三三一 ドゴルラ隊長ピラアの想い
リグイ率いるスペルス部隊が爬神軍に右側方からぶつかっていくのと同時に、ピラア率いるドゴルラ部隊はその左側方からぶつかっていった。
「わぁあああああああ!」
ガシャッ!ガシャッ!ガシャッ!
護衛隊の隊長たる者は皆そうだが、ピラアの剣さばきも見事なものだった。
その身ごなしに神兵はついてこられない。
ブスッ!
ピラアは神兵の背後に回って跳び上がると、すかさず後頭部の急所に剣を突き刺した。
「ギィエエアアア!」
神兵は悲鳴を上げ、ダァンッと倒れる。
ピラアは神兵と戦いながらも、タヌのことが気になっていた。
上空のドラゴンが降下を突然やめた理由が、タヌだということに気づいたからだ。
ドラゴンは降下をやめる直前に何かに気づくと、間違いなくタヌのいる方向に顔を向けた。
ドラゴンは本能的に危険を察知し、自らの命を狙うタヌの存在に気づいたのだろう。
ならば、タヌが危ない・・・
そして、ピラアの懸念は当たった。
上空に戻ったドラゴンはすぐに左方向に降下すると、タヌがいると思われる場所に向かって火炎を吐いたのだ。
「タヌ!」
ピラアは思わず叫んでいた。
ピラアがタヌとラウルの存在を知ったのは、ミカルがはるばるドゴルラまでテサカを訪ねてやって来た時のことだった。
「わざわざご苦労なことだ」
テサカは笑みのない表情でミカルを迎えた。
ミカルは会議室に通され、テサカとの会談に臨んだ。
その場に副隊長だったピラアもいて、そのとき、タヌとラウルの存在を聞かされたのだった。
「お前からの書簡は読んで返事も書いたぞ」
テサカは不機嫌にミカルを突き放す。
その不穏な空気に、ピラアは緊張した。
ミカルからの書簡の内容について、ピラアはまったく知らされていなかった。
いつも穏やかなテサカ様が険しい表情になるということは、よっぽどのことが書かれていたに違いない・・・
そうピラアは推測するのだった。
「お前からの返事は読んだ。だから、わざわざドゴルラまで来たんだ」
ミカルは穏やかに告げ、笑みを浮べた。
テサカは不機嫌に鼻からふーんっと息を吐くと、
「ラドリアの惨劇を起こした二人に子供がいたことも驚きだったが、その子供たちが爬神様に反旗を翻すとき、我々護衛隊も共に立ち上がろうなどと言うのは、いくらなんでも無茶苦茶な話だ」
そう言ってミカルを睨むのだった。
しかし、その目には微かな戸惑いのようなものがあった。
その戸惑いは、本心が別のところにあることを伝えていた。
ピラアはテサカの気持ちの微かな揺れには気づかなかったが、テサカが発した言葉の内容には目を丸くして驚いた。
ラドリアの惨劇のことは知っていた。狂人と言われる霊兎が実はそうではなかったということも、テサカから聞いていた。しかし、その二人に子供がいたなんて思いもよらなかった。それも驚きではあったが、テサカの口振りでは、その二人の子供がいつか爬神族に反旗を翻して立ち上がると言っているのだ。そこに護衛隊も加わることをミカルが求めているということなのだ。そんなことはあり得ないことで、考えてはいけないことだった。これほどの驚きがあるだろうか。
ピラアは息を呑んで議論の行く末に耳を傾けた。
「無茶苦茶・・・たしかに無茶苦茶な話かも知れない。それが、ラドリアの惨劇が起こる前のことだったらな」
ミカルはテサカの戸惑いを見透かすかのように淡々と語り、微かな笑みを浮かべる。
「くっ・・・」
テサカは苦々しく声を漏らし、ミカルから目を逸らした。
テサカにとっても、ラドリアの惨劇は特別な出来事だった。
その場にはいなかったが、ミカルから聞かされた二人の姿にテサカは感動し、胸を震わせたのだった。
「あの日、ナイとハウルは、たった二人で神兵と蛮兵に斬り込んでいった。誰もが当然のこととして受け入れていた献上の儀式の場で、二人はその命にかけて、我々に訴えたんじゃないだろか。当たり前に見えるこの世界は、間違っているんだぞって・・・二人が我々に示したもの。それを、お前は見て見ぬ振りができるというのか」
ミカルはそう言い、責めるような眼差しでテサカを見つめた。
ミカルのその言葉がテサカの胸に突き刺さる。
テサカはしばらく思い詰めた表情で思案し、それから重い口を開いた。
「ミカル、お前の言うことは痛いほどわかる。お前からラドリアの惨劇での二人の様子を伝えられたとき、私も胸を打たれた。誇り高きその姿に胸が熱くなった。それ以来、私は、いや、お前から二人の話を伝えられた隊長たちは皆、この当たり前の世界に疑問を持っているはずだ」
テサカは苦しそうに、ナイとハウルへの想いを吐露するのだった。
そんなテサカを、
「なら、なぜ、タヌとラウル、二人と共に立ち上がることを考えないのだ」
と、ミカルは厳しい口調で問い詰めた。
「私だって、霊兎族の誇りを取り戻したいと思う。しかし、そのための戦いで霊兎族が滅びてしまっては意味がない。そんな無茶なことはできない」
テサカは鋭い目つきでミカルに反論し、迷いのないその眼差しで現実を突きつける。
しかし、ミカルはきっぱりとその現実を否定した。
「私はそうは思わない。我々霊兎族の人々は何のために生きているのだろうか。ただひたすら、ドラゴンや爬神にその身を捧げることを望み、天国を夢見るだけの人生に何の意味があるというのだ。愛する者をドラゴンの餌にして喜んでいるなんて、狂っている。それを惨めだとは思わないのか」
ミカルは強い口調で反論し、テサカの目を射抜くように睨むのだった。
「・・・」
テサカには言葉がなかった。
まさか自らの正論が粉砕されるとは、思ってもみなかった。
「お前はそうは思わないのか」
ミカルはさらに語気を強め、テサカに迫った。
「・・・思ってるさ」
テサカはミカルに同意するしかなかった。
それが、霊兎族の真実だからだ。
「なら、言わせてもらう。誇りなき生より、誇りある死を選ぶべきだ。ただ生きていればいいんじゃない。我々は誇りを持って生きるべきだ。たとえ霊兎族が滅びることがあろうとも、このまま惨めに生きながらえるよりはマシだ」
ミカルは熱くそう語り、テサカに意を決することを促すように、
バンッ!
テーブルを強く叩いた。
—誇りなき生より、誇りある死を。
それは、テサカにとって衝撃的な言葉だった。
頭のてっぺんからカミナリを落とされたような衝撃だった。
テサカは真顔で宙を見つめる。
その視線の先にあるもの。
沈黙。
そして、テサカは顔を上げ、ミカルの目をしっかりと見つめた。
「わかった」
テサカは頷き、微かな笑みを浮かべた。
テサカの表情はさっぱりとしていて、その目は澄んでいた。
ミカルはテサカの目から迷いが消えたのを見て、
「わかってくれるか」
そう言って安堵の表情を浮かべるのだった。
「お前の言う通りだ。私もそれはわかっていた。しかし、わかってはいても、我々のその判断で、霊兎族が滅びるようなことがあってはならないと、そう考えていたのだ。我々兎人は、ドラゴンに身を捧げることが最も幸せなことだと信じきっている。我々霊兎族は、爬神族のために存在するということを教え込まれ、それを当たり前のこととして受け入れてきたのだ。その当たり前の世界を、誰もが幸せだと思っているこの世界を、我々の手で破壊していいのだろうか、そこまでして霊兎族の誇りを取り戻す必要があるのだろうか、私には判断がつかなかったのだ」
テサカは正直に自らの迷いについて話し、苦笑いを浮かべた。
「幸せだと思い込まされていただけだ。幸せだと思い込むことで、悲しみを押し殺して生きてきたはずだ」
ミカルがそう言うと、
「ああ、そうだ。お前の言葉で目が覚めたよ。誇りなき生より誇りある死を。それが正しい生き方なのだ。我々は、タヌ、ラウルと共に、立ち上がらなければならないのだ」
テサカはそう応えて胸の前で握った右手に力を込めた。
「テサカ、わかってくれてありがとう」
ミカルはしみじみと感謝し、テサカに頭を下げた。
「感謝しないといけないのは、こちらの方だ」
テサカはそう言って笑う。
「霊兎族の力をみせてやろう」
ミカルはその言葉に力を込めると、右の拳で左胸をドンと叩いた。
「ああ」
テサカも同じようにして左胸を叩き、それから、
「ところで、他の連中はお前の書簡をどう思っているのだ」
と、他の隊長たちの反応について尋ねた。
ミカルは肩をすくめ、
「みんな同じような返事だった。無茶なことをして霊兎族を滅ぼしてはいけない、ということだ。お前と一緒だ。ただ、ユラジだけは〝面白い〟と返事をくれたが、これは霊兎族存亡の戦いになるのだから、まずは護衛隊を一つにまとめて欲しいということだった。私がテサカを説得できたら、喜んでマイスを説得すると書いてあった。そういうことで、わざわざドゴルラまでやって来たというわけだ」
と答え、自分がここに来た理由を説明したのだった。
「なるほど。ユラジらしいな。ならば、私はイオンを説得しよう」
テサカはそう言ってイオンの説得を約束し、
「それは有難い。お前とイオンが覚悟を決めたら、皆も覚悟を決めるだろう」
ミカルはテサカの協力を喜んだ。
テサカの目に宿る力を見て、
これで前に進むことができる・・・
ミカルはそう確信したのだった。
こうして話がつくと、テサカはおもむろに椅子から立ち上がり、テーブルの向かい側に座るミカルを笑顔で見下ろした。
ミカルが何事かと思ってテサカを見上げると、
「ミカル、ありがとう。私は今、とても気分がいいぞ」
テサカは改めて感謝の気持ちを伝え、ミカルに右手を差し出した。
そのテサカの態度にミカルは喜び、椅子から立ち上がると、
「私もだ」
と笑顔で応え、二人はテーブル越しに固い握手を交わしたのだった。
二人のやりとりを目の当たりにし、ピラアは自分の体が震えていることに気づいた。
—誇りなき生より、誇りある死を。
そのミカルの言葉に、ピラアもまた感動していたのだった。
とてつもないことが始まるぞ・・・
ピラアはそう思った。
そう思うと、今まで感じたことのない痺れるような感覚に包まれ、ナイとハウルの子供であるタヌとラウルに対する想いで胸が熱くなるのだった。
ピラアの目に、固い握手を交わすミカルとテサカの姿が焼きついていた。
そのとき、すべての流れが決まったのだ。
その後、テサカがイオンを説得すると、他の都市の隊長たちもすぐに覚悟を決めた。
ドゴルラでも、兎神官たちに気づかれないように、来るべき日に備え準備が進められることになった。
それから月日は流れ、ゴーゴイ山脈の向こう側にある都市イスタルで、〝ラビッツ〟を名乗る謎の武装集団が蛮兵を襲っているという噂がドゴルラの街中で囁かれるようになった。もしやとは思ったが、テサカの口から、ラビッツはタヌとラウルが属する武装集団で、噂になっている赤いバラがタヌで、青いバラがラウルだと知らされたときは、何とも言えず胸が熱くなり、体が震えたのを覚えている。二人はついに立ち上がったのだ。我々が立ち上がる日も近い。ピラアがそう思った矢先、公開処刑が実施され、そして、服従の儀式へとつながっていったのである。
イスタルで蛮兵を襲撃するラビッツの噂は、各都市において〝その日〟のために準備を進めていた護衛隊隊士たちに勇気を与えた。
隊士たちにとって、タヌとラウルは霊兎族の希望の星だった。
ラウルは不幸な出来事で命を落としてしまったが、それでも、その存在が色褪せることはなかった。
タヌとラウル、二人の存在が今でも、爬神軍に立ち向かう隊士たちに力を与えているのだ。
ピラアにとって、今こうしてタヌと共に戦えることは、この上ない喜びだった。
伝説となるであろう霊兎と、同じ戦場で、霊兎族の誇りを取り戻すために戦っているのだ。
これほど名誉なことがあるだろうか。
ビシャーッ!
ドラゴンが、タヌのいるはずの場所に向かって火炎を吐いた。
「タヌ!」
ピラアは思わず叫んでいた。
ピラアがそれに気を取られた一瞬の隙を捉え、
「ギィエエエエエ!」
神兵が斬りかかる。
ブォンッ!
「ちっ」
すんでのところでピラアはそれを躱すと、すぐさま神兵の背後に回り込もうとするが、神兵もそれを予測した動きで次の太刀を繰り出した。
ブォンッ!
俊敏さでは隊士に敵わない神兵ではあるが、訓練された優秀な兵士は相手の動きを読みながら戦うことができるのだ。
ガキーン!
ピラアは両手でしっかりと剣を握り締め、神兵の太刀を受け止めた。
剣を握るピラアの手に痺れが走り、
「ぐぁっ」
その体が後方へ飛ばされる。
ドンッ!
ピラアは地面に転がる神兵の死体に背中から落ちた。
爬神の皮膚は硬いとはいえ、肉の弾力がクッションとなって、運良くピラアにダメージはなかった。
「ギイィエエエ!」
神兵がピラアに追い打ちをかける。
「油断大敵とはこのことだ」
ピラアは自嘲的な笑みを浮かべると、さっと飛び起き、剣を握り直して神兵に踏み込んでいった。
ブォンッ!
神兵の剣が空を切る。
次の瞬間、
ブスッ!
ピラアの剣が神兵の喉を突き刺していた。
「ギイィ・・・」
神兵はピラアを掴みにかかるが、ピラアはさっと剣を抜くと、神兵の腹を蹴り後ろに跳び退いてそれを躱す。
ダァンッ!
神兵は突っ伏すように倒れ、絶命した。
「ふぅ」
ピラアは安堵の息を吐くと、周囲を見渡した。
体力勝負だな・・・
神兵は無数にいるように見えた。
「ギイェエエ!」
神兵が襲いかかってくる。
ブォンッ!
ピラアは左に跳んでそれを躱すと、
「タヌの心配より、自分の心配だな」
そう呟いて苦笑いを浮かべるのだった。
「わぁあああああああ!」
ガシャッ!ガシャッ!ガシャッ!
戦闘はまだ始まったばかりである。