一六四 タヌ、おかえり
「お姉ちゃんは、渡さない・・・」
マーヤは生贄の柩を背にし、赤の爬神と黒の爬神の前に立ちはだかった。
どんなことがあってもお姉ちゃんを渡すわけにはいかない・・・
巨大な壁のような二人の爬神を前に、マーヤはギュッと剣を握る手に力を込める。
黒の爬神は赤の爬神に何かを告げると、マーヤの前に一歩踏み出し剣を抜いた。
その剣の大きさ、その迫力にマーヤは息を呑む。
「どけ!」
黒の爬神はそう怒鳴ってマーヤに斬りかかった。
ブォン!
黒の爬神の振り下ろした太刀をマーヤは横に跳び退いて躱す。
まともに受け止めるのは危険だ。
ブォン!カシッ!カシッ!
黒の爬神の太刀をマーヤは必死に躱し、剣と剣がまともにぶつからないように、受け流すようにして払う。
生贄の柩から離れないようにしながら、マーヤは必死に黒の爬神の隙を探した。
しかし黒の爬神は巨体に似合わない素速い動きでマーヤに太刀を繰り出してくるため、なかなか隙を見つけることができない。
ブォン!
黒の爬神の太刀をマーヤは右に躱すと、少し無理をしてその脇腹めがけて斬りつけた。
バサッ!
固い感触と共に、黒の爬神の脇腹の皮膚が裂け血が流れた。
しかし傷は浅く、そこは爬神にとっての急所でもなかった。
ダメだ・・・
マーヤは心が折れそうになる。
「ギィエッ」
黒の爬神は悲鳴を上げると怒りに任せてマーヤに襲いかかった。
ブォン!ブォン!ブオン!
その凄まじい太刀の連続にマーヤは為す術がない。
「ギィェエエエ!」
ブォンッ!
黒の爬神の渾身の一撃をマーヤは咄嗟に後ろに跳び退いて躱すが、着地の際に足を滑らせ体勢を崩してしまう。
しまった・・・
黒の爬神は間髪入れずマーヤに向かって太刀を繰り出した。
それを躱す余裕はマーヤにはなかった。
ガキーンッ!
マーヤはその太刀をまともに受けると、
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げて後方に飛ばされ、ドンッと背中から地面に叩きつけられた。
「終わりだ」
黒の爬神はそう吐き捨て、生贄の柩を背にしてマーヤに向かって仁王立ちに立った。
終わらせるものか・・・
マーヤは頭を振って意識をはっきりさせると、ふらふらになりながらも立ち上がり、黒の爬神に向かって剣を構えた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
マーヤは肩で息をして黒の爬神を睨みつける。
お姉ちゃんは渡さない。絶対に渡さない・・・
マーヤにあるのは、その一念だけだった。
「トドメを刺してやる」
黒の爬神はそう言うとマーヤを憐れむような笑みを浮かべた。
そのとき、
ギィアウォオー!
ブァサ、ブァサ・・・
ドラゴンが生贄の柩に向かって降下を始め、二人の神兵が急いで生贄の柩の両脇に立つと、ドラゴンに向かって柩を持ち上げその頭上に掲げたのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
マーヤは肩で息をしながらも、降下してくるドラゴンを意識しながら、目の前の黒の爬神の隙を探した。
お姉ちゃん・・・
マーヤは祈るような気持ちだった。
その祈りが通じたのか、黒の爬神は後ろを振り返り、降下してくるドラゴンを見上げた。
今だ!・・・
マーヤはその隙を逃さず、後ろを振り返る黒の爬神の脇を素速く擦り抜けると、
「渡すものか!」
と叫びながら、生贄の柩を掲げる神兵に斬りかかった。
間に合う!・・・
マーヤがそう思った、その瞬間、
「させるか!」
赤の爬神がそう叫んでマーヤを斬りつけたのだった。
ブォン!
あっ・・・
マーヤは体を捻ってそれを躱そうとするが間に合わなかった。
バサッ!
赤の爬神の放った一撃はマーヤの背中を斬った。
「きゃっ」
ドンッ!
マーヤは生贄の柩を掲げる神兵にぶつかって地面に叩きつけられた。
ドサッ!
「お、お姉ちゃん・・・」
マーヤはなんとか起き上がろうとするが体に力が入らない。
マーヤの背中から血が溢れ出し、意識が遠のいていく。
「邪魔は許さん」
赤の爬神はそう言いながら、起き上がろうとするマーヤを左手で鷲掴みにして持ち上げた。
バキッ!
骨が折れる音がして、
「ぎゃっ!」
マーヤは悲鳴を上げ口から血を吐いた。
ギィアウォオー!
マーヤの耳にドラゴンの咆哮と、
「おお・・・」
広場のどよめきが聞こえ、
グワシッ!
ドラゴンが生贄の柩を掴むのがわかった。
ドラゴンは土煙を巻き起こしながら舞い上がり、北西の空に消えていく。
ギィアウォオー!
マーヤは虚ろな意識の中、去りゆくドラゴンの咆哮を絶望的な想いで聞いていた。
お姉ちゃん、ごめんね・・・
今まさに自分が爬神の手の中で殺されようとしているというのに、マーヤにあるのはシールへの申し訳ない気持ちだけだった。
そのときだった。
「マーヤ!」
マーヤは薄れる意識の中で懐かしい声を耳にした。
その声に、マーヤの胸はときめいた。
マーヤは静かに目を開け、力なく声の方に振り向いた。
そして、マーヤのその瞳に映ったのは、大好きなタヌの姿だった。
タヌ・・・
タヌが自分に向かって真っ直ぐに走ってくる。
マーヤの胸はタヌへの想いで溢れ、その目から涙がポロポロこぼれ落ちた。
最期にタヌの姿を見れたことが嬉しかった。
マーヤは幸せそうな笑みを浮かべ、
「タヌ、おかえり・・・」
そう力なく呟くのだった。
そして静かに目を閉じ、ゴリキ・ド・ゴリキの手の中でぐったりとして動かなくなる。