一四〇 卑劣な男
コツ、コツ、コツ・・・
「服従の儀式などどうでもいいものを・・・」
椅子の肘掛けを右手の人差し指の爪で叩きながら、コンドラは眉間に皺を寄せる。
「それを言うなら迷惑を被っているのは私の方だ。霊兎族の儀式への出席のために、わざわざラドリアまで行かなければならないのだからな」
サウォはコンドラを前にして立ち、そう不満を口にする。
「サウォ殿もたしかにそうでしょう。しかし、私ほど爬神様に対し忠誠を誓っている人間もいないのではないでしょうか。監視団に対して霊兎狩りを許しているのも、爬神様に対する忠誠心がなければできないことです。今更私が服従の意志を示す必要などあるのでしょうか。公開処刑でも何でもいくらでもすればいい。私がわざわざ儀式に出席する必要などないのです」
コンドラがそう言って服従の儀式への参加を心の底から嫌がると、
「なるほど」
サウォは納得した振りをして頷いた。
我々に霊兎狩りを許しているのが爬神様への忠誠心だと?笑わせるな。我々を脅迫し、支配下におくためではないか。コンドラという男は自分さえよければそれでいいという人間だ。自分の地位が守られるなら、どれだけでも兎人の命を捧げるだろうし、爬神様ですら平気で欺くだろう・・・いや、もう既に欺いているではないか・・・
サウォは心の中でそう吐き捨てる。
薄暗くひんやりとしたコンドラの執務室には、コンドラとサウォの二人しかいない。
「私の代わりに高位兎神官であるソムリを出席させようかと考えたのですが、コンクリ様から許可が得られませんでした」
コンドラは残念そうに言う。
「それは残念だったな」
サウォは同情の声をかける。
そして内心では、なんでこんな男が統治兎神官に選ばれたのか理解に苦しむのだった。
コンドラは膝のあたりを擦りながら、
「儀式の間、立っていなければならないのが苦痛で・・・」
そう泣き言を言う。
「足が悪いのか」
サウォが訊くと、
「イスタルへ来てからというもの、食べ物が美味しくて太ってしまいました。そのせいで膝を少し悪くしてしまったようです」
コンドラはそう言って嘆き、
「なるほど。こればかりは仕方ないな」
サウォはコンドラを憐れみの目で見る。
お前はイスタルに来た時からデブだったけどな・・・食い意地ばかり張りやがって・・・
サウォは心の中で、そう悪態をついていた。
「サウォ殿は、いつラドリアへ?」
コンドラが予定について尋ねると、
「我々蛮狼族は儀式の前日にラドリアに入るよう指示が出ている。だからまだのんびり準備をしているところだ。コンドラ殿はいつ発つのだ」
サウォはコンドラの予定など興味はなかったが、社交辞令的に聞き返した。
コンドラは一つ頷いてから、
「来週早々イスタルを発つ予定です」
苦々しい表情でそう答えるのだった。
「ほぉ、もう何日もないな」
サウォは内心〝ざまあみろ〟と思っていたが、それを顔に出さずに淡々と相槌を打つ。
コンドラは聞かれてもいないのに、なぜ自分が来週早々発たなけれならないかについて説明を始めた。
「私は統治兎神官という、最高兎神官であるコンクリ様に次ぐ地位にありますから、そうのんびりもしていられないのです。来週、すべての統治兎神官が揃った時点で儀式の段取りが説明されます。そして儀式前日には、儀式の成功を祈願する為の祈りの儀式が執り行われるのですが、私は他の都市の統治兎神官の誰よりも長くコンクリ様に仕えて来た為、私がコンクリ様を支えなければ儀式自体がうまくいかないのです。私の持つ高い霊力は儀式に欠かせないのです。私が並みの統治兎神官であればこういうことはなかったのですが・・・」
コンドラがそう嘆いてみせると、まずサウォが思ったのは、〝何だコイツ〟ということだった。そもそも儀式をすっぽかそうとしていた人間が、どの口で言っているのだろうか。そんな人間が最高兎神官の次の地位にいるということが、霊兎族のレベルの低さを物語っているのだ。
サウォはコンドラを見ていて心からそう思うのだった。
その内心とは裏腹に、
「たしかに、それは大変だな」
サウォが神妙な面持ちで相槌を打つと、突然、コンドラは吹き出すように笑い出した。
「ぷっ、ぷぷぷっ」
コンドラは愉快そうな顔をしてサウォを見る。
サウォには訳がわからない。
「どうした?」
サウォが不機嫌に理由を尋ねると、
「実は・・・儀式の朝に仮病を使うつもりなんです。儀式には私の代理が出席すれば十分ですから。私は儀式の間、寝室でゆっくり寝ているってわけです」
コンドラはそう答え、「ぷぷぷっ」と、その顔に卑しい笑みを浮かべた。
これほどまでのクズは見たことがない・・・
サウォはコンドラの笑顔にゾッとするほどの不快感を覚える。
そして、コンドラの言っていることがおかしいことに気づく。
代理の出席はコンクリから許可されなかったと、コンドラ自身が言っていたではないか。
「代理は許可されなかったのでは?」
サウォは首を傾げる。
「だからこその仮病ではないですか。前もってお伺いを立てたのがまずかったのです。突然の病気ならどうしようもないでしょう。コンクリ様も無理に出席せよとはおっしゃらないはずです。そのため、ソムリもラドリアへ連れて行きます」
コンドラはそう説明しながら、自分の計画に酔いしれるかの如く何度も頷くのだった。
サウォはそんなコンドラに感心し、
「なるほど。コンドラ殿は相変わらず卑劣だな」
と、思わず正直な思いを口にしてしまう。
その言葉にコンドラはムッとし、頬をピクッと動かしてサウォを睨みつけた。
「今、なんと仰いましたか」
コンドラのその怒りで強張った顔に、サウォは慌てて言い訳をする。
「コンドラ殿は流石だと、そう言ったのだ」
サウォが真顔できっぱりと答えると、
「そうですか。聞き間違いでしたか」
コンドラはそう言って表情を緩めた。
ほっとするサウォ。
つい、
「私がコンドラ殿に卑劣などと言うわけがないではないか」
と、うっかり口を滑らせてしまう。
「うん?」
コンドラは目をひん剥いてサウォを見る。
その頬がピクピク痙攣していた。
まずい・・・
「いや、コンドラ殿は流石だ、うん、流石だ。私はそう言ったのだ」
サウォは慌ててそんな訳のわからない言い訳をすると、
「それでは儀式の日に」
慌ててコンクリに頭を下げ、逃げるように執務室を後にした。
サウォが退室した後の静まり返った室内。
「卑しい蛮狼ごときが・・・」
コンドラはそう吐き捨てると、「ぺっ」と床に唾を吐いた。