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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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一六七 アクの恐怖心


 カーン、カーン、カーン・・・


 教会の鐘の音が響き渡る。


 アクは生贄の柩を先導し、教会堂から広場中央まで真っ直ぐに伸びる通路をゆっくりと歩く。生贄の柩は頑丈に作られた大きな木棺で、その中に、聖水によって清められたシールが眠っている。


 生贄の柩は八人の隊士によって肩に担がれ運ばれていく。


 カーン、カーン、カーン・・・


 教会の鐘の音に合わせるように、ゆっくりと生贄の柩は広場中央へ向かう。


 カーン、カーン、カーン・・・


 アクは厳かな雰囲気を(かも)し出しながら歩を進め、広場の中心に置かれた生贄の柩用の台の前まで来ると静かに立ち止まった。


 生贄の柩が載せられる台の高さはアクの背の高さほどで、その台を中心にして東と西に伸びる背信者用の舞台が作られているのだが、生贄の柩用の台と舞台はどちらも下が空いているため、向こう側で整列している爬神(はじん)軍の足元までしっかりと確認できるのだった。


 アクの正面、向こう側に椅子に座る爬神官(はしんかん)がいて、その両脇に黄色の肌をした従者が爬神官と同じように一枚布をまとった恰好で立っているのが見える。そして、従者の外側には赤の爬神と黒の爬神が立っているのだった。


 爬神は巨大で、その迫力は圧倒的だ。


 アクはステラ・ゴ・ステラに最敬礼してから、生贄の柩を担ぐ隊士たちに振り返り、


「生贄を捧げよ!」


 そう声を張り上げた。


 アクの目に映る爬神官、そして爬武官(はぶかん)の様子は献上の儀式で見るものとは明らかに違っていた。


 どこかこの儀式自体をせせら笑うような、そんな態度に見えた。


 服従の儀式だから当然なのかも知れない。


 しかし、それでも違和感のようなものを感じずにはいられなかった。その違和感が何なのか、それは言葉でうまく説明できるものではなかったが、従者の隣に立つ赤の爬神の口元に浮かぶ笑みと、その冷酷な目つきには背筋がゾクゾクッと寒くなるのだった。


 隊士たちは生贄の柩を掲げるようにして持ち上げ、ゆっくりと台の上を通しながら進んで定位置につくと、それを担ぎ棒のついた板ごと台の上に置いた。


 台の高さは隊士たちの背より高かったが、それは神兵(しんぺい)の腰の高さほどでしかなかった。


 それぐらい爬神は大きく、舞台の向こう側に整列する神兵たちの放つ威圧感は尋常ではなかった。


 生贄の柩が台の上に置かれると、アクは緊張の面持ちでステラ・ゴ・ステラに一礼し、教会堂入り口前の持ち場へ引き上げた。


 アクは教会堂の入り口の階段下でコンクリを守るようにして立ち、広場中央に向かって背筋を伸ばした堂々とした姿勢で儀式を見守った。


 そのアクの両側には親衛隊の隊士たちが教会堂を守るように立っていて、広場の様子をじっと見つめているのだった。


 教会の鐘の音が鳴り止み、広場に静けさが訪れると、教会堂の後ろから笛と太鼓の楽団と八名の踊り子が現れ、生贄の柩を囲んで爬神族を称える舞が披露された。


 トン・トン・トトン・トン・トン・・・


 ピィ〜・ピピ・ピィ〜・ピ・ヒョロヒョロロ〜・・・


 音楽に合わせ生贄の柩の周りを舞う踊り子の姿は晴天の青空の下優雅で美しい。


 アクは生贄の柩をじっと見つめていた。


—眠ったままでは霊力が弱まっているため、そのままドラゴンに捧げられることはない。眠っているシールを〝生命の水〟で目覚めさせ、霊力が高まるのを待ってドラゴンに捧げられるのだ。


 アクはコンクリのその言葉を思い出していた。


 アクの目に浮かぶのは、柩の中で安らかに眠るシールの寝顔だった。


 アクは今まで感じたことのない悲しみの感情に胸が()め付けられる。


「シール・・・」


 アクは無意識にそう(つぶや)いていた。


 それが自分らしくないことに気づいて、アクは頭を振って苦笑いを浮かべると、ふーっと長い息を吐き、広場中央で生贄の柩の周りを優雅に踊る踊り子の舞に目を向けた。


 儀式は粛々と行われ、それを見つめるアクの顔は親衛隊隊長の顔になっていた。


 無事終わるといいが・・・


 アクは赤の爬神のあの冷たい眼差しと口元に浮かぶ笑みが気になっていた。


 あの顔は何か企んでる顔だ・・・


 アクは赤の爬神の様子を確かめようと目を()らす。


 そのとき、


 ギィアウォオー!


 北西の空遠くから、得体の知れない生き物の咆哮らしき鳴き声が聞こえてきて、


 ざわざわ・・・


 広場がざわついた。


 アクも驚いてキョロキョロと空を見上げる。


 空は青空で、いつもの空でしかない。


 しかし、


 ギィアウォオー!


 咆哮は間違いなく近づいてくる。


 親衛隊の隊士たちも動揺してソワソワし始めた。


 アクは得体の知れない恐怖を覚えた。


 ギィアウォオー!


 そして、空を見上げるアクの目の前に、三つ目のドラゴンの巨大な姿が現れた。


 ブァサ、ブァサ・・・


 ドラゴンはその大きな翼を羽ばたかせ、広場上空を旋回した。


「ドラゴンだ!」


 親衛隊の隊士たちは驚きの声を上げ、ドラゴンの姿に目を奪われたまま固まってしまう。


 ギィアウォオー!


 ドラゴンは黒錆色の鋼のような体をくねらせるように両翼を羽ばたかせ、長く太い首に支えられた頭部に生える二本の角と、赤銅色に鈍く光る鋭い三つの目で広場の隊士たちを震え上がらせた。


「これが・・・これがドラゴンか・・・」


 アクは自分の体が恐怖に震えているのを感じ、ぎゅっと両手の拳を握り締める。


「きゃぁー」


 踊り子たちは踊るのをやめ、悲鳴を上げながら通路を教会に向かって逃げてくる。


 ざわざわ・・・


 広場は騒然とし、


 ギィアウォオー!


 ドラゴンはその口から火炎を放射した。


 ビシャーッ!


「おお・・・」


 広場にどよめきが起こる。


 アクが広場の光景に気を取られていると、


「なに?」


 広場の騒然とした空気の中、アクの目に中央通路を生贄の柩に向かって駆けていく隊士の姿が飛び込んできた。


 アクは恐れを知らないその隊士の行動に驚いた。


「誰だ・・・」


 アクは目を細めてその姿を確かめる。


「あれは・・・」


 その隊士は、シールの妹のマーヤだった。


 広場の隊士たちはドラゴンに気を取られ、マーヤに気づいていない。


 止めなければ・・・


 アクはそう思うが、体は動かない。


 ギィアウォオー!


 ビクッ!


 ドラゴンの咆哮に体がビクついた。


 湧き起こる恐怖。


 体は萎縮し、


「くそっ」


 アクは苦々しくそう吐き捨てることしかできなかった。


 ギィアウォオー!


 ざわざわ・・・


 隊士たちの動揺を神兵たちは嘲るように眺めている。


 そうした中、爬神軍の列から二人の神兵が歩み出て、生贄の柩の両脇に立って空を見上げた。


 ギィアウォオー!


 ざわざわ・・・


 二人の神兵は生贄の柩に手を伸ばす。


 そのとき、生贄の柩に辿(たど)り着いたマーヤが神兵に斬りかかったのだった。


「ダメだ!」


 アクは思わず声を上げた。


 殺される!と思ったが、実際にアクが見たのは、二人の屈強な神兵を見事な剣さばきで倒すマーヤの姿だった。


 マーヤのその恐れを知らぬ行動にアクは愕然とした。


「こんなことが許されるのか・・・」


 力が支配するこの世界において、ドラゴンを崇拝し、爬神族を(あが)めてきたアクにとって、マーヤのとった行動は信じられないものだった。


 そして、ドラゴンに恐怖し、マーヤの行動に驚愕している自分自身の心と体に、どれだけ爬神教の教えが染み付いているのかを思い知らされるのだった。


 力こそすべて。


 ドラゴンを崇拝し、絶対的な存在である爬神族に従順に従うこと。


 今までの自分の行い、そしてその信念は間違っていた。


 しかし、それに気づいたとしてもなお、長い時間をかけて染み付いたものから自由になることは難しい。


 アクはそれを実感しているのだった。


 マーヤの前に黒の爬神が踏み出し、剣を抜いた。


 黒の爬神はマーヤに太刀を繰り出し、マーヤはしなやかにそれを(かわ)す。


 まさかマーヤがこれほどまでやれるとは思っていなかった。


 アクはマーヤのその姿を目に焼き付けるように見つめ、そのアクの視線の先で、体勢を崩したマーヤに黒の爬神が一撃を食らわせ、それをまともに受けたマーヤは後方に飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。


 それでもマーヤは立ち上がり、爬神に向かって剣を構える。


 なんて女だ・・・


 ギィアウォオー!


 ブァサ、ブァサ・・・


 ドラゴンが生贄の柩に向かって降下するのが見えた。


 二人の神兵が生贄の柩をドラゴンに向かって掲げると、マーヤは黒の爬神の脇を()り抜けて柩を掲げる神兵に斬りかかり、そして、赤の爬神に斬られたのだった。


 マーヤは地面に叩きつけられ起き上がれない。


 立て、逃げろ・・・


 アクはただ祈ることしかできなかった。


 マーヤを斬った赤の爬神はマーヤを左手で鷲掴みにし、胸の高さに持ち上げた。


 くっ・・・


 ギィアウォオー!


 ドラゴンは広場に土煙を巻き起こしながら空高く舞い上がり、生贄の柩と共に北西の空に飛び去っていく。


 マーヤは赤の爬神の手の中でぐったりとして動かない。


 そんなマーヤの頭部を、赤の爬神は右手で鷲掴みにした。


 アクは顔を引きつらせ、


「やめろ・・・」


 そんな声を漏らしていた。


 すると、


「やめろぉおおおおおお!」


 どこからか悲痛な叫び声が聞こえてきた。


 その叫び声にはっとして広場を見渡すと、アクは西側の舞台の上にタヌの姿を見つけたのだった。


 そしてその後ろにラウルの姿も見え、舞台東側にはあの亜麻色の霊兎(れいと)の姿もあった。


「あいつらがなんで、ここに・・・」


 アクは茜色のバンダナを左腕に巻いた三人の姿に、あの茶髪の娘を思い出していた。マーヤの元へ走る三人の姿が、仲間のために命を捨てたあの娘の姿に重なって見えたのだ。


 赤の爬神はマーヤの頭部をその体から引き千切り、


「まぁあやぁあああああ!」


 タヌの嘆きの声が聞こえてくる。


 その叫びは、教会堂の前に立つアクの心をも揺さぶっていた。


 仲間を想う心。人を愛する想い。


 アクは目の前で繰り広げられている光景に目を奪われ、息を呑む。


 ピィーーーーッ!


 どこからか笛の音が聞こえ、その笛の音をきっかけにタヌは立ち上がると、剣を抜いて広場中央に向かって歩き出した。


 舞台上にいるラウルと亜麻色の霊兎はじっとタヌを見守っていて、アクはじっとその光景を見つめているのだった。


 タヌは赤の爬神に斬りかかったが、黒の爬神がその邪魔をした。


 黒の爬神がタヌに襲いかかり、タヌはその爬神から繰り出される太刀を(うつむ)いたまま見もせずに、ゆらゆらとしなやかな身ごなしで躱すのだった。


 これにアクは驚いた。


 なんて奴だ・・・


 そのタヌの姿にアクは見惚れていた。


 黒の爬神は必死に剣を繰り出しているのに、タヌには(かす)りもしない。


 広場は静まり返り、タヌと黒の爬神の戦いに護衛隊の隊士たちだけでなく、神兵たちも釘付けになっていた。タヌのその姿に隊士たちは間違いなく勇気と力を与えられていたし、それはアクも同じだった。


 アクはタヌの姿に感動していた。


 いつの間にかアクから恐怖心が消えていた。


 そこに、舞台の東と西の両端から、茜色のバンダナを左腕に巻いた霊兎たちが現れ、タヌを見守るように舞台上に立ち並んだのだった。


 アクはその茜色のバンダナを巻いた霊兎たちの勇姿に全身が痺れるような感覚に包まれ、心の奥底から不思議な力が湧いてくるのを感じた。


「こいつらがラビッツか・・・」


 アクの胸が熱くなる。


「ギィェエエエ!」


 黒の爬神がタヌに向かって凄まじい勢いで剣を振り下ろした。


 タヌはその一撃を躱すと黒の爬神の頭上高く跳び上がり、その眉間(みけん)に向かって剣を振り下ろす。


 見事な・・・


 アクにはタヌのその姿が眩しく見えた。


 黒の爬神は眉間を斬り裂かれ、うつ伏せに倒れて絶命し、タヌは舞台上のラビッツのメンバーに気づくと、空に向かって咆哮した。


「うぉおおおおおお!」


 タヌの悲痛な叫び声。


「おおおーー!」


 ラビッツの霊兎たちは天に向かって剣を突き上げ雄叫(おたけ)びを上げる。


 タヌのその魂の叫びに、広場にいる護衛隊隊士たちの魂は揺さぶられた。


「おおおーー!」


 隊士たち全員が一斉に雄叫びを上げ、剣を抜いて天に突き上げた。


「おおおーー!」


 気づいたらアクも剣を抜き、天に突き上げ雄叫びを上げていた。


「おおおーー!」


 親衛隊の隊士たちも剣を抜き、雄叫びを上げる。


「行くぞぉおおお!」


 タヌが爬神軍に向かって突進すると、


「わぁあああああ!」


 ラビッツの霊兎たちも雄叫びを上げながら舞台から飛び降り、爬神軍に向かっていった。


 そして、ラドリアの護衛隊が爬神軍に向かって駆け出し、他の都市の護衛隊もそれに続いて一斉に突撃を開始した。


 ガシャッ!ガシャッ!ガシャッ!


 剣と剣がぶつかる音が広場中に響き渡り、戦闘が始まった。


 アクは左右に立つ隊士たちの様子を窺う。


 すると、隊士たちは皆アクに笑みを浮かべ(うなず)いた。


 不思議な事だが、誰もコンクリの存在を意識していなかった。


 というより、もうコンクリなんてどうでも良かったのかも知れない。


 アクは不敵な笑みを浮かべると、


「我々も行くぞぉおおおお!」


 と叫び、爬神軍めがけ駆け出していた。


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