一五六 決戦前のラビッツ
早朝、蛮狼族監視団の偵察に向かったグラン、パパン、テナリから報告を受けると、バケじぃの顔色が変わった。
ヴィルアンの丘で一夜を過ごしたラビッツの霊兎たちはバケじぃを前に整列し、偵察から戻った三人の報告を聞いた。
報告行った三人に、
「それは本当か」
バケじぃが険しい表情で聞き返すと、
「うん。間違いない。爬神軍が東門を塞ぐように整列してるのをこの目でしっかりと見たんだから」
パパンは深刻な表情でそれが事実であることを改めて伝え、
「南門も同じだった」
グランはそう相槌を打ち、
「西門は儀式に参加する神兵もいて、数は多いし殺気立ってるしで恐ろしかった」
テナリは西門の雰囲気をそう伝えた。
ラビッツの霊兎たちの顔が緊張で強張り、
「ううむ」
バケじは唸ってしまう。
みんなの注目がバケじぃに集まる。
「むむむ」
バケじぃは唸り、
ブッ!
屁をこいた。
その緊張感のなさに、
「じじぃ!こんなときに屁こくんじゃねぇ」
ギルがツッコミを入れると、
「バカモン!」
バケじぃはギルを怒鳴りつけ、
「屁なんかこいておらん。お前の気のせいじゃ」
と言い放つのだった。
しかし、バケじぃの近くに立つリーダーたちは皆、鼻をつまんで死にそうな顔をしている。
白目を剥いてわざとらしく死にそうな顔をするリーダーたちを、
「お前ら・・・」
バケじぃは頬をピクピクさせて睨みつけ、
「くっさ!」
ギルはそう言ってしかめっ面をするのだった。
「なんじゃと・・・」
バケじぃがさりげなく辺りの臭いを嗅ごうとすると、
「くっさ!」
「くっさ!」
「くっさ!」
パパンやグラン、キーナまでもがそう言ってしかめっ面をするのだった。
こうなると多勢に無勢だ。
「わしの屁で死ぬわけでもあるまいし、お前たちは大袈裟なんじゃ」
バケじぃは不満顔で文句を言い、
「鼻は曲がったけどな」
ギルはそう言い返す。
すると、そのやり取りが可笑しくて、
「クスクス・・・」
ラビッツの霊兎たちに笑いが起こるのだった。
「それにしても、爬神軍が門を塞いでるって何が目的なのさ」
真っ先にキーナがそう質問した。
「キーナ、いい質問じゃ。爬神軍が門を塞いでいるのは、街から住民を逃がさないためじゃ。おそらく爬神軍はラドリアの住民を皆殺しにするつもりなんじゃろう」
バケじぃがそう答えると、その場に緊張が走った。
「なんだって」
ギルが鋭い目つきでバケじぃを睨むと、
「爬神にとって、そもそも服従の儀式なんてどうでも良かったんじゃろうな」
バケじぃは淡々と告げる。
「どういうこと?」
キーナが聞き返すと、
「もともと爬神は服従の儀式を受け入れるつもりはなかったんじゃろう。爬神の狙いは生贄の霊兎を得ることと、服従の儀式に参加する統治兎神官、および護衛隊隊長をまとめて殺し、さらにはラドリアの住民を皆殺しにすることなんじゃろう」
バケじぃは険しい表情でそう答えて宙を睨んだ。
「住民はいいとして、爬神がそのつもりで来たのなら、厳しい戦いになるね」
キーナは思い詰めた表情で呟き、
「くそっ、腹立つ」
と、ギルは吐き捨てる。
その場に嫌な空気が漂い始めると、
「おもしろいじゃないか」
ラウルが大きな声でそう言い、その場の空気を変えた。
ラウルに注目が集まる。
ラウルはみんなの視線を受け、悪戯っぽく肩をすくめると、
「生贄は渡さないし、あいつらの好きにはさせない。護衛隊も戦う気満々だ。それに何てったって、俺たちラビッツがいるんだぜ。爬神の狙いなんてどうでもいいじゃないか。俺たちの力をみせつけてやろうぜ。爬神がそれだけ多くの兵を連れて来たってことは、ここで奴らを殲滅したら後が楽になるってことだろ」
そう言って不敵な笑みを浮かべるのだった。
なるほど、と誰もが思った。
「ラウルの言う通り、今日頑張れば、その分リザド・シ・リザドでの戦いが楽になる」
タヌは笑顔でその考えに同意した。
ラウルとタヌの余裕のある笑顔と楽観的な態度が、ラビッツの霊兎たちの気持ちを楽にさせた。
ギルはラビッツの霊兎たちに問いかけた。
「この中に、生きて帰ろうなんて思ってた奴いるのか?」
ギルのその問いかけに、ラビッツの霊兎たちはそれぞれに自らの覚悟を思い出し、はっとした顔になる。
「いないな。だったら結果を気にするのはやめようぜ。結果なんて終わってみなきゃわかんねぇんだし。やる前からビビってたら勝てるわけないよな。敵が何人いようが、どれだけ強かろうが、俺たちラビッツは怖れずに立ち向かっていこうぜ!俺たちラビッツの勇姿をみせてやろうぜ!」
ギルが想いを込めて声を張り上げると、ラビッツの霊兎たちの目に力が宿り、その顔から不安や恐れが消えた。
「ギルもたまには良いことを言うものじゃな」
バケじぃは感心しうんうんと頷く。
場の空気が落ち着くと、バケじぃはラビッツの霊兎たちを見渡し、「コホンッ」と咳払いを一つしてから、
「それでは作戦を伝える」
と切り出し、作戦の内容を伝えた。
「ミカルとの打ち合わせでは、護衛隊が戦闘を開始した後、こちらの都合で参戦してよいことになっている。ミカルが我々に求めているのは疲れの見え始めた護衛隊の士気を高め、鼓舞することじゃ。ゆえに、無闇矢鱈に広場に突入するようなことはしない。我々が参戦するタイミングはあくまで護衛隊に勢いをつけるタイミングでなければならん。戦況を見極め、最も効果的なタイミングで参戦するのじゃ」
バケじぃがそこで一息つき、一同を見渡すと、
「なるほど」
グランをはじめ、リーダーたちは納得するように頷いた。
「我々ラビッツは二手に分かれ、教会前広場の東と西から突入する」
バケじぃがそう告げると、
「二手に分けるってどう分けるんだよ」
と、ギルが尋ねた。
「一つはわしとギル、パパンが率い、もう一つはタヌ、ラウル、グランが率いることとする」
バケじぃがそう答えると、
「ちぇっ」
ギルは残念そうに舌打ちをした。
「なんか文句あるか」
バケじぃが睨みつけると、
「ねぇよ」
ギルは拗ねたような返事を返す。
ギルにはタヌ、ラウルと行動を共にしたいという気持ちがあったからだ。
しかしバランスを考えたら、バケじぃの組分けが適切なのは明らかなので反論はしなかった。
「忘れてならないのは、生贄を爬神に渡してはならないということじゃ。生贄を死守するのはわしらの仕事じゃ。生贄を渡してしまったら、ドラゴンに永遠の力を与えてしまうことになる。それだけはどうしても阻止しなければならない」
バケじぃがそう言ってラウルに目をやると、
「生贄は死んでも渡さない」
ラウルは鋭い眼差しでその決意を口にした。
ギルはラウルのその強い眼差しに、シールという娘への想いを感じ、どんなことをしてでも、自分の命にかえても、ラウルを助け、その娘を救い出そうと思った。
そこにはヒーナを守れなかった自分自身に対する許せない想いがあった。
「その生贄についてじゃが、生贄の納められた柩は護衛隊が決起する前に爬神軍に引き渡され、儀式が終わるまでの間広場の外に置かれるということじゃ」
バケじぃがそう説明すると、
「なら、安心して戦える」
ラウルは安堵の笑みを浮かべ、
「そうじゃ。とにかく爬神軍を倒せば、生贄を取り戻すことができる。だから、思う存分戦うんじゃ」
バケじぃはそう言ってラウルを励まし、それから整列する一同に目を向け、
「わかったな!」
と喝を入れ、
「はい!」
ラビッツの面々は胸を張ってそれに応えるのだった。
バケじぃはラビッツ一人ひとりの勇ましい姿に満足して頷くと、
「服従の儀式には高位爬武官、最高爬武官も出席するということじゃ。タヌ、ラウル、ギル、お前たち三人は赤肌の最高爬武官および黒肌の高位爬武官を優先して倒せ。リーダーたちはもし高位爬武官に遭遇し、戦う状況になったら、必ず複数人で対処するように。絶対に一人で戦ってはならんぞ。濃緑色の爬武官も手強いが、リーダーなら一人で倒せるじゃろう。リーダー以下のメンバーは赤の爬神と黒の爬神と遭遇したら逃げるんじゃ。絶対に戦ってはならん。濃緑の爬神と戦うときもできるだけ二人で戦うように。緑肌の神兵はお前たちなら誰が戦っても一対一で倒せるはずじゃ。自信を持って戦え。爬神の急所である眉間、喉元、みぞおち、そして後頭部の付け根、そこに集中して戦うことを忘れるな!」
と叫んで一同を鼓舞した。
その熱い想いに一同の顔が引き締まる。
「はい!」
全員が迷いのない眼差しでそれに応えると、バケじぃはタヌに向き、
「戦況を見極め、ここぞというタイミングで広場に突入せよ。西の部隊の判断はお前に任せる」
そう告げ、腰のベルトに下げていた石笛を取って手渡した。
「これは?」
タヌが訊くと、
「突撃するときにこれを吹け。この石笛の突き抜けるような高い音は、どんなに広場が騒然としていても、広場の反対側で待機しているわしらに届くはずじゃ」
バケじぃはそう説明した。
「わかった」
タヌは理解して石笛を握り締める。
「わしらも突入するときはこの石笛を鳴らす。しかし、石笛の音が聞こえたからと言って無闇に突入することはない。あくまでもお前の判断において最善のタイミングで突入せよ」
バケじぃは信頼しきった眼差しでタヌを見つめ、微かな笑みを浮かべた。