一三八 悲しい知らせ
ラドリアの護衛隊隊長ミカルから、イスタルの護衛隊隊長ドゴレへある情報がもたらされると、ドゴレの部下は直ちにタヌとラウルの元へ向かった。
ドゴレの使いが向かったのはムニム市場で、使いは護衛隊の制服ではなく、一般住民と同じようなラフな恰好をしてテムス農園の店先に立った。
店にはタヌとラウルの他にギルがいた。
「あ、スミル」
タヌが笑顔で声をかける。
ドゴレの使いの隊士は名前をスミルといい、顔なじみだった。
スミルはまだ若い白髪の霊兎で、タヌやラウル、ギルとは歳が近いだけに打ち解けるのも早かった。
「どうしてお前が?」
スミルが店の中にいるギルを見つけて首を傾げると、
「居て悪いかよ」
ギルはそうぶっきら棒に言い返す。
スミルに言われなくても、ギルは自分がここにいることを不自然だと思っている。
でも、ヒーナがいなくなってからというもの、バケ屋敷にいるのが辛くて、ちょくちょくここを手伝いに来ているのだった。
「悪くはないが、お前が客相手に愛想を振りまけるとは思えないんだが」
そう言ってスミルがからかうと、
「余計なお世話だ」
ギルは不機嫌にソッポを向いた。
スミルは店の中を覗き、そこにテムスとその妻ラーラの姿がないことを確認してから、
「テムスさんは?」
と、念のために尋ねる。
「今日はギルもいるし、おじさんとおばさんには休んでもらったんだ」
タヌが答えると、
「ギルは役に立たないけど」
ラウルがそう付け加えて笑う。
「言われてるぞ」
スミルがそう言ってニヤニヤすると、
「ちぇっ」
ギルは舌打ちをし、
「俺だって俺なりに頑張ってるんだよ」
とボヤくのだった。
スミルはそのギルらしい態度に微笑み、
「それじゃ、本題に入るけど」
そう言ってタヌとラウルに視線を向ける。
「どうしたの?」
タヌが訊くと、
「実は・・・」
スミルは急に真顔になる。
スミルは遊びに来たわけではないのだ。
「ラドリアのミカル様から知らせがあって、それを伝えに来たんだ」
スミルは二人にそう告げた。
「何かあったの?」
タヌは真っ直ぐにスミルを見、ラウルは耳をスミルに傾けながらも、市場の人通りに目を配る。こういう話はタヌがちゃんと聞けばいい。そんな気持ちだった。
「服従の儀式で捧げられる生贄のことなんだ」
スミルはそこで息を「ふぅ」と吐く。
「うん」
タヌは嫌な予感がした。
わざわざそれを言いに来るということは、生贄に何か問題があるということなのだろう。
なんだろう?・・・
ラウルも興味を惹かれ、スミルに視線を向ける。
スミルは二人が自分を見て、ちゃんと耳を傾けていることを確認してから、
「生贄になるのは、シール、っていう名前の娘なんだって」
と、神妙な面持ちでその名を告げたのだった。
「えっ・・・」
タヌは驚きのあまり言葉を失う。
「今、シールって言ったか?」
ラウルが顔を強張らせて聞き返すと、
「そうだ」
スミルはラウルの目をしっかりと見て、そうきっぱりと答えたのだった。
「嘘だ!」
ラウルは思わず怒鳴っていた。
その声に驚いたのはギルだった。
「シールって娘は知り合いなのか」
ギルが尋ねると、
「幼馴染みなんだ」
タヌがそれに答え、ラウルはスミルに念を押して確認する。
「シールが生贄というのは、本当に間違いないのか」
ラウルの眼差しが悲しみに満ちていた。
タヌも明らかに動揺している。
二人のその様子を見て、スミルはなぜミカルがわざわざ生贄の情報を伝えて来たのか、ドゴレがなぜそれを直ちに二人に伝えるように命じたのか、その理由がわかった気がした。
シールという娘は、この二人にとって大切な存在なのだ。
そう思うと、スミルの胸は痛んだ。
「残念ながら、生贄はシールという娘に間違いない」
スミルはそう言って憐れみの表情を浮かべる。
ギルにとって二人がこんなにも動揺する姿を見るのは初めてのことだった。
ラウルにとって、きっと自分の命より大切な娘なんだな・・・
そう思うと、ギルのその目にヒーナのあの寂しげな眼差しが浮かんできて、その胸に苦しいほどの悲しみが込み上げてくる。
「くそっ」
ラウルはそう吐き捨てると、目を閉じ、両手の拳を握り締め、溢れてくるどうしようもない感情を堪えるように、ぐっと歯を食いしばるのだった。
タヌは俯き、茫然として宙を見つめている。
その場が重苦しい空気に包まれ、スミルはいたたまれなくなったのか、
「私から伝えることは以上だ。すまない」
急にかしこまってそう告げると、市場の人混みの中に消えていった。
三人はポツンと店の中に立ち尽くす。
しばらく言葉もなく黙っていると、
「ラウル、そのシールって娘はまだ生きてるんだろ?」
ギルがそう声をかけた。
ラウルは力なくギルに振り向くと、
「たぶん・・・」
ボソッと答えて俯くのだった。
すると、
ドンッ!
ギルは苛々してラウルの右肩を殴った。
「おい!二人とも顔を上げろ!」
ギルは二人に怒鳴っていた。
二人はその剣幕に驚いて顔を上げ、ギルに視線を向ける。
「シールって娘はまだ生きてるんだろ!生贄がどういう状態かは知らないが、死んでないなら元に戻せるチャンスがあるってことだろ!爬神に奪われなければいいだけじゃないか!なにをメソメソしてるんだ、お前ら!メソメソしてる暇があるなら、どうやってその娘を守るか考えろってぇーの!」
ギルは肩を落とす二人に怒りをぶつけた。
その目には微かに涙が滲んでいた。
タヌはギルの言葉に納得するように何度も頷き、
「ギル、そうだね」
そう笑顔で応えた。
ラウルはギルの言葉に胸を打たれ、顔つきが変わっていた。
「シールはどんなことがあっても守ってみせる・・・」
ラウルは怒りに満ちた鋭い目つきになると、
「ギル、手伝ってくれるか?」
そう言って口元に微かな笑みを浮かべた。
ギルはラウルのその覚悟を決めた眼差しに、背筋がゾクゾクッとするのを感じて嬉しくなる。
ギルは力強く頷き、
「当たり前だ」
そう応えて嬉しそうに笑い、目に滲む涙をさり気なく拭うのだった。