80話 ~犯人~
「テルーリカ。お前なんだろう」
テルーリカ。
彼女に名を呼ばれたのは、ひとりの男性だ。
「あ、アスタリカ様……なにを……!?」
狼狽した様子で首を振るのは、さっきまで私につめ寄っていた、あの執事だった。
そう、私が屋敷から追い出された時、餞別と言ってお金を渡してくれた、あの。
「アスタリカ様! テルーリカさんがそんなことをするはずがありません!」
「そうですよ! 火の手が上がってから、ずっと率先して皆を避難させていたんですよ!?」
「きっとなにかの間違いです……! だって、だって、テルーリカさんは……!」
周囲にいた町の人や使用人たちから、彼を擁護する声が上がる。
皆の話からすれば、彼はかなり前からアスタリカに仕えていたようだ。
年齢を見ても、彼女と同じか少し上、といったくらいだから、浅からぬ仲ではあるのだろう。
「そう……お前は、私の腹心として、ずっと働いていてくれた」
「そ……そうです。だから、なにかの間違いで……!」
彼女は、たんたんとした口調のまま、慌てふためく男性の目の前に立った。
「彼女を……ハナを屋敷から放り出した時も、意を組んで手切れ金を渡し、町へ移動するよう話をしてくれたな。……弟たちを地下へ匿い、安静にできるよう手配もしてくれた」
「……っ……!!」
アスタリカが話を進めると、彼は口を開けたまま、なにも言葉を発しなくなった。
ひどくショックを受けたような、戸惑っているかのような、なんともいえない表情で。
「私が憎いのなら、屋敷まで燃やす必要はない。魔物にやられたようにして、偽装して殺せば済んだはずだ」
そう言って、彼女は腰の剣をスラリと抜き放ち、テルーリカの首にピタリと沿わせた。
執事は微動だにしない。表情はいつの間にか抜け落ちて、いまや無表情になっていた。
「理由を。……理由を言え、テルーリカ」
アスタリカが静かにそう言い放った直後。
執事は――彼は、観念したかのようにひとつ、ため息をついた。
「……同じ、ですよ」
テルーリカは、彼女が首につきつけた剣を片手でスッと外すと、焼け焦げた屋敷の前に、足を進めた。
皆が固唾をのんで見守もるさなか、彼は両手を大きく広げる。
「わたしがなにを言ったところで、起きた事実は同じ……で、あれば」
「……おい、テルーリカ?」
彼は、くるりとこちらを振り返ると、自嘲的な笑みを浮かべた。
「ええ、アスタリカ様のおっしゃる通り。この屋敷に火を放ったのは私です」
「……なぜだ。なぜなんだ、テルーリカ……!」
自白した彼に、アスタリカが迫ろうとする。
「それ以上近寄らないで!!」
しかし、テルーリカはバッと片手を前に出し、近づくのを制止した。
たたらを踏んだアスタリカは、悔しそうな表情で唸る。
「くっ……テルーリカ! 不満があるなら言ってくれれば! 私は、そこまで狭量な主だったか!?」
「……あなた様に仕えられたこの十数年、私は幸せでした」
「では……では、なぜ!?」
悲鳴のようなアスタリカの問いかけに、彼は自嘲的な笑みを消し、片手を空にかざす。
「アスタリカ様。今まで大変お世話になって……このような、裏切りで仇を返すことになり、まことに申し訳ございません」
テルーリカは眉を下げて、わずかに頬に笑みを浮かべた。
切なさを帯びた、けれど底知れない、不気味な笑みでもあった。
「テルーリカ、お前は……っ!」
「あなたを……あなたたちと、屋敷の人たちを殺害する。それを成せなかった今、わたしに残された道は、ひとつ」
ボワッ、と彼の指先に火がともる。
小さな炎は、またたく間に勢いを増し、青い炎となって周囲に陽炎を見せる。
「わあ、火が……炎が……!」
「危ない! 逃げろ、遠くへ……!!」
周囲の人々が慌てふためき、散り散りになって逃げていく。
その光景を横目にテルーリカは笑った。悲し気に、笑った。
「さようなら」
ぶわっ、と炎が盛る。
一瞬、離れた場所にいるこちらにまで届く熱波。
熱をほとんど感じないこの身にすら、赤い幻影が見えるほどの。
テルーリカの放った炎は、まるで宿主に歯向かうかのように――彼の体に、燃え移った。
「え、ちょっ……し、執事さん!?」
青い炎と、赤い炎。
温度の異なるそれらが、彼の体をまたたく間に包み込んだ。
肌が炎で見えなくなる中、テルーリカは変わらぬ笑みを浮かべ続けている。
壮絶。
その有り様は、言葉で言い表せないほどの壮絶さがあった。
「待て、テルーリカ! せめて理由を……理由を、言え!!」
誰も身動きできないさなか、アスタリカが慟哭するように叫んだ。
その声が、聞こえたのだろうか。
立ちながら燃え続けるテルーリカが、ふと、焼けただれた頬を動かした。
「……よみ……せた……った……」
「よ……? おい、テルーリカ!!」
「やめるんじゃ!! それ以上近づいたら燃えてしまう!!」
テルーリカに駆け寄ろうとしたアスタリカを、テルペロンが必死に抑える。
その光景を目にして、ようやく金縛り状態だった体が動いた。
「し、執事さん!!」
「ま、待て! ハナ!!」
テルペロンの声を背にしながらも、燃え盛る執事の元へ駆け寄った。
けれど、
「あ……あぁ」
ぶわっ、とひときわ大きく青い炎が立ち上った、瞬間。




