一九四 赤の爬神
「うおお!」
バサッ!ブスッ!
ラウルは無我夢中で目の前に現れる神兵を斬り倒していた。
鬼気迫るラウルの姿から漂う悲愴感。
シール・・・
ドラゴンによって奪われたシールを救い出さなければならないという想い。
この戦いを一刻も早く終わらせなければ・・・
という焦りが、ラウルを突き動かしていた。
「ギィア!」「ギァエ!」
神兵は悲鳴を上げ倒れていく。
しかし、斬っても斬っても次から次へと神兵は襲い来る。
簡単に倒しているようには見えても、神兵一人を倒すのにもかなりの集中力を要するため、ラウルから気力と体力は確実に奪われていた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
手に握る剣が微かに振動しているように感じる。
お前はまだ斬り足りないようだな・・・
ナイの打った剣には、ラドリアの戦士の魂が宿っているような気がした。
ズダンッ、ズダンッ、ズダンッ・・・
背後から迫ってくる爬神に凄まじい殺気を感じ、ラウルは咄嗟に前に跳びながら後ろを振り返った。
ブォン!
ラウルが振り返ったところを爬神の振り下ろした剣が襲う。
「くっ」
ラウルは左に跳んでそれを躱すと、直ぐに跳び上がって爬神の眉間をめがけて剣を振り下ろした。
ビュン!
「させるか!」
爬神はラウルの振り下ろした剣を払うように、その右手に持つ剣を下から物凄い勢いで振り上げ、
ガキーンッ!
剣と剣をぶつけてラウルを弾き飛ばした。
ラウルは後ろに飛ばされ、肩から地面に叩きつけられる。
ダンッ!
「ぐっ」
ラウルはぶつけた左肩の痛みを堪え、すぐに立ち上がって剣を構える。
こいつ・・・
ラウルは目の前の爬神を見て目を鋭くした。
赤の爬神・・・
仁王立ちで立ち、凄まじい殺気を放ちながらこちらを睨んでいる爬神は、最高爬武官、ゴリキ・ド・ゴリキだった。
お前は許さない・・・
父ハウルを殺し、そしてマーヤの命までをも奪ったこの爬神に、ラウルは許し難い激しい怒りを覚える。
「気狂いの子は、気狂いらしく死ぬがいい」
ゴリキ・ド・ゴリキはニヤリと笑う。
ラウルはそれをふんっと鼻で笑い、
「気狂いはお前だろ」
と吐き捨てる。
ラウルの手に握る剣が、ラウルの気持ちに応えるかのように微かにブルブルッと震える。
ラウルはふぅーっと長い息を吐いて体から余計な力を抜いた。
「身の程知らずが」
ゴリキ・ド・ゴリキは蔑みの眼差しでラウルを見下ろしながら、ゆっくりと右手に握る剣を胸の前に出し、左手を鳩尾の前に置いた恰好で構えた。
目の前にいる霊兎はラドリアの惨劇のあの気狂いの子供だ。
身に纏うオーラが他の霊兎とはまったく違う。
だからこそ、ゴリキ・ド・ゴリキは殺し甲斐があると思う。
「ふん」
ラウルは鼻を鳴らし、ぎゅっと剣を握る手に力を込めた。
そのとき、ラウルの顔つきが変わった。
ゴリキ・ド・ゴリキはラウルの纏う空気が一瞬にして変わったことに驚いた。
じりじりと、ラウルはゴリキ・ド・ゴリキとの間合いを詰めていく。
そのラウルの鋭い眼光。
体全体から放たれる強烈なオーラ。
こいつ・・・
ゴリキ・ド・ゴリキは背筋が寒くなるのを感じた。
それは赤褐色の霊兎に感じた得体の知れない感覚と同じものだった。
赤褐色の霊兎は存在の感覚がないことに驚いたが、目の前にいる銀色の霊兎はその身に纏う強烈なエネルギーに驚かされた。
赤褐色の霊兎といい、なんだこいつは・・・
ゴリキ・ド・ゴリキの顔には不思議と笑みがこぼれていた。
今までにない感覚。それは、〝恐怖〟と名付けていいものだった。
ゴリキ・ド・ゴリキが初めて味わう恐怖の感覚。
腹の下あたりから湧き起こる身がすくむようなその感覚に、ゴリキ・ド・ゴリキはゾクゾクッとした喜びを感じるのだった。
「ふっ」
ゴリキ・ド・ゴリキは冷たく笑う。
気狂いの子二人がラドリアから逃亡したとき、なぜドラゴンが怯えたのか、その理由がわかったような気がした。
セザル・ド・セザルと戦う赤褐色の霊兎の姿。
それを見つめる隊士たちの顔つき。
それまでドラゴンの存在に恐れ慄いていた隊士たちを奮い立たせた魂の叫び。
その赤褐色の霊兎と同じく、得体の知れないオーラを纏うこの銀色の霊兎。
ラドリアの惨劇のあの二人が始まりで、そして、その二人の血を引く者が起こした反乱。
こいつらは、この世界を破壊するために生まれてきたのだ・・・霊兎族を率い、我々に反旗を翻すために生まれてきたのだ・・・
ゴリキ・ド・ゴリキはそう確信した。
ならば、この銀色の霊兎とあの赤褐色の霊兎は、なんとしてもここで殺さなければならない・・・
ゴリキ・ド・ゴリキの目つきが変わる。
ゴリキ・ド・ゴリキの持つ冷酷なオーラが揺らめき、その全身から吹き出す殺気が激しさを増す。
「うぉおおお!」
ラウルは雄叫びを上げ、ゴリキ・ド・ゴリキに斬りかかる。
ガシッ!ガシッ!ガシッ!
ラウルが〝気〟をぶつけるようにゴリキ・ド・ゴリキに太刀を繰り出すと、ゴリキ・ド・ゴリキはそれを必死に受け止めた。
ラウルの繰り出す太刀の鋭さ、その強さにゴリキ・ド・ゴリキは驚きを隠せない。
これは、霊兎の力ではない・・・
ゴリキ・ド・ゴリキの腹の底からあの〝恐怖〟の感覚が再び湧き起こってくる。
「面白いじゃないか」
ゴリキ・ド・ゴリキは片頬に笑みを浮かべると、ラウルに反撃を開始した。
ブォン!ブォン!ブォン!
ゴリキ・ド・ゴリキは全力の太刀をラウルに向けて放つ。
ガキッ!ガキッ!ガキッ!
ラウルはその太刀から逃げず、正面から受け止めた。
ゴリキ・ド・ゴリキが振り下ろす巨大な剣を、ナイの打った剣は物ともしなかった。
凄い・・・
ラウルはこの剣に宿る力の存在を強く感じた。
俺は一人で戦っているんじゃない。父さんの想いを、そしてラドリアの戦士たちの想いを背負って戦っているんだ・・・
ラウルは心からそう思った。
ガキッ!ガキッ!ガキッ!
これは剣と剣とのぶつかり合いを超えた、二人の〝気〟と〝気〟のぶつかり合いだった。
「やるじゃないか」
ゴリキ・ド・ゴリキは自らの全力の太刀を受け止められると、全身が喜びで震えるのを感じた。
今までゴリキ・ド・ゴリキと互角に戦えた者など、爬神族の中にさえいなかった。
だからこそ、ゴリキ・ド・ゴリキは初めて感じる恐怖の感覚を楽しむかのように、ラウルに向かって剣を振るのだった。
「ギエエエ!」
ゴリキ・ド・ゴリキがラウルの腹めがけて剣を水平に繰り出すと、ラウルはそれを待っていたかのように勢いよく跳び上がり、ゴリキ・ド・ゴリキの喉元に向かって剣を突き出した。
ゴリキ・ド・ゴリキは仰け反ってそれを躱そうとするが、躱しきれなかった。
ブスッ!
ラウルの繰り出した剣はゴリキ・ド・ゴリキの喉元から逸れ、右の鎖骨の上に突き刺さった。
「ギィア!」
ゴリキ・ド・ゴリキは思わず悲鳴を上げてしまう。
「くそっ!」
ラウルの突き刺した剣の深さは十分だった。
あと少しだったのに・・・
ラウルは悔しさに顔を歪めるが、着地するとすぐに剣を握り直し、ゴリキ・ド・ゴリキに襲いかかっていった。
「うぉおおおお!」
ラウルがゴリキ・ド・ゴリキの正面で剣を振り上げ跳び上がろうとすると、
「貴様!」
ゴリキ・ド・ゴリキは怒りに任せて剣を振り下ろした。
ブォン!
ゴリキ・ド・ゴリキが振り下ろした剣は空を切り、跳び上がるふりをしただけのラウルはすかさずゴリキ・ド・ゴリキの股下を潜って背後に回ると、その後頭部目がけて跳び上がった。
「うおおおおお!」
ラウルはゴリキ・ド・ゴリキの後頭部の首の付け根を狙って剣を振り下ろす。
ブスッ!
「ギッィィ・・・」
ゴリキ・ド・ゴリキは呻き声を上げる。
ラウルが突き刺したのは、ゴリキ・ド・ゴリキの手の甲だった。
ゴリキ・ド・ゴリキは咄嗟に首の付け根を左手で庇ったのだった。
「くそっ!」
ラウルは仕留められなかったことを悔しがるが、すぐにゴリキ・ド・ゴリキの背中を蹴るようにして後ろに跳んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
一連の攻防は、ただでさえ疲労の見えていたラウルから気力と体力を激しく奪っていた。
次の一撃で仕留めなければ・・・
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
ラウルは必死に呼吸を整える。
ゴリキ・ド・ゴリキは後ろを振り返り仁王立ちになると、左手の甲から流れる血を舐め、冷酷な目つきでラウルを睨みつけた。
ラウルの目には、ゴリキ・ド・ゴリキの全身から激しい怒りの炎が吹き出しているように見えた。
「お前は、必ず、ここで殺す」
ゴリキ・ド・ゴリキはそう言うと、ラウルに向かって踏み出した。