一九一 何のための戦いなのか
「ドゴレ様」
タヌはドゴレの背中に向かって声をかける。
ドゴレはガギラ・ド・ガギラを睨みながら、
「タヌ、こいつらは私とミカルに任せて、お前はここを離れろ」
と、タヌに指示を出した。
しかし、タヌは一緒に戦うべきだと思った。
ミカルやドゴレと一緒に戦えば、この二人の爬神を確実に倒せると思った。
「まだ戦えます」
タヌは力のこもった声でそう応え、一緒に戦う意志を示す。
だが、ドゴレはタヌの意志を聞いているのではなかった。
タヌが疲弊しているのは明らかだし、並みの神兵が相手なら今でも十分戦えるだろうが、今目の前にいる二人の爬神は並みの爬神ではないのだ。
その凄まじいまでの力を侮ってはならない。
疲弊した状態の四人で黒の爬神二人を相手にするなんて、それは危険な賭けに出るようなものだ。
ドゴレにしてもミカルにしても、ここでそういう賭けに出るわけにはいかなかった。
万が一にでも、タヌをこんなところで失うわけにはいかなかった。
それがドゴレの想いであり、ミカルの想いだった。
「それはわかっている。だが、ここはお前が無理をするところではない。本当の戦いはこの先にあるドラゴンとの戦いだ。そこがお前の命を懸ける場所だ」
ドゴレがそう言って諭すが、
「でも・・・」
タヌはそれでも一緒に戦いたいと思った。
ドゴレにはタヌの気持ちがよくわかる。
それが戦場で共に戦う仲間の想いだろう。
しかし、戦いはここで終わりではないのだ。
「世界を変えるんだろ!」
ドゴレはタヌを怒鳴りつけた。
「お前は何のために戦ってるんだ!」
ドゴレのその叱責の言葉は、タヌの胸に響いた。
なんのために戦っているのか・・・
それは決して目の前の敵を倒すためではない。
すべては世界を変えるためなのだ。
ドゴレの言葉はそれを思い出させてくれるものだった。
「わかりました」
タヌはドゴレの想いを受け止め頷いた。
ドゴレはタヌが頷いたのを確かめると、
「おおお!」
と雄叫びを上げ、ガギラ・ド・ガギラに斬りかかっていった。
「タヌ!」
呼ぶ声がして振り向くと、そこにエラスの姿があった。
「エラス」
タヌの胸に懐かしさが込み上げてくる。
「タヌ、ここはミカル様たちに任せて、僕たちは第二陣が投入されるまでにできるだけ沢山の爬神を倒そう」
エラスは再会の挨拶もなくそう言うと、タヌの肩をポンと叩いた。
「第二陣?」
タヌは第二陣の投入をそこで初めて知り驚いた。
「うん。ダレロ様が指揮する第二陣が投入されることになってるんだ。そこまで頑張れれば、絶対に勝てるよ」
エラスが自信に満ちた表情で告げると、タヌはダレロの名を聞いて胸が熱くなるのと同時に、第二陣の存在に勇気づけられ、体に再び力が湧いて来るのを感じるのだった。
「それなら、俺たちが負けるわけないな」
タヌがほっとしたような笑みを浮かべると、
「僕たちは負けないよ」
エラスはタヌの目を真っ直ぐに見つめ頷いた。
「それじゃ、もう一踏ん張りするか」
タヌが表情を引き締めると、エラスは真顔で頷いてそれに応え、二人はその場を離れたのだった。
「うぉおおお!」
ミカルはドゴレがタヌを逃がしたのを確認すると、全力でギラス・ド・ギラスに立ち向かった。
ビュンッ!ビュンッ!ビュンッ!
ミカルの動きは素速く、ギラス・ド・ギラスはついていけなかった。
バサッ!バサッ!バサッ!
ミカルの繰り出した剣はギラス・ド・ギラスの肩や腕、背中を斬りつけた。
ギラス・ド・ギラスは自らの急所である眉間、喉、鳩尾と後頭部の首の付け根部分を守ることを意識し、ミカルの素速い動きに対応する。
この霊兎はやはり只者ではなかった・・・
ギラス・ド・ギラスはこの目の前にいる鈍色の霊兎の太刀さばきに驚き、油断したら殺られると思った。
ミカルはミカルでギラス・ド・ギラスの隙のなさに驚いていた。
なんて爬神だ・・・懐に入ることができない・・・
ミカルは疲れていた。
万全の状態なら賭けに出ることもできるが、それには無理があった。
今のミカルを支えているのは気力だけだった。
疲れてさえいなければ・・・
ミカルは目の前の爬神にどう立ち向かえばいいのかわからなくなる。
ミカルのその一瞬の迷いを見逃さず、
「ギィエエエ!」
ギラス・ド・ギラスが襲いかかった。
ブオン!
ミカルはそれを躱そうと後ろに跳ぶが、その判断が遅れたために、ギラス・ド・ギラスの水平に繰り出した太刀をまともに受けてしまう。
ガキーンッ!
「ぐっ!」
ミカルの体は弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「ぐっ」
ミカルは瞬間的に息ができなくなるが、ギラス・ド・ギラスが襲い来る前にと、何も考えずに立ち上がって剣を構える。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
やはり武官ともなれば並みの爬神とはわけが違う・・・
ミカルはぎゅっと剣を握る手に力を込めた。
「お前は逃がさんぞ」
ギラス・ド・ギラスはそう吐き捨て、ミカルに襲いかかる。
「ギィエエ!」
ブォン!
その頃、ドゴレはガギラ・ド・ガギラの攻撃に防戦一方だった。
ブオン!ブオン!
ガギラ・ド・ガギラの振り回す剣が空を斬る。
こんな物凄い太刀をまともに受けたら、間違いなく体を壊してしまう。
ならば、第二陣が投入されるまで逃げ切るしかない・・・
ドゴレは自分に残された体力を考え、守りを優先しながら、一撃で仕留めるチャンスを狙うことにした。
ドゴレは精神を集中させ、ガギラ・ド・ガギラとの距離を取り、太刀を躱し続けた。
ブオン!ブオン!ブオン!ブオン!
「忌々しい野郎め!」
ガギラ・ド・ガギラはドゴレをなかなか捉えられないことに業を煮やし、剣を鞘に収めると素手で掴みにかかった。
ブン!
その手を、ドゴレは屈んで躱し懐に入ろうとするが、ガギラ・ド・ガギラは繰り出した手と反対の手を胸の前に置いて、しっかりと急所を守っていた。
ガギラ・ド・ガギラに隙はなかった。
ブン!ブン!ブン!ブン!
ガギラ・ド・ガギラは右手と左手を交互に繰り出し、ドゴレを掴みにかかる。
「掴まるか!」
ドゴレは屈んでそれを躱し、右に跳び、左に跳び、ガギラ・ド・ガギラの脇を滑って背後に回り込み、必死に迫りくる手から逃げ続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
ドゴレの息が切れ、体力の限界が近づいてくる。
肩で息をし、ふらふらと立つドゴレを見て、
「遊びは終わりだ」
ガギラ・ド・ガギラはそう言って仁王立ちに立った。
それと時を同じくして、
「ギィエ!」
ギラス・ド・ギラスはミカルを追い詰めていた。
ブオン!
ギラス・ド・ギラスの振り下ろした太刀をミカルは横に跳んで躱すが、すぐに次の太刀が飛んでくると、
ガキーンッ!
ミカルはそれをまともに受け、
「ぐあっ!」
弾き飛ばされてしまう。
ミカルは体のバランスを崩しながら着地し、
グギッ!
足を挫いて地面を転がった。
「くそっ・・・」
そこにギラス・ド・ギラスが襲いかかる。
ミカルは咄嗟に立ち上がるが、
ズキッ!
足首に痛みが走り、よろめいてしまう。
「まだまだ!」
ミカルは痛みに顔をしかめながらも、しっかりと立って剣を構えた。
「お前はもう終わりだ」
ギラス・ド・ギラスはミカルが動けないのを見てニヤリと笑うと、ゆっくりと剣を振り上げた。
そのときだった。
カーン、カーン、カーン・・・
広場中に教会の鐘の音が鳴り響いた。
その鐘の音に、ギラス・ド・ギラスの動きが止まる。
「何事だ!」
ギラス・ド・ギラスは広場をキョロキョロと見渡して状況を把握しようとする。
それは、第二陣突入を知らせる鐘の音だった。
その鐘の音に、ミカルは心底安堵した。
最後の踏ん張りだ・・・
ミカルは剣を構えたまま、じっとギラス・ド・ギラスを睨み続けた。
カーン、カーン、カーン・・・
「なんだ?」
その鐘の音に、今にもドゴレに襲いかかろうとしていたガギラ・ド・ガギラの動きも止まる。
カーン、カーン、カーン・・・
教会の鐘の音が広場に鳴り響く中、
「わぁぁああ!」
「わぁあああ!」
突然大きな喊声が聞こえてきて、
ドドド・・・ドドド・・・
地響きと共に、広場の東口と西口から大勢の護衛隊隊士が雪崩れ込んで来たのだった。
霊兎はまだこんなにいたのか・・・
ギラス・ド・ギラスとガギラ・ド・ガギラは唖然としてその様子を見つめていた。
いつの間にか、広場の周りの建物の屋根には無数の茜色の旗がはためき、広場が護衛隊に囲まれていることを知る。
まずいぞ・・・
ガキラ・ド・ガギラの顔から血の気が引いていく。
するとどこからか、
「ギィアウヲオオオーーー、ギィアウヲオオオーーー!」
広場全体に響く爬神の咆哮が聞こえてきた。
その咆哮に、ギラス・ド・ギラス、ガギラ・ド・ガギラの二人は顔色を変え、
「ギィアウヲオオオーーー、ギィアウヲオオオーーー!」
と、同じように天に向かって咆哮を始めた。
神兵たちに動揺が走る。
ギラス・ド・ギラスはミカルの存在を忘れ、ガギラ・ド・ガギラの眼中にドゴレはいなかった。
ギラス・ド・ギラスとガギラ・ド・ガギラは広場全体を見渡し、
「撤退だ!」
そう叫ぶと、広場の南口に向かって移動を始めた。
ズダンッ、ズダンッ、ズダンッ・・・
「ふぅ・・」
ミカルは大きく息を吐いて胸を撫で下ろし、
「たすかった・・・」
ドゴレはそう呟くと、ふらふらとした足取りでミカルの元へ向かった。