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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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一四二 マーヤの決心


 ジウリウ川の土手に座り、マーヤは川を眺めていた。


 川面に浮かぶ落ち葉が、ゆっくりと流れていく。


 川の対岸では、果樹園の木々が柔らかな日差しを受けて生き生きとして見える。


 マーヤの目に浮かぶのは、シールの笑顔と、あの温かな眼差しだった。


—マーヤったら・・・あはは・・・


 そう言って笑うシールの眼差し、その笑い声が、マーヤの胸を締め付ける。


 お姉ちゃんはいつも私のそばにいて、優しく見守ってくれていた・・・


—私も二人に会いたくてしょうがないんだけど、今私たちが出ていったら、二人を危険な目に合わせることになるわ。


 ラウルの姿を目の前にしながらそう言う、泣きそうなシールの横顔を思い出してマーヤは辛くなる。


 ラウルが帰ってくる日を夢見ていたはずなのに・・・


—ラドリアで二人を待ちましょ。


 シールは明るくそう言った。


 お姉ちゃん・・・


 マーヤは目を閉じ、服の胸の部分を鷲掴みにして歯を食いしばる。


 このままお姉ちゃんを死なせるわけにはいかない・・・


 マーヤはそう決心して目を開けた。


 目の前の光景は平和で穏やかだ。


 マーヤは思い詰めた眼差しで川面を睨み、


「お姉ちゃんは、絶対に渡さない」


 そう呟いた。


 そのとき、背後から声が聞こえてきた。


 トマスとエラスの声だった。


 マーヤは振り向きもせず、ただ川面を見つめ続ける。


「マーヤ」


 エラスがそう声をかけ、マーヤの左に座った。


「マーヤ!」


 トマスは元気に声をかけ、マーヤの右に座る。


 マーヤは誰とも話したくなかった。


 だから、二人の声に反応を示さない。


 エラスは元気のないマーヤが心配になる。


「マーヤ、僕にできることがあれば何でもするから」


 エラスはそう声をかける。


 しかし、マーヤは何も応えない。


「マーヤ、べろべろばー」


 そう言って変顔をしたのはトマスだった。


 マーヤはやはりトマスを見ようともしない。


 だから、トマスはマーヤの前に移動して無理やり視界に入る。


「べろべろばぁー」


 トマスは目を寄り目にして、舌を突き出してみせる。


 マーヤはついその顔を見てしまった。


「ぷっ」


 思わず吹き出してしまう。


「トマス、やめて」


 マーヤは笑いながら手をかざし、トマスの顔が見えないようにする。


 だが、マーヤが笑ったのが嬉しくて、トマスは勢いづいてしまうのだった。


「べろべろばぁー、べろべろばぁー、べろべろべろばぁー」


 トマスは変顔をしながら、顔を右に左に大きく振ってみせるのだった。


「あはは。トマス、参った、参りました!」


 マーヤは笑いながらトマスに降参した。


「やった!」


 トマスが腰に手を当て得意げな顔をすると、


「トマス、ありがとう」


 マーヤは自分を励まそうとするトマスに素直に感謝した。


 トマスだって辛いはずなのに、お姉ちゃんの私がしっかりしなきゃ・・・


 マーヤはトマスがいてくれて本当に良かったと思う。


 エラスは笑顔をみせたマーヤにほっとすると同時に、マーヤを笑顔にしたトマスに感心するのだった。


「マーヤ、あのさ」


 エラスは真顔で話しかける。


「なに?」


 マーヤは素直は反応をみせ、エラスに振り返る。


 話しかけたのは自分なのに、マーヤが目を向けるとエラスは緊張した。


「トマスから聞いたんだけど、服従の儀式にラビッツがやって来て、護衛隊と一緒になって爬神様と戦うって・・・」


 エラスはたどたどしい口調でそのことを口にした。


 それはさっきトマスから聞いたばかりで、聞いたときは腰が抜けるほど驚いた。


 エラスはそれが本当なのか確かめたかったのだ。


「うん」


 マーヤは表情を変えずに相槌を打つ。


「それ、本当?」


 エラスが恐る恐る尋ねると、


「本当よ」


 マーヤはあっさりとそれを認めて微かな笑みを浮かべた。


 その答えにエラスは落胆の色をみせる。


「それじゃ、マーヤがラビッツと一緒に戦うってのも本当なんだ・・・」


 エラスはそう呟くように言い、悲しい眼差しでマーヤを見つめた。


「うん。それも本当よ」


 マーヤはあっさりとそれも認め、エラスに笑顔で頷いた。


 エラスにはマーヤのその笑顔が事の重大さを認識していないような気がして、


「無茶だ!」


 思わず声を荒げていた。


「無茶じゃないわ」


 険しい表情のエラスに、マーヤは穏やかに応える。


 エラスにはマーヤのその落ち着きが理解できなかった。


「僕だってその気持ちがわからないわけじゃないよ。でも、爬神様に戦いを挑むなんて無茶だよ。爬神様に勝てるわけないじゃないか。爬神様と戦うってことは、死にに行くようなものだよ。だから、マーヤ、君は参加すべきじゃない」


 エラスは爬神族に刃向かうことの無謀さを説き、戦闘に参加しないよう訴えた。


 エラスは泣きそうな顔をしていて、その眼差しには〝マーヤが死ぬかも知れない〟という(おび)えの気持ちが表れていた。


「やってみなきゃわからないじゃない」


 マーヤは平然とそう言い、エラスの気持ちを気にかけない。


「やってみなくてもわかるよ!」


 エラスは反論し、言葉に力を込める。


 とにかく、マーヤが戦闘に参加するのだけは阻止しなくちゃ・・・


 エラスはマーヤが死ぬかも知れないと思ったら、怖くてしょうがなかった。


 マーヤは必死なエラスを優しく見つめ、


「エラス」


 と、穏やかに語りかける。


 マーヤのその穏やかさに、


「なに?」


 エラスも落ち着いて返事を返す。


 マーヤは少し考えるように宙を見つめてから、


「結果って、そんなに大切かしら」


 そう言って微笑んだ。


 エラスはその言葉に驚いた。


「えっ」


 結果がすべてじゃないの?・・・


 そう思った。


 驚いて目を丸くするエラスに、マーヤは告げる。


「結果がどうなろうとも、戦うことに意味があるの。ラビッツも、護衛隊も、きっとそう思ってるわ」


 マーヤはそう言うと、川面へ視線を移した。


「・・・」


 エラスはマーヤのその言葉に胸を突かれ、言葉を失ってしまう。


 そんなエラスに、マーヤは語る。


「今のままの世界でいいのなら、何もせずに爬神族に従って生きていればいいと思うの。献身者になることを喜んで、ドラゴンに命を捧げることに満足して、幸せな振りをして生きていればいいと思う」


 マーヤはそう言って寂しげな表情を浮かべる。


 エラスはそんなマーヤの横顔に、自分の知らないマーヤの一面を見たような気がした。


「・・・」


 エラスには返す言葉がなかった。


 マーヤの言っていることは、今のエラスならよくわかる。


 ドラゴンや爬神族に命を捧げるだけの人生に意味なんてない。


 エラスだってそう思っている。


 今のエラスは昔のエラスとは違うのだ。


 でも、エラスはどうしても、マーヤの命を守りたかった。


 エラスにあるのは、その想いだけだった。


「でも、私は嫌なの。エラスだって、それは間違ってるって言ってたでしょ」


 マーヤは真顔で問いかける。


「うん、言った」


 エラスは複雑な思いでそれを認め頷いた。


「間違ってるって思うなら、思うだけじゃなくて、それを変えなきゃ。変えられないって決めつけるんじゃなくて、変えようとしてみなきゃ。失敗するかも知れない。でも、失敗したっていいじゃない。この間違った世界で幸せな振りをして生きるくらいなら、滅ぼされたっていいじゃない」


 マーヤはそう言ってエラスを真っ直ぐに見つめた。


 マーヤのその眼差しには覚悟があった。


 エラスはその覚悟に動揺し、目を逸らしてしまう。


「・・・」


 思い詰めた表情で俯くエラスに、マーヤは我に返って表情を緩め、


「ごめん。エラスにはエラスの考えがあるもんね」


 と、申し訳なさそうに謝った。


 エラスは深刻な表情で宙を睨み、考え、そして、顔を上げた。


「マーヤは戦うんだよね?」


 エラスは真顔で尋ね、マーヤの目を見つめた。


 マーヤは迷うことなく、


「もちろん」


 そう答えて頷いた。


「絶対に?」


 エラスは念を押す。


「うん。タヌとラウル、二人と一緒に戦うって、お姉ちゃんと誓ったの」


 マーヤは揺るぎのない眼差しでそう答えた。


 その眼差しを見て、エラスは観念した。


「そっか」


 エラスはそう相槌を打ってマーヤに微笑んだ。


「お姉ちゃんはできなくなっちゃったけど・・・」


 マーヤはそう言って悲しげな笑みを浮かべる。


 エラスはそんなマーヤを励ますように、


「なら、シールの代わりに僕が一緒に戦うよ」


 と宣言し、笑顔で自分の胸を叩いた。


 マーヤにはそれがエラスの強がりに見えた。


「エラス、無理しなくていいわ」


 マーヤはエラスを思い留まらせる。


 そんなマーヤに、エラスは真剣な表情で首を横に振り、


「一緒に戦いたいんだ。僕は今までの頭でっかちで臆病な自分が嫌なんだ。タヌやラウルのように、僕も死を恐れずにぶつかっていきたい。僕は生まれ変わりたいんだ」


 と、自分の想いを伝えるのだった。


 エラスの目は本気だった。


「エラス・・・」


 マーヤは微笑み、その覚悟を受け入れるように頷いた。


「ありがとう」


 エラスは嬉しそうに笑う。


 すると、


「僕も戦う!」


 と、トマスが言い出した。


 マーヤは驚いてトマスに振り返ると、


「ありがとう、トマス。でも、あなたはまだ小さいからダーメ」


 そう笑顔で言い、おでこを右手の人差指でツンツンとつつくのだった。


「えー!」


 トマスは大袈裟に不満の声を上げて口を(とが)らせる。


 そんなトマスの不満顔なんてマーヤは気にしない。


「ダーメ」


 そう言って、トマスのほっぺを両手でつまんで上下に軽く動かして遊ぶのだった。


「えー、シールお姉ちゃんを守るのは僕なんだよ・・・」


 トマスはマーヤにほっぺをいじられたまま、弱々しくそう訴えた。


 マーヤはトマスのほっぺをつまんでいた手を止めると、


「うーん」


 と考え、


「じゃぁ、私がシールお姉ちゃんを取り返してきたら、シールお姉ちゃんが目を覚ますまで、トマスが守ってくれる?」


 と、笑顔でお願いした。


 トマスはそれを受け入れ、


「うん。わかった!」


 元気な返事を返す。


 マーヤはトマスのほっぺから手を離し、


「ありがとう。トマスがシールお姉ちゃんを守ってくれるなら、私も安心してタヌやラウルと一緒に戦えるわ」


 そう言ってトマスの頭を撫でた。


 エラスはそのマーヤの言葉に少し寂しい気持ちになりながらも、


「トマス、マーヤには僕もついてるからね」


 そう言って胸を張ってみせるのだった。


 マーヤを守るのは僕だ・・・


 エラスはそう心に決めた。


「エラスじゃ頼りないなぁ」


 トマスが疑うような眼差しでエラスを見ると、


「そうでもないと思うんだけどな」


 エラスは頭を掻いて苦笑いを浮かべる。


「エラス、ありがとう」


 マーヤはエラスに感謝して微笑み、エラスはマーヤのその笑顔に胸がキュンとなる。


 そのとき、エラスの脳裏にトマスの言葉が浮かんできた。


—マーヤを止めよ・・・


 エラスは「あっ」と声を漏らし、目を見開いたまま固まってしまう。


 トマスはそれに気づき、


「エラス、どうしたの?」


 そう声をかけ、呆然としているエラスの顔をからかうように覗き込む。


 エラスは今目の前にあるトマスの無邪気な笑顔を見て、あのときトマスが言った言葉には深い意味などないような気がした。


 あのトマスの虚ろな眼差し、感情の伴わない声音。


 それを振り払うかのように軽く頭を振ってから、


「なんでもないよ」


 エラスはそう言って笑った。


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