一三九 アクの悔恨
ラドリア精鋭養成所。
夜の武道場にその男はいた。
ブンッ!
木剣を振る音が、静まり返った道場内に響く。
ブンッ!ブンッ!ブンッ!
木剣を一心不乱に振っているのはアクだった。
木剣を振るアクの目に浮かんで来るのはラウルの姿だった。
—くらえぇえええ!
ラウルの凄まじい気迫に、為す術がなかった。
ガキィーン!
ラウルのその一撃をただ受け止めることしかできなかった。
今まで力で圧倒されることなどなかった。
力で圧倒するのは常に自分であるはずだった。
その自分がまったく歯が立たなかったのだ。
その屈辱感にアクは顔を歪める。
「くそっ」
ブンッ!
ラウルの幻影を打ち払うかのように、アクは木剣を振る。
ふと、シールの声が聞こえてくる。
—愛する者のために、命を捨てる覚悟を持って生きるということです。
美しい生き様とは何かを問うたとき、シールはそうきっぱりと答えた。
その時のシールの眼差しは清々しいほどに透明で、自分の生き方への自信に満ち溢れていた。
「ちくしょう!」
ブンッ!
アクはその言葉をかき消すかのように木剣を振る。
しかし、木剣を振れば振るほど、アクはどうしようもない気持ちになった。
そのアクの目に、生贄の柩に眠る安らかなシールの顔が浮かんでくる。
「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!」
ブンッ!ブンッ!ブンッ!
アクは今まで感じたことのない感情に戸惑い、木剣を振り続けた。
コンクリは言った。
—ラドリアの戦士たちは〝霊兎族の誇り〟を守るために戦ったのだ。それが、ラドリアの戦いだ。
コンクリはそう言って厳しい目つきで宙を睨んだ。
そのコンクリの苦渋に満ちた眼差しに、アクの心は揺さぶられる。
俺に、霊兎族の誇りなんてあっただろうか・・・
「くっ」
アクは胸の痛みに顔を歪める。
俺は力だけを信じて生きてきた。
力によってすべてを手に入れること。
力に従うこと。
そして、力で従えること。
それがすべてだった。
それは力のある者に対する崇拝と、力のない者に対する蔑みを意味していた。
そこには、何の誇りもない。
霊兎族の誇りを守るために戦ったラドリアの戦士たち。
その戦士たちの想いに胸が熱くなる。
今まで自分が信じてきたもの。
それは何だったのか。
「むぉおおおお!」
ブンッ!ブンッ!ブンッ!ブンッ!ブンッ!
アクは今までの自分を打ちのめすかのように木剣を振った。
ドサッ。
アクは力尽き、仰向けに倒れた。
「はぁはぁはぁ・・・」
天井を見つめるアクに、亜麻色の霊兎の姿が浮かぶ。
—うぉおおおおお!
亜麻色の霊兎は茶髪の娘の頭部を胸に抱きしめ慟哭した。
その悲しみが、今ならわかる。
あの娘の死に様。
あのとき・・・・
「逃さんぞ、ラビッツ!」
アクはそう言って娘の前に立ちふさがり、
「くそっ」
娘はそう吐き捨て剣を構えた。
「安心しろ。お前を殺す気はない。だが、仲間の居場所は白状してもらう」
アクはそう娘に告げ、ニヤリと笑った。
娘に逃げ場はない。
捕らえるのは時間の問題だった。
娘は思い詰めた表情で宙を見つめ、それから覚悟を決めたかのようにアクを見上げた。
そして娘は、ふっと笑みを浮かべ、
「仲間を売るかよ」
そう吐き捨てると、静かに目を閉じた。
そして・・・
「おい!」
アクが声をかける間もなく、娘は持っていた剣で自らの首を掻き切ったのだった。
娘の首から血飛沫が上がり、娘はその場に倒れ、絶命した。
アクは唖然とそれを見ているだけだった。
仲間のために自分の命を捨てるその想い。
俺にそんなものがあるだろうか。誰かのために自分の命を捨てるなんて、考えたことがあっただろうか。俺は常に自分の欲望を満たすことしか考えていなかった。力でそれを手に入れることしか考えていなかった。それが正しことだと信じてきた・・・
アクはそんな自分を嘲笑うかのような苦々しい笑みを浮かべる。
あの娘がみせたのは、誇りある戦士の死に様だ。それなのに、俺はみせしめとしてあの娘の首を落とし、その場に捨て置いた・・・
「ちくしょう!」
アクは目を閉じ、込み上げてくる感情を持て余す。
アクの胸の内で様々な感情が入り混じり、激しく渦を巻く。
こんなにも不安な気持ちになったのは初めてだった。
「なんてこった・・・」
アクは苦し紛れにそう声を漏らす。
アクの瞼に様々な情景が浮かんできては、心を揺さぶった。
仲間のために自ら首を掻き切った娘の眼差し。
その娘の頭部を胸に抱えて慟哭する亜麻色の霊兎の姿。
亜麻色の霊兎を助けるために迷いなく蛮兵の中に飛び込むタヌとラウルの勇姿。
生贄の柩に眠るシールの安らかな顔。
コンクリの苦渋の表情。
ラドリアの戦士たちが守ろうとしたもの。
そして、アクは理解した。
「俺は、間違っていた・・」
アクはそう声を震わせ呟くと、
「うぉおおおおおお!」
雄叫びを上げ、泣いた。