三五一 元老院会議
サムイコク。
セントラル地区にある元老院議事堂に元老たちは集まっていた。
タケル率いる遠征軍が東ガルウォを攻撃し、爬神軍および蛮狼軍との激しい戦闘の末、これを破りリザド・シ・リザドへ軍を進めたことは元老院に伝えられ、同時に、サムイコク国民もこれを知ることになった。
サムイコク国民はタケルによる爬神族への反乱を驚きを持って受け止めた。
なぜなら、サムイコクの人々はタケルが遠征軍を率いてリザド・シ・リザドへ向かったのは、爬神族に反旗を翻した霊兎族の護衛隊を征伐する為だとばかり思っていたからである。
「信じられない・・・」
「なんて愚かなことを・・・」
「リザド・シ・リザドを攻撃するなんてどうかしてる」
「恐ろしいことが起こるぞ・・・」
人々はリザド・シ・リザドに捧げられた奉仕者たちの末路について何も知らされていない。だから、タケルが霊兎族と一緒になって爬神族に反旗を翻すなんて訳がわからないことだし、ただ狂っているとしか思えなかった。
「リザド・シ・リザドにはドラゴンがいるんだぞ・・・」
人々は爬神族にドラゴンがいる以上、タケルが返り討ちにされるのは間違いないと思った。
爬神族からの報復。
タケル一人の狂った判断によって爬神様から報復されるなんて堪ったものではない。
国民はそのことに怒りを覚えるのだった。
元老院議事堂の広間の奥、祭壇前の〝議論の間〟において、元老たちは大理石の床に車座になってそれぞれの位置で胡座をかいて座っていた。
セントラルのカクジ・サムラが祭壇を背にして座り、その右に東地区のマモル・ハシト、西地区のムサシ・テドウ、南地区のケタロ・シナガ、北地区のミドリ・サイトの順に座っている。ちなみに、ミドリ・サイトの右隣に来るのがカクジ・サムラだ。そして、ムサシの後ろにはトノジ・ジベイが控えていた。
この会議に出席が許されているのは元老のみであったが、サムイコクとして今後の方針を協議するにあたり、ムサシの下でサムイコク全体の治安部隊をまとめているトノジは特別に出席が許されていた。
場の空気は緊張し、ピリピリとしている。
「まさかとは思ったが、タケルは爬神様と戦うことを決断したのだな」
カクジ・サムラは険しい表情でムサシを見る。
「そういうことです」
ムサシは淡々と応える。
ムサシのその態度は、タケルの判断に信頼を置いたものだった。
「私には理解できない。たとえ東ガルウォで勝てたとしても、爬神様にはドラゴンがいる。ドラゴンがいる以上、我々に勝ち目はない」
マモル・ハシトはそう言って厳しい表情でムサシを睨んだ。
マモル・ハシトが治める東地区では爬神教に力を入れていることもあり、タケルの決断は彼の権威を貶めかねないものだった。だから、その顔には不快感が表れている。
「護衛隊がドラゴンを倒せるとは考えられないし、リザド・シ・リザドへ兵を進めたタケルがこのままリザド・シ・リザドを陥落させることなんて不可能だ。ムサシには申し訳ないが、タケルを賊軍の首謀者として討伐の兵を送るべきだろう」
ミドリ・サイトは最悪の事態を想定し、そう意見を述べた。
「たしかにその準備は必要だろう」
マモル・ハシトが同意すると、
「ムサシ、どうだ?」
カクジ・サムラはムサシに意見を求めた。
タケルを討伐するには治安部隊をまとめているムサシの同意が必要で、さらにタケルはムサシの跡取りでもある。
ムサシがそれにどう答えるか、皆の視線がムサシに注がた。
こうなった以上、当然ムサシも討伐の兵を送ることに賛同するはずだ・・・
それがカクジ・サムラ、マモル・ハシト、ミドリ・サイトの考えだった。
しかし、ムサシは一同を見渡し、
「その必要はありません」
あっさりとそう答えたのだった。
それにはマモル・ハシトとミドリ・サイトはギョッとした顔をして驚いた。
「なぜだ!」
マモル・ハシトは思わず怒鳴り声を上げる。
「爬神様に滅ぼされても良いというのか!」
ミドリ・サイトもそう言って声を荒げた。
場の空気が殺伐とする中、ケタロ・シナガはのんびりとした表情で元老たちそれぞれの様子を観察しているのだった。
「ムサシ、ことの深刻さを理解しているのか」
カクジ・サムラはそう問いかけ、余裕の態度をみせるムサシに不快感を示した。
元老たちがどれだけ反発しようとも、ムサシが動じることはない。
「タケルが爬神様と戦うことを決断したということは、それが賢烏族にとって正しいことだと判断した、ということです。もし兵を送るならタケルへの援軍であって、討伐軍ではありません」
ムサシはきっぱりとそう言い、反論を許さない力強い眼差しでタケルへの信頼を示すのだった。
ムサシが元老たちの意見を突っぱねたのは、これが初めてのことだった。
ムサシは元老院において常に他の元老たちの意見を尊重してきたし、尊重するが故に自らの意見を引っ込めることは何度もあった。それはムサシだけでなく、ムサシの父であるデスケもそうだったし、それが治安部隊を統率する者として、代々テドウ家の当主が守ってきた態度だった。
元老院においてテドウ家の力を感じさせてはならない。
テドウ家の力は他国に対する牽制として存在するものである。
それがテドウ家の姿勢だった。
だからこそ、ムサシのこの強い態度に元老たちは驚きを隠せなかった。
「な、なんと・・・」
ミドリ・サイトは引きつった顔でそんな声を漏らし、マモル・ハシトは何も言えず唖然とした表情でムサシを見つめるだけだった。
「ムサシ・・・お、お前は、タケルが爬神様と戦って勝てるとでも思っているのか」
セントラルの元老として常に威厳を保ってきたカクジ・サムラでさえ、ムサシの強い態度に動揺を隠せなかった。
「さあ、どうでしょう」
ムサシは動揺する元老たちに向かって平然と惚けた返事を返す。
タケルが東ガルウォで爬神軍と蛮狼軍を破ったことで、すでに我々に選択肢はない。爬神族を滅ぼす以外に賢烏族が生き残る道はないだろう。だからこそ、今、ここで迷いをみせてはならないし、元老たちの動揺に耳を傾けてはならないのだ。
ムサシはそう考えていた。
「む、無責任な・・・」
カクジ・サムラは声を震わせムサシを非難した。
しかし、ムサシはタケルへの支持をその揺るぎない態度で示すだけだった。
その場が不穏な空気に包まれる。
元老たちが何を言おうが、サムイコク治安部隊の実権を握っているのはムサシでしかなかった。
そして軍事は、国を統治する力だった。
ムサシが反対したものを進めることは不可能なのだ。
元老たちが何をどう議論しようが、サムイコクの方針について最後に決断を下していたのは、結局テドウ家の人間だったということだ。今までそれを意識せずに来られたのは、テドウ家が元老たちの総意を尊重し、反対することがなかったからだ。
自分たちが言いたいことを言えたのは、自分たちに力があったからではなく、テドウ家がそれを許していたからに他ならない、ということがこの場で明確にされ、この時この瞬間、元老たちは自らの無力さとテドウ家の力を思い知ったのだった。
張り詰めた空気。
「無責任ではございません」
そう発言したのは、ムサシの後ろに控えるトノジだった。
「東ガルウォで爬神軍と蛮狼軍を打ち破ったことで、すでに我々に退路はございません。たとえ、タケル様率いる遠征軍を賊軍として我々が討伐軍を送ろうとも、リザド・シ・リザドは我々を許してくれないでしょう。我々にできることはタケル様の判断を信じることだけです」
トノジは落ち着いた口調でムサシの考えを代弁すると、突然発言したことの無礼を詫びるかのように深く頭を下げた。
「まぁ、なるようになるだろう」
それまで黙って皆のやり取りを聞いていたケタロ・シナガが拍子抜けするようなのんびりとした口調でそう発言し、小太りの腹を擦りながら微笑むのだった。
皆の視線がケタロ・シナガに集まる。
「もしタケルの判断が間違っていたとしたら、我が南地区遠征隊隊長であるユタ・カカトが必ずそれを止めていたはずだ。ユタ・カカトというのは南地区治安部隊の長であり、人望の厚い男で、私がその人物を認めた男だ。もし、タケルの判断が間違っていたのなら、ユタはその命にかえても、その判断を変えさせようとしただろう。そのユタがタケルと共に爬神様と戦い、片腕を失ってさえいるのだ。だから私はタケルの判断は正しかったと思っている」
ケタロ・シナガが穏やかに、それでいて確信として自らの考えを述べると、その場の空気が一変した。
元老たちはケタロ・シナガの発言を助け舟として受け取ったのである。
このままではムサシに元老院が支配されてしまう。
それを回避するためにも、ムサシの力に押し切られる形ではなく、あくまで元老院の総意として、タケルの判断を支持してみせる必要があったからだ。
「なるほど。たしかにタケル一人の判断で決められることではないな。各地区から派遣された地区隊長たちの同意も必要だ。そう考えれば、我々もタケルの判断を支持して構わないだろう」
カクジ・サムラはそう言ってマモル・ハシトとミドリ・サイトに目配せをした。
カクジ・サムラの目配せに、ミドリ・サイトは目で頷いてから自らの考えを述べた。
「ケタロの言う通りだ。なにより、タケルが率いているのはサムイコクだけではない。ミナカイコク、カサコク、キノコク、そしてガルスコクで作られた賢烏族合同軍だ。もしタケルの判断に間違いがあれば、他国の兵がタケルに従うことはないだろうし、タケルを殺すことだってあり得たはずだ。爬神様に反旗を翻すのは、どの国にとっても避けたいことだからな」
ミドリ・サイトは他国の判断について言及しつつタケルの判断を肯定し、その後を継いで、
「そして結果はといえば、タケル率いる遠征軍は多大な犠牲を払いながらも、一丸となって爬神軍、蛮狼軍と戦ったわけだ。つまり、タケルの決断は正しかった、ということになる」
マモル・ハシトは平然とタケルの決断を支持し、胸の前で腕を組んで深く頷いてみせるのだった。
ムサシは黙って三人の言葉を聞いた。
ムサシの後ろに座るトノジは元老たちの動揺する姿を見て、元老院の実権がムサシの手に渡ったことを実感するのだった。それと同時に、今まで飄々として捉えどころのなかった南地区のケタロ・シナガが侮れない人物だということに気づき、驚いたのだった。
結論が出たところで、
「タケルの決断を我々は支持する、ということでよろしいかな」
ケタロ・シナガはそう言って穏やかに微笑むのだった。
ムサシは自分の右に座るケタロ・シナガに顔を向けて頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。
「サムイコクの軍事を司るのがテドウ家の務めだ。ムサシ、この後の対応はお前に一任したい」
カクジ・サムラがそう告げると、
「是非、私からもお願いする」
マモル・ハシトは神妙な面持ちで頭を下げ、
「異論はない。ムサシ、頼む」
ミドリ・サイトも真剣な表情で頭を下げるのだった。
三人はそれをすることによって、あくまでムサシは自分たちの影響下で動いているということにしたいのだった。
「ムサシ、ということだ」
ケタロ・シナガは三人の思惑を見透かして呆れるような笑みを漏らし、
「わかりました」
ムサシは笑顔で元老たちの要請を快諾した。
「ムサシ様」
トノジがムサシの背中に小声で話しかけると、
「うむ」
ムサシは頷き、元老たちを見渡した。
元老たちがその視線に気づいてムサシに注目すると、
「現在、西地区において計画していることがあります」
ムサシは自信に満ちた眼差しでセジを中心に進めている計画について口にした。
ムサシの目は輝いていて、元老たちはムサシの計画に興味を持った。