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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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一六九 ミカルの怒り


 トン・トン・トトン・トン・トン・・・


 ピィ〜・ピピ・ピィ〜・ピ・ヒョロヒョロロ〜・・・


 音楽に合わせて生贄の柩の周りを舞う踊り子の姿は晴天の青空の下優雅で美しい。


 各都市の護衛隊隊長たちは統治兎神官(としんかん)の後ろに立ち、踊り子たちの踊りを眺めていた。


 爬神族を称える舞が終わると、各都市の統治兎神官によって服従の宣言がされ、背信者たちが舞台上に並べられることになっている。


 そのときの最初の銅鑼の音が戦闘の始まりの合図だった。


 隊士たちは緊張した面持ちでその時が来るのを待っていた。


 トン・トン・トトン・トン・トン・・・


 ピィ〜・ピピ・ピィ〜・ピ・ヒョロヒョロロ〜・・・


 その時は刻一刻と迫ってくる。


 広場北側に整列する護衛隊は、今までに感じたことのない緊張感に包まれていた。


 ミカルは高位兎神官であるマサクの後ろに立ち、踊り子の向こうに見える爬武官の様子を窺っていた。


 爬武官は濃緑、黒、そして赤色の肌をしていて、緑色の肌をした神兵たちとはまったく違う異様な気を放っているのがわかる。


 険しい表情のミカルの視線の先には赤の爬神がいた。


 その赤の爬神はラドリアの惨劇においてナイとハウルを惨殺した、当時は濃緑の肌色をした爬神だった。


 今や最高爬武官にまで昇りつめたその爬神が身に(まと)う冷酷なオーラに、ミカルはゾッとした。


 ここで私が怯んではならない・・・


 ミカルはそう自分に言い聞かせる。


 ミカルはふと右側から視線を感じて目を向けると、イスタルの隊士たちの先頭に立つドゴレと目が合った。


 ドゴレは強張った面持ちをしていて、ミカルと同じ様に爬武官から漂うただならぬ殺気に身構え、緊張しているようだった。


 ドゴレはミカルと目が合うと微かな笑みを浮かべて頷き、それから真顔になって口を一文字に引き結んだ。


 ミカルは自信に満ちた眼差しで頷き返す。


 いよいよだ・・・


 ミカルが自分に気合いを入れ、踊り子の舞いに視線を戻したそのときだった。


 ギィアウォオー!


 どこか遠くから、得体の知れない生き物の咆哮が聞こえてきた。


 ミカルがドゴレに目をやると、ドゴレは声のした方角を見上げキョロキョロしていた。


 それからミカルはラドリアの左隣に並ぶボルデンのユラジに視線を向け、その様子を確かめた。


 ユラジは鋭い目つきで少し俯きがちにしていて、声のした方角に向かって耳を澄ませているように見えた。


 ギィアウォオー!


 その咆哮は間違いなく近づいてくる。


 ミカルは後方の空を見上げた。


「おお・・」


 ミカルはそれを見て言葉を失う。


 ミカルの目に映ったのは、黒錆色の巨大な生き物が広場に向かって飛んでくる姿だった。


 ざわざわ・・・


 広場にざわめきが起こる。


 ミカルは我に返ると、


「マサク様」


 後方の空を見上げ怯えているマサクに声をかけた。


「マサク様、お逃げください」


 ミカルはそう耳打ちをし、その背中を押すようにしてマサクを急がせた。


 マサクは従者を連れ、教会施設へ足早に引き上げていく。


 他の都市の護衛隊隊長たちもそれぞれに兎神官たちを避難させていた。


 ギィアウォオー!


 ブァサ、ブァサ・・・


 三つ目の巨大なドラゴンは広場上空を旋回した。


 護衛隊の隊士たちは明らかに動揺していた。


「恐れるな!」


 ミカルはそう叫ぶが、騒然とした広場の中でその声は掻き消されてしまう。


 まずい・・・


 このまま戦闘になったら神兵たちの餌食になるだけだ。


 ミカルの顔に焦りの色が浮かぶ。


 ギィアウォオー!


 ドラゴンは広場上空を旋回しながら、広場の霊兎たちを物色しているようにも見える。


 ドラゴンの赤銅色に光る三つの目が不気味で恐ろしい。


 ざわざわ・・・


 広場はざわめき、隊士たちから戦意が失われていく。


 ドラゴンは鋭い牙を剥き出しにした口から火炎を放射した。


 ビシャーッ!


「おお・・・」


 恐れ(おのの)く隊士たち。


 ラドリアの左側に整列するボルデンでは、


「落ち着け!」


 ユラジが隊士たちを叱り飛ばし、右側に整列するイスタルではドゴレが隊士たちを睨みつけ、落ち着けるタイミングを計っていた。


 各都市の隊長たちは戦意を喪失する隊士たちをそれぞれのやり方で鼓舞しようとするのだが、上空を旋回するドラゴンを前にしては為す術がなかった。


 なぜ服従の儀式にドラゴンを・・・


 ミカルはじっとドラゴンを見つめる。


 ドラゴンが現れたということは何かあるはずだ・・・


 ミカルがドラゴンの動きを観察していると、ドラゴンは明らかに生贄の柩を意識して旋回していることがわかった。


 ドラゴンの狙いは生贄の柩なのか・・・しかし、なぜわざわざドラゴンが・・・


 ミカルが生贄の柩に目を向けると、生贄の柩の向こう側に見えるはずの爬神官の姿が見えなかった。


 爬神官がいない?どういうことだ・・・


 ミカルは考える。


 爬神官にとって、すでに儀式は終わったということか・・・


 ミカルはそれを疑問に思いながら舞台の向こう側に立ち並ぶ神兵たちに目を向ける。


 すると、神兵たちは動揺する隊士たちを嘲るように見ながら、右肩を微かに前に出すような姿勢になっているのがわかった。


 それはいつでも剣を抜いて襲いかかれる体勢に見えた。


 まさか・・・


 ミカルは神兵たちのその様子にピンと来るものがあった。


 ドラゴンは生贄の柩を奪いに来たのだ。


 そして、ドラゴンが生贄の柩を奪い去ったら、爬神軍は我々に襲いかかるつもりなのだ。


 ミカルの顔から血の気が引いていく。


 隊士たちが動揺しているこの状況において、爬神軍が一斉に襲いかかってきたら・・・


 そう考えると恐ろしかった。


 ギィアウォオー!


 ざわざわ・・・


 生贄の柩の両脇に二人の神兵が立ち、ドラゴンの様子を窺っている。


 なんとかしなければ・・・


 ミカルはそう思うだけで、どうすることもできない。


 二人の神兵が生贄の柩に手を伸ばした、そのときだった。


 中央通路から突然隊士の恰好をした白髪(しろかみ)の娘が飛び出し、生贄の柩に手を伸ばした二人の神兵に斬りかかったのだ。


 さらに、驚くミカルの目の前で、白髪の娘はその二人の神兵をあっという間に斬り殺したのだった。


「なっ・・・」


 ミカルは驚きのあまり言葉を失ってしまう。


 その白髪の娘は見覚えのある娘で、生贄の柩に眠るシールの妹のマーヤだった。


 ミカルはダレロから姉妹のことは聞いていて、二人の剣術の腕前が並の隊士より上だということは知っていた。しかし、いくらなんでもこの場面で現れることなど、誰が想像できようか。


 マーヤは見事な太刀さばきで二人の神兵を斬り殺すと、生贄の柩を背にし、爬武官二人の前に立ちはだかって剣を構えた。


「おお・・」


 隊士たちは白髪の隊士の登場に驚き、目を見張る。


 そしてその白髪の隊士が隊士の恰好をした若い娘だと気づいてさらに驚いた。


「な、なんで・・・」


「どういうことだ・・・」


「この娘は一体何者だ・・・」


 隊士たちからそんな声が漏れる。


 隊士たちの視線が注がれる中、黒の爬神がマーヤの前に踏み出し、剣を抜いた。


 マーヤは怯まず黒の爬神を睨みつける。


 黒の爬神を相手に一人で立ち向かうのは自殺行為だ。


 だからといって、この娘を助けることはできない・・・


 ミカルは飛び出したい気持ちをぐっと(こら)える。


 生贄の柩を守らなければならないのは我々だ。この娘の仕事ではない。


 それはわかっている。


 しかし、隊士たちが戦意を喪失した状態で戦闘を開始するわけにはいかなかった。


 そうでなくても、ドラゴンが上空にいる状態で戦闘を始めれば、ドラゴンによって広場の護衛隊は殲滅させられてしまうだろう。


 ミカルがすべきことは、ドラゴンが去るのを待って隊士たちを落ち着けることだった。


 黒の爬神はマーヤに太刀を繰り出し、マーヤはしなやかにそれを躱す。


 ミカルは祈るような気持ちでマーヤを見つめていた。


 巨大な爬神に立ち向かうマーヤの姿は隊士たちの目を釘付けにしていた。


「あっ!」


 隊士たちの口から悲鳴にも似た声が上がる。


 マーヤが足を滑らせ体勢を崩したのだ。


 その一瞬を見逃さず黒の爬神が剣を振り下ろすと、それをまともに受けたマーヤは後方に飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。


 それでもマーヤは立ち上がり、黒の爬神に向かって剣を構える。


 そのマーヤの姿を、隊士たちは食い入るように見つめていた。


 ドラゴンの存在を忘れるほどに、隊士たちの視線はマーヤに釘付けになっていた。


 そのとき、


 ギィアウォオー!


 ドラゴンが咆哮し、


 ブァサ、ブァサ・・・


 生贄の柩に向かって降下を始めると、いつの間にか、生贄の柩の両脇に立っていた二人の神兵が生贄の柩をドラゴンに向けて掲げていた。


 ドラゴンの咆哮に隊士たちはどよめき、降下してくるドラゴンに恐れ(おのの)いた。


 ミカルは忸怩たる思いでドラゴンを見つめるしかなかった。


 しかし、マーヤは諦めなかった。


 マーヤは黒の爬神の脇を擦り抜け柩を掲げる神兵に斬りかかる。


 ミカルはそのマーヤのひたむきな姿に胸が締め付けられる。


 いくら血を分けた姉のためとはいえ、なぜそこまでできる・・・


 ミカルの目に映るマーヤは明らかに無茶な戦いをしていた。


 しかし、その姿こそ、隊士たちが見習わなければならない姿だと思った。


 マーヤには愛する者のために、自らの命を顧みず戦う強い意志があった。


 私はこの娘を助けようとしなかったことを、一生悔やむことになるだろう・・・


 ミカルは自分に対する怒りに歯を食いしばりながら、この気高き娘の姿を目に焼き付けようと思った。


「させるか!」


 赤の爬神に背中を斬られ、マーヤは地面に叩きつけられた。


「ああ・・」


 隊士たちから落胆の声が上がり、


 すまない・・・


 ミカルは為す術のない歯痒さに、その顔を苦しげに歪めるのだった。


 赤の爬神はマーヤを左手で鷲掴みにすると、胸の高さに持ち上げた。


 ギィアウォオー!


 ドラゴンは生贄の柩をがっちりと掴み、広場に土煙を巻き起こしながら空高く舞い上がると北西の空に飛び去っていった。


 マーヤは赤の爬神の手の中でぐったりとして動かない。


 そのとき、


「やめろぉおおおおおお!」


 叫び声がした。


 視線を向けると、そこに舞台の上を必死に走ってくる赤褐色の霊兎の姿があった。


「タヌ・・・」


 それは間違いなく、(たくま)しく成長したタヌの姿だった。


 そしてタヌの後ろに銀色の霊兎の姿があった。


「ラウル・・・」


 ラウルも逞しい大人に成長していた。


 ミカルの知るタヌはまだ赤毛の子供で、ラウルは薄灰髪の子供だった。


 しかし、今目に映る二人は逞しく、ラドリアの惨劇で見たあのナイとハウルの姿に重なって見える。


 あの日見たナイとハウルの姿が、鮮明にミカルの目に蘇ってくる。


 恐れを知らぬその姿。そしてその凄まじい死に様。


 ミカルはあのとき受けた衝撃を思い出し、胸を震わせた。


 赤の爬神はマーヤの頭部を右手で鷲掴みにし、その体から引き千切った。


 その躊躇のない残酷さ。


 隊士たちは息を呑み、爬神の恐ろしさに身を固くする。


「まぁああやぁあああああ!」


 マーヤの死を目の当たりにして、タヌは舞台の上で慟哭した。


 タヌ、すまない・・・


 ミカルはただ心の中で謝罪するしかなかった。


 ピィーーーーッ!


 どこからか笛の音が聞こえてくると、タヌは我に返ったように立ち上がり、剣を抜いて広場中央に向かって歩き出した。


 そして、舞台の端までいくと迷わず赤の爬神に斬りかかった。


 お前の実力をみせてもらうぞ・・・


 ミカルは心の中でそう呟き、じっとタヌを見つめた。


 不思議とタヌを心配する気持ちはなかった。


 赤の爬神に斬りかかったタヌに黒の爬神が襲いかかる。


「ギィエエエ!」


 ブオン!ブオン!ブオン!


 黒の爬神から繰り出される剣を、タヌは俯いたまま見もせずにゆらゆらと躱した。


 これに隊士たちは驚いた。


「どうやって躱しているんだ・・・」


 隊士たちから感嘆の声が漏れる。


 黒の爬神は必死に剣を繰り出しているのにタヌには掠りもしなかった。


 黒の爬神は焦り、タヌはまったく悠然として見える。


 タヌのその姿は間違いなく、隊士たちに勇気と力を与えていた。


 さらに、舞台の東と西の両端から茜色のバンダナを左腕に巻いた霊兎たちが現れ、タヌを見守るように舞台の上に颯爽(さっそう)と立ち並んだのだった。


 爬神軍を目の前にして堂々と立つその恐れを知らない霊兎たちの姿に、隊士たちは何事かと驚き目を見張ったが、すぐにそれがラビッツだと気づいて感動した。


「これがあのラビッツか・・・」


 その勇姿を目の当たりにし、隊士たちから恐怖心が消えていく。


 ミカルはそれを感じ取り、右側のイスタルにいるドゴレと、左側にいるボルデンのユラジに目配せをした。


 ドゴレとユラジはそれぞれに笑みを浮かべてミカルに頷き返した。


「ギィェエエエ!」


 黒の爬神が全身全霊の一撃をタヌに浴びせると、タヌはそれを躱して跳び上がり、その頭上から眉間をめがけて剣を振り下ろした。


 バサッ!


 その鮮やかな身ごなしに、


「おお!」


 広場の隊士たちから驚きの声が上がる。


 黒の爬神は眉間に太刀を受けると、崩れ落ちるようにしてうつ伏せに倒れ、絶命した。


 そして、タヌは舞台上のラビッツの存在に気づくと、空に向かって咆哮した。


「うぉおおおおおお!」


 その悲痛な叫びは広場にいるすべての隊士たちの心を揺さぶった。


 そして、ミカルの魂が震えた。


 腹の底から沸々とした怒りのようなものが込み上げてくる。


 タヌの叫びに応えるように、ラビッツの霊兎たちは天に向かって剣を突き上げ、


「おおおーー!」


 と雄叫びを上げた。


 そして、それは自然に起こった。


 広場の隊士たちの全員がタヌの叫びに応え、


「おおおーー!」


 一斉に雄叫びを上げ、剣を抜いて天に突き上げたのだ。


 これで行ける!・・・


 ミカルも雄叫びを上げ、剣を天に突き上げた。


「行くぞぉおお!」


 タヌはそう叫びながら爬神軍に向かっていき、


「わぁあああああ!」


 ラビッツの霊兎たちも雄叫びを上げながら舞台から飛び降り、爬神軍に向かって突進した。


 ミカルの胸に熱いものが込み上げてくる。


 ミカルは隊士たちに振り返ると、


「霊兎族に誇りを!」


 と叫び、鬼の形相で爬神軍めがけ駆け出していた。


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