一四三 別れのとき
その日の仕事が終わると、ラーラは食事の準備を始めた。
タムネギとキャブツをネンニクと一緒に鍋で炒め、それに軽く火が通ったところでデンズ豆とたっぷりの水を入れる。鍋を煮ながら塩と香辛料で味を整え、最後に隠し味のハチミツを入れると、部屋の中に美味しそうな匂いが漂ってきた。
「あー、お腹空いたー」
タヌが腹を空かせて台所を覗き込むと、
「できたわよ」
ラーラはそう言いながらスープを運んで来て、テーブルの上に並べた。
「いい匂い」
タヌは喜び、ラーラを手伝った。
テーブルの上にラーラの手料理が揃うと、四人は和やかに食事を始めた。
タヌは早速スープを口にし、
「やっぱり、おばさんのスープは最高だね」
そう感想を言い、喜んでもう一口スープを啜った。
「ありがとう」
ラーラは嬉しそうに微笑む。
ラウルもスープを啜ると、
「おばさんの料理、忘れられない味だ」
寂しげにしみじみと呟いた。
そのいつもと違う様子にテムスが気づいた。
「ラウル、元気がないように見えるが、何かあったのか」
テムスは心配そうに声をかける。
テムスに自分の気持ちを見透かされ、ラウルは黙って俯いた。
テムスとラーラの視線がラウルに向けられたそのとき、
「おじさん、おばさん」
タヌが二人に声をかけ背筋を伸ばした。
「なんだい」
テムスは突しかしゃんとした姿勢で真顔になるタヌに、何か感じるものがあった。
「どうしたの」
ラーラは何か嫌な予感がした。
タヌは二人を交互に見て、
「実は俺たち、三日後、ラドリアに発つんだ」
と告げた。
テムスとラーラは唐突にそう告げられ驚いた。
「どういうことだ」
テムスが険しい表情でその理由を尋ねると、タヌは静かに息を吸い、
「一週後、ラドリアで服従の儀式が行われるだろ」
と穏やかに投げかける。
「ああ」
テムスは相槌を打ちながら〝ついに来たな〟と思った。
タヌはテムスから目を逸らし、
「俺たち、その儀式に参加するんだ」
と、静かに告げた。
「えっ」
驚きの声を上げたのはラーラだった。
「どういうこと?」
ラーラは不安で一杯の眼差しでタヌを見つめる。
「その儀式で、俺たちはこの世界を変えるために立ち上がることになってるんだ」
タヌはそう答え、それから何かを確認するようにラウルに視線を向ける。
ラウルはしっかりとタヌに頷き、タヌはラウルに頷き返すと改めて背筋を伸ばし、
「実は、俺とラウルは、ラビッツなんだ」
真顔でそう打ち明けたのだった。
ラーラは目を見開いて顔を強張らせる。
テムスは眉間に皺を寄せ、何も応えずじっと宙を見つめた。
「おじさん、おばさん、今まで隠してて、ごめん」
タヌは申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当にごめん」
ラウルも真剣な面持ちで頭を下げた。
ラーラはどうしていいかわからず、俯いたまま黙ってしまう。
しばしの沈黙の後、テムスは小刻みに何度も自分を納得させるように頷くと、
「うん。でも、なんとなくわかってたよ」
そうポツリと言い、それからラーラに顔を向け、
「なぁ、ラーラ」
と、寂しげに声をかけた。
ラーラは顔を上げ、それに応える。
「そうね。あなたたちが市街地へ慌てて行った日から、何かがおかしいって、胸騒ぎがしてたのは事実よ」
その顔に悲しみの色を浮かべ、ラーラはそう言って二人を見る。
ラーラのその眼差しは、不安と諦めが入り混じったものだった。
テムスはラーラの言葉に頷き、そして、言葉を繋いだ。
「お前たちには背負っているものがある。ずっとそう思っていた。だからお前たちがラビッツだとしても、私はそれを受け入れるつもりでいたよ」
テムスは自分を納得させるようにそう言って寂しく微笑んだ。
タヌは今まで二人と過ごしてきた時間を思い、胸に込み上げてくるものがあった。
「おじさん、おばさん」
そう呼んではみたものの、何も言葉は出て来ない。
ラウルも二人に対する感謝の思いで胸が一杯だった。
テムスは真顔になり、何かを決心するように頷くと、
「お前たちが立ち上がるなら、私も立ち上がる。お前たちがラドリアで戦うなら、私はここイスタルで戦う。私もラビッツと一緒にこの世界を変えるぞ」
そう力強く宣言し、胸を張ってみせるのだった。
テムスのその宣言に、二人は目を丸くして驚いた。
「おじさん・・・」
唖然とする二人に、
「ナーラの為に私ができることは、それぐらいしかないんだ」
テムスはそう言って寂しく微笑むのだった。
「あなた・・・」
ラーラはそう呟いてテムスを見つめる。
ラビッツの存在を知ってからというもの、テムスはずっと苦しんでいた。
ナーラを想う気持ちと、ナーラを喜んで差し出した自分を許せない気持ち。
その二つの想いが、テムスを突き動かしているのだとラーラは思った。
「うん」
タヌは笑顔で頷き、
「うん」
ラウルはナーラを思い出し涙ぐんだ。
テムスはそんな二人に、
「ありがとう」
しみじみと感謝の言葉を伝えた。
この二人がいなければ、私はただ流されて生きるだけの愚かな人間だった・・・
テムスは胸に詰まっていた思いを吐き出し、久しぶりに心が軽くなった。
そして、その場の空気を変えるように、手をパンッと叩くと、
「ということは、あと三日あるということだな」
テムスはそう言って陽気な笑顔をみせた。
「それじゃ、二人の好きな料理をたくさん作るわね」
ラーラは寂しさを堪え、二人に温かな眼差しを向けるのだった。
「おばさんの料理はどれも御馳走だからね」
タヌは笑顔でそう言うと、小皿に取り分けた野菜炒めをむしゃむしゃと食べるのだった。
「うん。忘れられない母親の味ってやつ」
ラウルはスープを飲み、
「うん、美味い!」
そう言って幸せそうな顔をする。
そんな二人に、
「嬉しいこと言うじゃない」
ラーラはそう言って笑い、目尻の涙を拭う。
「死ぬんじゃないぞ」
テムスは二人にそう言った。
その優しい眼差しに、二人はただ黙って頷くだけだった。