一四九 懐かしい顔
服従の儀式二日前の夜。
ヴィルアンの丘の麓にある鍛冶屋の一室で、白髪の男が鋭い目つきで剣を構えていた。
その男は静かに剣を振り上げると「ふぅーっ」と息を吐き、
「えい!」
気合いを入れてその剣を振り下ろした。
ヒュン!
薄暗い室内で空気を切る音がして、
バサッ!
部屋の中央に立てられた巻藁が一刀両断に斬り落とされた。
その男の名をタタルといい、ラドリアに幾つかある刀鍛冶の中でも一番と言われる名工だった。
タタルは鍛冶場の隣にある〈剣の間〉と呼ばれる部屋で、試作した剣の出来栄えを確かめていた。
「うーん」
タタルは剣の刃をランプの灯りに照らして首をひねる。
まだまだ師匠のようにはいかないな・・・
タタルは納得のいかない表情で首を傾げながら、幾つもの試作の剣が載せられた台の上にその剣を戻した。
そのとき、
ドンドンドン!
鍛冶場の入り口の戸を叩く音がした。
ラドリアではあの惨劇以来、夜間外出禁止令が出されている。
こんな時間に訪ねてくるのは蛮兵か、蛮兵に追われる者以外にない。
タタルは緊張し、「ふぅーっ」と息を吐いてから、
「こんな遅くに誰だ」
そう言いながら戸を開けた。
すると、そこに赤褐色の髪色をした若者の笑顔があった。
「あっ」
大分大人になったけれど、それは見覚えのある懐かしい顔だった。
タタルにはそれが信じられなくて頭が真っ白になる。
そんなタタルに、
「タタル、久しぶり」
タヌが声をかけると、
「ぼっちゃん!」
タタルは喜びの声を上げた。
タタルもおじさんになったな・・・
タヌは時の流れを感じながら、
「ただいま」
そう言って微笑んだ。
その〝ただいま〟の一言に、込み上げてくるものがあった。
「お帰りなさい!」
タタルはタヌに抱きつき、その目に涙を浮かべた。
タヌは迷いなく逃亡者である自分を受け入れてくれるタタルに、父ナイとタタルとの固い絆を感じずにはいられなかった。
「さ、中に入って」
タヌを鍛冶場の中へ招き入れようとしたとき、タタルはタヌが一人じゃないことに気づいた。
タヌの後方の暗闇に、二人の若者が立っているのが見えた。
タヌはタタルの視線に気がつくと、
「友達なんだ」
そう言って後ろに離れて立っている二人に振り返り手招きをした。
ラウルとギルだ。
二人がタタルの前に来ると、
「こっちがラウルで、こっちがギル」
タヌはそう言って二人を紹介した。
「はじめまして」
ラウルが笑顔で挨拶すると、
「は、はじめまして」
かしこまったことが苦手なギルはタタルと目を合わさず、少し緊張気味に挨拶をした。
「はじめまして」
タタルはタヌの二人の友達を温かく受け入れると、
「さ、中に入って」
そう言って三人を中に招き入れた。
タタルは三人を剣の間に通した。
剣の間、入り口から見て左側の壁際には剣立てに立て掛けれられた剣がズラリと並べられていて、その引き締まった光景に、
「すげぇな」
ギルは思わず声を漏らす。
部屋の奥には閉じられた窓があり、その下に試し切り用の藁束が積まれていて、その手前に腰の高さの台が置かれていた。そしてその台上には試作した剣が五本載せられているのだった。
タタルは台上の剣を片付けると、その台の周りに椅子を置いて三人を座らせた。
台は長方形で、三人は窓を背にして座り、真ん中にタヌ、その左にラウル、右にギルが並んで座った。
「懐かしいなぁ」
タヌはそう声を漏らして部屋の中を見回した。
そんなタヌを微笑ましく思いながら、
「お茶でも飲みますか」
タタルは三人にお茶を勧め、
「ありがとう」
タヌは笑顔で感謝した。
タヌの顔も大分大人の顔になったけれど、その笑顔に子供の頃の面影を見て、タタルは師匠ナイがいた頃の懐かしい日々を思い出すのだった。
この剣の間は、献上の儀式前夜に、ナイがハウルと共に戦うことをタヌに告げた場所だった。
タヌの胸にも込み上げて来るものがある。
タヌにはそのときの父ナイの残像が、今でもそこに見えるようだった。
「タヌはここで育ったのか・・・」
そう声を漏らしたのはギルだった。
「この建物は鍛冶場だからね。暮らしてたのは隣の家なんだ」
タヌがそう言うと、
「へぇー」
ギルは興味深そうに相槌を打つ。
ラウルは黙って部屋を見回していた。
ここに父さんも来たのかな・・・
そんなことを思っていた。
「どうぞ」
タタルはお茶の注がれたコップを三人の前に一つずつ置いた。
「ありがとう」
タヌは礼を言い、
「ありがとうございます」
ラウルとギルも続いて礼を言った。
「突然だから驚きましたよ」
タタルは嬉しそうに微笑み、三人に向かい合って座った。
「驚かせてごめん」
タヌが謝ると、
「いえいえ、謝らないで下さい」
タタルは恐縮し、それから真顔になると、
「服従の儀式と関係あるんですか?」
と突然尋ねた。
「うん」
タヌは穏やかに頷き、それから、
「ヴィルアンの丘にある洞窟に案内して欲しいんだ」
と、タタルに依頼した。
—ヴィルアンの丘にある洞窟。
それはラドリアの戦士たちが祀られているとされる隠された洞窟で、父ナイが人知れず守っていた洞窟だった。
ラドリアへ発つ前、
—ヴィルアンの丘には英雄たちが今でも眠っているという。そのことについて何か知らないか。
バケじぃに訊かれたとき、
—そんな洞窟があるのは知ってるよ。
タヌはそう答え、それを聞いて、
—なんじゃと!
バケじぃは目を丸くして驚いたのだった。
—ぜひ、その洞窟に案内してくれ。
バケじぃはそう言ってタヌに詰め寄ったが、タヌはその洞窟に行くことを許されてなかったため、その場所がわからなかった。
—場所はわからないんだ。
と答えたが、それでも、
—他に誰か知っている者はおらんのか。
バケじぃは諦めなかった。
そして、そのバケじぃの言葉でタヌは閃いた。
弟子のタタルなら知っているはずだ。
と。
そのことをバケじぃに伝えると、
—なら、頼む。わしをその洞窟に案内してくれ。
ということになり、タヌはその洞窟を案内してもらうためにタタルを訪ねたのだった。
ラビッツは儀式前夜にヴィルアンの丘に集合することになっていて、そのとき、バケじぃをその洞窟に案内する約束になっていた。
その依頼に、タタルは神妙な面持ちでタヌを見つめると、
「なるほど、そういうことなんですね」
そう納得して頷くのだった。
「うん」
タヌも神妙な面持ちで頷き返す。
「師匠が生きてたらどう思うんでしょうね」
タタルはしみじみと言う。
ラドリアの戦士としての師匠はきっと喜ぶと思う。でも、父親としての師匠はどう思うのだろうか・・・
タタルはそんなことを思っていた。
「父さんなら喜んだと思う」
タヌは迷いのない眼差しでそう答えた。
その強い眼差しに、タタルはナイの眼差しを重ねて見ていた。
タタルは納得し、
「そうですね。ただ生きることに意味はないんですもんね。師匠は常に、いかに生き、いかに死ぬか、それを考えていた人ですから。今のぼっちゃんを見たら喜ぶと思います」
そう言って微笑んだ。
タヌはタタルのその言葉が嬉しかった。
タタルはラウルを見て、
「あなたがハウルさんのお子さんですね」
そう声をかけた。
「えっ」
ラウルは突然父ハウルの名を出され、驚き、そして全身がビリビリと痺れるような感覚に包まれる。
「どうしてそれを・・・」
ラウルが目を見開いて驚いていると、
「よく似ておられます」
タタルはそう応えて微笑んだ。
「父さんのことを知っているんですね」
ラウルは胸が微かに震えるのを感じながらタタルに尋ねた。
「もちろんです。ハウルさんは師匠がただ一人、同志と認めた方でした。私も何回かお話しさせていただきましたが、こんな私にも丁寧に接していただいて、とても立派な方でした。師匠と語り合っている時のハウルさんは活き活きとしていましたよ。二人はまるで古くからの友人のようでした。だからこそ、師匠がハウルさんのために打った剣には魂がこもっていました。それはまさに、ハウルさんに相応しい見事な剣でした。私もそういう剣が作れるようになりたいと、そう思って今でも研鑽しているんです」
タタルがあの頃を懐かしむような表情でハウルのことを伝えると、そこに父ハウルの存在を感じ、ラウルの胸に込み上げてくる温かいものがあった。
「そうなんですね」
ラウルはそう相槌を打ち、溢れる父への想いに目頭を熱くさせた。
タタルはラウルに優しく頷くと、ギルに視線を移し、
「こちらの方がラビッツのお仲間ってことですね」
そう言ってギルに微笑んだ。
ギルはドキッとして、
「あ、はい」
ぎこちない返事を返す。
タヌは驚き、
「ラビッツのこと知ってるの?」
と聞き返していた。
「もちろん知ってます。ラビッツのことはラドリアだけでなく、他の都市にも知られていると思いますよ」
タタルはそう答えて笑顔になる。
「でも、どうして俺たちがラビッツだってわかったの?」
タヌが首を傾げると、タタルはタヌとラウルの左腕に巻かれたバンダナを見て悪戯っぽく微笑んだ。
「イスタルでのラビッツの活躍は、ここラドリアでもかなり知れ渡ってるんです。私はぼっちゃんがラウルさんと一緒に監視団の蛮兵を斬って逃亡したと聞いたときから、ずっと心配していました。でも、ラビッツの噂を耳にしたとき、ぼっちゃんの存在を感じたんです。とても嬉しかった。そして今日、ぼっちゃんとラウルさんが左腕に巻いているバンダナを見て確信しました」
タタルがその理由を説明すると、タヌとラウルは自分の左腕に巻かれたバンダナを一瞥し、ふと寂しげな笑みを浮かべるのだった。
タタルはそんな二人の微妙な表情に気づかず声を弾ませる。
「ラビッツの赤いバラと青いバラ、そして亜麻色の霊兎のことは知らない人はいないと思いますよ」
タタルはそう告げて嬉しそうな顔をするのだった。
「そうなんだ」
タヌは照れ笑いを浮かべ、ラウルとギルも恥ずかしそうに微笑む。
「なので、ラウルさんとギルさんに会えて光栄です」
タタルはそう言って三人に意味深な笑みを浮かべると、おもむろに立ち上がって壁際に並べられた剣のところに行き、その一つを手に取って鞘を抜いてみせた。
タタルの握る剣の刃が、ロウソクの炎を反射して鋭く光る。
「すげぇ」
そう声を上げたのはギルだった。
「これは師匠が打った剣です」
タタルは剣についてそう説明した。
両刃の剣がランプの灯りに妖艶に光る。
「ぼっちゃん、いよいよ立ち上がるんですね。師匠とハウルさんが献上の儀式で立ち上がったように・・・」
タタルがそう言って複雑な笑みを浮かべると、
「うん」
タヌは意志の強い眼差しで頷いた。
「それなら是非、ここにある剣を使ってください。ここにある剣の半分は師匠が残したものです。残りの半分は私が打ったもので師匠のものと比べると劣りますけど、他の刀鍛冶が打った剣には負けていないつもりです」
タタルは真剣な眼差しで、ここにある剣の提供を申し出た。
「是非、使わせてもらうよ」
タヌはその申し出を喜んで受け入れた。
「すげぇ」
ギルはそんな声を漏らし、目をキラキラさせる。
「これは凄い援軍だな」
ラウルは壁際に並べられた剣をまじまじと見て喜んだ。
そんな三人の嬉しそうな顔を見て、
「自分の打った剣が世界を変える皆さんの力になれるなら、これほど刀鍛冶冥利に尽きることはありません」
タタルはそう言って胸を張る。
—世界を変える皆さんの力になれるなら・・・
その言葉に、三人は気持ちを引き締める。
世界を変える。
そのために立ち上がるのだ。
三人は改めて服従の儀式での必勝を心に誓うのだった。
「タタル、ありがとう」
タヌが礼を言うと、
「ありがとうございます!」
ラウルとギルも同時に声を上げて礼を言い、タタルに深々と頭を下げた。
タヌも一緒になって頭を下げる。
そんな三人を温かな眼差しで見つめ、
「ヴィルアンの丘にある洞窟へは、明日の朝お連れしますね」
タタルはそう言って手に握る剣を鞘に収めた。