を奪われる。

 桃色の空気に当てられたように、思考がどんどん霞んでいく。

 胸の鼓動を抑えることなく、こちらもそっと、目を閉じた。


 二度目のアメリアとの口付けは、幼い頃の記憶と寸分違わない、甘い想い出の味がした――――。


                                              【fin】


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