32話 ~幻覚返し~
「……やれるだけ、やってみなきゃ。だって、アレに食べられたらおしまい、でしょ?」
そう言うエリアスの表情は涼しそうに微笑んでいたものの、ほの明るい光に照らされた顔色は、いまだまっ白だった。
「やらなきゃ、私たちがやられる……なら、せめて一矢報いるわ……!!」
彼は目線を床に落とすと、いっきに加速して走り出した。
(視線を合わせずに魔物を倒すなんて……そんなこと、できるの……!?)
バトルマンガで見たことのある光景と、考え方だ。
けれどそれは、事前に入念な準備と鍛錬があって成り立つもの。
(いくら……エリアスさんが強くても……!!)
もし。もしあのカエルが、思いもよらない行動をしたら?
そうしたら――エリアスは。
「……く、ッ!?」
距離を縮めたエリアスに対し、カエルは不意に迎撃態勢をとった。
大きく口を開き、そのむらさき色の口蓋があらわになる。
そこから、黄色い舌がビシッと勢いよくのびて、エリアスのとなりの床を叩いた。
「あ……!!」
砂煙が上がり、いっきに視界が悪くなる。
状況を把握しようとしたのか、エリアスがとっさに視線を上げてしまった、その瞬間だった。
「エリアスさん、ダメッ!!」
「あ、しまっ……!!」
ぴょこッと頭部に突き出た丸いカエルの瞳が、彼の前で怪しく光った。
「うっ、ぐっ……!!」
クラッ、とエリアスはその場でひざをつき、剣を取り落としてしまった。
カエルはゲコッと満足そうにうなずくと、ズズズッと元の位置に戻っていく。
(こ、このままじゃ……!!)
狩るものと狩られるもの。
力の差は歴然だった。
残ったのは、なんの役にも立っていない、私一人。
もしかしたら、自分は例のナゾのパワーで助かるかもしれない。
でも、二人は?
彼らは、不死身じゃない。
このまま――このまま、カエルに襲いかかられてしまったら。
(魔女と呼ばれて……こんな、わけのわからない力をもった私といっしょにいてくれる人たちを……見殺しにするの?)
ドクン、と心臓が跳ねた。
ハダカだし、記憶喪失だし、出自は不明で、ナゾの魔法を使うあやしい人物。
魔女と審判され死刑台にまでたたされた不審人物を、それでも追い払わずに対等に接してくれた二人だ。
「……っこの、アホガエル!!」
ぐわっ、と腹の底から大きな声があふれた。
あまりの大声に、床にしゃがんだエリアスが、困惑の表情で見上げてくるほどに。
「ちょ、ハナ、あんたなにを」
「ほら、こっち向け! この、目ん玉ギョロギョロガエル!!」
ビリッ、と空気がしびれるほどの怒号に、エリアスに向いていたカエルの目玉が、ギロッと触覚ごと私へ向いた。
グエエェェェエ
言葉は伝わらなくとも、バカにされたことには気づいたらしい。
カエルはのど袋をゲコゲコと低く鳴らした後――バツンッ、と床を蹴って、こちらの方へ跳んできた。
「このっ、ゲロゲロカエル……かかってきなさい!!」
「な、なに言ってやがる……無茶だ!!」
ヴィルクリフが、フラフラしながらも私をかばおうと立ち上がった。
しかし、
「いいんです!! 下がっててください!!」
すぅ、はぁ、と息を吸ってはいて、両足を開く。
両手を大きく伸ばして、前へ。
(今まで、魚、服……それに、ギロチン。なんども……無意識のうちに、なにかを爆発させてきた)
そう、無意識に。
自分では制御できないほどに。
でも、だったら。
(それを……自分で、コントロールすることができたら……!!)
ぎゅっ、と内またを占める。
深く息を吐き、短く吸った。
エプロンのすそが、ひらり、と動く。
「……ハナ!! 危ない!!」
目の前で、カエルの口が大きく裂ける。
まっ黄色の舌が、ビュッ、と伸びて――
「――ッ!!」
ぽふんっ
白い煙が、ちょこっ、と指先から飛び出した。
ただし、それだけ。
「……あれっ??」
タラリ、と額に汗が流れる。
踏ん張った両足から力が抜けて、その場にへたりこんだ。
なにも、起きない。
ただ、小さな煙が、その場に上がっただけで。
巨大カエルは、一瞬あっけにとられたかのように動きをとめたものの、私の攻撃が不発に終わったのを見て、ゲコ、と満足そうに鳴いた。
「ちょ、ちょっと待って! こ、こんなハズじゃ……かっこよく、カエルを吹っ飛ばすはずだったのにぃ!!」
ひぃぃ、とみっともないうめき声を上げつつ、半泣きで一歩後ずさった。
しかし、当然、カエルはそんな私を見逃すはずもない。
シャッ、と体勢を整えた巨大カエルは、黄色い舌をビシッ、と大きく振りかぶった。
「ひ、ひぇえええっ」
勢いのある舌が、ぐわんっ、と腕に、今にも触れそうなほどに伸びて――
ゲェェェ……
「……えっ?」
デロンッ
唐突に。
カエルが、腹を見せてその場にひっくり返った。
「どっ……ど、どういうことだ……? 揺れが、なくなった……??」
ヴィルクリフが、額に手を当てつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「幻覚が……解けた、ってことかしら」
ひざを落としていたエリアスも、剣を手に立ち上がる。
二人は慎重な足取りで私のそばまで歩いてくると、ひっくり返った巨大カエルを見つめた。
「やっぱり、アレが原因だったのね」
「に、しても……なんでひっくり返ってんだ?」
「うーん……なんで、でしょう……?」
私は、なにもしていない。
さっきの攻撃だって、まるでフーセンガムをはじいたような頼りない煙がちょっと噴き出した、それだけだったし――。
グ、グエェェエ……
カエルは、えづくような不快な声を上げながら、ひっくり返ってバタバタしている。
いつだかのように爆発することもなく、五体満足で、生きたままだ。
それなのに、まるで今現在なにか攻撃でも食らっているかのように、ゲエゲエとうめいている。
「……なあ、コイツ、もしかして」
カエルの様子をジーッと見つめ、ヴィルクリフが薄気味悪そうに言った。
「自分で、自分の幻覚食らってんじゃねぇか?」
「あー……!」
言われてみれば!
たしかに、カエルは四肢を大地から遠ざけるようにして宙に浮かせているし、触覚のような目玉はグルグルと回っている。
痛みを感じている様子はないのも、ただ地震を味わっているからかもしれない。
「え、じゃあ……ハナ、あんたさっきの、幻覚返しだったの!?」
エリアスが、ギョッと目を見張ってこちらを見た。
いや、ちがう。まったくそんなつもりはなかった。
ブンブンと全力で首を振って、言い訳するように応える。




